4 新たな命
「ニコル………どうして」
ディルクはゆっくりと自分の体を起こした。
急いで少女の左胸に刺さっている短剣を抜こうとする。しかし、彼女はディルクの手を握り首を横に振った。
「いいえ、私はカタリーナよ。人狼の姫。あなたたち狩人の敵」
少女はにこりと笑った。
「お願い。どうか、私を殺して。愛しい赤ずきん」
「っ………君はニコルだね」
違うというが、間違いなく少女はニコルであった。
ニコルはカタリーナ姫とは別の人格であった。しかし、カタリーナ姫から生まれた人間の人格でもあった。
カタリーナ姫の行った行動はニコルも認識していることであった。
彼女の首筋にかけられた赤いルビーの首飾りが美しく輝いている。
少女は苦し気に眉をよせた。手が震えていた。
「お願い………早く、今まさに私はあなたを殺そうとしている。そうならないように殺して」
少女は涙を浮かべながらディルクに懇願した。
「できない、できないよ」
確かにニコルはカタリーナである。別人格であっても、肉体は同じで、元の魂も同じなのだ。
ここで殺さなければカタリーナの人格が表にでてしまう。
そうなればこの国はおしまいだろう。
「私、いっぱい酷いことをした。村の人たちを傷つけた。ジルケまで殺そうとした。許されないことだわ」
自分とは別人格でもその感触はニコルはしっかりと覚えていた。
「私、あなたを殺したくない。あなただけは殺したくない」
だから、今ニコルという人格だけの間にカタリーナを押さえつけられている間に殺してほしい。
「お願い。あなたにしか頼めないの。ディルク、お願い」
そういいニコルの表情がますます苦し気になった。カタリーナを押さえつけているだけでも限界なのだ。
「わかったよ」
そうディルクがいうとニコルはほほ笑んだ。
ディルクの口から聖女の名が紡がれる。
この国が誇る聖女の名である。彼女の手によって目の前の人狼は裁かれるのだ。
「ああああああっ」
剣を伝い、聖女の力が注がれ少女は苦し気にうめいた。
途中ディルクは何度短剣を抜こうとしたかしれない。
だが、その度にニコルはディルクの右手を握りしめ微笑んだ。苦しく表情を歪ませていてもなんとか笑顔を作る。
「ありがとう。ディルク、愛しているわ」
そうニコルはディルクの胸に頭を預けた。
彼女の背を首筋を触れる。冷たく脈動はなかった。
聖女の力によって目の前の人狼の姫は命を落としたのだ。
「ああ、僕も愛しているよ」
ディルクは優しくニコルの銀髪を撫でた。
少しずつニコルの肉体が崩れていく。
最期の灰塵と化す一瞬の間まで傍にいよう。
そう思いディルクはますますニコルを抱きしめた。
しかし、崩れ落ちた痕のものをみてディルクは驚いた。
「うー、あたた」
腹を抑えジルケは立ち上がった。
自分が気を失っている間にどうなってしまったか。
ディルクはカタリーナを倒せたのか。それとも倒されてしまったのか。
部屋の奥をみるとディルクがぽかんと口をあけて呆然としていた。
「ディルク」
ジルケが声をかけるとディルクは全く微動だにしない。目の前の出来事から目を離せずにいた。
「うぅ、ひっく」
少女の泣き声がした。目の前をみると白い布に身を包んだ五歳程の小さな少女であった。
髪の色はディルクと同じ銀髪であった。目の色は真っ赤な血の色である。
肌は驚くほど真っ白で雪のようであった。
どうみてもそれは人狼の姫の特徴であった。
「ここはどこ? おじさんたちは誰?」
少女は心細げに呟きあたりを見つめた。
「君は誰だい? カタリーナ姫かい」
ディルクがそう尋ねると少女はますます泣き出した。
「わからないわ。気づいたらここにいたし、自分がだれなのかもわからないの」
少女はただ泣くばかりでディルクは困惑した。
仕方なくハンスの元へ連れていくがハンス自身も理解することはできなかった。
「しかし、状況から考えれば彼女はカタリーナ姫でもありニコルでもある少女と考えた方がよいだろう」
