「城下町の市場調査-巡礼編Ⅷ 躰道する基軸ー」
あはれ──部屋の空気は、哀れなアレフの嘆きと、御婦人方の笑いと、混乱に満ちていた。
駒を動かし、物語を先へと進めよう。
ニッチな男が必死に考察した。
どちらにも依る術のない男が……。
──さあ、場面転換の話をしよう。
「御婦人方? そろそろ俺も混ぜてくれないか?
この境界で佇む俺を……」
玄関口という微妙な境界で、お父さんがどうにもならずに立ち尽くしている姿に、思わず苦笑が漏れた。
「あら? 貴方──覚えていなかったかしら?
ここは男性禁制、女人限定です。それに、家には椅子が四脚しかないのよ。
……だれかさんのせいでね?」
お母さんはクスクスと笑い、まるでこの混乱を楽しんでいるかのようだった。
「そんなこと言わずにさ……机の端でも、机の上でもいいから、座らせてくれよ?」
お父さんはあまりにも奇妙なことを口にした。それほどまでに、この弁明の場に加わりたかったのだろう。
「ふふ、机の上ですって? まるで猫でも飼うつもりかしら」
お母さんはくすくす笑った。
「あの……ちょっと、やめてくださいよ!」
フィーネは目を丸くして、思わず顔を背ける。
「机の端なら、許してあげても……」
エスリンさんが小声で囁くと、皆がそちらに視線を向け、くすくすと笑った。
お父さんは、そんな反応にもめげず、必死に身を乗り出す。
「いいじゃないか! ほんの数分だけで!」
御婦人方は顔を見合わせ、そしてひそひそ笑いながら一斉に肩をすくめた。
「──仕方ないわね、ちょっとだけよ」
お母さんが渋々了承すると、お父さんは目を輝かせ、ゆっくりと机の端に近づいた。
「うんしょ……」
彼は小さな足取りで机の縁に足をかけ、バランスを取りながら体を持ち上げる。
「おっとっと……」
微妙に体重がかかるたびに、机がきしんで軽く軋む。御婦人方は思わず手を口に当てて吹き出し、誰かが「まるで綱渡りみたい!」と囁く。
お父さんは必死に笑顔を作り、「これで、俺もこの会議の一員だ!」と誇らしげに宣言する。
しかし、机の上で微妙に足をバタつかせる姿は、まるで大人になった子どもそのもの。
部屋の空気は嘆きと笑いの入り混じった、奇妙な和やかさに包まれた。
「……もう、これ以上は危ないわよ」とお母さんが制止するも、誰も本気で止められない。
結局、お父さんは机の上でやや不安定な姿勢のまま、皆の様子を眺めるのであった。
お父さんは机の上でやや不安定な姿勢のまま、片手をあげてお母さんに向かって訴える。
「それでさ。そろそろ勘弁してくれないか? シャイマー……機嫌を直しておくれよ?」
フィーネとエスリンさんは思わずクスクス笑いながら、小声で囁く。
「机の上で説得されてもねぇ……」
「まるで演説会みたい……でも可愛いわね」
お母さんは腕を組み、やや呆れた顔で見下ろす。
「本当に……貴方、そこに座るって言った時から予想はしてたけど、ここまで不安定になるとは思わなかったわ」
お母さんは一瞬、真顔でお父さんを睨みつけるも、
その視線に思わず笑みが漏れ、部屋中が和やかに揺れる。
お父さんは両手を広げて大げさに言う。
「ね、俺だって精一杯の誠意を示してるんだ! どうだ、この勇姿!」
その言い方に、御婦人方は思わず肩を震わせ、吹き出さずにはいられなかった。
机の上の不安定なお父さんと、微笑みながら見守る皆の姿──
この微妙な緊張と和みの入り混じった空気が、場をさらに奇妙で楽しいものにしていた。
お母さんは腕を組み、少し呆れた笑みを浮かべながら机の上のお父さんを見下ろす。
「はいはい、かつての修道士がとうとう、道化師になったわ?
