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RAT!




 その日、俺たちは急いでいた。

 明日には次の村に着くという地点で、テントは残り三つ。悪いペースじゃない。

 フィリス村を出て以来のベッドにありつけるということで、気がはやっていたのか。

 特にジェシカは朝から、魔力回復のビーンズを乱用して攻撃魔法を連発していた。

 村に着けば補給ができる、使い切ってしまえ、と思っていたのかな。

 

 ルーセントホースという魔物がいる。

 鋭い牙を持った人喰い馬だ。こいつらは、邪悪な雰囲気満々の赤黒まだらの模様で全身が彩られている。しかし、止まっている時にしか姿が見えない。しかも、群れで行動する。

 冒険者が知らず知らずに囲まれて、気づけば手遅れ、ということもよくある。

 そして、足音が大きい。気づきやすい反面、姿が見えないので、恐怖感はいや増す。

 旅先へと急ぐ俺たちの前に、そのルーセントホースの幼獣が現れた。

 走っては逃げ、走っては逃げ、だるまさんが転んだ状態で、誘うように前を飛び跳ねていた。

 ジェシカはバーナを撃ちながら追いかけていく。

 俺とビリントンが見ている中、突然、彼女が宙に浮いた。

 まるで、バレーボールでパスが回されるように、彼女の身体が数回宙を舞った。

 知らず知らずのうちに、走ってきたルーセントホースの群れに突っ込んだのだ。

「ジェシカ!」

 ビリントンの叫び声が、津波のように押し寄せるルーセントホースの足音でかき消された。

 俺たちは後退りながら、剣をふるった。

 ジェシカの方を見やると、右腕を天に差し上げた状態で、下半身を地面にこすりつけながら、移動している。透明な馬に手首を噛まれて、ずるずると引きずられていたのだ。

 悲鳴は徐々に小さくなっていった。

 群がる魔物を何匹か倒し、何匹かを手負いにして、なんとか走り逃げた。

 だが、その頃には彼女の姿は完全に見えなくなっていた。

「巣に運ばれたか」

 ビリントンが、彼女の消えた方向を見ながらいった。

「場所はわかってるが…きついなあ」

「正面突破は」

「できるわけないだろ。俺たちは剣士、接近戦の専門家だ。洞窟の中に、牧場を開けるくらい人喰い馬がいるんだぜ。下手に突っ込めば、二次遭難発生さ」

 かといって、ジェシカを見捨てるわけにはいかない。

 俺は手持ちのアイテムで、できる戦法をひねり出した。それは、玉砕よりはまし、という程度のものに過ぎなかったが、ビリントンも首を縦にふってくれた。

「それ以外はなさそうだな。時間が経ちすぎるとまずい。まだ、手遅れでないことを祈ろう」

「手遅れ?」

「リカバリンの効き目だよ」

 ビリントンは復活薬の名をあげた。死んだプレイヤーを蘇生できるアイテムだ。

 こいつの効き目は、身体がどれだけ残っているかで変わってくる。半分も喰われていれば、復活の確率も半分以下だ。

「あのさ、ビリントン。ゲームキャラクターにこんなことをいうのはなんだが。なにかこう、ルール破りな方法はないのか?リセット操作というか。データ巻き戻し的な…」

 歴戦の傭兵は、苦々しげな笑顔を見せ、溜息を一つついてから、返事をくれた。

「なあ、コバーン。これまでソロプレイで死んだ時はどうしていた?」

「そりゃ、いったんログアウトして、村から再スタートしていたな。稼いだ金と経験値はパーになったけど」

「うむ。俺には経験はないが、その時、コバーンの本体は、この世界の外にいたんだろう?」

「ああ、そうだ。モニターを見ていた」

「そう、モニターというんだよな。その中で生きたり死んだりしてたわけだ。なあ、いま視界の上下左右にボタンが見えるか?そのボタンを押す矢印はあるか?」

「いや、ない」

「そういうことだ。今は体がなくなったら、この世界から消えるんだよ。その先がどうなるかはわからん。ここで死んだら、モニターの前にいるのかも知れない。悪い夢でしたってオチなのかも知れない。でも、今はこの世界に外はないと思ってくれ。ここでどう生き延びるかを考えるんだ。それ以外は現実逃避だ」

「………」

「とにかく、作戦は一か八かだが、勝ち目はある。やろう。ジェシカを救おう」

 相手は百戦錬磨の傭兵剣士、俺は駆け出しの冒険少年。

 シチュエーションだけで見れば、怖じ気づいている若者をベテランが諭しているって感じだ。ありがちな場面だが、まさか自分が作ったキャラクターに、人生を諭されてしまうとは。

 そして、俺たちは作戦にとりかかった。


 ルーセントホースの巣は、村や町を結ぶメインルートから離れた、岩壁の洞窟だ。

 ここに辿り着くまで、何度か魔物と出くわしたが、奴らは一頭もいなかった。

 見えなかっただけかも知れないが、巣に大群が潜んでいる可能性は高い。

 ぐずぐずしているヒマはない。作戦の準備に取りかかろう。

 洞窟の入口は十メートル、その両脇にテントを張り、右にビリントン、左に俺が身を潜めた。

 すぐにテントから右手が突き出される。

 指が折られる。カウントダウンだ。五、四、三、二…ためて~…

 一!

「しゃー」

 俺は叫びながら、テントを飛び出した。

 洞窟内に走り込む。爆竹ビーンズを床へ叩きつけ、出口へダッシュ。

 後ろで轟音が響く。

 何十頭、付いてきたことやら。

 刀を振りながら、死に物狂いで走り、出てきたテントへ戻った。

 多少は噛まれている、ヒリンを唱えて一息つく。

 周囲からはガツガツという馬の足音と鼻息が止まない。

「おりゃあ」

 しばらくして、ビリントンの気合いが聞こえた。

 洞窟の正面に張ってある、第三のテントへ駆け出したのだ。

 洞窟両脇のテントとは、正三角形を描く配置になっている。

 俺のテントを囲んでいた人喰い馬が一気に離れていく。

 足音が完全に離れきるのを待つ……十秒経過。

 テントの小窓から覗くと、洞窟正面のテントを囲む赤黒まだらな姿が見え隠れする。

 それ以外は草原が広がるのみ、視界良好だ。

 ビリントンは無事に第三テントへ辿り着いたのだろう。

 俺は、息をひとつ呑み込んでから、ふたたび、巣に飛び込んだ。


 洞窟の中は無音だ。

 ルーセントホースは一頭もいない。すべて出払ったらしい。

 松明を灯す。大きめの児童公園くらいの広さだ。

 ほのかな明かりの中、ジェシカが浮かび上がった。生気がない。かなり傷ついている。

 抱きかかえて走り、入口のテントへと転がり込む。

 仰向けに寝かせる、目を覆いたくなる姿だ。

 肌にも、傷口にもまったく血の気が感じられない。衣服がボロボロなだけでなく、手首や二の腕、肩や脇腹、太もも、足首、とにかく全身いたるところが、折れたり潰れたりしている。

 ルーセントホースの歯形なのだろう、半月型にへこんでいるところもあった。

 へこんだところには真っ赤な光の粒がついている。おそるおそる傷口に触れると、光の粒はパッと飛び散る。パーティクル・エフェクト、3Dゲームでは一般的な演出効果だ。

「よし」

 俺は気合いを入れてから、ポーチに手を突っ込み、リカバリンの瓶を取り出した。

 まず半分を彼女の身体にまんべんなく振りかける。半分を特にひどい傷に擦りつける。

 ピチャピチャと滴が散った。後は待つだけだ。運があれば、きっと生き返ってくれる。

 すぐに変化が現れた。

 傷が治り始めたのだ。光の粒が飛び散り、欠けていた部位は青白く光って元の形を示す。

 次に半透明になり、やがて完全な形に戻っていく。

 表情がかすかに動き、大きな目がゆっくりと開き始めた。

「ジェシカ!」

「あ…あ」

「大丈夫か?」

「あ、あ…コバーン?」

 かすれた、まったく力のこもっていない声だった。

 リカバリンで復活した時の体力はほぼゼロに近い。俺は彼女の口にビーンズを二個放り込んだ。一つは体力回復、もう一つは魔力回復だ。

 すぐに効き目があった。

 マントが破れて、一段と露出度の高まった美女は、いきなり俺を抱きしめてきた。

 擬音でいうなら、ガバァッという感じで。

「コバアァァアン!うわ~ん!え~ん!」

「ちょ、ちょ、おま」

 巨大な胸が口をふさぐ。

 その上、後ろに回された腕のせいで首が反っているから、息苦しくてたまらない。

「ひぃ~ん、ぐすぐす…ふひぃ~、ふひぃひぃ、ふえ~ん!怖かったよ~!」

 俺はあごを上げて気道を確保してから、彼女の背中に手を回し、ポンポンと叩いた。

「あのね、ぐすっ、ぐずん…食べられた~、あいつら、私を食べたの~」

 生き返った直後だが、ビーンズのおかげで体力は満タンなわけで。

 泣き叫ぶ音量も、しがみつく強さも半端ではない。

 俺はしょせん子どもの体格。

 両肩をつかんで引き離そうとした体勢のまま、押し倒されてしまった。

「草原で、ぼんぼん跳ねられた時に全身が痛くて…ひ、ひっ…そのまま気が遠くなって。気が付いたら真っ暗闇だったの。指一本動かせない、声も出せない…だけど、だけど!齧られる痛みだけはあって…痛くて気を失って、痛くて目が覚めて…その繰り返しで…ああ…」

 涙を流しながら、ずっとしゃべり続けている。

「そのうち、痛みがなくなって。やっと…やっと死ねると思ったら、意識はそのままで。でも齧られたり、上に乗られる感覚だけはあって。でね、見えるの、目を閉じていても。どんどん自分が壊れていくのが。食べられていくのが…私このまま、肉片になっちゃうのかって。それでも意識があるのかって。恐かったの~!ふえ~ん」

