第13話:商人の再訪
カボチャ畑の防衛戦から数週間が過ぎた。
季節は冬から春へと移り変わろうとしていたが、クレイ高原の寒さは相変わらず厳しい。
風は唸り声を上げ、時折混じる氷の礫が、私の作った泥の城壁を叩いている。
けれど、私の地下帝国は常春の楽園だ。
ハニ・ワンの魔力炉と、ハニ・ツーの温水循環システムのおかげで、室温は常に快適な20度前後に保たれている。
今日の朝食は、蒸したカボチャ。
昨日の夕食は、カボチャのスープ。
一昨日の昼食は、カボチャの皮のきんぴら(岩塩味)。
「……んー、おいしい」
私はスプーンを咥えたまま、工房の椅子でだらしなく伸びをした。
カボチャ本来の甘み。
ホクホクとした食感。
半年間、泥のような味の岩芋を食べ続けてきた私にとって、これは天上のご馳走だ。
でも。
人間というのは贅沢な生き物で、満たされれば満たされるほど、さらなる高みを求めてしまう。
「甘いだけじゃ、飽きるんだよね……」
ポツリと本音が漏れた。
今の食卓には決定的に欠けているものがある。
コクだ。
あるいは、味の奥行きだ。
砂糖、バター、ミルク、スパイス。
そういった「文明の味」が恋しい。
特に、カボチャプリンが食べたい。
とろとろで、甘くて、カラメルソースがほろ苦い、あの至高のスイーツ。
でも、ここにあるのはカボチャと岩塩、そして水だけだ。
平和だ。
害虫の襲撃以降、大きなトラブルもない。
このまま穏やかに、カボチャと共に朽ちていくのも悪くないかもしれない。
そう自分を慰めようとしていた、ある午後のことだった。
『……マスター』
まどろみかけた私の脳内に、ハニ・ワンの低い思念が響いた。
警報だ。
でも、先日の虫襲来の時のような「赤」色の切迫感はない。
どちらかというと、「黄色」……注意喚起と、少しの困惑が混じったような色。
「どうしたの? また迷子のサンドラット? ハニ・ツーに任せておけばいいよ」
私は欠伸を噛み殺しながら返事をする。
しかし、ハニ・ワンは首を横に振り、入り口の方角を指差した。
『生体反応、1。……識別信号、登録済み。以前の「人間」』
私は椅子から転げ落ちそうになった。
ガタッ!
作りかけの粘土細工が床に落ちて潰れる。
「えっ……人間? 登録済みって……まさか」
記憶にある顔は一つしかない。
あの遭難商人、オットーだ。
数ヶ月前、半死半生の状態で転がり込んできて、私のカボチャの種を置いていった男。
私が修理した「セラミック橇」を引いて、元気に旅立っていったはずだ。
まさか、また遭難したのか?
いや、あの橇は雪の上でも滑るように進む傑作だ。そう簡単に壊れるはずがない。
『……接近中。敵意なし。荷物、多数。……橇の速度、異常に速い』
ハニ・ワンの報告に、私は眉をひそめた。
荷物多数?
遭難者が荷物を抱えて戻ってくるわけがない。
それに、速度が速いということは、自分の意思でここを目指してきているということだ。
「……お客さん、ってこと?」
私は慌てて作業着の泥を払い、髪の毛についたカボチャの種(おやつ用)を取り除いた。
引きこもりとはいえ、来客対応には最低限の身だしなみが必要だ。
……まあ、どうせ泥だらけのオーバーオールなんだけど。
***
壁の一部を開放すると、冷たい風と共に、見覚えのある大柄な男が入ってきた。
「いやぁ、ご無沙汰しております! テラ様、それにハニ・ワン殿!」
オットーだ。
でも、私の記憶にある姿とは、その羽振りの良さが劇的に違っていた。
以前のボロボロのコートは、艶のある上質な白狐の毛皮コートに変わっている。
帽子には立派な羽根飾り。
痩せこけていた頬は血色が良く、恰幅も良くなっている気がする。
そして何より、彼の背後にある「橇」だ。
私が即席で作ったセラミック・コーティングの橇。
それが、荷物を満載にしているにも関わらず、傷一つなくピカピカに輝いている。
「生きてたんだ。……また遭難したわけじゃなさそうだね」
私が呆れて言うと、オットーは満面の笑みで帽子を取り、深々とお辞儀をした。
「とんでもない! 遭難どころか、テラ様のおかげで人生最大の商機を掴みましたよ!」
彼は興奮気味にまくし立てた。
話を聞くと、こういうことらしい。
ここを出たオットーは、アステリア王国の王都(私の故郷だ)へ向かったらしい。
そこで彼は、私の橇を見た貴族たちに囲まれたのだという。
「みんな驚いていましたよ。『なんだこの素材は!』『鉄より軽いのに傷一つない!』『雪の上を滑るように進む!』ってね。私が『クレイ高原の遺跡で見つけた古代の遺物です』と適当な嘘をついたら、とんでもない高値で取引されまして」
「……売ったの?」
私の最高傑作(手抜き)を?
