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第98話 「証明」

 神が去った日を。



 誰も知らない。



 空が割れたわけでもない。


 雷が落ちたわけでもない。


 大地が揺れたわけでもない。



 ただ。



 その日から。



 高台に、誰もいなくなった。



 それだけだった。



 都市は続いた。



 三人の統治体制は、やがて形を変えた。


 軍は守備院となり。


 制度官は記録院となり。


 民衆代表は議会となった。



 争いもあった。


 失敗もあった。


 飢饉も、洪水も、疫病も来た。



 だが。



 そのたびに。



 人々は直した。



 堤防を高くし。


 備蓄を見直し。


 薬草を記録し。


 法律を書き換えた。



 神を呼ばず。


 空へ縋らず。



 自分たちの手で。



「……綺麗に育ちましたね」


 リリアが静かに呟く。



 今の声は、もう誰にも届かない。



 これは遠い未来を眺める視点。



 アレンたちは、時の外から見ていた。



 エルミナが微笑む。


「ええ」


「最良の結末です」


 セリスが低く言う。


「……文明継続成功」


 ノアが笑う。


「ハッピーエンドだね」



 数十年後。



 新王の名は、偉人となった。


 初代王の名は、建国者となった。



 さらに百年後。



 神の話は、学校で教えられる古史になった。



 空から来た管理者。


 雨を降らせた者。


 王と言葉を交わした者。



 だが。



 学者たちは議論した。



 そんな存在が本当にいたのか。


 象徴表現ではないのか。


 政治的創作ではないのか。



「……いつもの流れですね」


 リリアが苦笑する。



 さらに時は流れる。



 数百年後。



 巨大な都市国家群が並び立つ時代。



 石造建築は塔を超え。


 水路は河川網となり。


 文字は書物となった。



 神の物語は。



 民話になっていた。



 子どもへ語る寝物語。


 祭りで演じる劇。


 笑って楽しむ昔話。



「……寂しくないですか?」


 リリアが小さく聞く。



 アレンはしばらく黙り。



「……別に」



 少し間を置いて。



「……それでいい」



 覚えられるためにやったわけじゃない。



 崇められるためでもない。



 生きる力を渡したかっただけだ。



 なら。



 忘れられても問題ない。



 その時。



 とある学者たちが、古代遺跡を発掘していた。



 都市の最深部。


 初代時代の層。



 崩れた石室。


 焼けた記録板。


 砕けた器。



 そして。



「……?」


 リリアが目を凝らす。



 一枚の石板。



 そこには、極めて古い刻印が残っていた。



 雨雲の図。


 水路の設計図。


 井戸の断面図。


 畑の配置。



「……あ」


 エルミナが静かに微笑む。



 あの日。



 空に描かれた設計図を。


 誰かが必死に写し取っていたのだ。



 子どもか。


 記録官か。


 職人か。



 誰かは分からない。



 だが確かに。



 残した者がいた。



 学者たちは騒然となる。



 当時の技術水準では不可能な精密図。


 時代不一致の構造理論。



 記録と神話が一致し始める。



「……証拠だ」


 セリスが低く言う。



 ノアが笑う。


「最後に残ってたね」



 学者の一人が、石板の端を払う。



 そこには。



 小さな刻み文字。



 古代語で。



 “奇跡は一度だ。次は、お前らが作れ。”



「……っ」


 リリアの目が潤む。



「……誰か書き残したんだ」



 アレンは黙る。



 その言葉は。


 確かに自分が言った。



 でも。



 もう、自分のものではない。



 あの世界のものだ。



 学者たちは顔を見合わせる。



 神話は。



 作り話ではなかったのかもしれない。



 だが。



 それ以上に重要なのは。



 古代の人々が、奇跡の後に何を選んだかだ。



 祈りではなく。


 設計図を残したこと。



 アレンは、小さく笑った。



「……上出来だ」



 光景が遠ざかる。



 文明は続いていく。


 神がいても、いなくても。



 人は学び。


 間違え。


 直し。


 また進む。



 それでいい。



 アレンは背を向ける。



 次の世界へ。



 次の未完成へ。



 歩き出す。



 遠い空の下。



 かつて神を失った世界では。



 誰かが今日も、水路を直している。



――第98話 完

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