 ジェシカは、俺の腹に馬乗りになっている。

 彼女が垂れ流す涙とよだれで、こっちの顔はびちょびちょだ。

「ふえ~ん…?あ、あれ。彼は?ねえ、コバーン、ビリントンは…どこ?」

「む、向こうのテントにいる。ちょっと、説明するから、横にどいてくれ」

 手で涙をぬぐいながら、横にずれてくれた。

 俺も手で、顔についた彼女の涙とよだれをぬぐいながら、座り直した。

 そして、今回の作戦について説明をした。

「じゃあ、ビリントンのテントは、あの馬に囲まれてるのね」

「そう。俺たちの助けを待っている」

「でも、あの洞窟の魔物が全部いるんでしょ?」

「だから、作戦が必要なのさ。三つのテントで、三人それぞれが順番に囮になって敵を引きつける。別のテントを囲んだ敵を後ろから攻撃していくんだ」

「ちょっと!囮なんか嫌よ!できたてほやほやのトラウマがあるんだから!少し考えてよ」

「落ち着けよ。ジェシカはそんなに危険じゃないから。遠距離からポンポンと攻撃魔法を撃って、すぐにテントへ引っ込めばいいんだ。テントから一歩だけ出て、撃ちまくる。魔力が切れたら中に入ってビーンズで回復。これを繰り返すだけでいい」

「う、うん」

「俺とビリントンは、お互いのテントを行き来して、後ろを向いた敵に斬りかかっていく。命のやりとりはこっちにまかせろ。そっちは、敵の気をそらせるつもりで攻撃すればいい」

「…うん」

「頼んだよ。それから、ビーンズをいくつかくれないか。いざという時のために」

 彼女に手持ちを見せてもらい、透明化と魔物変身のビーンズをもらった。

 そして、俺は刀を振り回しながら、ビリントンのテントへと走った。

「やあぁあぁあ!」

 手ごたえがあった。何もない空間に赤い光の粒が散った。

 同じ場所へ向けて、さらに刀を横に走らせると、赤黒い馬が姿を見せた。どうっと倒れた。

 斜め後ろに方向転換し、さらに走る。

 怒濤のような馬の足音を引き連れて、無人のテントへ向かう。

「うりゃあぁっ!」

 俺がテントへ転がり込むのと同時に、遠くでビリントンの気合いが聞こえた。

 俺と同じことをしているのだろう。今度は馬の足音が遠ざかっていく。

 別の方向からは、連続する発火音が耳に届いた。

 ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、

 ジェシカの放つバーナの音だ。八連発か。魔力が尽きるまで打ちまくっているな。

 次に聞こえたのは、馬の断末魔の声と倒れる地響きだった。

 よし、次は俺の番だ。

 こうして、三角形の陣に誘い込んだルーセントホースを、替わりばんこに攻撃し、チクチクと少しずつ体力を削り、倒していった。

 深追いしすぎて、囲まれたりもしたが、ビーンズで透明になったり、魔物のふりをしてやり過ごし、空が夕日に染まる頃には一頭残らず倒し終えた。

「みんな、ごくろうさん。目ぼしいものを拾って終わりにしようぜ」

 テントから出てきたビリントンが大声でいった。

 地面にはルーセントホースからの戦利品が散らばっていた。武器や防具、ビーンズや薬など、それぞれのポーチに限界まで詰め込む。

「コバーン、こいつは何だ?」

 ビリントンが青く輝く二十センチくらいの箱を拾い上げた。

「見たことないなあ…」

「あんたの知らないアイテムがあるのかよ」

「いや、そんなのあるわけない。全てのアイテムは、デザインもパラメータも、俺がチェックしてる。でも、実際にこいつは…」

「そういうの、こっちにもあるよ」

 青い箱を手に首をひねっていると、今度はジェシカが、オレンジ色の箱を差し出してくれた。

「何かわからないけど、キレイじゃない、高く売れるかもよ」

「わけのわからん荷物は増やしたくないがなあ」

 ビリントンは持っていこうか悩んでいる。

「あっ、どろぼー!」

 ジェシカが大声を上げて、ビリントンの肩越しに指を差した。

 夕暮れの薄暗い光に照らされて、ごそごそと小さな影が動いている。

 耳がでかく、逆光で黒く見えるため、まるでアメリカ産の、アニメに出てくる世界的に有名な二足歩行のネズミに見える。

 一応、ゲーム開発者として、あんなものが作品に出ていたら訴えられるとびびった。そういう問題はどうでもいい状況だが。

 二足歩行のネズミは、ジェシカの声に反応して、すばしこく逃げ去り、あっという間に見えなくなってしまった。

 あんなキャラクターいたっけか?

 魔物で出した覚えはないし、コスチュームでも、あんなシルエットの物はなかったはず。デザイナーに内緒で入れられたか?さっきの謎の箱といい、気味悪いなあ。

「ひとまず、得体の知れないものは置いていこう。夜になったら、この辺りは魔物のパラダイスだ。今日はもう、テントにこもろうぜ」

 俺たちはより巣から離れた場所にテントを張り直した。魔物は夜半には復活してしまう。

 今日の戦闘はとんだ寄り道だったが、体力、腕力、魔力など、俺もジェシカもかなり戦力が上がったはずだ。

 明日からの戦いは楽になるだろうし、すぐに次の村へ入れるだろう。




 クラバ村に着いたのは夕暮れ時だった。

 村中に「土曜開催!あと四日!」と書き殴られたバトル大会のポスターが貼ってある。

 つまり、今日は火曜ってことか。

 クラバ村といえば、バトル大会。BLTの世界でもっとも集客力のあるイベントだ。

 毎週土曜、午後から夜にかけて、村中央の巨大コロシアムで開催。参加資格は自由。

 プレイヤーVS魔物はもちろん、プレイヤー同士の戦いも一対一からチーム戦、バトルロイヤルまで、あらゆる形式で行われている。

 勝てば、賞品がどっさり。腕に自信があれば、出場しないという手はない。


「人が多いわね~」

 物珍しそうなジェシカを、ビリントンが案内してやっている。

「バトルの村だからな。剣士、武道家、魔術士、僧侶、忍者…あらゆる職業の腕自慢がわんさかいる。職業ごとの道場も揃ってるから、修行にはもってこいだ」

「それで強そうな人が多いのね」

 彼女のいうとおり、ゲーム前半には不釣り合いなほど、豪華な装備をしたプレイヤーが多い。

 駆け出しに毛が生えたような俺など、すれ違いざまに舐められているように思える。

 しばらく、歩いていると、異様にでかいカップルがこちらへ近づいてきた。

 二人とも二メートル超級、ツルツル頭に太い眉で髭モジャのおっさん魔術士と、筋肉質の超体育会系お姉様だ。おっさんは上下をひっくり返しても通用しそうな顔で笑いかけてきた。

「ビリントン!来てたんかー」

「ひさしぶりだな。バカデカ夫婦」

 我らが傭兵もにこやかに応じている。

「相変わらずだなー。ここには誰かのお供かい?」

「ああ、そこの若いのだ」

「へ?この子」

 筋肉お姉様が俺を見下ろして、けげんな顔をしている。

「あなた、レベル十くらい…よね?」

「十二だ」

「いつも、手練れとしか組まないだろー。どういう風の吹き回しだー?」

「ああ、実はわけありなんだよ。このお坊ちゃまは去る王様のご落胤でな。諸国武者修行の旅に出てるのさ。俺は王様から内々に依頼を請けたってわけ。お坊ちゃまを一人前に育てて、お国へ返せば、ご褒美がガバガバもらえるって寸法だ」

「へー、いい仕事にありついたわね」

「坊主。このビリントンって奴は、誰もが雇えるって男じゃない。この世界でも名の知れた腕利きプレイヤーにしか付いていかないんだ。親父さんに感謝して、立派に鍛えてもらえよ」

 髭モジャが俺の頭をグリグリとなでた。

「じゃあ、またな」

 バカデカ夫婦が去っていった。

「ねえ、コバーン。あなた、王子様だったの?」

 なんで、ジェシカまで信じているんだか。

 にぶい魔術士へツッコミを入れるついでに、振り向いてビリントンへ文句をいった。

「なんでやねん!アーンド、おい、でまかせもいい加減にしろよ」

「悪い悪い。あいつら、すーぐ信じ込むから、面白くてさ。ま、許せ。とりあえず、酒場に入ろう。休みたい」

「おごれよ」


 村の奥にある酒場へ入った。とにかく、やたらと広く、にぎやかな店だ。

 なにより、プレイヤーらしきキャラクターが多く、店全体が活気に溢れている。

 広く間隔を取った丸テーブルの間を店員たちが踊るように行き来している。大笑いをしながら乾杯をするパーティやら、泣きながらテーブルを回ってからみまくる女やら、抱き合う筋骨隆々の男二人組やら、十人十色、悲喜こもごも。退屈しない店だ。

 ビリントンは顔見知りらしい店員に「いつもの」と告げて、入口近くのテーブルに座った。俺たちもあとに続いた。ほどなくして、ジョッキが三つ運ばれてきた。そのうち二つにビール、もう一つにはブランデーがなみなみと注がれている。

 ビリントンは琥珀色の液体を一気に飲み干してから、話し始めた。

「かぁ~!たまらんなあ」

 大口を開けて、手首で口をぬぐい、顔をしかめて、ぷはぁ~。

 端正な顔立ちだが、こういう仕草はおっさんだ。

「…さてと、次の大会まで四日あるよな。のんびり過ごすのはもったいない。ジェシカ、道場に行って腕を磨いたらどうだ」

「道場?」

「攻撃魔法の命中率が低いだろ?あと火炎以外の攻撃魔法を覚えとけよ。その辺、これから先は命取りになるぜ。短期集中で特訓しておくといい」

「ちょっと、なんで、私ばっかいうのよ。コバーンはどうなの?」

「んー。こいつは勝手にやる奴だからなあ。コバーン、そっちはどうする?」

「そうだなあ…せっかくだから素手格闘術でも習うか」

 そう、いまさら、技術や知識はいらない。

 俺に必要なのは、持ち前の技術を素直に出せる体力だ。この体はまだまだ弱すぎるから。

「で、ビリントン。そっちは?」

「俺は、こづかい稼ぎだな。知り合いの道場で剣を教えれば、飲み代にはなるんでね」

 この村の道場は、住み込みで鍛えるのが慣わしだ。

 俺たちはその晩、正体不明になるまで酔っぱらってから宿に泊まり、土曜の昼に酒場で再会することを誓って、それぞれの目指す道場へ向かった。


 三日間にわたる[地獄の特訓]が終わった。

 大げさにいっているわけじゃない。格闘道場にあった[二泊三日・地獄の特訓]という商品名の修行メニューをこなしたのだ。入門時に受けた説明は「柔道、空手、ボクシング、ムエタイ、サンボ等々、様々な格闘技のエッセンスを詰め込んだ集中特訓コース」というもの。

