「城下町の市場調査-巡礼編ⅩⅦ-家政婦体験篇Ⅴ-」
【また、此処か】
【……またまた、此処だ】
独りの男が、壁に凭れながら独りごちる。
【君達も、物好きだね。それとも――夢と現実、その隙間に未練でもあるのかい?】
【……十二分に、魅入られ過ぎたかな。それはそれは……ご愁傷様です】
【せめて、良い夢でありますように。――救いにもならない。砂糖と同じだ。薬の半分は、薬効のない粉だって……知っているかい?】
【……救いが、ある。そう――思ったの? 成程。君達も、なかなか難儀しているんだね】
【ほら――。楽しい物語が、始まる。夢と、夢。現実と、現実。その合間に、ふと見える――揺らぎの世界がね】
【では、そこに座って? 毎回、座る位置が少しずつズレる席だけど。座り心地は悪くない。そうだろう? いずれ――椅子ではない場所に、永遠に横たわる。早いか遅いかの違いでしかないんだ……】
【これ以降、紅茶等が描写されますが。史実は17世紀初頭であり、イギリスでは18世紀頃となります。つまり、中世5世紀の欧州では存在しません。そのことを留意した上で御観覧下さい】
【また、ティーポットやティーカップも存在しません。作者は毎回、皆様を誤魔化しおりますが最後まで、どうぞ楽しんでいって下さい】
ヴィーウィ先輩は目を輝かせ、嬉しそうにバーサービングカートへと駆け寄ると、ガチャガチャと楽しげに弄り始めた。
そのバーサービングカートは上段が箱型の木製カバーで覆われており、下段には皿が動かないよう――崩れ防止用の保護木枠が備え付けられている。
「見ててね。こうすると――ほら、上の部分が動くんだよ~」
ヴィーウィ先輩はそう言って、上段の外枠を左右に動かした。
すると、その外枠――レールは、左右だけでなく、手前や奥にも伸縮する仕組みになっているらしく、
軽い抵抗を伴いながら滑らかに動いた。
「それは……下部も、そう――動くんですか?」
フィーネは、ヴィーウィ先輩にそう尋ねた。
「フィーユちゃんの言う通りだよ。ほら――」
ヴィーウィ先輩は、上段の外枠と同じように、下部も左右に動かしてみせた。
「その……?どうして、こんなに複雑な機構なんですか?」
私は、ごく単純な疑問を口にした。
「きこう? 今は寒いよ?」
ヴィーウィ先輩は、そう頓珍漢な答えを返した。
「それではありませんわ。どうして、こんなふうに動くのか、という意味です。先輩」
アヴェーラは、その反応に即座に突っ込む。
「う~んとね。えれべーたーに載せるためにあるの」
ヴィーウィ先輩はそう言いながらも、どうやらその『えれべーたー』というもの自体は、よく分かっていない様子だった。
「えれべーたーに載せるとね、『これ』が、上と下に動くの」
ヴィーウィ先輩はバーサービングカートを指差し、そう意味を付け加えた。
「先輩。すみませんが、バーサービングカートに異常がないか、確認して頂けませんか? 私たち、ちょっと茶葉をどれにするか話し合いたいんです。決まり次第、お伝えしますわ」
「うん! お願いね!」
ヴィーウィ先輩はそう言って、
バーサービングカートに異常がないか、確認を始めた。
アヴェーラは、ヴィーウィ先輩がこちらに背中を向けている隙に、私たちを集めるよう、指先と視線で合図を送ってきた。
――ヒソヒソ話をするために。
第一声を上げたのは、フィーネだった。
(おい! えれべーたって、なんだそれ?)
(それはね? 人や物を、遠い場所へ移動させるための、機械仕掛けの移動手段です。要するに、高い所と低い所――点と点を結ぶための移動方法、ですわ。)
アヴェーラは、そうフィーネに伝える。
(つまり――えっと? 短い時間で、高い所と低い所を行き来できるってこと?)