「いえいえ! 売るわけないでしょう。これは私の命綱であり、商売道具ですから。……ただ、貴族たちがどうしても『同じ素材の何かが欲しい』とうるさくてですね」
オットーは商人の目をして、ニカリと笑った。
その瞳の奥には、カボチャよりも強い欲望の光が見える。
「テラ様。貴女のその『焼き物』の技術。……金になります。それも、山のような金貨に」
私は一歩引いた。
金。
嫌な響きだ。
金が絡むと、人間はろくなことをしない。
また利用されるのは御免だ。
私はここで静かに暮らしたいだけなのに。
「帰って。私はお金なんていらない。商売をするつもりもないの」
冷たく突き放す。
ハニ・ワンが威嚇するように一歩前に出る。
身長2メートルの陶器の巨人が睨みをきかせれば、普通ならここで怯えて逃げ出すはずだ。
しかし、オットーは引かなかった。
彼は懐から、小さな布袋を取り出した。
まるで、私の弱点を知り尽くしているかのような手つきで。
「お金がいらないのは知っています。……ですが、これはどうです?」
彼が袋の口を開ける。
中から漂ってきた甘い香りに、私の鼻がピクリと反応した。
白い、キラキラした粉末。
そして、黄色い塊。
「……砂、糖? それに……」
「ええ。東方の高級白砂糖です。それと、こっちは新鮮な発酵バター。さらに、最高級のバニラビーンズもございます」
ドクン。
私の心臓が、卑しい音を立てた。
砂糖。バター。バニラ。
これさえあれば。
これさえあれば、あの「夢のカボチャプリン」が作れるのではないか?
この半年間、カボチャと岩塩だけのストイックな食生活を続けてきた私にとって、精製された砂糖と油脂は「白い麻薬」に等しい魅力を放っていた。
「……そ、それだけじゃないわよね?」
私は震える声で尋ねる。
オットーは「もちろん」と頷き、橇の荷台を覆っていた布をめくった。
そこには、山積みの物資があった。
岩塩の塊。
胡椒、シナモン、ナツメグといった様々なスパイス。
上質な綿の布地。
そして、私が欲しくてたまらなかった「錬金術用のビーカー(ガラス製)」や「精密な計量器」まで。
「これら全て、テラ様への『先行投資』です。……その代わり、一つだけ、私の商売に協力していただけませんか?」
悪魔の囁きだ。
でも、今の私には天使の歌声に聞こえる。
スパイスがあれば、カボチャ料理のレパートリーが無限に広がる。
布があれば、このボロボロの作業着を新調できる。
ビーカーがあれば、ハニ・ワンのメンテナンスオイルを精製できる。
私はハニ・ワンを見た。
彼は『マスターの好きにすればいい』という顔をしている。
いや、心なしか砂糖の方をじっと見ている気がする。
彼も、甘いカボチャ煮が好きなのだ。あの硬い顔の下で、甘党の魂が疼いているに違いない。
「……わかった。話を聞こうか」
私は降伏した。
欲望には勝てない。
引きこもり生活を充実させるためなら、悪魔とだって手を組む。それが私の流儀だ。
***
工房のテーブルに、オットーが持参した高級茶葉で淹れた紅茶が湯気を立てている。
砂糖たっぷりの甘い紅茶。
一口飲むだけで、脳が溶けそうだ。
「単刀直入に言います。貴族のご婦人方が求めているのは、『白くて、美しくて、割れない食器』なんです」
オットーが熱弁を振るう。
彼曰く、王都では今、東方から輸入された磁器が流行っているらしい。
しかし、磁器は脆い。
ちょっとぶつけただけで割れるし、熱い紅茶を注ぐとすぐに冷める。
「テラ様の橇の素材……あの不思議な艶と強度は、まさに理想的でした。あれと同じ素材で、ティーカップやソーサーを作れないでしょうか?」
なるほど。
私の独自技術『魔導セラミック(マナ・セラミクス)』を食器に応用しろということか。
普通の陶器は、粘土を焼くだけだ。
でも私の技術は、粘土の中に魔力の回路を編み込み、分子レベルで結晶化させている。
だから金属よりも硬く、軽く、保温性も高い。
ただ、問題は「色」だ。
クレイ高原の土は赤土が多い。
焼くとテラコッタ色や、ハニ・ワンのような赤褐色になる。
オットーが求めているのは「白」だ。
「……白磁か。素材を変えないと駄目だね」
私は立ち上がり、工房の奥にある「素材保管庫」へ向かった。