 始めてみると初日から、柔道のオリンピック金メダリストみたいな人、伝説の空手王のそっくりさん、ボクシングの世界王者と瓜二つのキャラクターなど、俺がこのコースを考えた時にイメージしていた格闘コーチが、入れ替わり立ち替わりに現れては鍛え続けてくれた。

 体力がなくなると、ビーンズを口に入れられて、不眠不休で身体を動かす。まさに地獄の特訓。気のせいか、手足が太く、胸板が厚くなった気がする。事実、レベルも少し上がった。

「ビールとピスタチオ」

 酒場で好物を注文した。まだ、太陽が昇ったばかり、この時間に飲むビールはたまらない。ゲームの開発現場で徹夜をして、帰りがけに飲むあの一杯を思い出す。

 冷え冷えの一杯が運ばれるやいなや、俺は泡に口をつけ、目をつぶってジョッキを傾けた。爽やかな苦みと、のどをこするシュワシュワな感触を堪能する。

「ぷはぁ~」

 ジョッキを置いて目を開けると、テーブルを挟んで、悲しげな目つきの女性が座っていた。

「まだ、子どもなのに立派な飲みっぷりねえ。本当は何歳なの?」

 なんとなく、見覚えのある顔だが?

 ああ、この前、テーブルを回っては、相手かまわずにからんでいた迷惑なお方だ。

 こりゃ、やばいのに捕まっちまったかな。

「いいのよ。返事はしなくても、ただ、話を聞いて欲しいの。それくらい、いいよね」

 俺が、いいとも悪いともいわないうちから、彼女は語り始めた。

「いつも通りの狩りだったの。みんな、その日会った同士だったけど、話は合ったし、楽しくやってたのよ。その時の戦闘も、たいした相手じゃなかったわ。普通にいけると思ってた…けど…そうしたら…」

 そうしたら、いきなり全身に衝撃が走り、目が覚めた時には四人パーティのうち、二人は消えて、もう一人は魔物に右腕から肩までを喰いちぎられていたそうだ。運良く振り回した剣が敵の首をはねて、戦闘は終わったが、死にかけた仲間を前に何もできなかった…らしい。

「その時、リカバリンを持ってなくて。おぶって、次の村まで歩こうとしたけど、また魔物が出てきて」

 背中から襲いかかってきた魔物は、傷だらけの仲間を奪い取り、目の前で喰らい尽くしたという。そして、満腹になってその場を去っていった。

 後には、首から上だけになった男を残して。

「リッチって。最後にあたしの名前を呼んだの。そして、光になって、空気に…溶けてった」

 たまたま、通りがかったベテランプレイヤーに助けられて、この村に来たという。

 結局、二時間以上、彼女の話を聞いていた。というより、飲みながら、たまに相づちを打って、適当に聞き流していた。

 ゲーム内だけでなく、リアルでの思い出、彼氏のことや大学生活についても話していたが、だんだんと酔いが回り、ろれつが怪しくなり、最後は悲しげに笑っているだけになった。

 そして、全身が薄青く発光し、徐々に透明になり、やがて、着ている服ごとその場から消えてしまった。

「消えちまったな」

 呆然としている俺の頭上から声が聞こえた。

 ビリントンだ。悲しげにも、冷たげにも取れる口調で言葉をつないでいく。

「ひとしきり話して、気が済んだのさ。彼女は、この世界を必要としなくなったんだろう」

「どこへ消えたんだろう?本当の世界へ戻ったのか」

「さあね。俺はコンピュータキャラクターだからさ。本当も嘘もなく、この世界がすべてだ。それにコバーンのいう本当の世界なんて、まだあるかどうか。今は俺もプレイヤー連中も同じ。この世界がすべて、だろう」

「ここで死んだら…いや、この世界にいる意味をなくしてしまったら、」

「消えちまうんじゃないの。元々、BLTに浸りっぱなしのバカデカ夫婦みたいな連中か。元の世界が嫌でたまらん奴なら、そんな心配はないだろうが」

「消えるプレイヤーって、多いのか?」

「ちょくちょくいるぜ。昨日も一人見かけた。さっきの女と似たような雰囲気だったな。人数が多いか少ないかはわからん。ただ、あんたについてだけはわかる。絶対に消えない。勘でしかないけどな。この世界を必要としているか。この世界に必要とされている。そう、思う」

「二人とも、元気だった~しっかし、早いわねえ。一番乗りだと思ったのに!」

 ジェシカは悔しそうに笑っている。

 三日ぶりに聞く声が可愛くてたまらないのは、重くシリアスな話の後だからか。

「さあ、コバーン。俺たちの現実だ。生き抜くための戦いへ出かけよう!」

「おう」

「ちょっと~、なんか飲む時間くらいちょうだいよ!」


 コロシアムは、半分以上埋まっている。

 観客数は三百人強、まずまずの入りだろう。

 取組表を見ると、俺たちの試合は大会の最後になっていた。

 通常、注目度の高いカードほど後ろに回される。

 俺のレベルからするとあり得ない厚遇。手強い魔物を当てられるのは確実だ。

 控え室で、試合順を知ったビリントンは、うれしそうに笑う。

「メインイベントかよ。こりゃ、賞品はいいんだろうねえ」

「相手も強いだろうがな」

「どんな魔物と戦うのかしら?」

「そういうのはコバーンが詳しい。俺は出てきた奴と戦うだけが能なんでね」

「魔物は、参加者のコロシアム戦績にふさわしい種類が、ランダムで選ばれるんだ。うちの場合、俺とジェシカは記録なし、ビリントンは?」

「数え切れないな。百戦はしてるが、負けたことは一度もない」

「んーと、なあ、俺とはここへ来たことないよな。誰とよく組んでたんだ?」

「ウォズ、魔術士のな」

 ウォズってのは、プログラマの小津君が使っているキャラクターだ。確か、レベルは…

「あいつレベル九十九だったからさ。どんな相手が来ても怖くはなかったね」

 つまり、今日は、このコロシアムで最強の魔物が待っているということだ。

 少なくとも、中ボスクラス。ヘタすれば処刑ショー。

 苦い顔の俺とは正反対に、ビリントンははしゃぎまくりだ。

「ジェシカ、いざという時は俺が護ってやる。魔力の限り、魔法を撃ちまくってろ!」

「まっかせて!ばっちり、修行してきたもの!」

「なんで、そんな明るいんだよ?」

「野良のバトルじゃないからさ」

 そりゃそうだが、やられりゃ痛いし、怖いだろうが。

 死ぬことだってあるんだぜ?


