「城下町の市場調査-巡礼編Ⅱ-躰道する基軸-」
馬車が揺れるたび、静かなモノローグが意識の隙間に滴る――
やがて、アヴェーラの邸宅が視界に溶け込むように現れた。
豪奢で瀟洒な建物。しかしその煌めきの裏には、
邸宅と商会、そして家政婦たちの別邸――まるで精緻に組まれた社会の骨格が、ひそやかに息づいていた。
私――作者もまた、その構造の中に潜み、
術中に嵌った幻覚のように、弁論のシーンが静かに立ち上がるのを目撃する。
だが、観測者としての力は絶大で、理性の糸を引き裂く。
虎に翼――そして耄碌した妄想力が空間を貫き、
作者の意志までも絡め取ってしまう。
気づけば、基軸から躰道する状態となっていた。
現実と幻想の境界は、もう誰の目にも留まらない――
止められるものなど、最初から存在しなかったのかもしれない。
全ての基軸は崩れ、
豪奢で瀟洒ではなく、小さな秩序背景を持った邸宅が露わになった。
これも全て『黒子』が為す力なのかもしれない。
弁論のシーンが静かに立ち上がらず、
その幕開けとなった。
読者の皆様どうか、最後までごゆるりと『躰道する』その意味をご堪能下さい。
私とアヴェーラは馬車内で、言葉少なに沈黙を共有していた。
外から伝わる馬の蹄の響き、車輪が石畳を擦る微かな音、風が窓を撫でる音――。
舗装されていない泥道に変わると、揺れが少し大きくなり、心の奥に潜む不安も一緒に揺さぶられる。
短いようで長い時間が、馬車のリズムに沿ってゆっくりと流れていった。
アヴェーラは長い髪を指で絡め、時折私の方をちらりと見やる。
その視線は言葉を超えた問いかけだった――心の準備はできているのか、と。
私は目を窓の外に移す。雪に覆われた森が流れ、遠くにぼんやりと巡礼路が見える。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。どうやって、この事件を説明すればいいのか――。
馬車の揺れに合わせ、私の心臓も小さく跳ねる。
ぎこちない呼吸、手のひらの微かな震え――視線を外しても、揺れが体を支配する。
「ナーレ――そうね、貴方はカーテシー、やったことないわよね」
アヴェーラの声に、揺れと緊張が一層重なった。
私はぎこちなく腰を折り、手の震えをこらえながら小さなカーテシーを返す。
揺れる馬車が背中を押し、何度もバランスを崩す。
「やっぱり馬車内で調整するのは無理ですわ……」
思わず溜息が漏れる。
アヴェーラは軽く微笑み、肩越しにささやいた。「ヴァルに頼むのは如何でしょう?」
その言葉で、心の奥の小さな勇気がふっと芽吹く。
――よし、頼もう。ぎこちない私のカーテシーも、ヴァルの助けで少しは形になるかもしれない。
窓の外の雪に覆われた森が、揺れる光と影を見せる。
その不安定な景色の中で、私の心も少しずつ、しかし確かに前を向いていく。
胸の奥に、期待とほんの少しの勇気が芽生える。
揺れる馬車の中で、私の心は静かに、しかし確かに前を向いていた。その心の高鳴りに合わせるかのように、道の凹凸も少しずつ均れ、馬車の揺れは次第に落ち着いてくる。
アヴェーラの背にある格子窓を通して、エスリンさんが静かに背中越しに声をかけてきた。
「お嬢様方、もう直ぐに着きます。ゆめゆめ忘れぬよう」
その言葉と共に、私の前方に全景が現れた。
とても大きな白い屋敷。
それに見合うかのような、剣山のように尖った鉄の柵と大きな門が目に入る。
すべてが均等に雪化粧を施され、『それ』を際立たせていた。
「あれが、アヴェーラのおうち?」
「ええ、邸宅と商会、そして家政婦たちの別邸もございますの。とても大きいでしょ?」
「どうしたの? いつものアヴェーラじゃないんじゃない?」私のその問いかけに、
アヴェーラは一瞬言葉を詰まらせた。
「私としたことが……そうでしたわね」
アヴェーラは微笑み返す。まるで何事もないかのように、心の影を隠すように。
「いい、ナーレ? エスリンが言った通りよ。お父様は厳格じゃないけど、ちゃんと見ていらっしゃるわ。ちゃんとね。」彼女の声には、忠告の響きと、ほのかな緊張が滲んでいた。
その言葉を合図にするように、馬車がゆっくりと速度を落とし、ギギギと金属が軋む音とともに、「開門!」という叫び声が響き、蹄の音が石畳に吸い込まれていく。
ゆっくりと滑るように――馬車は動き出す。
「さぁ――」アヴェーラが言いかけた途端、「閉門!」という声が重なり、
背後で再び鉄の扉が閉ざされる音がした。
馬車は完全に止まり、静寂が戻る。
その静寂を破るように、とんとんと軽い音を立てて扉が開かれる。
エスリンは静かに頭を下げ、差し出した手に導かれるように、私たちは外へ降り立った。
「おかえりなさいませ、お嬢様。そして、ナーレ様、ようこそおいでくださいました。」
五十人ほどの家政婦たちが、整然と列をなし、
一糎の乱れもなく、深く、静かに、お辞儀をした。
私はその光景に息を呑んだ。
(ヴァル! 後は頼んだよ!)