あまりにも突拍子もない話を聞かされ、私はすぐには理解が追いつかなかった。
(今は説明している時間がありません。実際に乗ったほうが、早いかもしれません。言葉で説明するより、見たほうが早いですわね)
「ねぇ! 決まった?」
ヴィーウィ先輩がこちらに視線を送ってくる。
「えっとですね。三人で考えたんですけど……異国のお茶は、いかがでしょうか? そのほうが、来賓にも喜ばれると思います」
私は咄嗟に、もっともらしいことを口にした。
「異国のお茶ね? なんか……『腐ったお茶の葉』があったかな。それをメ―ヴァ先輩に持っていけば、いいかな?」
ヴィーウィ先輩はそう言って、バーサービングカートを押しながら、こちらへ向かってくる。
「早く『腐ったお茶の葉』、用意するよ~」
その言葉を私たちに投げかけると、ヴィーウィ先輩はパントリー室を抜け、 そのまま一歩先へ出ていってしまった。
「おいおい! 『腐ったお茶の葉』ってなんだそれは?」
フィーネは凄く焦ってアヴェーラに詰め寄った。
「フィーネ! 落ち着いて。多分――『紅茶』の事だと思います。ちょっと焙煎した茶葉だからそう判断したんでしょう。」アヴェーラはそう答える。
(『紅茶』……? 聞いたことがないわね)
≪ナーレ。『紅茶』とは、遠い東の国から伝わったものだ。史実では、この時代にはまだ到来していない。――本来、存在しないはずなんだがな。どういうことだ≫
ヴァルは、明らかに困惑していた。 余程、ありえない事態なのだろう。
(……また、黒幕ってこと?)
≪あぁ――その可能性は高い。この地域に到来するのは、およそ千三百年後。十八世紀の話だ。つまりこれは――予測事項、ということになる≫。
「とりあえず、先輩について行こうぜ。不安だよ、あの人」
フィーネは、アヴェーラと私の顔を順に見て、そう告げた。
「それは同感ですわ。あのままでは、紅茶も捨ててしまうかもしれません」
「ナーレ、早く行きましょう?」
「う、うん。ヴィーウィさんには悪いけど……利用している分、変なことにならなきゃいいんだけど」
私たちは、パントリー室を後にした。外に出ると案の定、ヴィーウィ先輩は途方に暮れた様子で立ち尽くしていた。
「う~ん……こっちだった気がする」
ヴィーウィ先輩は、あっちこっちへと首を巡らせ、まるで犬のように空気をくんくん嗅ぎながら、
落ち着きなく廊下をうろうろしている。
「先輩? 臭うんですか?」
私は、恐る恐るそう尋ねてみた。
「う~ん……わっかんない!」
ヴィーウィ先輩は、くんくんと鼻を鳴らしながら、屈託なくそう告げる。
(……ズコッ!!)
フィーネとアヴェーラは、全く同じタイミングで拍子抜けした。
「えっと――」
そう私が、ヴィーウィ先輩に声をかけようとした、そのときだった。
私たちが通ってきた通路の途中、こちらから見て左手側――二番目に並ぶ扉が、静かに開く。扉の隙間から、家政婦の顔が覗いた。
「ヴィーウィ! まだ、そこに居たのですか? お茶を取ってきなさいと、言ったでしょう!!」
「すっ――すみません!! メ―ヴァ先輩!!」
メ―ヴァ先輩と呼ばれた家政婦は、ヴィーウィ先輩よりも背が高く、何より――目力が完全にキマっていた。
メ―ヴァ先輩は、ヴィーウィ先輩と私たちへ順に視線を走らせ、その目力をふっと緩めると、対面の扉を指差した。
「そろそろ、覚えないと――『後輩たち』に示しがつきませんよ? 『先達たち』も、それを望んでおられるでしょう」
「――はい」
ヴィーウィ先輩は、それだけを口にすると、しゅんと肩を落とした様子だった。メ―ヴァ先輩は、その姿を温かく見守るように佇み、ほんの一瞬だけ、こちらへと視線を送ってくる。そして、気づくか気づかないかほどの、わずかな会釈を向けてきた。
≪ほう――。そういうことか。成程≫
