「城下町の市場調査-巡礼編ⅩⅧ 家政婦体験篇Ⅵー」
〈保管庫〉の扉を開けると、胡椒や乾燥ハーブの刺激的な香りが鼻腔を貫き、思わず息を止めた。
熟成した乾酪の濃厚な匂いが、どこか懐かしくもあり、不意に胃をきゅっと締め付ける。
棚の上には整然と並ぶ乾酪やハーブ、脇には腸詰や燻製された肉があり、奥からは重く湿った獣の皮の匂いが漂ってくる。
この独特な匂いの渦に、〈保管庫〉の一同は困惑し、
同時に目の前の世界に引き込まれるような興奮を覚えた。
「凄く臭いがきついですわね、ヴィーウィ先輩?」
アヴェーラは少し顔を顰め、鼻を軽く押さえながら問いかけた。
棚に並ぶ乾酪や腸詰、燻製肉の匂いが入り混じり、乾いた獣の皮の香りが奥から漂う――その刺激は、呼吸をするたびに胸の奥まで染み込むようだった。
「う~ん、そうだよね? どこに『腐った茶葉』があったかな……」
ヴィーウィ先輩はあちこちの棚を眺め、紅茶を探しているようだった。
その無造作な仕草とは裏腹に、保管庫の濃密な匂いの渦がアヴェーラを直撃した。
胡椒と乾酪の刺激が鼻を突き抜け、燻製肉と腸詰の匂いが口の奥まで侵入する――
まるで全身に鼻栓をしたくなるような強烈さだ。
アヴェーラは思わず顔をしかめ、背中を小さく丸めながら「うっ……!」と声にならない悲鳴を漏らした。
ヴィーウィ先輩は平然と匂いに慣れた顔で棚を見回している――その無頓着さが、ますますアヴェーラの「ここから逃げたい!」感を引き立てた。
「先輩、私──部屋の外で待機致します!
頭がクラクラ、鼻もひりひりしてきました……!」
アヴェーラは慌てて後ずさり、思わず棚に手をぶつけそうになりながらも、
必死で部屋の出口へ向かった。
「ううん、大丈夫だよ?
最初は誰でもキツイもんね。アヴィーは外で待ってて!」
そのやり取りを、フィーネと私は静かに見届けた。
暫しの間、フィーネは行動に移した。
「先輩──よく我慢できますね」
フィーネは小さく息を吐き、覚悟を決めるようにして先輩の紅茶探しを手伝い始めた。
そう言うフィーネの視線は、匂いにまったく動じず、
むしろ落ち着いて棚を眺めるヴィーウィ先輩に向けられていた。
ヴィーウィ先輩は鼻を軽く鳴らす程度で、まるで何事もないかのように紅茶の棚を探している。
その無頓着さが、匂いの強烈さを知っている者の余裕を物語っていた。
「先輩? 紅茶の場所、分かるんですか?」
私も二人の紅茶探しに加わる。
ヴィーウィ先輩は鼻先を軽くひくつかせ、棚の間をすり抜けるように歩く。その動きはまるで、匂いの地図を頭の中で描いているかのようだ。
部屋にはまだ、乾酪や腸詰、燻製肉の匂いがほのかに漂い、鼻先をくすぐる――けれど先輩には、
それらが邪魔になる様子はまったくない。
「ううん……『腐った茶葉』の匂いは分かるんだけど、
棚の位置が変わってるみたい。だから困っちゃった」
「この前はここら辺にあったんだけどね。
どうして場所を変えちゃうのかな?」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、匂いを頼りに棚をくるくると眺める。
匂いだけで大体の場所を把握できる鋭い嗅覚を持っているのに、棚の配置が変わると途端に途方に暮れる――そのちょっとドジっ子なギャップが、なんとも愛嬌があった。
部屋には乾酪や腸詰、燻製肉の匂いがまだ漂い、鼻先をくすぐる。
しかし先輩はそれに動じることなく、むしろ匂いを頼りに紅茶探しを続ける。
落ち着いた余裕と、ほんの少し抜けた感じ――まさにヴィーウィ先輩らしい光景だった。
「先輩、紅茶って何だか知ってます?」
私は思わず尋ねた。
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、棚を眺めながら首をかしげる。」
「うーん? 腐ってる茶葉ってこと?
後は渋くて、落ちにくいかなぁ……」
≪渋い?≫
ヴァルはその言葉を反芻した。
(……そんなに変な答えかな?
私はそこまで気にしないけど?)
≪家政婦が紅茶を『渋くて、落ちにくい』って言ったんだ。
オカシイと思わないのか?≫
ヴァルは眉をひそめ、思わず目の前の光景を反芻する。
(……でも、私はそこまで気にしないけど?)
