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2-3 まんじゅう



 好き勝手言ってくれる。壁に叩きつけられた痛みも衝撃もあれど、彼を真に傷つけることはできない。幾度肋骨が折れ、血を吐こうが、立ち上がる。

 別にそんなことは望んではいないのに。無駄に頑丈な肉体は彼を休ませることを許しはしない。

「貴方に忠誠を誓う臣下なんていないんだよ」

 嫌なことを言う男だ。そんなことライゼが一番わかっている。

 微笑みを絶やさないまま次から次へと打ち込まれる拳を今度はかわす。視える。剣を振り上げる。大振りの剣を振るうとそれだけ隙ができた。ライゼの剣筋を見切った赤毛は手首の腱を狙って掌底を打つ。簡単に剣を握る力が弛み、黒剣は反動で弾き飛んだ。

「勘が鈍りすぎじゃない? まあ千年も寝てたんじゃ仕方ないか。このまま僕に殺されてくれるのかな。それってすっごくつまらないよ。ロルロージュもがっかりしちゃうと思うなあ」

 腹に、胸に、顎に打たれる。腕でなんとか防御していたライゼの頭に血が上る。何に対して怒りが沸いたのか理解しないまま、彼は掌底を打ち返した。最初に石棺を破壊した時と同じように、いや、もっと確実な力を込めて。

 今度は赤毛が吹き飛んだ。

 床に転がる剣を拾う。走り出し追撃する。先程の迷いはない。でも消失したのではなく、今は見失っただけだ。

 よろよろと揺らめく影があった。立ち上がって笑った。両手を広げ、何か言った。

 聞こえない。聞こえなかったのだ。

「ライゼ!」

 どうしてそんな声で呼ぶ。何に怯える。何が悲しい。ウーアは呼び止めたけれど、王の唯一の黒い剣は赤毛の男を貫いた。

 男は身体を貫かれてもなお笑う。声を上げて笑う。

 何がおかしい。

 顔を上げたライゼのほうがこの男よりもずっとやつれた表情をしていた。胡乱な瞳は金色に燃ゆる瞳とかち合うと「あ」と空気の抜けたような声を洩らした。

「今度くる時までに僕の名前でも思い出しておいて。その時にまたその忌々しい剣で貫いてよ」

 ライゼの蒼の瞳はひどく揺れた。そのことに満足した男は王の頬を撫でて「じゃあ、またね」と囁くと影になり、闇に霧散した。

 からん、と剣が支えをなくして先から落ちる。そのまま重みに引き摺られてしまったかのようにライゼも床に膝をついてしまう。

「ライゼ!」

 呼んで駆け寄ろうとしたのはウーアだが、実際に王に寄り添ったのはシャオムだった。

「陛下、ご立派でした」

 ウーアは彼が色を失った目で司祭を見つめるのを見守っていた。

「俺は……こんなところで死ぬわけにはいかないと……」

「はい。もちろんですわ。陛下が為されたことに何も間違いはありません。どうしてそのようなお顔をなさるのです」

「俺は、あれを、貫いてはならなかったんじゃないか……?」

「あれはただの敵です。影です。“闇”です。あなたに害を為すものです」

「だが……」

「もしあれが神の課された試練だとしたら陛下は乗り越えられたのです」

 女は王の額に触れ、祝詞を述べた。それでも虚空を見つめるライゼを胸に抱いた。

「陛下はよくやりました。神はお赦しになります。その苦悩すら王の力となるでしょう」

 自分はなんて脆弱なのだろう。何が怖いかもわからないくせに怯えている。あの男を貫いてから指の震えは止まらない。これは何なんだ。人を貫くのがそんなに怖かったか。“闇”とて人間だろう。腹をくくったじゃないか。

 気がつけば女の身体をこれでもかと抱き締めていて、司祭はライゼを慰めようと漆黒の髪を優しく、優しく撫でていた。彼は一度深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。女の身体が揺れる。息を飲んだ音が聞こえて、王は我に返って彼女を解放した。

「すまない。もう平気だ」

「王の御為ならばこの身をいつでも差し出しますわ」

「……すまない」

 剣を拾い、時計に収める。座り込んだままの司祭に手を貸し立ち上がらせ、彼女は王の手を取ったまま寄り添おうとした。ライゼは自然な形で離れ、少し先で回廊の続きを眺めているウーアのほうへと歩いていく。

 それを女がどんな目で見ていたか、彼は気づきもしない。

「大丈夫だったか」

「お手伝いできなくてごめんなさい」

「いい。俺も君に無理強いした。主人の命があるなら主人に忠実にな」

 頭に軽く手を乗せ撫でる。気にするな、という意味だ。

「でも、わたしは」

「主人を裏切ってやるな」

 忠実であればあるだけ裏切りは悲しいものだ。ライゼは独りきりだった。あの男が言った通りに、これはライゼの試練でひとりで乗り越えねばならないのかもしれない。

 ついてくるとかこないとか、そんな問題ではない。誰もが己が目的があり、ライゼのために共にいるわけじゃない。

 孤独を思い知った。



 それから回廊を進み続けると突然開けた場所に出た。城の中であるはずなのに青い空が広がる草原に作られた巨大な迷路があったり、延々と続く砂漠地帯にひしめく中身のない甲胄騎士が襲いくるエリアを通過せねばならなかったり、五人が寝転ぶと一杯になってしまうような部屋が灼熱に熱されている中で超難易度の仕掛けを解かないと出られなかったりと。嫌がらせにしか思えない試練を乗り越えていった。