皆さんよく見ておいて、これが『様変わり』ってやつよ?」
フィーネとエスリンさんは思わずクスクスと笑い声を漏らし、誰かが小さく言った。
「いやぁ……あの真面目な顔が、今やあんなに不安定に机の上でバランス取っているだなんて……」
「道化師というよりも、まるで風見鶏ね」
お父さんは手をひらひらさせて抗議する。
「違う、違うんだ! これは演出だ、演出! 皆に見せるための――」
「演出? いや、演劇の稽古か何かしら?」と、お母さんが口を挟む。
お母さんはにやりと笑い、肩をすくめる。
「いいえ、これは演劇でも稽古でもないわ。ただの……貴方の性格の表れよ。あらゆる真面目さを、ここまで滑稽に転化できるとはね」
お父さんはそれでも胸を張り、机の上で少し揺れながら言った。
「そうだ! 見てろ、これがかつての修道士の、新しい生き様だ!」
その瞬間、御婦人方の笑い声が部屋中に広がり、空気は一層和やかで賑やかになった。
お母さんは呆れ顔で腕を組みつつも、思わず微笑んでしまう。
お母さんの声に、部屋中がふっと注目する。
「それで――道化師様はどんな手品を見せてくれるのかしら?」
お父さんは一度、机から降りた。
そして、くるりと御婦人方に向き直した。
わざわざ机の上に片膝を載せて、手をひらりと動かして見せる。
「ここに取り出でたるは、素寒貧な、小銭入れでござい!」
その仕草と声には、舞台俳優のような大げさな身振りが混ざり、場に軽やかな笑いをもたらした。
私も思わず顔を見合わせ、小さく笑みを漏らす。
お母さんは片手で口元を押さえ、くすくす笑う。
「まあ、道化師様……その小銭入れで何を見せてくれるのかしら?」
お父さんは得意げに小銭入れをひっくり返し、空っぽの中身を皆に見せる。
「見よ! 中身は――空っぽ!! これぞ、無限の可能性!」
お父さんはさらに机の上で片手を高く掲げ、声を張る。
「しかし、この素寒貧が魔法の力を秘めておるのじゃ! 次に出るは……」
お父さんは両手を広げ、小銭入れをひっくり返す。
「篤と御覧なさい、小銭がザックザック出てくるぞ――」
お母さんはは目を丸くする。
「まあ、小銭かしら……?」
しかし、床に落ちたのは……小銭ではなく、季節外れのドングリだった。
「えっ、ドングリ!?」
フィーネは思わず吹き出す。
「……季節感、完全無視かよ!」
お母さんは両手を叩いて笑う。
「さすが道化師様! 期待を裏切らないわ!」
お父さんは得意げにドングリを拾い上げ、手のひらで転がす。
「小銭のつもりであったが、自然の恵みが舞い込むとは……これぞ奇跡の手品!」
お父さんは机の上で片膝を立て、ドングリを宙に投げ上げる。
「よし、次はこのドングリで更なる奇跡を見せてやろうではないか!」
フィーネとエスリンさんは息をのんで見守りつつ、再び笑いが弾けた。
お母さんは思わず呆れ、しかし少し楽しそうに目を細める。
お父さんの手が、机の上で素早く空中をかき分けるように動き、上衣の懐に滑り込む。
「さてさて……次の奇跡は、ここから飛び出すのだ!」
フィーネとエスリンさんは、一瞬息を呑んだ。
お母さんも眉をひそめ、視線を固める。
(……また、何をやらかす気だ……)
私も、自然とそう思わずにはいられなかった。
お父さんは懐から小さな羊皮紙を取り出すと、片手でひらりと宙に投げた。
「見よ、この中には……宝とも呼べぬが、笑いを誘うものが入っている!」
「えーと、ナニコレ?」
私は小さな羊皮紙を手に取った。
正確には、丸め込まれていたものを、ゆっくりと広げる形だ。
「見ての通り、借用書だ! アヴェーラちゃんに前もって作ってもらったんだよ。
あまりにドタバタしてたからね」
お父さんは肩をすくめ、少し照れくさそうに笑った。
「え、いつの間にそんなことを……?」
私はお父さんを下から覗き込むようにして尋ねた。
「この前の城下町での買い物の道中、アヴェーラちゃんがスッと渡してきたんだ。
きっちりかっちり、借用書には『銀貨三十枚』って書いてある。モーレイ商会の押印もちゃんとある。
あまりに大盤振る舞いすぎて、借りた身としては首が回らないよ……」
「アヴェーラちゃんの咄嗟の助け舟である『家政婦体験』がなければ、返済不能に陥っていた。
ただ、日割りのお給金については、アヴェーラちゃんから何も言われなかった」
お父さんは少し頭を掻き、困惑と苦笑を混ぜた表情を浮かべた。
「ナーレも、徹底的に不運だな。私だったら『トンズラ』したくなるよ。
でも、これって私にも原因があるんだよな……」
フィーネは持ち前の正義感で、どうにかならないかと眉を寄せ、考え込む様子だった。
「それでしたら、お二人の気持ちを汲み取る手段はあります」
エスリンさんは言葉を選ぶようにこちらを向きつつ、視線をそっとお母さんの方へ泳がせた。
その瞳には慎重さとわずかな緊張が入り混じり、空気を読みながら、一歩踏み出すかどうかを探っているかのようだった。
「具体的には?」
お母さんの顔が急に変わり、表情に鋭さと興味が混ざった。
まるで感情が一瞬で打って変わったかのようだった。
「当主様はその……ナーレ様たちが作った『蒸留酒』にご興味がおありのようです。
ですから、それを『贈与税』を介して間接的に──そう、借金の額を減らす狙いで活用するのはどうでしょうか」
エスリンさんは、具体的ではありながらも少し抽象的な解決策を丁寧に提示した。
「……『モーレイ商会の当主』か……はぁ、厄介極まりないな。
それにしても、この『蒸留酒』を果たして買ってくれるだろうか。
ワインでもエールでもない、まったく別物なんだ、これ……。」
お父さんは、未曾有の状況に頭を抱えつつ、静かに考え始めた。
「貴方……あれはエールではないのかしら?