≪ナーレ、試しに問いかけてみてくれないか?≫
(分かったけれど? そんなに大切な事かなぁ?)
「先輩? どうして『腐ってる茶葉』って、
『渋くて、落ちにくい』んでしょうか?」
「──うん! 『腐ってる茶葉』ってね!
落ちにくいんだよ。お洋服に付いたら大変だからね!」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、棚の匂いを軽く嗅ぎながら得意げに言った。
その表情は真剣そのものなのに、説明は天然丸出しで、どこか微笑ましい。
フィーネは黙々と紅茶を探しながら、
ヴィーウィ先輩を横目で見た。
「先輩──。」
「うん! フィーユちゃんどうしたの?」
「渋いって話はどうしたんですか?」
ヴィーウィ先輩は一瞬、鼻先をひくつかせて考え込むように首を傾げる。
「えっと……あれ? あ、うん、そうだね。落ちにくい方が分かりやすいと思ったんだよ!」
フィーネも横目で先輩を見ながら小さく息を吐いた。
ヴィーウィ先輩はそれに気づかず、得意げな顔で鼻をひくつかせながら棚を指さす。
「ほらね! これならお洋服に付いても大丈夫!」
部屋に漂う乾酪や腸詰、燻製肉の匂いが鼻先をくすぐる中、
先輩の天然っぷりはますます際立つ。
ヴィーウィ先輩は其れも露とも知らず、
鼻をくんくんさせていた──
≪……どうしてこんなに堂々としていられるんだ……≫
ヴァルは思わず心の中でツッコむ。
ヴィーウィ先輩はそれも露とも知らず、鼻をくんくんさせて棚の匂いを嗅いでいた。
その仕草はまるで、「匂いを頼りに紅茶を守る小さな衛士」のようで、天然なのに妙に愛嬌があった。
私は思わず小さく笑みをこぼす。
(……ほんと、どうしてこういう人なんだろう……)
私は率直に応えることにした。
多分、これが正解なんだろう──。
「先輩は〈パントリー室〉も〈保管庫〉の場所も、本当はご存じだったんじゃないですか?」
「えっ!? そんなに頭良くないよ~。ナーリュちゃん、酷いな……」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、棚の匂いを嗅ぐ仕草で考え込む。
その目の端に、どこかほほ笑むような光がちらりと見えた気がした──。
──あぁ、ヴィーウィ先輩は本当は知ってる。
でも、あえて隠しているんだ。
「──あぁ、ナーリュ。ヴィーウィ先輩はそんなに頭良くないんだ。
だから、ちょっと変なんだ。」
フィーネは心の中で、そっと補足する。
「フィーユちゃんもさぁ、またまた……
私ってお馬鹿だから、難しいこと言わないでよ?」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、ちょっと照れ笑いを浮かべる。
でも、その目の端に、どこか含みのある光がちらりと見えた──。
「だから、バーサービングカートを弄って見せたんですよね?」
ナーリュの問いかけに、ヴィーウィ先輩は一瞬目を泳がせ、慌てたように小さく息をついた。
「うん? アレはああいう風に動くのを見たことあるの。
皆、ああいう風に動かすんだから。私が知っててもおかしくないよ~」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、少し照れ笑いを浮かべながら、目の端でこっそりナーリュを見た。
「先輩、顔に出てます。
本当はバーサービングカートを知っているし、
『紅茶』も無いのも知っているんでしょ?」
フィーネは結論を早々と言った。
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、目をぱちぱちさせながら、どう返すか一瞬迷った。
──でも、その迷いの奥に、少し光がちらりと見えた。
「そうなんだ! 『紅茶』は無いんだよね。
どうしてかは、私も知らないけど……」
鼻先をひくつかせ、肩をすくめ、目の端でナーリュを見やる。
──「やっぱりバレちゃったか……」
先輩の小さな焦りと、隠しきれない得意げな気配が、そこにあった。
「本当──。先輩、嘘つくの下手ですよね?
さっき自分で自白してたじゃないですか?
『腐った茶葉』は『渋くて』、『汚れ』が落ちにくいって」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、言葉がうまく出ない。
肩を小さくすくめて、照れ笑いを浮かべるその仕草が、隠しきれない焦りを物語っていた。
──でも、目の奥にはちょっと得意げな光もちらりと見える。
「だって、試したかったんだもん
ちょっとくらい、貰ってもバレないかなって」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、少し目を伏せながら小さく笑った。
──焦って隠そうとするより、正直に言った方が可愛く見えるのを、本人はまだ自覚していない。
その仕草と声の震えが、秘密っぽさと可愛らしさを同時に伝えていた。
「先輩? どうするんです?」
私はそう尋ねた。
「うーん……どうしようかな、ハーブで誤魔化そうかな。
先輩の隙を見て、こっそり入れれば……。」
「ナーレちゃんは、メ―ヴァ先輩が見ないように誘導してよ?」
「お外にいるアヴェーラお嬢様が、なんでこんなことしているのか私はよく分からないけど……
私は頭が悪いからね?」
(えっ!?)