ハンスとジルケがいうには彼女の仕草のひとつひとつはニコルの幼いものに似ていた。
もしかしたら、カタリーナにも通じる所作はあるかもしれないが、それを知るものはすでに存在していない。
「どうしてこんなことに」
「わからない。もしかすると聖女のご慈悲というやつかもしれない」
ディルクが人狼を殺す際に使用する力のひとつ『キリア』である。
短剣など自分が得手とする武器と銀のロザリオを媒介にし、聖女の名を呼びその力の一部を武器に降ろすというものだ。一種の降霊術に似ているとハンスは評した。
使用する狩人によって力の差は置き、場合によっては仕留めそこなうこともある。
だが、うまく聖女の力を引き出せれば殺すことが厄介な異端者の命を断つことができる。
ディルクはカタリーナを決して生かしてはならないと知っており、カタリーナの命が確実に断たれるように念いり聖女の力を注いだ。何度も途中でやめようとしたが、その度にニコルが制しカタリーナの命を断つことができたと思っていた。しかし、彼女の肉体は朽ち終えることはなく代わりに別の姿としてディルクの前に現れた。
「もしかすると聖女はお前とニコルの姿に心を打たれ、ニコルに新しい生を授けたのかもしれない」
五歳の少女の姿になった者はニコルの記憶もカタリーナの記憶も一切なかった。人と人狼のことも知らなかった。自分が何者かも。
唯一わかるのは首にかけられている赤い石の首飾りが大事なものだということだけである。
これをみればどちらかといえばニコルよりの人格なのだろう。
ディルクは少女にニコルと名付けた。
「さて、どうするか」
ハンスは幼いニコルの所在をどうしたものかと頭を抱えた。
人狼の姫の特徴を持つ少女がいては村ではパニックに陥るだろう。
まだニコルに憎悪の情を抱くものもいるだろう。
それはしょうがないことである。
ハンスもその場にいなかったとはいえ、故郷の惨状を聞き胸を傷めた。
今、村へ連れていくのはリスクが非常に高いだろう。
ならばこの家、ヨハンナから譲り受けた家であればどうだろうか。
このままこのカタリーナ姫の家で過ごさせるのは可能だ。
元々カタリーナ姫の所有物だったのだ。
ニコルが使用しても何の問題はないだろう。
それにイルザとジルケがついてくれるため彼女の養育についても心配はない。
「そうですね。ですが、もし………彼女の存在が知られたら銀十字本部も放っておかないでしょう」
ディルクは自分の所属する組織について苦い表情を浮かべた。
カタリーナ姫のなれの果てと知れば、彼らはニコルを回収し実験や研究の材料にするだろう。
しかし、彼女を連れて逃げ延びるのは難しいだろう。
子供一人連れて旅をするのはたいへんなことである。
もう少し分別がつくまでは連れ出さない方が賢明だ。
「ハンスさん、この子を頼みます」
「ああ、無論だ。一人で何もできないうちはこの家で隠し通そう。ジルケもいいな」
そういうとジルケはこくりと頷いた。
「それでディルクはどうするかね? 君が傍にいればニコルも安心すると思う」
気づけばニコルはディルクの裾を掴んでいた。はじめは警戒していたが、今は一番ディルクを頼っているようである。自分と同じ髪の色だからというのもあるだろうが、どこかでニコルの記憶が残っているのかもしれない。
「銀十字は退会しようと思います。そして、旅に出ようと思う」
「どこへ?」
「北の国へ………そこには銀髪の方も多いので僕とニコルの姿もあまり目立たないでしょう。後、異端者が人との接触を拒み秘境に集落を構えているという話を聞きます」
いずれはニコルにとって住みやすい土地を見つけてやりたい。
そのためにディルクは旅をするというのだ。
「大変なことだぞ」
「わかっています」
「止めはしないが、たまに戻ってきてやれよ」
そういうとニコルはディルクの袖を掴んでいた腕はさらに力がこめられていた。
「ええ、戻ってきます」
ディルクが優しく微笑み、ニコルの頭をなでるとニコルは嬉しそうに笑った。