 赤毛との戦いで憔悴していたはずのライゼはどちらかといえば、こういう単純な試練のほうが気が楽だった。人間を手にかけるよりもよほどいい。顔色も良くなり、率先して取り組んでいた。

「こんなことを続けて、本当に楽園へといけるのか……?」

 しかし兄殿下クヴァールがぼそりと吐き出した。

 そんなことはライゼが聞きたかった。『門』の先に楽園がありロルロージュがいると、言われるままに試練とやらを受けているのだ。それを今さら彼らに疑問を呈されても返す言葉もない。

 でもライゼに投げかけられた問いではなかった。先頭を進むライゼとウーアの後ろに司祭とクヴァールがいて、さらに後ろに弟がついてきている。真ん中の二人がぼそぼそと話す声が嫌でも耳に入るだけだ。

 ライゼは金の時計をかちり、かちりと弄る。剣をいつでも出せるように。それもあるが、代わり映えのしない丘陵を歩いていくのは手持ちぶさたなのだ。

「なあ、ここから剣以外は何か出せないのか」

 隣を歩くウーアに聞く。彼女と話すには質問をするのが一番いい。無意味な世間話を振ったところで二、三言返され終わるのだ。

「できる。貸して」

 鎖に繋がれたままの時計を渡す。ウーアはそれを両手で包み込み、無言のまま簡単に何かを引き出してみせた。何を出したかと思えば麻の布袋だ。

「はい」

 袋の中身を漁った彼女はさも当然のように白まんじゅうをライゼの手のひらに乗せた。まんじゅうは出来たてみたいにほかほか温かい。

「おい、これどうした」

「出してっていうから出した」

「うん、まあ、そうだな」

 ライゼもウーアと無駄な問答はしない。無意味だからだ。

 出てきたという事実を飲み込み、まんじゅうを食すだけだ。なぜならこのまんじゅうは美味だ。

 ウーアもすでにもぐもぐ食べ始めている。二人だけで腹拵えをするのも悪いと思ったライゼが後ろを振り返り、まんじゅうを指して食べるか聞いてみたが、案の定というか誰も欲しなかった。

「これは俺にもできるか」

「できない」

 にべもない。

 聞けば時計から出しているわけでなく、時計の魔力を使って『門』を開いているらしい。聞いてもよくわからなかったので便利魔法ということで納得した。最初にまんじゅうを出した時もそれだったのだろう。

 自分だって剣が出せるのだ。できるかもしれないじゃないかと時計の蓋を開けたり、名前を宣誓してみたりと弄っていたのだが。

「ライゼは魔法が使えない」

 と、一蹴されがっかりだ。剣の出し入れができるのは時計の魔力と剣と王の繋がりが結ばれているからなのだという。よくわからない。とにかくライゼにできるのは剣を出すことだけだ。



 それからまだ続きそうな丘陵を随分と登った。ライゼはというとあまり疲労しない身体らしく精神が困憊しなければ元気だった。

 だが人間たちは違った。顕著なのは兄君で、ぶつくさと文句を言うことが増えた。それを窘めているのが司祭だ。彼女はライゼにしたように寄り添い、手を取って親身になって話を聞いている。司祭というものは大変だな、という感想を抱いただけで王自身はウーアと話しながら気にかけるにとどめた。

「シャオム……本当はお前もこんなことに何の意味があるのかと思ってはいまいか?」

 親しげに呼ばれ、握り返される手には元国王と司祭という関係には収まりきらない部分を感じさせる。

「陛下……いいえ、クヴァール様。全ては神のお導きがあればこそ。我が国はこれで救われます。千年の伝承などあなた様の代で終わりになるのです」

「私にそんなことができるとは思えん。国はもう衰退しきっているのだぞ。止めようもないのではないか」

「何をおっしゃいますか。私たちには王がおります」

 危うく反応しかけたが、ライゼは気づかぬふりをした。彼らが何を思って試練を続けるのか。またライゼをどこまで信用しているのか。知っておきたかった。

「王は何も知らぬ」

 クヴァールはひどく落胆している。

「兄上」

 今まで傍観を決め込んでいた弟が兄に突っかかるように呼び止めた。

 彼が何を言うのか気にはなるが、どうやらこの無限丘陵にも終わりがあったようだ。丘の一番上、開けた場所が近づくにつれ『門』が見えてきたのだ。門というか、扉のない石柱が立っている。ここに入った時と似た向こう側が見えないまま繋がっている『門』なのだろう。ここからでは『門』の向こう側にも丘陵が続いているようにしか見えない。

 しかし通り抜けると次の試練が待っているという仕組みだ。

 兄弟たちも話をやめた。

「次は一体何が待っているやら」

 いつものようにライゼが先に『門』をくぐる。ぞわりと魔力が駆け巡る感覚は何度経験しても慣れるものではない。

 無事に通り抜け、目の前に広がる景色に感嘆する。今までの同じ景色の連続みたいな場所とは違い、今度は町だった。赤土色の屋根と白い壁の家々。鮮やかな色とりどりの旗がどこかしこにはためき、微かに潮の香りも感じられる雰囲気の良い町だ。

 もしやここはフルゲオクルスの城下なのではないか。

 そう思って心踊らせたライゼが後続を振り返る。

 『門』がない。誰もいない。

 唐突にライゼは独りきりになった。


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