2 姫君の目覚め
少女によって押さえつけられたディルクは再度ニコルを見つめた。彼女は無表情な顔でディルクを見下ろし、口を開いた。
異端者・人狼が持つ鋭利な牙がみえた。
「よいぞ。ニコル、その男は死なない程度に弱らせておけ。後でじっくりと同胞と私の屈辱を味合わせてやる」
そういいニコルは躊躇わずディルクに牙をあてようとした。
「やめるんだ、ニコル」
そういいニコルにしがみつく老女がいた。ドーリスであった。
「その方はディルクさんだよ。そんなことをしてはいけない。これ以上罪を重ねないでおくれ」
震える腕で必死にニコルを抱きしめる。ニコルはくるりと老女を見つめた。朧げな瞳が揺らいでるのがみえた。
「目を覚ましておくれ」
お、ばあちゃん?
そう唇が動く。
それは先ほどまでディルクをほんろうさせた演技ではなかった。
彼女はドーリスの呼びかけで少しずつ自身を取り戻そうとしていた。
ディルクにはそうみえた。
「だあああああっ!!」
突然村人たちの間から叫び声が聞こえ、男がニコル達の方へ走ってきた。
村長のフィリップであった。手には見事な装飾が施されているナイフが握られていた。
それをニコルにめがけかけていく。
ニコルは老女を見つめ動こうとしなかった。
「いけない」
ディルクは二人の前にでようとするが、まだニコルに押さえつけられたままで身動きがとれなかった。
「ニコルっ」
老女の叫びとともにニコルは彼女の腕に包み込まれた。
ずぶ………
鈍い音が聞こえた気がする。地面に赤い血がぽたぽたと落ちて行った。
「ああ、………なんということを」
フィリップは呆れたようにドーリスをみつめた。手には変色した銀の装飾をほどこされたナイフを震える手で握りしめていた。
倒れているドーリスをみると顔色が悪くなりがくがくと震えていた。どうやら確実に仕留める為に毒を塗り込んでいたようである。
「ドーリスさん、あなたには気の毒だがニコルちゃんは殺さなければならない。人狼になってしまった彼女は私たちの敵だ。私は村長として村を守らなければならない。なのにあなたは」
フィリップは頭を抱えた。彼女は村の敵となりはてた孫を優先したのだ。
理解できないことはない。
唯一の肉親であれば彼女はそうするだろう。
ニコルはディルクを押さえつけていた左手を解放し、倒れた老女の傍に膝をおりじっと老女を見つめた。
ドーリスはにこりと微笑んでニコルの髪をなでた。
「ああ、………どうか戻っておいで、私のニコル」
青い唇を動かし優しく呼びかけた。
彼女の手は力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。ドーリスを見つめていたニコルはぽつりと声を発した。
「おばあちゃん………おばあちゃん」
そう何度も祖母を呼ぶが、ドーリスは動くことがなかった。その場に崩れるニコルの背中にフィリップは容赦なく血で汚れたナイフをつきつけた。
「あれ、いたい?」
ニコルは何が起きたか理解できなかった。
「今、ニコルは元に戻りつつあったのに。何故」
止められなかったディルクは村長の行動に疑問を抱いた。狩人である彼がそんなことを言うとはとフィリップは呆れたように言った。
「仕方ないだろう。また村を襲わないとは言い切れない。ここで彼女の心のまま逝かせてあげるのがいいだろう」
確かに彼の行動は間違いではないだろう。ニコルがまた暴走して村に危害を加えないとはいいきれないのだから。
大人しくなった今は好機なのだと、それはディルクもわかっていた。
しかし、これでよかったとはディルクには思えなかった。
「ニコル………」
ディルクの呼び声にニコルは反応し、くるりとディルクの方を振り向いた。じっと目の前の男を見つめディルクであると認識し、ニコルはぽろぽろと涙を流した。
「………痛い、痛い」
彼女のあまりに痛々しい言葉にディルクは眉をよせ苦し気に歯を食いしばった。
人を守るためには仕方ないことである。
ここで彼女がこれ以上苦痛を感じないように自身の剣でとどめをさすべきなのだろう。
だが、ディルクは剣に手をかけることができなかった。
頭ではわかっているのに、相手がニコルだとそれができなかった。
「痛い痛い痛いイタイイタイ………………」
ニコルは壊れた時計のように同じ言葉を呟いた。目がどんどん虚ろになっていく。
「イタイイタイイタイイタイ………痛いって言っているでしょう!!」
突然苛立ちの声をあげた彼女は左手で背中に刺さったナイフを抜き取った。
「人間の癖にこの私を殺そうなんて………」
ニコルは立ち上がり忌々し気にフィリップを見下ろした。その表情は憎悪と怒りが入り混じっていた。
ここでディルクは違和感を感じた。先ほどまでは確かにここにいたのはニコルであった。だが、目の前の少女はニコルではなかった。ニコルではない何かがそこにいた。
ニコルの姿をした少女は自分の髪をかきあげた。その瞬間、彼女の金色の髪は銀色へと豹変していった。瞳の色も赤くなっていた。
その姿をみて一番驚いたのはカリスであった。
「まさか、あなたさまは………」
カリスは震える声で呟き、ニコルが振り向いた瞬間彼はすぐに膝をおりその場に頭を垂れた。
「カリスか?」
上から呼ぶ声にカリスは頷いた。
「申し訳ありません。まさかあなたさまがその肉体にあったとは気づかず………無礼をお許しください。カタリーナ姫よ」
その呼び方にニコルはくすりと笑った。今までにない程の妖艶な笑みである。
「ああ、お会いしとうございました」
カリスは感慨深く今の少女の姿を見つめた。その瞳には慈愛と敬意の色がみられた。今まで冷淡な印象を持つ男と思っていたのに。
カリスは歓喜の声をあげ、少女を呼んだ。
カタリーナ姫。




