終わり:幸せ
工房内はパニックになり、窓に向けてレース編みの棒や糸が投げつけられる。
皆、編みかけの品物はしっかり脇にどけるところはプロであった。
ドリーンももちろん編みかけの品を崩れないよう保管ケースに格納の上、混乱に乗じて店の裏口から駆け出た。
店内の騒ぎに驚いた町の人が集まってくる。
ドリーンは空を見た。
ふわっとした羊のような大きな雲が、高い空を駆けていった。
ドリーンは店内に再び顔を出して、「私、ちょっと、出ます!」と告げた。
「えぇっ、どこによ!?」
「探し物ー!! っと、忘れ物なのー!!」ドリーンは叫び返す。
「えぇええええ!?」
ドリーンは空を見上げて、町を駆け出した。
上を見上げながら駆けるので、いろんな人にぶつかりそうになったし、ぶつかった。
ぶつかって謝って、駆けだして、を繰り返して。
ドリーンは、ついに空を見上げて、駆けるのを止めた。もう遅い。もう遠い。こっちの方向であっているのかも分からない。
「・・・ま」
道行く人が、ドリーンの口にした音の切れ端を不思議そうに見やった。
自分が随分と気落ちしているのが、分かった。
ドリーンは、トボトボと店に戻った。
***
「・・・で?」
「う、うん。そろそろ、食欲は収まったかなぁって、思って…む、迎えに…」
目の前に、プルプル震える巨大な羊がいる。
毛並みがところどころ汚れている。1週間ほどの事なのに! 茶色い何かに染色されている。
〝あ、あのね、あのね、もう迷惑かけちゃいけないって、別のにんげんって、思ったんだけどね…”
白フワが、魔王を庇ってまくしたてる。
〝えと、もう一回、良いかなぁって、思って…”
黒フワも一生懸命、怖そうに震えつつ、説明する。
そう、店へと戻る道の途中で、ドリーンはまた穴に落ちたのだ。
ちなみに今回は、引きずられるのではなくて、ブゥンと高く放り投げられた。
次があったらもっと丁寧に運んでほしい、とドリーンは思った。
はあ、とため息をついたドリーンに、魔王たちはビクっと震えた。
「ご、ごめん、ごめんね、迷惑だったよね、ごめんね」
「ううん・・・会いたかったし、会えたのは良いのよ。でもね」
私は店に戻るつもりだったのに、意図せず場所を変えられるのは、やっぱり困る。
慌てた魔王が急いで口を開いた。
「あ、あの、うん、別のにんげんを、狙ったんだよ!? でも、やっぱり子どもだと泣いちゃうし、男の人だと僕が襲われたら負けちゃうだろうし、お婆さんはショックで倒れられても困るし、若い女の子だと勇者みたいな子が僕を倒しに来るかもしれないし、それで、そうじゃないと女の人ってお母さんになっててさ、お母さんを連れていっちゃうと、やっぱり子どもが泣くじゃない? だから、若くも無くお母さんでもなくお婆さんでもないって、なかなかいなくて…」
「そんな消極的な理由で私だったの、この魔王!」
ドリーンは結構ショックを受けた。
「あんなに、ふわっふわにしてあげたのに! なによ! あんなにふわっふわにしたのに! この恩知らず!」
好きでふわふわもこもこに仕立て上げた自覚はあったが、再びの茶色染色にショックを受けたために、勢いに任せて魔王に向かって言い放つ。
叱られた魔王は堪え切れずにブワっと泣いた。
「だって、だって、だってぇ」
〝うぅううううう、にんげん、怖いよぅ”
〝しくしくしくしく、怖いよぅ”
「・・・・」
子ども相手に怒鳴ってしまった。子どもじゃないかもしれないけど。
自分の行いに顔をしかめていると、チラと魔王は上目づかいで様子を伺ってきた。
ドリーンは、そんな羊魔王の可愛さに胸打たれた。愛らしい。悔しい。
「あ、あの、あの、ダメ? もう戻ってこない?」
「うっ・・・」
〝しくしくしくしく”
〝うぅうううううう…”
ううっ、と、ドリーンはまた胸を抑えた。
羊はさすがは魔王なのか、ドリーンへの効果的な訴え方をすでに習得済みであった。
「あのね、会えたのはとても嬉しいの。あの、あの時はごめんなさいね。色々ごめんなさい。怖がらせちゃったからもう会えないと思ってた。だからまた会えてとても嬉しい、本当よ」
とドリーンは言った。
羊魔王たちはパァアアと、喜びを前面に表した。早い。
「待って、でもね、私にもやっぱり生活ってものがあるし…。それに…」
ドリーンは言いよどんだ。
また食欲に負けて羊魔王を食材として見てしまったら…。
〝あ、あの、考えがあるんだ!”