≪馬鹿! 私だってやったことないんだ! ええい、仕方ない!≫
ヴァルの気配が背後で焦りながらも、私の腰にそっと手を添える。
――まるで操り人形のように。
私はなんとかアヴェーラのような優雅なカーテシーを返せた。膝が震えた。心臓がうるさい。
「このような……お出迎えをいただき、恐れ多い限りです。アヴェーラ、こんな立派な家政婦の皆さんをお抱えだなんて、さすがですわね?」
私の声は少し上擦ったが、ぎこちなくも笑顔を保とうとした。心臓の鼓動が耳まで響く。
(生き延びた……!)
アヴェーラは誇らしげに、家政婦たち一人ひとりに目を配る。その瞳の奥には、嬉しさと誇りが混じっている。
「私もこの様な人達に――微笑ましいことです。ナーレ、貴方も立派でしたわ」彼女の言葉が、
私の胸に温かく染みる。
視線が重なった瞬間、アヴェーラは少し照れたように、けれど柔らかな微笑を浮かべ、指で髪を絡める仕草を見せた。
その仕草は、まるで小さな安堵と喜びを表すサインのようで、私の心まで静かに緩む。
しかしながら、私はヴァルの即興に驚いていた。
(恐れ多いのはこっちだよ! よくそんなスラスラ言えるね、ヴァル!?)
≪もう、淑女なんて私に似合わない! 今の私は紳士だ!》
ヴァルの騒ぎをよそに、私はアヴェーラの邸宅に見とれた。
正面には堂々とした二階建ての屋敷が聳え、商会のカラーで統一された建物が輝いている。
その屋敷の一角には、窓に赤い紗がかけられ、僅かに開いた隙間から柔らかな光が漏れていた。
左側に目をやると、奥の車庫に商会の馬車が納められているのが見え、そこが商会の敷地なのだろうと察した。
さらに――邸宅の裏手へと目を向ける。
屋敷に寄り添うように建つ、小さな別邸が目に入った。
頭だけがわずかに覗くその建物は、きっと家政婦たちの住まいなのだろう。
家政婦たちが一斉に動き出し、
あまりにも巨大な観音開きの扉を勢いよく開けて、私たちを迎え入れた。
その観音開きの扉は、堂々とした姿にふさわしく、重厚な音を響かせた。
木が軋む音――どこか哀愁を帯び、夕暮れのような深い余韻を残した。
私はその光景をじっと見つめていた。
だが――胸の奥に、言葉にできない違和感が騒めいた。
≪ナーレ……もう一度、二階の窓をよく見ろ?
何か分かるはず≫
ヴァルの言葉に促され、私は建物全体へと視線を巡らせた。
雪はまるでその場所を恋しがるかのように、壁面にそっと寄り添い、淡く薄い紗をまとわせている。
そのとき――ふと、視線が吸い寄せられる。
屋敷の一角、二階の窓。
赤い紗が薄く垂れ、まるで私を導くように風に揺れた。
『先ほど、わずかに開いていた隙間』。
あの、柔らかな光をそっと漏らしていた窓は――
今は、『まるで最初からそうであったかのように、静かに閉じられていた』。
(……どういうこと?)
胸の奥で疑念が小さく弾けた、その瞬間――
≪気を引き締めなさい、ナーレ! 舞台は整ってしまった――もう、準備の時間はない!≫
その言葉が遅れて胸に重く響き、私を縛りつけた。
「当主様……」家政婦たちがひそやかに呟いた。
私の視線と意識が、ふっと吸い寄せられるように動いた。
邸宅のエントランスホール――玄関正面の大階段。
その階段を、曙光のような若さを湛えた人物が、
一段、また一段と、ゆっくり降りてくる。
「お父様!」アヴェーラは思わず抱きつきたそうな声を上げた。
だが、その感情を抑え、優雅にカーテシーをした。
「アヴェーラ――よく帰ってきた。
心配していたんだぞ。」
アヴェーラの父親がエントランスホールに姿を現すと、その第一印象はどこか儚げだった。
目元に刻まれた細い皺が爪の跡のようで、弱々しい声がかすかに響いた。
そして静かにアヴェーラを抱いた。
数十秒の抱擁の後、アヴェーラの父親がふっと身を離し、
私に視線を合わせるように、ゆっくり近づいてきた。
「君が――ナーレ君か?