以前、ハニ・ツーが井戸を掘った時に、地下深くから掘り出してきた粘土の山がある。
あれは青粘土だったが、さらにその下層には、真っ白な粘土層があったはずだ。
私はハニ・ツーを呼び出し、地下倉庫から「特級カオリン(白粘土)」を運んでこさせた。
純白で、きめ細かく、しっとりとした粘土。
これならいける。
「見てて。……本物の『白磁』を作ってあげる」
私は作業台に向かい、職人の顔になった。
オットーが息を呑んで見守る中、私は白粘土の塊に手を突っ込む。
魔力を流す。
不純物を取り除き、純度を高める。
ろくろも型も使わない。
私の魔力が直接、粘土の形状を定義していく。
『可変成形』。
薄く、繊細に。
光を透かすほどの薄さでありながら、衝撃を受け流す柔軟な構造。
カップの縁は口当たりが良いように丸く、取っ手は持ちやすいように人間工学に基づいて設計する。
ソーサーには、滑り止めの魔力紋様を刻む。
形ができた。
次は焼成だ。
「ハニ・ワン、炉の温度を上げて。1300度、還元炎焼成!」
ハニ・ワンが胸の炉を開き、ごうごうと炎を噴き上げる。
私は魔力で包んだ作品を、その炎の中へと投入した。
チリチリチリ……。
高周波の音が響く。
粘土の中のガラス質が溶け、結晶化し、魔力回路と一体化していく音だ。
普通の窯なら三日はかかるところを、魔力による直接干渉で数分に短縮する。
「――冷却!!」
急速冷却の魔術を叩き込む。
白煙が晴れた作業台の上に、それは鎮座していた。
透き通るような白。
乳白色の肌は、まるで真珠のようになめらかだ。
そこに、光の加減でうっすらと浮かび上がる幾何学模様。
指で弾くと、キィーン……と、澄み渡った鈴のような音が長く響いた。
「こ、これは……!!」
オットーが震える手でカップを持ち上げる。
「軽い! 羽のようだ! それに、なんて手触りだ……絹を撫でているみたいだ。神よ……いや、女神よ! これは食器ではない、国宝級の芸術品だ! これ一つで城が買えるかもしれない!」
「大袈裟だなぁ。ただのコップだよ」
私にとっては、カボチャスープを飲むための器に過ぎない。
でも、オットーの目は本気だった。
彼は持ってきた物資をすべて積み下ろし、さらに自分が身につけていた指輪(高そうな宝石がついている)まで外してテーブルに置いた。
「これらは全て置いていきます。……どうか、このカップとソーサーのセットを、私に預けてください。必ず、貴女の名を轟かせてみせますから!」
「名前はいらないよ。目立ちたくないし。……まあ、物資と交換ならいいけど」
商談成立だ。
オットーは宝石のように大切に白磁を梱包し、ホクホク顔で去っていった。
私は彼を見送った後、すぐにキッチンへ走った。
手に入れたばかりの砂糖、バター、ミルク、そしてバニラビーンズ。
そして、私の大切なカボチャ。
作る。
今こそ、至高のスイーツを。
カボチャを裏ごしし、温めたミルクと砂糖を混ぜる。
卵(ハニ・ワンが森で見つけてきた鳥の卵)を加えて、バニラの香りを移す。
それを、さっき自分が作ったばかりの白磁のカップに注ぎ、蒸し焼きにする。
甘い香りが充満する。
とろけるような香り。
「……できた」
スプーンですくう。
プルプルと震える黄金色のプリン。
口に入れる。
――。
脳が弾けた。
濃厚なカボチャの風味。
ミルクのコク。
砂糖の暴力的なまでの甘美さ。
それらが三位一体となって、私の味蕾を蹂躙する。
「……おいしいっ!!」
絶叫した。
涙が出た。
これが、私が守りたかった生活だ。
この一口のために、私は泥にまみれ、虫と戦い、生きてきたのだ。
ハニ・ワンも、私の膝に頭を乗せて、甘い香りをクンクンと嗅いでいる。
私はスプーンの先についたプリンを、ちょんと彼の鼻先につけてあげた。
食べられないけど、気分だけはお裾分けだ。
――しかし。
この時の私は、まだ知らなかった。
オットーが持ち帰ったあの「白磁のセット」が、王都の貴族社会でどのような波紋を呼ぶことになるかを。
『白の幻磁器』。
後にそう呼ばれることになるその食器は、貴婦人たちの間で争奪戦の的となるのだが……。
今の私は、ただ口の周りを黄色いプリンで汚しながら、
「次は生クリームたっぷりのケーキが食べたいなぁ」
なんて、呑気なことを考えているだけだった。