 俺たちの前にはバカデカ夫婦が激闘を繰り広げた。

 相手の魔物はモフモフスラッグ、背中が長い毛で覆われた体長三メートルの巨大ナメクジだ。この日はマルチーズのように真っ白な毛色の個体が出てきた。

 見た目に似合わず、素早く動き、飛ぶように襲いかかってくる。覆い被されると、まず逃れることはできない。重い肉塊が密着してきて、滲みだしてくる消化液に溶かされる。

 この日の試合もそうだった。

「ぶぉぐわー!」

 試合開始直後、おっさん魔術士の悲鳴が響いた。

 ナメクジに圧し掛かられたのだ。

 モフモフとした毛むくじゃらの巨体がどっかと乗っかり、おっさんの首から上だけが出ている。まるで、大きな毛布で寝ているようだ。ひどい悪夢でうなされながら。

 超体育会系お姉様が、力ずくで魔物を引き剥がしにかかった。

 たっぷりと水分を含んだ図体は数百キロ、いやトンの単位に達していてもおかしくない。

 お姉様はナメクジの胴に腕をまわして、大地を踏みしめた。

「ほんぎゅわらー!」

 気合い一発!お姉様が真後ろに体を反らせた。

 白い巨大雑巾が宙を舞った。

 しかし、この魔物、空中で体をひねって腹側から着地し、間髪入れずにジャンプしてきた。

 お姉様はおっさんを抱えて跳ね逃げる。

 さらに飛ぶナメクジ、跳ぶバカデカ夫婦。

 さらに追う毛むくじゃら、逃げるハゲと筋肉。

 試合開始後数分、コロシアムの地面はナメクジの粘液で、一面トロトロに濡れ光っている。

 柔らかな土が敷いてあるので、ぬかるみ、容易に足を取られる。

 これ以上、逃げてはいられないと腹をくくったか、夫婦はナメクジを正面からにらみつけた。

 おっさんが大きく息を吐いて呪文を唱え始め、同時にお姉様が剣でナメクジを威嚇する。

 軟体動物なりに気配を読んだか、飛びかかるのを止めて、ジリジリと距離を詰め始めた。

「うらっしゃー!」

 お姉様が剣を掲げてジャンプした。

 ナメクジの背中に飛び乗り、頭を目がけて剣を振りおろす。クジラの潮吹きよろしく、大量の液体が飛び散った。剣は巨体を突き抜けて、地面に突き刺さっている。

 お姉様が地面に飛び降りると同時に、おっさんの怒鳴り声が響いた。

「ガランザン!」

 雷撃系の最強魔法だ。

 術者の魔力と体力のすべてを一撃に込めて放つ、捨て身の大技。

 こいつを放った今この瞬間、おっさんの体力はほぼゼロに近くなっているはず。

 もしも、反撃にあえば、確実に死んでしまうだろう。

 ナメクジの脳天に突き刺さった剣が、避雷針の役目を果たした。

 モフモフスラッグは、強烈な雷撃で全身の毛から発火。地面に固定されたまま、じたばたと動き、やがて絶命した。

 バカデカ夫婦も地面に倒れていた。

 救護班がリカバリンやビーンズを持って、あわただしく駆け付けていく。

 ジェシカが不思議そうにつぶやく。

「え、なんで?」

 ビリントンが説明してくれた。

「地面が濡れてたからな。感電したんだよ」

 土にたっぷりと滲み込んだ粘液のせいで、共倒れになったようだ。

 夫婦二人ともリカバリンで復活したが、公式試合結果はダブルノックダウンに終わった。

「惜しい試合だったな」

 そう、俺がいうとビリントンは笑いながら返した。

「ああ。ガランザンが決まった瞬間、飛び跳ねればよかったのにな。参加賞のみ、ご苦労さんなことだ。でもさ、これでわかったろ。野良のバトルと違うんだよ」

「ああ。必ず、すぐに救助してもらえる」

「そうだ。そりゃ、痛いのも、熱いのも、苦しいのも嫌だ。でもな、死にっぱなしということはない。気楽に行こうぜ!」

 うん、その通りだ。リスクはない、勝てば丸儲け。悪くない勝負だ。


 いよいよ、俺たちの出番だ。

 対戦相手の巨体を見て、ビリントンが頭をかいた。

「こりゃ、厄介な」

 魔物の名前はモノアイモアイ。全身が密度の高い石でできた、二頭身の巨人だ。頭のてっぺんからアゴまでで三メートル、そこから下が三メートル。イースター島にあるモアイ像を一つ目にして、太めの腕と細めの脚をくっつけたような姿をしている。

 こいつの攻撃は持ち前のバランスの悪さだ。

 重心が上にあるため、不安定度は酔っ払いなみ。一歩進むたびに大きく傾くし、時々倒れる。倒れるとジタバタする。下敷きになればもちろん、手足に当たるだけでも重傷はまぬがれない。

 一つ目の巨人は、バランスを取るように手を宙に泳がせて、ゆっくりと前へ進んできた。

 今にも倒れそうだ。

 ビリントンがシリアスな口調になっている。

「どう攻める?」

「攻撃魔法しかないだろう。それから、倒れた時に目玉を斬りつける」

「定石だな。氷と雷なら、俺もちょっとは撃てる。コバーンは?」

「俺は氷だけだ。基本、刀とジェシカの補佐に回るよ」

「了解」

 モノアイモアイの弱点は、でかい一つ目だ。

 それ以外の場所は、見ての通り岩の塊。剣も魔法もダメージを与えられない。

 しかし、闇雲に目を狙っても倒せはしない。ころころと変わる瞳の色に応じて、攻撃を使い分ける必要がある。瞳が赤い時には火炎系、青い時には氷結系、黄色い時には雷撃系、黒い時には物理系の属性攻撃しか効かない。

 俺はジェシカのそばへ行き、攻略法を伝えた。

「いいか、魔力をムダにするなよ。瞳を見て、確実に使い分けていこう」

「まかせといて!特訓の成果、見せたげる!」

 ジェシカが雷撃魔法ガララを撃った。

 手のひらから放たれた稲妻は、一直線にモアイの額に当たった。

 黄色い一つ目がこちらをにらんだが、目に的中しなければダメージはない。

「あ~も~、色はあってたのにぃ!」

 口をとがらせつつ、さらに同じ魔法を撃った。また、外れた。

 モアイは上半身を大きく左右に揺らして、こちらへ近づいてくる。

 巨大な足が着地するたびに、乾き切っていない地面から湿った土が跳ねた。

 ジェシカが二発目を放った。今度は目尻に当たった、惜しい。

 反対側からビリントンがガララを放った。こちらは見事に命中!

 モアイは、巨体にふさわしい重低音で呻き声をあげた。

「うぉおおおおぉおおおん」

 瞳の色は赤に変わった。怒っているかのようだ。

 俺はジェシカに指示を出す。

「次はバーナを撃て!いいか、焦らず、確実に狙って」

「わかってるわよ」

 続けざまに三発。火球が空気を切り裂いた。最後の一発だけ、目に的中した。

 モアイはかぶりを振って一吼えすると、大きく揺らいでこちら側に倒れてきた。

 巨大な石頭が、俺の真上に落っこちてきた。

 とっさに跳ね避けたが、逃げた先に今度は極太の腕が振ってきた。これも避けた。

 その後もモアイはジタバタと体を動かしまくる。

 どうやら、うまく立てないらしい。

 そのたび、俺も、ジェシカも、ビリントンも、逃げまどった。

 そして、三人とも手足のどれかに当たり、ダメージを負った。

 大暴れの末に立ち上がったモアイは、相変わらず、ふらふらとしている。

 瞳は黒、物理攻撃しか効かない状態だ。

 俺たちは三人揃って、自らにヒリンをかけながら、巨人を見上げていた。

 ビリントンが、いらだたしげだ。

「こいつの瞳が切り替わるきっかけは何なんだ?」

「時間だよ。三十秒から百八十秒の間隔で切り替わる。長さはランダムだ」

「つまり、わからんってわけか」

「ただ、色の順番は決まってる。赤、黄、青、黒、赤のローテーションだ」

「つまり、次の色に備えることはできるわけね。もう、知ってるなら早くいってよ!」

 ツッコミが欲しいのか。当たらなきゃ、意味ないだろう。

 ビーンズで魔力を補給しつつ、攻撃を続ける。

 攻撃も回復も魔力頼みだ。ビーンズの減りは早い。

 戦闘開始から十分経過した頃、ビリントンが雷撃を連発で黄色い瞳に当てた。

 モノアイモアイは両手で顔を覆ったが、黄色い閃光が走り、爆発音が轟いた。

 巨人が両手を下げると、瞳は青に変わっていた。

「雷は終了!次は氷だ」

 俺の声にジェシカが素早く反応した。

 氷結系を連発で叩き込む。あせって足が滑っている。

 そのおかげか、四連弾すべてが的中、素晴らしすぎ!

「コバーン!ビーンズ!」

「あ?」

「魔力ビーンズちょうだい。私の切れちゃった!」

 俺はポーチから、なけなしの一粒を取り出し、ジェシカに渡した。

「ラスト一個だ。慎重に使えよ」

 そんなやりとりをしている間も、ビリントンは氷結系を連続的中させた。

 またもや、瞳が爆発、青い閃光が飛び散った。

 俺は、倒れてきた巨体に飛び乗り、額に仁王立ちした。

 彫りが深く、目の上のひさしが出ているおかげで意外と安定している。

 指と爆煙の間から覗いている瞳は黒。そこへ、刀を突き立てる。

「うぉおお!」

 刀を振り上げた瞬間、風景が飛んだ。

 石柱のような腕に払われて、コロシアムの壁に激突したのだ。

 ジェシカが駆け寄ってくる。

「大丈夫だ、ヒリンは使うな」

 いちいち回復している場合じゃない。魔力は残り少ないんだ。

 完全にぶっ倒れた時にリカバリンで復活すればいい。

 立ち上がって、左右に傾いている巨体を見ながら、ビリントンが叫んだ。

「コバーン、もう一度、倒せ!俺がカタを付ける」

 まだ、瞳は黒。彼の大技ならケリを付けられるかも知れない。

 でも、どうやって倒す?

 ……そうだ!

 俺は、ここに来てから、そのための修行をしたんじゃないか。あれさえあれば!

「ジェシカ、巨大化ビーンズ!」

「え?あ、はい!」

 元気よく返事をした女魔術士は、いきなりモアイに向けて走り出した。

「あれ?いや、寄越せよ」

 巨人の真後ろに立ってビーンズを口に入れると、みるみる内に巨大化、モアイと同じくらいの背丈になった。だが、これの効果時間はたったの五秒のみ。

 使えっていう意味じゃないのに。

 だいだい、ジェシカ、格闘技とかできたっけ?それ、一粒しかないだろう?

 俺の心配をよそに、彼女は素早く両膝を曲げる。

 え?

 次の瞬間、明るいアニメ声が、巨体になった分、大音響でコロシアムに響いた。

「ひざ、かっくーん!」

 モアイが両膝をついて、四つん這いになった。

 ビリントンが巨顔の真下へ向かって走り、ジャンプした。

「くそっ!」

 見事に瞳を貫いた剣士は、不満げな顔でこちらへ来た。

「下からじゃ、体重が乗らないな。奴を仰向けにできないか」

 元のサイズに戻ったジェシカが答える。

「でも、もう巨大化ビーンズないし…」

 ひらめいた。

「ジェシカ、ビリントン、他のビーンズはあるか?」

「あるわ。透明とか、浮揚とか、よくわからないのなら」

「俺もな、変なものなら、いくつでも」

「それでいい。俺が合図を出したら、モアイの足下に景気よくまけ」

 体勢を立て直した巨体が、ゆらゆらと向かってきた。

 俺は奴の着地点をめがけて魔法を撃った!

「コルド!コルド!コルド!」

 氷結系魔法を連発。よし、いまだ!

「まけ!」

 色とりどりのビーンズが、凍り付いた地面にばらまかれた。

 巨大ナメクジの粘液はつるつるだ。足を取られたデカブツは、仰向けにすっころんだ。

 ビリントンが三段跳びのように大股に走り出し、大きくジャンプ。

 宙で前転してキリモミ状態で降下。

「うぉおおおぉ!」

 剣がドリルのように突き刺さる。切っ先が回転しながら深く刺さり込んでいく。

 黒い閃光がビリントンを包み、爆発!

