第12話:害虫との戦い
平和とは、得てして脆いものである。
私がその真理を再確認したのは、ハニ・ツーによる「全自動灌漑システム」が完成し、カボチャ畑に瑞々しい水が行き渡り始めた、その数日後のことだった。
その日の朝、私は最高の気分で目覚めた。
寝起き特有のけだるさはなく、むしろ期待感で胸が膨らんでいた。
なぜなら、温室のカボチャたちが、ついに二度目の収穫期を迎えようとしていたからだ。
ハニ・ワンの魔力肥料と、ハニ・ツーの定期的な水やり。
この完璧な管理体制のもと、カボチャたちは以前にも増して大きく、艶やかに育っていた。
葉は私の顔よりも大きく広がり、深い緑色を湛えている。
その陰に隠れるようにして、オレンジ色の宝石たちがゴロゴロと転がっているのだ。
「ふふっ……おはよう、私の可愛い子たち」
私はスキップ(のつもりだが、実際にはドタバタした小走り)で温室へと向かった。
今日の朝食はカボチャのガレットにしようか。
それとも、甘く煮詰めてペーストにして、保存食を作ろうか。
そんな幸福な悩みに頭を悩ませていた、その時だった。
ブーン……。
低い羽音が聞こえた。
最初は、幻聴かと思った。
だって、ここは地下深くの閉鎖空間だ。
虫なんて、肥料用のミミズくらいしかいないはずだ。
ブウウウゥゥゥゥン……!!
音が大きくなる。
一つじゃない。
数え切れないほどの羽音が重なり合い、不協和音となって洞窟の壁に反響している。
『……マスター。敵襲』
脳内に、ハニ・ワンの鋭い警告が響いた。
同時に、ハニ・ツーからの冷静な状況報告が流れ込んでくる。
『侵入経路、通気孔。……対象、小型飛行生体。多数』
私は温室の入り口で立ち尽くした。
目の前に広がる光景に、血の気が引いていくのがわかった。
虫だ。
それも、ただの虫じゃない。
私の握り拳ほどの大きさがある、甲虫たち。
その背中はエメラルドのように怪しく輝き、鋭い顎がカチカチと鳴っている。
何より恐ろしいのは、奴らが一直線に私のカボチャに向かっていることだ。
「……嘘でしょ」
『魔導ゾウムシ(マナ・ウィービル)』。
クレイ高原の生態系ピラミッドにおいて、植物たちにとっての天敵。
普段は地中の根っこや枯れ木のマナを啜って生きている地味な虫だが、高濃度のマナを感知すると集団で押し寄せ、食い尽くすまで止まらない「生きた災害」だ。
奴らは、匂いを嗅ぎつけたのだ。
私のカボチャたちが放つ、極上の甘いマナの香りを。
「いやぁぁぁぁっ!!」
私は悲鳴を上げた。
生理的な嫌悪感と、大切なカボチャを奪われる恐怖。
その二つが混ざり合って、パニック状態に陥る。
無理。
虫だけは無理。
足が多いのも、飛ぶのも、テカテカしてるのも、全部駄目。
近づくことすらできない。
一匹のゾウムシが、手近なカボチャの葉に着地した。
その鋭い顎が、柔らかな葉脈に食い込もうとする。
「やめてぇぇぇっ! 私のカボチャに触るなぁっ!」
私が泣き叫んだ、次の瞬間。
ヒュンッ!!
風を切る音がした。
目にも留まらぬ速さで飛来した「何か」が、葉の上のゾウムシを正確に弾き飛ばした。
バシィッ!
虫は空中で回転し、地面に叩きつけられる。
潰れてはいない。気絶しているようだ。
弾いたのは、小さな土の礫だった。
振り返ると、そこに彼らが立っていた。
赤褐色の騎士、ハニ・ワン。
青灰色の多脚戦車、ハニ・ツー。
二体は温室の入り口に並び、油断なく害虫の大群を見据えていた。
『マスター、下がって』
ハニ・ワンが前に出る。
その背中から、今までとは違うオーラが立ち上っている。
殺気ではない。
職人が害獣を駆除する時の、冷徹な事務処理の気配。
『ツー、捕獲網展開。……ワン、狙撃開始』
脳内ネットワークで、作戦が共有される。
ハニ・ワンが右手を掲げた。
その指先が、ガシャリと変形する。
ドリルじゃない。
五本の指がそれぞれ独立して動き、その先端から小さな土の弾丸を生成している。
連射式の、指マシンガンだ。
一方、ハニ・ツーは低い姿勢で地面を滑るように移動し、畑の中央へ。
その四本の腕からは、粘着質の青粘土が糸のように伸びていた。
「……駆除して! 一匹残らず!」
私の号令が、戦いのゴングだった。
ブウウウウンッ!
ゾウムシの群れが、一斉に襲いかかってくる。
その数、およそ五十匹。
羽音だけで発狂しそうだ。
けれど、ハニ・ワンは動じない。
パパパパパパッ!!
乾いた音が連続して響く。
ハニ・ワンの指先から放たれた土弾が、空中のゾウムシを次々と撃ち落としていく。
すごい精度だ。
ただ撃っているだけじゃない。
虫の羽の付け根、あるいは触角といった急所を正確に狙い撃ち、殺さずに無力化している。
潰してしまうと体液が飛び散り、カボチャを汚してしまうからだ。
撃ち落とされた虫たちは、地面でピクピクと痙攣している。
それを、ハニ・ツーが回収していく。
シュバッ! シュバッ!