だって、とても透明なのに……」
お母さんは小首を傾げ、指先でそっと机を撫でるように触れた。その視線が、無言のまま家に備え付けられた小さな倉庫をチラリと促す。
「シャイマー……あれは『エール』じゃないんだ。
もっと違う――『何か』さ。安心していい、それだけは確かだから」
お父さんは柔らかく微笑み、視線をお母さんから逸らさずに答える。お母さんも、その言葉に応じて視線を返した。
「そうだよね……?
余りに水みたいに澄んでいて、奇麗なんだもん」
私は、思ったことをそのまま口にした。
頬にわずかに赤みが差し、驚きと好奇心が入り混じった感情が、声のトーンに滲んでいた。
「ウシュクベーハー(Uisge-beatha)……命のように純度が高い……水のような液体だ。
そう呼んだ方が、むしろしっくりくるな」
お父さんは、そんな独り言をそっと漏らした。
「おじさん! それ、いいよね……『命の水』って、なんだか祈りみたいでさ!」
フィーネは五感で感じ取ったかのように、満足そうな笑みを浮かべた。
目を輝かせ、両手を軽く握りしめるその様子には、純粋な喜びと興奮が滲んでいた。
「貴方、とりあえず実際に持って行って、商談してみましょう。
やってみてからじゃないと、判断なんてできないわ」
お母さんは少し顔を曇らせつつも、どこか楽しげな不安を滲ませながら、先を見据えるように言った。
フィーネは小首を傾げ、目をキラキラと輝かせながらお母さんの言葉を反芻していた。
私はその様子を見つめ、少し微笑む。
しかし同時に、自分がまだ一番重要な点を聞いていないことに気づき、胸がざわついた。
私は自然とエスリンさんに視線を向けた。
その代わりに、フィーネが口を開いた。
「エスリンさん、家政婦体験って、具体的に何をするんですか……?」
小首を傾げ、手をもじもじさせながら、目をキョロキョロと動かす。
頬にはわずかに赤みが差し、眉を少し寄せたその声は、戸惑いと好奇心で揺れていた。
エスリンさんは一瞬、視線をフィーネに落とし、次いでお母さんにそっと泳がせた。
慎重さとわずかな緊張を帯びた瞳が、場の空気を探るかのように動く。
「それでしたら……お二人の気持ちを汲み取る方法があります」
言葉を選ぶようにゆっくりと口を開き、エスリンさんは少し間を置いて説明を続けた。
その瞬間、フィーネの心臓は少し早鐘を打ち、瞳がキラリと輝いた。
戸惑いの中にも、安心と期待が入り混じる──そんな微妙な感情が、彼女の仕草や声から滲み出していた。
小さく唇を噛みしめ、手を胸の前で軽く握る動作が、彼女の内面の揺れを物語る。
エスリンさんは軽く頭を垂れ、両手を前に揃え、柔らかな声で答えた。
「フィーネ様……家政婦体験と申しますは、まず御屋敷の清浄と整理整頓に始まり、台所の勤め、洗濯、掃除など、日々の雑務を心を込めて行うことでございます。 然る後、主の御意に従い、些細な世話やお手伝いもいたします……。何事も、丁寧に、誠心を尽くすことが肝要にございます」
その語り口には、古式ゆかしい中世の家政婦らしい慎ましさと誠実さが滲み、フィーネは思わず身を正した。
小さく頷きながらも、胸の奥で高鳴る期待に気づき、わずかに息を呑む。
戸惑いの中にも、少しずつ理解と期待が混ざり合い──彼女の小さな心の揺れが、まるで光のように表情から滲み出していた。
「良いなぁ……ナーレばっかり、面倒なことに引っ張りだこじゃん!?