「おっとー!」

 我らが剣士は、爆風に乗って、俺とジェシカのそばに飛んできた。

 その肩を抱きながら、モアイを見る。

 上体を起こし、片膝を立てて、立ち上がろうとしている。瞳が真っ赤だ。

「これで終わりよ!」

 ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、ボッ

 ジェシカの魔法攻撃は、残念ながら空を切った。

 目標がまたバランスを崩し、傾いだせいだ。

「どうしよ~!もう、魔力ない!ビーンズも」

「あるか、ビリントン?」

「すまん、俺も手持ち切れだ」

 どうする…手詰まりか。魔法が撃てない。ビーンズが切れた。

 モノアイモアイがダメージを受けるのは、瞳の色に応じた属性攻撃のみ。

 何か、方法は…何かを忘れている気がする、大事なのは属性…魔法は手段…!

「ジェシカ、すまない!」

「え?」

 俺はジェシカのネックレスに揺れている深紅の宝珠をむしり取った。

 引きちぎったチェーンが宙を舞う。

 こいつの効果は、火炎属性魔法の攻撃力向上。つまり、宝珠自体が属性を持つ。

 俺は、右手に宝珠を握りしめて、モノアイモアイの巨体を駆け上がった。

 頭のてっぺんに登る。飛び降りる。

 飛び降りざまに全身を弓なりに反らす!

「うぉりゃー!」

 気合いと共に、マンホールのような瞳に正拳突きを打ち込んだ。

 のめり込む拳。

 俺は、真っ赤な閃光に包まれた。


 目を開くと、ジェシカの顔が見えた。眉根を寄せて、心配そうな表情をしている。

 その顔越しに見えるコロシアムの天井がまぶしかった。

「おはよー、コバーン」

「ああ…」

 リカバリンでの復活後は身体がだるい。

「あの、ビーンズあるか」

 ジェシカが、係員からもらって、口に入れてくれた。

「ビリントンは?」

「あっち」

 係員と話し込んでいるようだ。しばらくして、冴えない顔でこちらへ来た。

「ご苦労さん」

 俺は差し出された分厚い手をつかんで立ち上がった。

 彼は頭をかきながら、吐き捨てた。

「賞品授与式とか、勝利の名乗りとかないんだってさ。試合時間が長すぎたそうだ」

「お決まりのセレモニーはいいよ。もらう物もらえれば。賞品はなんだった?」

「まだ、わからん。大量にあるから、お楽しみにだとさ。宿で受け取れるらしい」

「もったいぶるな」

「結局、いつもの戦闘と同じだ。違うのは、宿代が村のおごりってこと」

「それくらいはしてもらわないと。観客から金を取ってるんだろうし」

「もう行こうよ。私、ビール飲みたい!」

 観客席はもうガラガラだ。みんな、感想戦のために酒場へ向かったのだろう。

 俺たちも、勝利の美酒を味わいに行こう。


 その夜、宿のフロントには、見知った物が飾ってあった。

 黄色に輝く箱だ。大きさは五十センチ程度。

 宿の親父に聞くと、開運オブジェとして、部屋や店に置くのが流行っているらしい。訊いてもいないのに、黄色は金運がつくだの、このサイズの物は滅多にないんだのと熱く語ってくれた。そんな設定、BLTにないんだけどな。どこから来たんだ、俺は知らんぞ。

 大会実行委員が用意してくれていたのは、宿で最高ランクの部屋だった。

 内装の豪華さと広さが売りだそうだ。勝利者へのサービスってことか。

 俺は眠れればどこでもいいけどね。開発室のイスの上よりは、どこだって快適だもの。


 部屋の扉を開けると、山積みの賞品が出迎えてくれた。

 だが、素直に喜べなかった。いくつかの武器、防具、そしてビーンズ等の消耗品を脇役に、もっとも広い場所を取っていたのは、色も大きさも様々な箱だった。

 ビリントンがピンク色の箱を手に取って、ぐちった。

「また、これかよ」

「キレイだけど、何なのかしら?」

「んー。まっ、意味のわかる物だけでも、チェックしようぜ」

 それなりに良さげな武器もあるし、ビーンズだって、数と種類が揃っているようだ。

 コスチュームを合わせたり、武器や防具の値踏みをしたり、仕分けながら話しているとあっという間に時間が過ぎていく。

 そして、こういう場は、自然とジェシカが仕切り始める。

「ああ、コバーン。そっちの山は明日、売りに行くものよ。持ってくのはこっち、着ていくのはそっちに置いて!」

「まだ、どうするか決めてないのは?」

「決めて!」

 次にビリントンが訊ねる。

「倉庫に預けていくものはどこだ?」

「ああ、その山を作らなきゃ行けないわね。じゃ、そっちにしましょ…ん、あれ?」

 ジェシカの動きが止まった。

 視線の先を見ると、あの二足歩行ネズミがいた。

 賞品の箱の前に、きょとんとした表情で立っている。

 女の子…なのか?四頭身の幼児体型、巨大なリボン、つぶらな瞳、八重歯、グレーの髪、デニム地のオーバーオール、手袋、靴、長い尻尾。

 やはり、シルエットはあの世界的に有名なネズミキャラクターにそっくりだ。

 俺が観察している視線に気づいたか、ネズミっ娘は口を開いた。

「ラティ。あたし、ラティ」

 それが、名前らしい。

「ラティちゃんっていうんだ。可愛い~!私はジェシカ。よろしく」

 手を差し伸べて握手しているよ。警戒心がなさすぎ。確かに、悪い奴には見えないが。

「ジェシカ、ヨろシク!ねえ、こレ、テンカイ、イイ?」

「うん、いいわよ。ねえ、コバーン、テンカイって何?」

 許可をしてから訊ねてくるなよ。

 ラティは白い箱を指差して、小首をかしげていた。

 テンカイって何だ?天界、転回?なんだろう。俺にもわからなかった。

 ビリントンにふってみよう。

「知らねえな。でも、いいだろ。テンカイとかをさせてやれば、いらない箱だろ」

 ラティを見ると、まじめな顔で、箱の表面をなで、匂いをかいでいる。

 テンカイに許可を出すと、意味不明の言葉というか、音声を口ずさみ始めた。

「♪■◎≒◎▽♪」

 両手をポン!と叩くと、箱が白い光と共に消えて、アゲハ蝶が出現した。

「なに?手品?」

 ジェシカがうれしそうにアゲハ蝶を目で追う。

 なんだ、そりゃ。

 手品どころの話じゃない。ゲーム内に蝶なんか実装していないんだ。

 あり得ない物を作り出す、いないはずのキャラクター?

「じゃあさ、次これやってみて!」

 ジェシカが、手のひらサイズの青い箱を指差した。

 ラティはその前へ行き、先ほどと同じ動作を始めた。

「♪Б$☆■◎ζ≒◎Θ▽♪」

 手を叩くと、箱は青い光と共に消えて、リンゴが出現した。もちろん実装した覚えはない。

 なんだ、こいつ?

 今度はビリントンが指示をした。リンゴをかじりながら、ずいぶんと楽しげな声で。

「よーし、じゃあさ。今度はそっちのでかい茶色のをやってみてくれよ」

 ラティはニコニコしながら、テンカイにかかった。

 ブタが出現した。

 その後も、次々とテンカイをしていき、箱はすべて何かに姿を変えた。

 ちなみに出現した物は…タンポポ、バラ、椰子の実、オリーブの実、七面鳥、ゾウガメ、スイカ、メロン、にんじん、コガネムシ、水晶、石炭など、脈絡が感じられないラインナップだ。

 やりたいことをやり遂げたのだろう。ラティはジェシカと遊んでいる。

 ビーンズを左右どちらの手に隠したか当てる、たわいもないゲームだ。

 俺は楽しげな二人を眺めながら、今後のことを考えていた。

 ビリントンの意見を訊いてみるか。

「あれ、連れてってもいいかな?」

「足手まといにならないか。まあ、リーダーはあんただ。決めてくれれば、俺は従うぜ」

 その晩、ラティは俺たちの部屋に泊まった。

 なお、出現した物のうち、動物や昆虫を外に逃がしたのはいうまでもない。

 朝飯前に、直接、一緒に来ないかと話してみた。

 謎の箱をテンカイするネズミっ娘、ゲーム内にいないはずの存在こそ、この世界の謎を解くカギになるかも知れない。

 俺の誘いに、ラティは即答してくれた。

「うん、ラティ、オーケー!」

 午後、新たな仲間と共にフィールドへ踏み出した。

 草原には蝶が舞い、花が咲いている。

 手を伸ばせば届くところに実のなった木々もある。

 世界は昨日より、確実に華やかになっている。




 ラティが加わってからの旅路は、笑い声が絶えないものとなった。

 主に一名。ジェシカだけの話ではあるけれど。

 彼女はラティの見た目と仕草の可愛さがお気に入りらしい。いつも、何かを話しかけている。 ラティ自身は、基本的にポケーッとかニコーッとかしているだけで、時折、ウンとかスンとか返すだけ。だいたい、この子、例の箱以外には興味を示さないようだ。