その言葉の意味を、一瞬、飲み込めなかった。
──思わず目をぱちぱちさせるナーレ。
先輩の天然っぽい自己卑下と、微妙にズレた発言に、頭が追いつかない。
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、眉を少し寄せながら考え込む。
でも、口元にはちょっと悪戯っぽい微笑みが浮かんでいて、焦っているのか楽しんでいるのか、よく分からない雰囲気だった。
「先輩? 最っ──」
フィーネの唇に、ヴィーウィ先輩の人差し指がそっと押し当てられる。
「しーっ! フィーユちゃんは知らないけど……
顔合わせ済みだからね? ナーレちゃんとは」
先輩の目はちょっとだけ細められ、含みのある笑みが浮かぶ。
──制止する仕草の裏に、ほんのり楽しんでいる気配が隠れていた。
フィーネはその微妙な表情に、一瞬で言葉を飲み込むしかなかった。
「それでね? 三人揃って──
これもお嬢様が言っていた『家政婦体験』ってこと~?」
ヴィーウィ先輩はくすりと笑い、鼻先をひくつかせながら肩をすくめる。
──隠しきれないちょっとした得意げな様子が、先輩らしい小悪魔っぽさを漂わせていた。
「えっとですね。アヴェーラがその……
執務室の鍵を持っていて、先回りしようって持ち掛けまして」
「それでその恰好だったんだ。
私は難しいこと分からないけど……
乗った船で散々、私を誤魔化したんだから~。
一寸だけ、私も便乗していいよね!」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、くすりと笑った。
──ちょっと焦りつつも、楽しそうな表情が隠せない。
フィーネの無邪気な便乗宣言に、先輩の目がちらりと細められ、含みのある笑みが浮かぶ。
「それで、先輩はこのままで良いでんすか?」
「うん!フィーユ、ナーリュもそのままで良いよ。
コロコロ変わると困るんだよね~」
ヴィーウィ先輩は手当たり次第にハーブを選んだ。
「多分、紅茶は無かったから、
ハーブにするってメ―ヴァ先輩に言っても大丈夫だと思うけど」
「じゃあ、なんで紅茶って言ったんです?」
私は改めてヴィーウィ先輩に確認する。
──全ての原因、起因を。
先輩は鼻先をひくつかせ、少し目を伏せながら答えた。
「だって、メ―ヴァ先輩がティーカップとティーポットを持って来たんだもん。
誰だって『紅茶』だって思うでしょ?
だから──一番記憶に残っていたものを言っちゃったの」
──言い訳混じりのその声と、ほんのり照れた表情が、先輩の天然さと可愛らしさを際立たせる。
私はその仕草を見て、内心で「やっぱり、先輩は全部知ってたんだな……」と感じた。
「じゃぁ、外で待ってるお嬢様と合流しましょう?
いつもの雰囲気でね?
そうじゃないと困るでしょ?」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、少し目を細めて私たちを見やる。
私たちは、先輩の目の奥に隠れたちょっとした楽しげな計算を感じ取り、黙って頷くしかなかった。
私たちは〈保管庫〉を出る。
アヴェーラは少し身綺麗に整えているようだった。
「アヴィー、ごめんね! 待たせちゃった!!」
ヴィーウィ先輩はいつものように両手をブンブン振って謝る。
──その無邪気な動きに、アヴェーラは思わず微笑みを返す。
「大丈夫です。先輩、紅茶はありましたか?」
アヴェーラはそう、ヴィーウィ先輩に穏やかに尋ねた。
「ううん! アヴィー。無かったから、ハーブを持ってきたの。
メ―ヴァ先輩、赦してくれるかなぁ?」
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、少し肩をすくめて小首をかしげる。
──天然っぽく振る舞いながら、どこか楽しげな計算が隠れている。
「大丈夫ですよ。多分」
アヴェーラは微笑みを浮かべ、先輩の無邪気さを受け止めるように答えた。
「二人とも早く! ≪台所≫に行こう!」
ヴィーウィ先輩は振り返り、私とフィーネに元気よく指示する。
「≪台所≫でしたら、反対側でしたね?」
アヴェーラは落ち着いた様子で、反対側の≪台所≫の扉を開けた。
ヴィーウィ先輩は鼻先をひくつかせ、くすりと笑いながら小走りで扉に向かう。
──元気いっぱいな先輩の後ろ姿に、私たちは自然と足を合わせてついていくのだった。




