09
食堂で、諒以外の客全員泥酔事件があった次の朝。
諒は、朝食を食べに自分の借りている部屋から階下に降りた瞬間、待ち受けていたらしい大男に謝られた。
「片付けさせてすまんかったな、坊主!お前があんなに酒に強いとは…」
そう言って頭を掻いている。この男もなかなかの酒豪で、最後の方まで残っていたうちの一人だった。
諒は、自分に二日酔いの症状がないことに安心しつつ、にこにこと平和に笑って返した。
「大丈夫ですよ」
「いや、だがな…」
なおも言い募る大男だったが、諒は謝られても困るので、話を逸らそうと悪戯っぽく囁く。
「弄りますよ?」
昨日やけに皆が怯えていたので試しに使ってみたのだが、効果は抜群だった。
大男は顔を思いっきり引き攣らせて諒の傍から一歩引いたのだ。
「それだけはやらんでくれ!」
豪胆そうな男なのに、やはりめちゃくちゃ怯えているようである。
諒は安心させるように微笑んだ。
「冗談です」
「良かった…」
大男はほっと息をついた。全身に安堵のオーラを漂わせている。
諒はそこまで効いたのか、と自分で言っておきながら内心で驚いた。
相手がこの大男なだけあって、まさか効くとは思わなかったのだ。
…普通なら、あたかも心の中を読んでいるかのような言動をとり、過去を暴露させる人間に弄られたら、いろんな意味で終わる気がするが。
………主に社会的に。
もうまともに外に出られない、といったところか。
その危機を事前に回避できた自分は幸運だろう、ということで、大男はものすごく安心していた。
諒としては言ってみただけで特に弄る気はなくても、あの場(感謝会)で諒が弄るのを見ていた客たちにとっては、洒落にならない大事なのだ。
だからまあ、諒が驚くようなことではない。むしろ、他の客が弄られるのを見ていた客の一人の大男が、必死になって諒の「弄る」発言を撤回させようとするのは当然だ。
諒は、少し考えてそんな大男の心情を理解し、苦笑した。
そうしていろいろと思案しながらも、ささっと出された朝食を食べ終える。異世界の、それも外国系統の食事なので、日本と比較すると量は結構多いが、とにかく食べきった。
とここで、していた用事が終わったらしい女将が諒に話しかけてくる。
「あんたが昨日の後片付けしてくれたみたいだね。ありがとう。
全く男共ときたら、酒盛りした日はいつもみんなして食堂に寝てるんだよ。
だから後片付けする人がいなくてねぇ」
昨日はあんたが片付けてくれたから助かったよ、と続ける女将。
諒はそれに軽く頷いて応え、女将に言おうと思っていた話を切り出した。
「ところで、申し訳ないんですが、あれば地図を頂けますか?今日中にこの村を出立しようと予定していますが、道に迷いそうなので…」
聞いてみると、女将は少し名残惜しげながらも快諾してくれた。
「勿論だよ。あんた、もう村を出るのかい?早いねぇ。……あ、そう言えばあんた無一文で荷物もないって言ってたね。ちょっと待っておいで」
何かを思いついたらしい女将が、そそくさと食堂を出ていく。諒が待つこと十分、彼女は何やら薄茶色の布でできた大きな袋を持って帰ってきた。
「待たせたね。これを持ってお行き」
その袋を、諒に差し出してくる。諒は尋ねた。
「これは…?」
「食料やお金、替えの服、地図が入ってるよ」
諒はそれを聞き、さすがに図々しいだろうと、首を横に振った。
「そこまでしていただくわけには」
女将は、やはり笑顔で、袋を諒に持たせようとして言った。
「魔狼から村を救ってもらったし、盗賊団からも宿を救ってもらったからね。報酬だと考えて」
彼女は頑として譲る気はないようだった。諒の素寒貧な状況は知っているので、村の恩人なこともあり、放っておけないようだ。諒は女将の心情を汲み、渋々袋を受け取った。
「…ありがとうございます。いつか返しに来ます」
「楽しみにしてるよ」
そう言われては後に引けない。諒は穏やかな笑みを浮かべ、約束した。
「はい。またいつか」
「また酒盛りしようぜ」
諒の脅しから復調した大男も、相変わらずの馬鹿力で気軽に諒の肩を叩く。彼も、諒の出立を惜しんでくれているようだ。
身元も分からない無一文の人間を、こうも手厚く扱ってくれる。
短い間だったが、この村の住人は優しく親切な人ばかりだ。諒はそう感じた。
――同じ世界なのに、昔来た場所とは全然違う。
心の中で呟く。一瞬昔を思い出して暗くなりかけた気持ちを、しかし諒は立て直した。
「では、行きますね」
ふわりと春風のように微笑んで、諒は宿を出る。
いつもの穏やかで呑気な笑みではなく、息を呑むほど綺麗に、透明に澄みきった表情。
それを見て惚けていた女将と大男の二人は、しばらくしてはっと気が付いて宿を飛び出した。
諒の姿はもう見えなかった。