ヴァルだけが、メ―ヴァ先輩の意図を汲み取った様子で、どこか楽しげに成り行きを眺めていた。
ヴィーウィ先輩は、少し気まずそうにこちらを振り返った。
「えへへ――また怒られちゃった。……ごめんね?」
「そうでしょうか? 私は、そうは思いません。」
気まずさが消えないのは分かっている。
それでも放っておく気にはなれず、私はヴィーウィ先輩の方へ歩み寄った。
「私、メ―ヴァ先輩が私に会釈したのを見たんです。あれはきっと、叱っただけじゃない。ちゃんと、先輩のことを見ていました」
私は、取り繕わず、そのままを彼女に伝えた。
「そうかな……もう、何回目か忘れちゃったよ? 私――」
ヴィーウィ先輩の声は小さく震え、 涙だけが行き場を失っていた。
≪ナーレ、少し口を借りる。……これ以上、放っておくのは忍びない≫
ヴァルは低くそう言い、私の内側へと一歩、踏み込んでくる。
(分かった――)
私は一歩、言葉を引っ込め、ヴァルの出方を見ることにした。
「何度目か、先輩は忘れた。そう――おっしゃっていました。ですが、忘れているのなら、『怒られた』と仰ることはできないはずです。回数は曖昧でも、叱られたという事実と、それを気に掛けている責任感は、確かに残っている。それはつまり、失敗を自覚しながらも、挑戦し続けているということではありませんか?」
ヴァルは私の口を借りて、 静かにヴィーウィ先輩へ言葉を返した。
「成れます。諦めない限り。失敗を自覚できる者は、既に次へ進んでいる。 後は、挑戦し、改善するだけです」
「――ナーリュちゃん、ありがとうね。でも……私、覚えられないんだ。字も、計算も。何度やっても、できないから」
「……」
ヴァルの言葉が停まった。それは、初めてのことだった。
「……とても、難しいことですね。この『時代』では、それを当然だと求められる。」
「ですが、私も計算ができるわけではありません。多くの者は、できている“つもり”で生きているだけです」
ヴァルは、含みのある言葉を、私の口を借りて静かに告げた。
「……『いつも』そう。つもりに、積もっているの」
「はい。私も『いつも』そうです。つもりに、積もっています」
「―――」
ヴィーウィ先輩は、揺れていた視線を少しずつ落ち着かせ、ゆっくりと、自分の行くべき方向へ焦点を合わせていった。
「そうだね。『いつも』そうなんだから。……やり直せるよね」 そう呟いて、ヴィーウィ先輩は〈保管庫〉の扉を開け、誰にも促されることなく、ひとりで中へと入っていった。
(ねぇ? 今の、どういう意味?)
私は、言葉の奥を掴もうとした。
≪それは――『いつも』か、それとも『時代』か。どちらの話だい?≫
ヴァルは、答えではなく、問いを返してきた。
(どっちも……)
≪……≫
ヴァルは、今日二度目の沈黙を貫いた。
(――やっぱり。また、何か隠している。そうね?)
私は、ヴァルの逡巡する空気を、少しずつ読み取れるようになってきていた。
≪君には困ったな。時代』というものは、女性の価値をあまりに乱暴に定めてしまう。それを君に、悟らせたくなかった。ただ、それだけのことだよ≫
ヴァルの言葉を最後にフィーネとアヴェーラは、私を置いたまま、〈保管庫〉の扉を開けて中へと入っていった。
≪決めるのは、君だよ。それは――『いつも』のことだ。つもりに、積もっている≫
私は、深く息を吸い込み、意を決して〈保管庫〉の扉を開け、静かに、中へと踏み入っていった――。
夷を以て夷を制す。そうかな? そうかもしれない。
今回は色々と伏線というか。意趣返しが何点かあったね。
何個あったか数えてごらん。
成程。君達も、なかなか難儀しているんだね。
夢と現実、その隙間に未練があるようだね。
決めるのは、君だよ。
それは──『いつも』のことだ。
つもりに、積もっている。




