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第95話 「教わった者たち」

 奇跡のあとに残ったのは。



 祈りではなく、図面だった。



 空に描かれた巨大な設計図。


 貯水池の位置。


 水路の流れ。


 畑の配列。


 井戸の深さ。



 それは数日で消えた。



 だが。



 人々の記憶には残った。



「……すごいことしますよね」


 リリアが呟く。


「普通、雨降らせて終わりなのに」


 エルミナが静かに微笑む。


「ええ」


「依存を断ちつつ、知識だけ残しました」


 セリスが低く言う。


「……理想的介入」


 ノアが笑う。


「珍しく上手くやったね」


「うるせぇ」



 都市は動き始めた。



 以前とは違う熱量で。



 祈っていた者も。


 疑っていた者も。


 働いていた者も。



 皆が。



 石を運ぶ。


 土を掘る。


 図を描く。



 広場の対立は、工事現場へ変わった。



「……平和的ですね」


 リリアが言う。


 アレンが小さく答える。


「暇だと揉める」


「働くと少し黙る」


「雑」



 新王は、現場を歩いていた。



 王宮に籠もらない。


 塔にもこもらない。



 泥だらけの足で。


 井戸の深さを見て。


 水路の角度を直し。


 石の積み方を指示する。



「……現場王ですね」


 リリアが笑う。


 エルミナが頷く。


「支持される理由です」


 セリスが低く言う。


「……実務と象徴の両立」


 ノアが笑う。


「優秀すぎてつまらない」



 季節が巡る。



 貯水池が完成する。



 巨大な石壁に囲まれた水面。


 空を映し。


 都市へ流れる命の蓄え。



 歓声が上がる。



 次に。



 水路が伸びる。



 外縁の乾いた土地へ。


 以前は捨てられていた場所へ。



 そこに芽が出る。



 緑が広がる。



「……」


 リリアが息を呑む。


「……綺麗」



 エルミナが静かに言う。


「文明が自然へ勝った瞬間です」


 セリスが低く続ける。


「……いや、利用した」


 ノアが笑う。


「いい言い換え」



 人口は増えた。



 飢えは減った。


 争いは減った。


 記録は増えた。



 市場には遠方の物が並び始める。


 布。


 加工石。


 珍しい種。



 道は広がり。


 都市は複数の区画へ分かれ。



 “国”になっていた。



「……黄金期ですね」


 リリアが呟く。



 一方で。



 信仰も変わっていた。



 旧世代は、神へ祈る。



 雨をくれ。


 守ってくれ。


 救ってくれ。



 だが。



 新しい世代。



 子どもたちは違った。



 石板に図を描く。


 空の設計図を真似る。


 水路模型を作る。



「……あ」


 リリアが目を丸くする。


「祈ってない」



 エルミナが微笑む。


「ええ」


「学んでいます」


 セリスが低く言う。


「……崇拝対象から教育者へ」


 ノアが笑う。


「時代だね」



 子どもたちは、神話をこう語る。



 神は雨をくれた。


 でも一度だけ。



 その後は。



 作り方を教えた。



「……」


 アレンはその話を聞き。


 少しだけ黙る。



「……変な感じだな」



「何がです?」


 リリアが聞く。



「崇められるより、そっちの方が」


 少し間を置く。



「……居心地悪い」



「照れてる」


「黙れ」



 だが。



 平和の中で。



 別の変化も起きていた。



 アレン自身に。



 高台。


 いつもの場所。



 世界を見下ろすその位置で。


 アレンは、以前より長く黙ることが増えた。



 手を出さない。


 声も出さない。



 ただ、見る。



「……」


 リリアが小さく言う。


「最近、静かですね」


 エルミナが静かに続ける。


「役割が減っています」


 セリスが低く言う。


「……世界が自走し始めた」


 ノアが笑う。


「つまり」



 沈黙。



「……卒業の時間?」



 リリアがアレンを見る。


「……行くんですか?」



 アレンは答えない。



 下を見る。



 水路を走る子ども。


 市場で笑う者たち。


 議論する役人。


 現場で怒鳴る新王。



 誰も。



 空を見ていない。



 必要な時以外は。



「……」


 小さく息を吐く。



「……いいことだ」



 その夜。



 新王が高台へ来る。



 以前のように呼ばず。


 ただ立つ。



 アレンは姿を現す。



 新王は都市を指す。


 次に自分を指す。


 最後にアレンを見る。



「……?」


 リリアが首をかしげる。


 エルミナが静かに読む。


「……もう、いなくなるのか」



 沈黙。



 アレンは少し笑う。



「……察しがいいな」



 新王は黙る。


 止めない。


 願わない。



 ただ。



 深く頭を下げた。



 一国の王としてではない。


 文明の一人として。



「……」


 リリアが目を潤ませる。


「なんか……くる」



 アレンは手を振る。



「……まだだ」



「え?」



「もう少し見てから決める」



 ノアが笑う。


「未練あるじゃん」


「うるせぇ」



 風が吹く。



 都市の灯りが広がる。



 人々の手で作られた光。



 神が与えたものではない。



 彼らが積み上げたものだ。



 アレンはそれを見ていた。



 静かに。



 少しだけ、誇らしげに。



――第95話 完

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