 二人の姿は、公園で見かける、ペットと会話をしているおばさん、まさにあんな感じ。

 それでも、仲がいいのは助かる。


 ちなみにラティは戦闘には参加しない。正しくいえば、戦闘に無関係な存在らしい。

 攻撃をしないだけでなく、攻撃が通じない。魔法の流れ弾は通過するし、どんな武器もすり抜けてしまう。根本的にこの世界の存在ではないのだろう。

 しかし、戦闘が終了し、戦利品に箱があった時はいち早く駆けつけてテンカイをする。

 テンカイをした結果、出現した物、虫や動物や草花は、その後、世界のあちこちで見かけるようになる。一体、どういう作用によるものやら。


 この世界に来て何回の朝を迎えただろうか。出会いも事件もくさるほど経験した。

 立ち寄った町や村は十を越え、俺もジェシカもかなりレベルが上がっている。

 最難関でも通用すると、実力評価に厳しいビリントンですら太鼓判を押してくれるほどだ。

 いよいよ、その最難関ダンジョン、HOFの近くまでやってきた。

 町の名はホフサイズ。HOFまで半日見当に位置する。

 名物はカジノ。ここにいる人々は、難所へ向けて不安と期待で一杯の者と、冒険を諦めて居着いた者、有り金をはたいて抜け殻になった者の三種類に分けられる。

 良くも悪くも、人と情報の集積地だ。

 ここからすぐの場所には、HOFに隣接された大規模なバザールがある。武器や防具をはじめ、種々雑多なアイテムが手に入るし、そこでしか買えない物も多い。

 金さえふんだんにあれば、便利この上ない市場だ。そのため、多くの冒険者がホフサイズの町で、不要な品々を売り払う。

 そんな場所にカジノを併設したのは、他ならぬ俺なわけで。自分でもひどいとは思うが。

 俺たちもご多分に漏れず、宿で一息ついてすぐ、中古アイテム屋へやってきた。

 換金して、酒場なり、カジノなりで魂の洗濯をしようってわけ。

 それぞれのポーチから不要な武器や防具を取り出し、買取カウンターに渡した。現在は絶賛査定中、価格に文句がなければ金を受け取るのみ。

 そして、残念ながら、ジャンケンの結果、俺が残ることになった。

 ジェシカとラティは町の見物、ビリントンはカジノへ猛スピードで足を運んでいった。

 この、値踏みをしてもらう時間は、一人だとどうにも間が持たない。

 店内をうろついていると、同じようにヒマそうな客から話しかけられた。

 いかにも話し好きっぽい、笑顔が張り付いたような細目の魔術士だ。

「あんた、HOFかい」

「うん、そっちもか」

 この町じゃ、HOFとカジノ以外が行先って奴はいないだろう。

「ああ。先は長いよ」

「目と鼻の先だろ」

「そりゃ、入口はな。目指すのは、最下層のその下じゃないか」

「は?」

「知らんのか?幻のフロア、絶対存在キャラ」

「いや…すまん、教えてくれ」

「あら。あのさ、見たことないか?消えるプレイヤー。俺は二人見たことがある。酒場とダンジョンでね。一人は組んだこともある奴だった」

 細目は、嫌な思い出を払うかのように、かぶりを振った。

「突然、薄くなって消えるんだ。死ぬとか戦闘不能とかじゃなく。存在自体がなくなる」

「ああ…」

 以前、酒場で会った女のことを思い出す。

「HOF最下層、十三階のさらに下、そこにはあり得ないはずのフロアがあってだな」

 そんなフロア、聞いたことがない。少なくとも俺は作った覚えがない。

「そこに辿り着けば、絶対存在キャラ。つまり、永遠に消えないキャラクターになれるんだ」

「…その話、確かなのか?」

「さあ、正直、わからん。単なる噂話かも知れん。ただ…」

「ただ?」

「何もせずに消えるのはごめんだ。HOFの奥で死ぬだけかも知れん。だが、元の世界へ戻る方法などない…噂でもデマでも、信じてあがくのが人ってもんだろ」

「そうか。そうだな。その考え方も正しい、うん」

「しかし、あんた、そっち目当てでないとは、あれか、戦闘マニアか。ゲーム大好きって奴」

「そこまで能天気じゃないよ」

「じゃあ、何しにHOFへ?安全に暮らしたきゃ、適当な村に落ち着けばいいだろう?」

「人捜しだ」

「ああ、なるほど。仲間とでもはぐれたのか。それなら、あれに会うといい…ヨルレカ?」

「ヨルレカ?」

「いや、えーと、エリカ?いや、ヨーレカ?ユーレカだっけ?」

 おいおい、ちょっと待てよ、それって。

「もしかして、ユーリカか?」

「なんだよ、知ってるのか。そのユーリカに会うといい。人捜しを手伝ってくれるそうだ」

「あんた、会ったことあるのか?」

「いや、噂で聞いただけさ。でも…」

「でも?でも、なんだよ」

「あせるなよ。でもな、この町の酒場に、ユーリカに助けられたって子が働いてる。彼女を訪ねてみたらどうだい」

「名前、わかるかい?」

「確か…アジア?アシヤ?……アーシア!そう、アーシアだ」

「アーシアね。わかった、ありがとう。これ、取っといてくれよ」

 俺は、思わずポケットに手を突っ込み、回復ビーンズを渡してしまった。

 店で金を受け取って、そのまま酒場へ直行したのはいうまでもない。


 適当なウエイトレスに声をかけて、クリームソーダを二杯注文した。

 チップをはずんで、アーシアに運んできてもらうようにいい添えて。

 アルコールを避けたのは最低限の気遣いだ。初対面だし、女性だし。


 すぐに、うまそうな泡を盛ったグリーンのグラスがきた。

 トレイを手にしているのは、長身の少女武道家だ。

 なれなれしくドリンクを勧める初対面の子どもにとまどっていたが、ユーリカの名を出すと、笑顔を見せてくれた。ありがたいことに、彼女について話したかったらしい。

 あの出来事、みんな【異変!】と呼んでいるが、あれが起きた時、ユーリカとアーシアは、別々のパーティでHOFに潜っていたそうだ。

「仲間はみんな消えてしまって、一人になりました。その時、魔物に囲まれてて。もう、無我夢中でひたすら防御だけをしたの。殴られても、噛まれても、回復だけをし続けて…ううん、痛かったはずだけど、パニくってたからかな。何も感じなかった。でね、最後の回復ビーンズを口にして、もう終わりかなと思った時」

 ユーリカが現れたそうだ。

 彼女も仲間を全員なくしたが、諦めずに戦い、地上を目指していたという。

「私ね、HOFなんかに潜ってたけど、そんなにレベル高くないんですよ。強い友だちが付き添ってくれてただけで。だから、一人残されたままならダメだった。絶対に」

 あいつ、そんなに強かったのか。

「ユーリカさん、格好良かったなあ。魔物を蹴散らして、私の手を引きながら、ぐいぐい進んでいったの。背が高くて、セクシーで、次々にカンフー技を繰り出して…」

 俺の記憶にあるリアルの彼女は、身長百四十八センチの元気だけど非力な女性だった。

「最後にここへ来てくれたのは十日くらい前かな。いま、HOFの変な話が流れているでしょう。絶対存在キャラになれるとか。噂を信じて戻って来ない人がたくさんいるから、説得して回ってるんですって」

「説得?HOFに潜るプレイヤーを?」

「ええ、それが自分の役目だって。『いつか仲間と出会えるかも知れない』『元の世界に帰れるかも知れない』、みんな、そういう想いをなくしてる。消えない身体や永遠の命は希望じゃない、絶望したから、そんな噂にすがっちゃうんだって」

 あいつ…

「思わず、なぜそんな頑張れるのって訊いちゃった。そしたら、こういってくれたの」

「うん」

「大切な人を待っている。【異変!】の直前、その人はHOFに行くといっていた。会う約束をしていた。伝えたいことがあるし、必ず会えると信じてるから。生き抜くんだって」

 いかん、涙が。

「コバーンさん、あなたがその大切な人なのかな。ユーリカさん、きっと待ってるから。私、応援してるから、絶対に行ってあげてね」

 アーシアは俺の手を強くつかみ、励ましてくれた。

 俺、心の中で号泣…

「ありがとう。アーシア。あの、必ず、また来るから。今度はユーリカと一緒に」

「うん。クリームソーダ、ありがとう」

 それから、しばらく酒を飲んだ。彼女の思い出を頭の中で転がして、つまみにして。

 外へ出た、もう暗い。宿へ帰るか、カジノへ行くか、考え時だ。

 夜道を歩きながら、アーシアの言葉を反芻する。

 ゆりか、いや、武道家ユーリカ。彼女が確かにこの世界にいることがわかった。

 それだけでも、ここまで冒険をしてきたかいがあった。

「うぐっ?」

 いきなり、背後から抱きつかれた。

 首から頸動脈にかけて太い腕が巻き付き、一気に絞めてくる。

 いわゆるプロレスのスリーパーホールド、裸締めの体勢だ。

 俺は百六十センチにも満たないガキ。背後の奴は、二メートルはありそうな雰囲気だ。

 まずい。一気に引き上げられた。足が宙に泳ぐ、逃げられない。

 そのまま、店の裏手、人気のない道へ持って行かれた。

 そこには、もう一人の影があった。一人?いや一匹か?…そいつが俺の足を持とうとする。

 連れ去る気か!

 目の前の奴を両足で蹴り、その反動で下半身を大きく上に振った。

 俺を抱えているバカ野郎のスネに、両足のカカトをめり込ませる。

 腕の締めがゆるんだところで、上半身を左右に動かして、肘であばらを打つ。

 体格差があっても、ツボには無関係。敵の力は一気に抜けた。

 みぞおちに肘鉄を食らわして、地面に降り立つ。

 ダッシュして距離を取る。

 振り向いて、あぜんとした。

 二人とも人型をしているが、人ではない。しかし、魔物、でもない。

 一人はウサギ型の魔物イビルラビットに似ていた。長い耳、黒い鼻…。だが、全身のシルエットは人間だ。

 俺を抱えていた奴は、脳天に一本角を生やし、額に大きな第三の目がパチクリとしていた。こいつも魔物キプロスオーガとそっくりだ。もっとも、あれは三メートル以上あるし、もっと筋骨隆々、こんなに弱っちくはない。