エスリンさん、私も……その事件の『一当事者』として、滑り込めたりしませんか……?」
フィーネは目をキラキラと輝かせ、両手をそっと握りしめる。
小さく身を乗り出すように体を傾け、首をかしげながら、期待に満ちた笑みを浮かべる。
その仕草と表情からは、羨望とわくわく、そしてほんの少しの甘えが自然に滲み出ていた。
エスリンさんは静かに視線を下ろし、やや微笑を浮かべてから、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は優しく、しかし確かにフィーネの気持ちを受け止めている。
「……なるほど、そういうお気持ちでございますか。
フィーネ様のご意志、尊重いたします」
その言葉に、フィーネの瞳はさらに輝きを増した。
小さな声で「やった……!」と呟き、両手を思わず胸の前で握りしめる。
「それに、アヴェーラお嬢様も、結局のところフィーネ様にお声を掛けようとしていらっしゃいましたから」
エスリンさんは封書のようなものを、そっとフィーネに手渡した。
その動作は静かで丁寧でありながら、確かな意味と温かみを伴っていた。
フィーネは目を大きく見開き、両手でそっと封書を受け取った。
頬が少し赤くなり、期待と好奇心が入り混じった表情で、封書をじっと見つめる。
私もそっと隣に寄り、彼女の手元を覗き込んだ。
封書には深紅の蝋でしっかりと封がされており、
その上にはアヴェーラの端正な筆致で、はっきりとフィーネ宛ての署名が記されていた。
封書そのものが、すでに特別な雰囲気を纏っている。
フィーネは息をのむように封書を見つめ、私も思わず覗き込んだ。
そのとき──
「おっと、無理にはがすなよ。ナイフを持ってくる」
お父さんが慌てて手を伸ばし、私たちの手元から目を離さずに言った。
蝋を乱暴に割れば、礼を欠くどころか、肝心の文を破ってしまうかもしれない。
その慎重さが、お父さんの一言に込められていた。
数秒後、小さなナイフを手に戻ってきたお父さん。
フィーネは緊張で小さく喉を鳴らし、手のひらで封書をそっと押さえたまま、目を大きく見開いて見つめる。
蝋を割るその一瞬に、彼女の心臓は早鐘のように打ち、わずかに息を呑む音さえ、周囲に響きそうだった。
「はい、これで……慎重にな」
お父さんがナイフを封書の縁に沿わせると、フィーネの瞳はさらに大きく見開かれた。
期待と緊張が入り混じったその表情は、まるで宝物を手にする瞬間のようだった。
小さく息を呑み、手のひらで封書を押さえたまま、少し身を乗り出すようにして見つめる。
封書を開くと、そこにはアヴェーラらしい、気品と遊び心が絶妙に混ざった文章が躍っていた。
ひとつひとつの文字から、彼女の性格と意図がにじみ出ているかのようで、読む者の心を自然に惹きつけた。
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前略──
ナーレの保護者様。
貴方も『保護者様』らしく、『家政婦体験』にお越しください。
ナーレの見守り役は、貴方しかできない事ですから。
『ご友人同士』、見守ってあげましょう。
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フィーネは目を輝かせ、封書を抱きしめるようにしてじっと読んだ。
頬には赤みが差し、胸の奥で期待が小さく跳ねるのを感じている。
「うわぁ……くっそ!! アヴェーラ、さすが……!」
小さな声で呟き、手元の封書を大事そうに握りしめた。
しばし考え込むように目を閉じ、ゆっくりと息を整える。
次第に眉を上げ、胸の高鳴りを感じながら、フィーネは心の中で決めた──
「よし、やる! 私もナーレのために、家政婦体験に参加するんだ!」
そして、意を決したように封書を握りしめ、フィーネは立ち上がった。
その姿勢には、好奇心だけでなく、行動への確固たる意志が滲んでいた。
私は隣でその決意を見守り、自然と笑みを浮かべる。
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、フィーネの小さな背中に、好奇心と勇気が混ざった光が揺れるのを目にした。
≪本当に躍動しているな、ナーレ≫
ヴァルは静かにその情景を眺め、淡々と称した。
しかし、その眼差しの奥には、わずかに──いや、ほんの僅かだが、感嘆の色が隠されているようにも見えた。
小さな冒険の幕が、今まさに開こうとしていた。
まだ見ぬ出来事に胸を高鳴らせるフィーネの姿は、まるで風に揺れる小さな旗のように、生き生きと輝いている。
私はその光景を心に焼き付け、静かに次の瞬間を待ち詫びた──。
作者はさてと──『莫迦』なんじゃないかってくらいに、
設定と伏線を回収して、フィーネをなんとか家政婦体験に滑り込ませた。
『さあ、場面転換』──心の中でそう呟き、
私は『保護者様』らしく、見守る態勢を整える。
『風見鶏』らしく──ね?
微かに頬が緩む。
このちょっとした策略の果てに、彼女たちの小さな冒険が今まさに動き出す──
その高揚感が、胸にじんわりと広がって滲み始めた。




