第1話 赤土が値段を持った日
はじめまして。
この物語は、人口五千人ほどの小さな町を舞台にした群像劇です。
主人公一人の冒険や成り上がりではなく、町で暮らすさまざまな人々の日常や仕事を通して、少しずつ町の姿が見えてくる構成になっています。
派手な展開よりも、人や町の営みを楽しんでいただければ幸いです。
それでは、第1話をお楽しみください。
海からの風は、春先でもまだ少し冷たい。
だが、この町では、その風が悪い意味を持つことはほとんどない。
「こちらが例の区画です」
案内役の声に、視察に来たスーツの男たちが足を止めた。
彼らの靴は、よく磨かれている。ここでは少し場違いだ。
赤土の畑が、なだらかに広がっている。
特別なものは何も見えない。
少なくとも、初めて来た人間には。
「……これが、そうなんですか」
ひとりが、半信半疑といった顔で言う。
「ええ」
私は答える。
「ここでしか、できません」
それ以上は説明しない。
説明しても、たぶん伝わらない。
男たちは、しばらく黙って畑を見ていた。
やがて一人が、土を指でつまみ、軽くこすり合わせる。
「普通の土にしか見えませんね」
「普通ですよ」
私は言う。
「昔は、誰も見向きもしなかった」
最初に気づいたのは、いつだったか。
正確な年齢は覚えていない。
まだ小学生だったはずだ。
畑の端で、誰にも使われていない一角があった。
水はけが悪く、作物の出来もよくない。
父も「放っておけ」と言っていた場所だ。
そこに、勝手に何かを植えた。
理由は覚えていない。
ただ、少しだけ土の色が違って見えた。
ほんのわずかに、赤みが強かった。
結果は、はっきりしていた。
育ちが違った。
何が違うのかは分からない。
ただ、明らかに違った。
その日から、私はそこをいじり続けた。
水を変え、混ぜるものを変え、植えるものを変えた。
記録も取った。子供なりにだが。
誰にも言わなかった。
言っても、理解されないと思ったからだ。
「またやってるのか」
父に見つかったこともある。
「どうせ育たん土地だ。好きにしろ」
興味はなさそうだった。
それでよかった。
学校では、変わり者だと言われた。
遊びに来た連中は、すぐに飽きて帰った。
土をいじるだけの場所だ。面白くはない。
だが、私は飽きなかった。
変化があった。
わずかな違いが、確かにあった。
高校を出て、町を出た。
東北の大学に進んだのは、理由がある。
土と、作物と、微生物。
必要なものが、ひと通り揃っていた。
周囲は、もっと大きな話をしていた。
世界だとか、最先端だとか。
私は、あの赤土の話しか考えていなかった。
卒業して、そのまま北へ行った。
北海道の大学院。
あそこなら、もう少し深く掘れると思った。
実際、掘れた。
だが、最後まで“全部”は分からなかった。
条件は絞れた。
再現も、ある程度できた。
だが、なぜそうなるのかは、説明しきれなかった。
それでも、十分だった。
使い道が、見えたからだ。
帰ってきたとき、父はまだ町長だった。
「どうだった」
「使える」
それだけ言った。
父は、少しだけ笑った。
「なら、やれ」
最初は、小さく始めた。
誰も期待していなかった。
当然だ。これまで何も育たなかった土地だ。
だが、結果は出た。
数値として出た。
用途として出た。
金額として出た。
それで十分だった。
「これが、あのときの」
視察の男が言う。
私はうなずく。
「ええ。ここから始まりました」
風が、少しだけ強くなる。
畑の表面の土が、わずかに揺れる。
男たちは、それをじっと見ている。
たぶん、何も分かっていない。
それでいい。
父が町長を辞めると言い出したのは、その少し後だ。
「飽きた」
本当にそれだけだった。
周囲は困っていたが、私は何も言わなかった。
父は、そういう人間だ。
代わりを決める話になって、名前がいくつか出た。
最後に、私の名前が出た。
「あんたしかおらん」
何人かが言った。
断る理由は、いくつか思いついた。
だが、説得される理由の方が多かった。
結局、引き受けた。
町は、変わった。
だが、変わっていない部分の方が多い。
相変わらず、畑があり、海があり、山がある。
派手な建物もなければ、外から見て分かるものもない。
税金は取っていない。
その代わり、町が面倒を見る。
水も、医療も、学校も。
仕事の多くには、町が金を出している。
誰かが、過剰に儲けることはない。
そういうやり方にした。
そうしないと、長く続かないと思ったからだ。
「信じられないですね」
視察の男が言う。
「これが、日本にとってそんなに重要だなんて」
「ええ」
私は答える。
「私も、最初はそう思いました」
本当は、少し違う。
最初から、価値はあると思っていた。
ただ、その“値段”までは分からなかっただけだ。
赤土は、昔からそこにあった。
誰もが見ていた。
誰もが知っていた。
ただ、使い方を知らなかった。
それだけの話だ。
風が止む。
畑は、また何事もなかったように静かになる。
私は、その様子を一度だけ見てから、男たちに向き直った。
「次を案内します」
まだ、見せるものはいくつもある。
第1話をお読みいただき、ありがとうございます。
この時点ではまだ見えていないことが多いと思いますが、この町には少し変わった歴史と秘密があります。
今後は漁師、高校生、医師、転入者など、さまざまな人物の視点から町の日常が描かれていきます。
「この町は何なのだろう」と感じていただけたなら、ぜひ続きを読んでいただければ嬉しいです。
第7話あたりで、この町の特殊性が少しずつ見え始めます。
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