白フワが一生懸命言ってきた。
〝うん、あの、考えたんだ!”
黒フワも一生懸命言ってきた。
「お願い、聞いて! お願い聞いて!」
魔王も上乗せのように言ってきた。
ドリーンは首を傾げた。そして、耳を傾けた。
***
青い空。涼やかな風。広がる草原。赤と白のチェックの布地。
寝っ転がっるフワフワモコモコの草食魔王。
白フワが大きな羊から毛を取り出して、黒フワが魔力でその毛を糸に紡ぐ。
フワフワモコモコにもたれかかって、ドリーンはその毛糸で編み物を編む。
ふわふわもこもこの、帽子を編む。
「魔王さまー、昨日ねぇ、セーター売れたのよ。ほっぺた赤くして、可愛い女の子が買っていったのよ~」
「わぁ、じゃあ、今度のぞき見に行こうっと〜」
〝いくいくー”
〝わくわくー”
「また町でお化けの噂になるから、気を付けていってね」
「うん。でも僕は、お化けじゃなくて、魔王である、よ」
うん、そうねぇ。と、ドリーンは笑いながら編み棒を動かす。
ちなみに魔王さまたちは、人間を捕まえると決めた時に、魔王のセリフを練習したそうだ。
いつもよりちょっと偉そうに聞こえるその言い回しは、かえって可愛く思えてドリーンはついクスリと笑ってしまう。
加えて人間のご飯なんかも頑張って下調べして、人間が不自由しないようにと練習したそうだ。
魔王さまたちは、本当になんて可愛くて健気。
サァっと風が通っていく。とても気持ちが良い。
「この帽子は、誰が買うかなぁ。耳もつけちゃおうかな」
〝黒いぽんぽんと、白いぽんぽんもつけて”
〝目もつけてー”
「うん、考えてみるね」とドリーンは答えた。
ドリーンは、今、午前中をレース編み工房で、午後を魔王たちのところで過ごしている。
午後は、数日に一度、魔王を洗う。フワフワのモコモコの羊にする。単にドリーンの希望による。
その他の日は、毛糸の編み物をしたり遊んだりして過ごしている。
魔王の毛糸で編み物が出来上がったら、工房のショーウィンドーの隅に飾らせてもらう。
白くてフワフワモコモコの品物は、さすが魔王由来の品なのか、飾ると、とても人の目を引く。人気があって、必ず数日のうちには買い手がついた。
リクエストしたいという申し出もあるけれど、ドリーンと羊魔王の毛の育成具合で作品は気ままに決めて作る。
町と草原で半分ずつ。贅沢な暮らしをしているなぁ、とドリーンは穏やかに思う。
「魔王さまー。あの日、私を捕まえてくれてありがとう」
編み物をしながら、ドリーンは言った。
返事は無かった。
魔王は寝ていた。よくある事である。編み物中は、魔王は動けずにいるから退屈なのかもしれない。
編み物の手を止めて、ドリーンは、ふわふわふかふかの魔王さまを撫でた。
白フワと黒フワも、お仕事を停止して、魔王の毛と戯れて楽しそうに笑った。
***
羊魔王さまの勢力拡大のお役に立っているのか。
さっぱり役に立っていない気はドリーンにはしているけれど、魔王たちは、「いてくれるだけで強くなる!」と主張しているので、本当かどうか、効果のほどは気にしない事にした。
町では、例の土地からのやっぱり元気の良い野菜や果物があふれんばかりに店先に並んでいるけれど。
魔王たちは心底強くなったと思っているから、そういうものなのかもしれないな、と、思う他ない。
魔王たちは逆にドリーンの事を、「いてもらって大丈夫?」と気にしてくる。
大丈夫だよ、いつも楽しいよ、と答えるとすぐさま嬉しそうになる。
***
編み物をちくちくしていたら、サァっと天気雨が降ってきた。
〝雨だー”
〝お日様も出てるよー”
雨が好きな黒フワと、お日様が好きな白フワは、天気雨に喜んで宙に浮かぶ。まるでダンスをしているみたいだ。
ドリーンは、編みかけの品物と、寝ている魔王に大きめのタオルをかけて雨避けにした。
柔らかい優しい雨だった。
天と地の間、お日様と雨が重なるところに七色が生まれる。
白フワと黒フワのはしゃぐ声が聞こえたのか、魔王さまが目を覚ました。
魔王さまは眩しそうに目を細めた。
「あっ、虹だぁ」
この場所のものは、いつも全て柔らかく優しい、とドリーンは思った。
幸せに、穏やかに、暮らしている。
おしまい