ハニ・ツーの四本の腕が、残像が見えるほどの速度で動く。
落ちてきた虫を、地面に着く前に空中でキャッチ。
粘着質の粘土で包み込み、瞬時に「泥団子」の状態にして背中のタンクへと放り込む。
華麗だ。
まるでダンスを見ているみたいだ。
ハニ・ワンが撃ち、ハニ・ツーが拾う。
あるいは、ハニ・ツーが粘土の糸で虫の動きを封じ、そこをハニ・ワンが拳圧(!)で吹き飛ばして気絶させる。
阿吽の呼吸。
完全なる連携。
私の脳内には、彼らの思考が高速データ通信のように流れてくる。
(ワン:右舷、三匹接近。座標XYZ……)
(ツー:捕捉。粘着弾、発射)
(ワン:左翼、カボチャの実へ特攻する個体あり。優先度S)
(ツー:距離遠し。兄機、迎撃求む)
(ワン:了解。……指弾、発射)
私の出る幕なんてなかった。
私はただ、工房の入り口で膝を抱え、彼らの無双劇を眺めているだけでよかった。
十分後。
洞窟内の羽音は、完全に消滅した。
温室の床には、泥団子にされたゾウムシたちが整然と積み上げられている。
カボチャの葉っぱ一枚たりとも、齧られてはいなかった。
完全勝利だ。
「……はぁ、はぁ」
私はへなへなと座り込んだ。
戦ってもいないのに、心労で寿命が縮んだ気分だ。
ハニ・ワンが近づいてくる。
その装甲には傷一つない。
『マスター。作戦終了』
彼は私の頭を、硬い手でポンと撫でた。
ハニ・ツーも、沢山の泥団子(中身は虫)を抱えて、誇らしげにキャタピラ音を鳴らしている。
「ありがとう……二人とも、本当にありがとう」
私は涙目で彼らに抱きついた(ハニ・ツーの泥団子には触れないように気をつけながら)。
本当に頼りになる。
この子たちがいれば、どんな災厄も怖くない気がする。
ふと、私はハニ・ツーが抱えている泥団子の山を見た。
中には、高濃度のマナを蓄えた魔導ゾウムシが詰まっている。
こいつらは害虫だ。
私の敵だ。
でも、冷静に考えてみれば。
マナを食べて育った虫。
それって、すごく栄養があるんじゃない?
私の脳裏に、あの「循環システム」の方程式が浮かぶ。
有機物+ハニワによる分解=最高級の肥料。
「……ハニ・ツー」
私はニヤリと笑った。
さっきまでの恐怖はどこへやら、私の瞳は怪しく輝き始めていた。
転んでもただでは起きない。
襲ってきたことを後悔させてやる。
「その虫たち、全部肥料にしちゃおうか。カボチャたちの養分として、土に還ってもらおう」
ハニ・ツーは四本の腕を一斉に上げ、歓喜(?)のポーズを取った。
処理はお手の物だ。
彼のタンクの中で分解されれば、害虫たちは数時間後には黄金色の腐葉土へと生まれ変わるだろう。
カボチャを狙った報いだ。
彼らの死骸が、巡り巡ってさらに美味しいカボチャを育てる糧になる。
これぞ、食物連鎖。
これぞ、我が地下帝国の掟だ。
その日の午後。
私はハニ・ツーが生成した「特製・虫由来肥料」を、カボチャ畑に撒いた。
少し罪悪感があるかと思ったけれど、全然そんなことはなかった。
むしろ、「ざまぁみろ」という暗い達成感があった。
カボチャたちは、新しい肥料を吸って、嬉しそうに葉を揺らしている。
心なしか、実のオレンジ色がさらに濃くなった気がする。
「これで、もっと美味しくなるね」
私はカボチャを撫でながら呟いた。
ハニ・ワンとハニ・ツーも、満足そうに畑を眺めている。
こうして、第一次害虫防衛戦は、私たちの圧勝で幕を閉じた。
しかし、私は気づいていた。
害虫が来るということは、ここから漏れ出るマナの匂いが、無視できないほど強くなっているということだ。
壁は厚くした。
通気孔には、ハニ・ツー特製の「虫除けフィルター(網目の細かい粘土細工)」を取り付けた。
物理的な守りは完璧だ。
でも、もし。
虫だけじゃなく、もっと知恵のある「敵」が、この匂いを嗅ぎつけたら?
例えば、魔力に飢えた魔獣。
あるいは、魔法感知能力に長けた人間。
一抹の不安が、冷たい風のように胸を掠めた。
私はハニ・ワンの手をぎゅっと握った。
硬くて、温かい。
この温もりがある限り、私は負けない。
そう自分に言い聞かせながら、私は夕食の準備を始めた。
今夜はカボチャのフライだ。
虫騒動で疲れた体には、油と糖分が必要だからね。
平和な食卓を取り戻した地下室で、私はカボチャを頬張りながら、次の防衛策を練り始めていた。
引きこもり生活を守るための戦いは、まだ始まったばかりなのだ。