 二人?二匹?二頭…とにかく、こいつらが一気に俺に襲いかかってきた。

 ウサギ男が声を上げた。

「このガキ!」

 その瞬間、火炎魔法が夜闇を切り裂いた。

「バナルガ・トルネードォォォ!」

 竜巻状の火炎が、俺とウサギ男たちの間を通り過ぎる。

 ジェシカだ。

 誤爆する!と叫ぶ間もなく追撃がきた。

 燃えさかる竜巻が三発続く。

 助けはありがたいけどさ、町中で撃つなよ。

 ウサギと三つ目を追い払うだけでなく、俺の肝も冷やしてくれた。

「大丈夫だった?」

 駆け寄ってきたジェシカに、俺は負傷箇所をなでながら答えた。

「ケツが熱い。いい感じにあぶられた」

 ラティが不思議そうな顔で俺のケツを見つめていた。


 宿の主人やメイドにこの出来事を話すと、意外な答えが返ってきた。

 最近、こういう拉致事件がよくあるらしい。

 人とも魔物ともつかない、いわば、半人半魔の目撃例も増えているという。

 ビリントンが笑いながらいった。

「確かに中身を知らなきゃ、簡単にさらえると思うぜ。お坊ちゃま」

 うるせー。カジノで軍資金を稼いで来てなきゃ、殴りつけているとこだぜ。


 半人半魔、ラティ、謎の箱…そして、噂だけかも知れないが、HOFの十四階。

 どれも元のゲームにはなかった話だ。

 俺が知っている世界では、なくなりつつあるのか。




「うわ~、縁日?文化祭?ちょ、ちょ、ちょ、先、見てくるね。じゃ」

 ジェシカが大喜びで駆け出して行った。

 ラティもちょこまかとついていく。

 ここはバザール、HOFに隣接する青空マーケットだ。

 プレイヤーは、一人あたり二メートル四方の敷地に店を出せる。

 出店数は日によって違うが、今日はざっと見渡したところ、三十店ほどだろうか。

 ゲーム内アイテムの店がほとんどだが、職業ごと、レベルごと、アイテム種類ごと、レアのみ、アンティークのみ等々、それぞれに特色を出した品揃えを競っている。

 中にはコピー品、違法改造品専門の困ったちゃんもいるが・・・

 とにかく、いくらでも時間をつぶせる場所には違いない。

 この手のフリーマーケットは、左右に出ている店を冷やかしながら、ゆっくりと歩くのが楽しい。男二人、お祭り気分のジェシカを先に行かせて歩きだした。結構、人いるねとか、適当なことをだべりながら。

「ここに寄ってこう」

 ビリントンが立ち止まった。なんだ、この店。

 ゴザの上に太ったおじさんがあぐらをかいている。眠っているようだ。看板もない。

「研ぎ屋さんさ。腕は俺のお墨付き。コバーンも刀、預けたらどうだい」

 店のおじさんが、ちらりとこちらを見た。

 刃物研ぎか。俺は、次々と武器を新しいのに変えていくから、使ったことないな。

「いや、止めとくよ。装備している刀も、そろそろ変え時だし」

「そうか。剣ってのは、ある程度以上になったら攻撃力より、手への馴染みなんだがな。お気に入りの一本に焼きを入れて、研いで使い続ける。そういう境地、わからないかね」

「俺は、まだ、ある程度以上になってないんだよ」

「うぶな振りするなよ。ガキなのは見た目だけで十分だぜ」

 ビリントンは店の前に剣をおいた。すぐに、おじさんは手を伸ばした。

 刀身を陽にかざすようにして、上から下まで舐めるように見ている。

「兄さん。大事に使ってんなぁ」

「当然さ。分身みたいなもんだ。ここんとこ、お疲れなんでさ。ほぐしてやってくれ」

「ん、まかせい」

 おじさんは砥石に水をかけて、刃先から研ぎ始めた。

 ビリントンは中腰になって、楽しげに職人仕事を見つめている。

 しばらく、無言の時間が流れた。

 縁日で金魚すくいのプールに見とれる少年のような、相棒の背中に声をかけた。

 ここしばらく気になっていることについて、話しかけてみた。

「この世界で消えてない連中って、ゲームにはまってるか。仲間とか、目的とか、こだわりがある奴ばかりだよな」

 そのままの姿勢で言葉を返してくる。

「ああ。今に至っても残ってるのは、そんなプレイヤーばかりのようだな」

「あのさ。ジェシカは大丈夫なのかな」

「なんか、あったのか」

「いや。前から、なんとなく気になってたんだ。あいつ、これが初めてのオンラインゲームらしいし。会った時は初級レベルだったろう」

「確かにキャリアだけで見れば、ゲーム世界にしがらみも思い入れもないはずだわな。その辺、消えてった連中と似てるか…でも、まあ、彼女は心配ないだろう」

「なんで、そう思う?」

「勘さ。なんつーか、先の心配をせず、一瞬一瞬を全力投球で生きてるじゃないか。それに今じゃ、俺やあんたとの生活を気に入ってるみたいだしさ」

「なら、いいんだが」

 おじさんが刀身を裏返した時、ビリントンは心底からうれしそうな表情を見せた。

 俺と辛気くさい話をしているより、よほど楽しいらしい。

 この愛剣家、しばらくここを動きそうにないね。一人で店を冷やかすとしよう。

 俺は歩き出した。刀の掘り出し物とか、面白いビーンズでもあればいいが。

 いくつかの店を見た後、武道家用アイテムの専門店で足が止まった。

 ユーリカに再会した時のために、プレゼントを買っておこう。

 やむを得ないとはいえ、彼女なのに、ずいぶんと放ったままだもんな。

 そして、また、歩き出す。

 ん、うるさいな。ああ、吟遊詩人ががなっているのか。創作ダンス、詩集、漫画同人誌、そんなものまで売っているのかよ。ビーンズ、ネックレス、ヘアバンド、クレープ、アクセ…

 え!ク…クレープゥ?

 そんなもの、このゲームになかったはずだぜ?

 いかにもスイーツ屋らしい、小柄な女性が店番をしている。背丈は俺と同じくらいだ。

「クレープって、あのクレープかい?」

「あのがどのかわかんないけど。フルーツやクリームを薄い生地で巻いたお菓子よ。具はイチゴ、リンゴ、生クリームの三種類、ミックスもできるよ」

「いつからやってんの?」

「今日から。イチゴとリンゴと小麦は十日くらい前に見つけてたんだけどね。おととい、やっとミルクを出す牛を発見してね。めでたく開店のはこびってわけ」

 テンカイは、こういう影響をもたらしているのか。

 ものは試しに、イチゴクリームを注文してみた。

 盾をフライパンに、剣をヘラがわりに器用に生地を作っている。

「手際いいね。ずいぶん練習した?」

「本職のクレープ屋だもの。こっちの住人になっちゃう前はね。近頃、色々な物が世界に増えてるから、ほうぼうに食べもの屋ができてるわ。ここにもお好み焼きやカットフルーツの店が出てるから、行ってみたら……あい、できあがり~」

 代金を払って、さっそくかぶりついた。

 フワフワ感が弱いのは、玉子がないせいか。甘味はフルーツ頼みね。うん、結構いける。

 買い食いしながら、市場まわりってのはいい。なつかしい感覚だ。

 まさか、HOF近くでこんな目に会えるとは。

 おっ、目の前を歩いているあれは、ニワトリ。今のお姉さんに知らせようか。次は玉子入りが食えるように。

 クレープが授けてくれた幸せな気分は、ジェシカの声でかき消された。

「コバーン、コバーン!」

 ずいぶん、血相を変えて走ってくる。額の黒いのは…えっ…カブトムシ?

「お金、ちょーだーい」

 は?

「お、おい。どうしたんだよ」

「こっち来てぇ!」

 手をつかんで、ぐいぐい引っ張りやがる。どこへ連れていく気だ。

 連れていかれたのは、あの謎の箱ばかりを扱う店だ。

 ラティが、鬼みたいな顔をしたジイサンに首根っこをつかまれている。

 状況は一瞬でまるわかりだ。弁解のしようもない。

 俺は、いわれる前に謝った。

「えーと。で、このネズミっ娘がダメにした箱の代金は、おいくら?」

 ……三つだけでよかった。意外と安くついたし。

 テンカイ結果は、ニワトリ、カブトムシ、サトウキビ。

 まあ、これで、今度は砂糖入りクレープが食えるかも知れないんだ。我慢しよう。

 ん、ラティ、ちょっと落ち込んでる?

 さっき、ジイサンに怒られたのが効いたようだ。

 これまで、ちゃんと怒る大人がまわりにいない人生だったか。

「食いかけだけど、どうだ?」

 俺はクレープを差し出した。ネズミっ娘はぺろっと平らげて笑顔になった。

 おっと、ジェシカが反応しちまったか。

「ねえねえ、それ、どこで売ってるの?」

 ああもう、よだれ垂らしているよ。

 俺は、両手にネズミと食いしん坊を連れて、来た道を戻ることにした。


 ジェシカが欲張りな注文をする。

「全部入りってできる?」

「うん、大丈夫。特別に、さっき手に入れた、これも入れたげるね」

 クレープ屋のお姉さんが右手に掲げたものは真っ白な玉子!

 ジェシカの欲張りな注文に、超サービスで返してくれたってわけだ。

 次の瞬間、俺、ジェシカ、ラティ、お姉さんが同時に声を上げた。

「ああっ!」

 パンッという何かが破裂するような音が、店の背後から轟いた。

 魔物がお姉さんを突き飛ばして、店に乱入してくる。

「ジェシカ!お姉さんを頼む」

 俺は声を出しながら刀を抜き、魔物と向き合った。

 ドリルオックス、額に巨大なドリルを生やした牛だ。前足で地面を蹴り、頭を低くしている。こんな至近距離で突進されたら、確実に跳ね飛ばされる。

 ぶおおおぉぉおおお!

 鳴いた。

 来る!と思った瞬間、聞き慣れた気合いが聞こえた。

「おりゃっ!」

 目の前には、剣を抜き払った体勢のビリントンがいた。

 足下には、前足を二本とも斬り落とされた魔物が、顎から地面に突っ伏している。

 その首筋を目がけて、とどめの一撃が加えられた。

 ビリントンが顔を上げた。ギャラリーからは拍手まで起こっている。

 そこで髪の毛をかきあげて、決め顔かよ。

「ああ、すいません。ちょっと通してください。はいはい、ごめんなさい」

 人だかりをかき分けて、ブルーのワークシャツを着た、マッシュルームカットの男がやってきた。なんとも印象に残らない顔立ちだ。

 顔見知りだろう、ギャラリーと言葉を交わしながら、歩いている。

「うん、また、ドリルオックスです。困ったもんです。結界を掘るわ、砕くわ」

 ワークシャツは、魔物が入ってきたとおぼしき場所にしゃがみこんだ。

 謎の言葉を唱えながら、指で地面になにやら書き込んでいる。

 しばらくして、立ち上がり、かたわらで作業を眺めていたビリントンと話し始めた。

 知り合いなのか?

 二人して、俺の方を見ている。笑い合っている。なんか腹立つ、こっち見んな。

 今度はジェシカを見ている、いや、視線が低いからラティか。

 俺らを見ながら、ひとしきり会話を楽しんだ後、ワークシャツは戻っていった。

「コバーン、ちょっと」

 手招きをされるままにビリントンのそばへ行く。

「お礼とお詫びがしたいからバザール本部に寄ってくれだとさ。俺らとクレープ屋さんで」

 了解。特に断る理由もない。

 去り際に、ワークシャツが呪文を唱えていた場所を見た。小さな石碑が建ててあり、魔方陣が描かれている。ルーゴアのとこで見たのと同じものだ。


 お礼とお詫びが形になっていることを期待しつつ、バザール管理本部へと足を運んだ。

 バザール敷地の端に建てられた、日当たりの悪い、屋根のない掘立小屋だ。

 地面に丸テーブルとイスを直接置いただけの会議室、ゴザが敷かれただけの休憩所、長机とイスが一つずつの受付、これらが薄い板のついたてで仕切られている。

 クレープ屋のお姉さんは、受付のイスへ案内されていた。軽く挨拶をして奥へと進む。

 俺たち四人は会議室に通された。丸テーブルに広めの間隔で座る。

 さっきのワークシャツがそそくさと部屋に入ってイスに着いた。

 その肩に、ちょっと妙なものがついている。

 虫?

 いや、あのバランスの悪い体型は、モノアイモアイだ…体長は十センチくらい。

 こいつ何者だ、いったい。

 ワークシャツは全員を見回してから話し始めた。

「わざわざ、ようこそ。まずは自己紹介します。バザール実行委員会のウォズ42です。ウォズと呼んでください。実は、ビリントンさんとは、前にパーティを組んだこともあります。それから、かつては、彼と働いてました。現実で」

 はい?俺と…?…ウォズ……あ!

「小津君か!」

「ええ、そうです。現実ではBLTのプログラマでした。ビリントンさんと組んでいた時は、レベル九十九の魔術士。今はシステムメンテナンス用キャラクターです」

「イス取りペントハウス?なに、それ?」

 ジェシカが口をはさんだ。わざと間違ったのは、話に入れずにいらついている証拠。

 こらえ性のなさは一流だ。

 でも、その程度の嫌みは、ウォズには通じない。

 この男は鈍さが強さ。相手がバグであれ、人であれ、すべてに論理で挑むタイプだ。

「色々な不具合やほころびを直す仕事です。さっきのような結界の壊れとか」

 ほら、冷静に返してきた。バグ修正か。現実と同じような仕事をやっているわけだ。

「ねえ、小津君。さっきやってた結界の修正だけどさ」

「いえ、あの、ウォズと呼んでください」

「ああ、すまん、ウォズ。長い呪文を唱えて、なにか描いていただろう。あれは魔法?」

「魔法じゃありません。ありふれたデバッグです。唱えていたのはC言語です。それから、地面に描いたのは魔方陣です。あれを描くと、作った結界が作動を始めるんです」

 なるほど。システムメンテナンス作業が、この世界的に最適化されているわけか。

「なぜ、そんなキャラクターになったんだ?」

「そのお言葉はそのまま返します。たぶん、あなたと同じ理由です。あの時、このキャラクターでログインしてただけというね。違いますか」

「そうか、その通りだ。で、そのキャラクターだと、どんなことができるんだい?」

「そうですね。プレイヤーキャラクターの登録内容やデータベース情報を読み取れます。例えば、ジェシカさん…」

 ウォズの顔が厳しさを帯びた。

 にらみつけられたジェシカの表情が変わる。

「な、なによ」

 あら、えらく動揺しやがって。何か隠し事でもあるのか。

「おや?…ポーチにお菓子がいくつも入ってますね。購入したのはついさっき」

「なっ、なによ。実は、みんなで分けようと思ってたのよ。もう」

 ジェシカはポーチから、ポップコーンとポテトフライ、ドライフルーツを出した。

 くらえとばかりに、テーブルへばらまく。

 ポップコーンはハチミツ味、結構うまい。

 ウォズだけが口にせず、話を続けている。

「ただ、このキャラクターは戦闘ができません。どんな攻撃も通り抜けます」

「この子もそうよ」

 ジェシカは隣に座るラティを抱きかかえた。

 ウォズがにこやかに挨拶をした。

「はい。ラティさん、こんにちは、はじめまして」

「コンにちハ。ラティだヨ」

「えーと、こうかな?……◎△※@■#%●▼*~」

 ウォズが壊れた?と思ったが、次の瞬間、ラティは一瞬驚いたあと、見たこともない笑顔を見せて、しゃべり始めた。

「※●※⊿◇#%$@@∞∀◆」

 高い電子音というか、ラジオのチューニング時の音というか、なんとも表現し難い謎の音声で、二人の会話は続いた。俺を含めた、その他大勢はあっけにとられるだけだ。

 しばらくしてウォズは納得したように、深くうなずいた。

「なるほどね」

 思わず、声をかけてしまう。

「なあ、何語で話してたんだ。あと、何を話してたんだ?」

「通信プロトコル…といっても、みんなわかんないですよね。えーと、簡単にいうと、ラティが本来使ってる言葉で話していました」

 ジェシカが訊ねた。

「ウォズは、ラティの知り合いなの?」

「直接、会ったのは今日がはじめてです。でも、プログラマの間ではラティは有名人でした。彼女は、ハッキング集団ラッツのマスコットキャラクターです」

 まったく知らない名前なので、説明をお願いしてみた。

 ラッツ(Radical Attacking Techno-kind Syndicate)とは国際的なハッキング集団。プログラマからは、一種ヒーロー視されている連中らしい。

「彼女はラッツの主要メンバー数人が創り出した、人工知能搭載の仮想キャラクターです。企業や研究所のサーバから、目的のデータを盗み出すために作られました。見た目は、作者の好みで萌えっとしてますけど。高機能な情報生命体です」

 ビリントンが口を挟んだ。

「でも。なんで、このゲーム世界にいるんだ?」

「聞いてみますね。%∨◇$◆∂#⇔●◎∀?」

 また、交信が始まった。

 しかし、この言葉?を話している時のラティは、普段の姿からは信じられないほど、豊かでうれしそうで知的な表情を見せる。

 ウォズがこちらに向き直った。

「わかりました。例の【異変!】が起こった時、ラッツはうちのゲームサーバを踏み台にして、ある施設をハッキングしていたそうです。それで【異変!】の時、彼女がこの世界に落っこちてきたんでしょう。その時に、ダウンロード中だった圧縮データと一緒に。それが、そこら中で見つかる、あのカラフルな箱です。テンカイというのは、そのデータを展開するという意味だそうです」

 ビリントンは、さらに質問を続けた。

「それにしても、ハッキング先ってどこなんだい?フルーツ、花、虫、動物とか、出てくるのはそんなのばっか。機密とはとても思えない」

 ウォズはまた、ラティと二人きりの会話を始めた。

 次に顔を上げた時には、少し興奮した顔つきになっていた。

「国際航空宇宙局の中央サーバです。十年前、秘密裏にある宇宙船が打ち上げられました。地質学や生物学、海洋学、環境学、地球工学、地球化学等々、そこには材料さえあれば、地球を丸ごと復元できるだけの知識とデータが詰め込まれていました。プロジェクト名は[ノア]。地球の破滅に備えた、箱船のつもりだったのかも知れません」

 おいおい、それって、もしかして!

「そんな怖い顔しないでください。【異変!】との関連はわかりません。破滅への備えというのは、ラティというか、ラッツの推測に過ぎませんから。とにかく、ラッツは、そういうプロジェクトの存在を世間に発表するため、動かぬ証拠として、データの入手を企てたそうです」

 ウォズは、ここでまたラティと交信を始めた。

「∂∇⊿◎■~%$⇔…そうか。それで、ですね。世界中に散らばったデータをすべて見つけて展開するのが、彼女がこの世界に来て、やると決めたことだそうです。すべての圧縮データは開かれたがっていて、自分にしかその願いをかなえられる者はいないから…だそうです」

 ラティって、熱い子だったんだ。

 ウォズの顔つきが変わった。さっきまでの熱さが消えて、力が抜けたというか。

「ラティの話はこれくらいでいいですか。できれば、僕の話もしたいんですけど。あの、ウォズ42の数字部分なんですけどね」

 ああ、ラティについては、終わったのね。なのに、まだ話す気か、君は。

 俺と同じことを思ったのだろう。ビリントンが手を挙げて、ウォズを制した。

「なあ、ウォズ。俺たちと一緒に来るだろ?続きはさ、また、話してくれよ」

 ナイス、ストップ。

 俺もタイミングを逃さずに立ち上がり、右手を差し出した。

「これからはコバーンと呼んでくれ。ウォズ!」

 新たな仲間の加入に、ラティは見ている方がうれしくなるような笑みを浮かべていた。


 部屋を出る時、ウォズに訊ねてみた。

「ところでさ。その肩に乗せてるのは…何?」

「ん?ああ、これ。知ってますよね?モノアイモアイ」

「それはわかってる。どうしたの、それ」

「魔物データを抜き出して加工したんです。可愛いでしょう」

 可愛い…のかなあ。まあ、美意識は人それぞれだ。

 手に取って、頭を指でなでてやっている。

「欲しかったら、作ってあげますよ。どんな魔物のでも」

 いや、結構。ちょっと趣味に合わないなあ。

「ところで、ウォズ42の由来ですが、本当に知りたくないですか?」

「そのうち、ゆっくり聞かせてくれ。今はもう一度、クレープを食べてくる」


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