アヴェーラが何かと世話を焼かせているようだな?」
「はい、アヴェーラ様のお父様、この度はご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
私は懸命に先程と同じカーテシーを尽くした。
「ふむ、なるほど。短い間に見事な所作を身につけたものだ。ようこそ、ナーレ君。ここは寒い……中に入って話をしよう。」
「エスリン、シャフェ、ウェルシー、丁重に準備を整えてくれ。」
「はい、ご当主様 直ぐに支度を――」
エスリン擁した三人はそそくさと邸宅に入っていくと姿を消した。
「え――アヴェーラ様のお父様?」
「私のことはフィンリーと呼んでくれ、ナーレ君『アヴェーラ様のお父様』では、どうも堅苦しいんだよ。」フィンリーさんはどうも歯がゆいような顔を忍ばせた。
「では、なぜそんなことを?」
私が尋ねると、フィンリーはちらりと商会の方へ視線を投げた。
「妻が見ているんだよ、ナーレ君。彼女の方が、私よりずっと手強い相手さ。書類仕事は私が取り仕切るが、商会の実権は妻が握っている。」
フィンリーがちらりと玄関を見やると、家政婦たちが慌ただしく観音開きの扉を閉めた。「ニーヴには、まるで獣のような嗅覚があるんだよ。」
フィンリーは声を潜め、言った。
「彼女は何でも嗅ぎつける。」
「そう、ですか……? それは、どういう……?」
私は戸惑いながら答えたが、会話の間も、家政婦たちの慌ただしい動きが気にかかっていた。
「実は、ニーヴは私より先に君の到着に気づいて、姿を隠したんだよ。」フィンリーは苦笑いを浮かべ、言った。「だから、私がこうして迎えに出たというわけさ。」
「お母様は、その……なんと言いますか、近寄りがたい方ですわ。」アヴェーラは少し声を落とし、言った。「お父様の方がずっと親しみやすいですわ。」
「そうだな、アヴェーラ。」フィンリーは柔らかく笑い、続けた。「ニーヴは商会に心血を注いでいるから、食事の時間さえ忘れる性分なんだ。彼女に用があるなら、商会で話すのがいいよ、ナーレ君。」
「はぁ……?」
私はアヴェーラ家の事情を理解したような、しないような、曖昧な心地でいた。
「ごめんなさい、ナーレ。困惑させてしまいましたわ。」アヴェーラは申し訳なさそうに目を伏せ、言った。「お父様も、あんまり唐突にお話しすぎですわ!」
「済まなかったな、ナーレ君。」フィンリーは柔らかく笑い、続けた。「ここに来て何かと気疲れしただろう? せめて、昼食でも一緒にどうかな?」
フィンリーは温かく私を迎える。
その瞬間、私は改めて覚悟を決めた。
――ここから先は、静かなる戦いが始まるのだと。
――ここから先は、静かなる戦いが始まる、
その決意が漲ると思った矢先に、私はヘマをした。
「はい、喜んで!」
私は勢いよく答えたが、うっかりカーテシーをしそびれた。
「ははは、ナーレ君、ニーヴの前ではそんな粗相は気をつけた方がいいよ。」
フィンリーはくすっと笑い、穏やかに言った。
「二人とも……早く食堂に入らないんですの?」
アヴェーラは少し頬を膨らませ、言った。
「私があんなに心配していたのに、すぐに打ち解けるなんて思ってもみませんでしたわ!」
「いや、アヴェーラ、実際にナーレ君は面白いよ。」
フィンリーはくすっと笑い、言った。「なかなか独特な子だと思ってね。」
「どういうことですの?」
アヴェーラはキョトンとしていた。
「うん、ナーレ君はね、前もって観察させてもらったが――普通じゃないんだよ。」
今日会ったばかりのフィンリーが、まるで以前から知っていたかのように、私を見透かすように話す。
(え……な、何それ…?)
「聞いた以上に、思わぬ行動をしたり、考え方が独特だったりする。そういうところが、面白いと思うんだ。」
フィンリーの視線は、どこかゆっくりと私を射貫いた――そして、ふっと私から逸れていく。
「だから――てっきり、妻が商会の仕事に専念して、今回は引っ込んでいると思ったんだが、予想が外れたよ。」フィンリーは何処どなく、呆れて達観した様子でいる。
「どうやら、君は伏兵として紛れ込んでいたようだね? ニーヴ?」ゆっくりと、フィンリーは後ろを振り返った。
アヴェーラと私も、フィンリーさんの目線をじっと追う。背後に、一人の家政婦が佇んでいた。
「お母さま……本当に?」
アヴェーラが、信じられないというように目を丸くした。彼女の声には、驚きとどこか困惑が混じっている。
家政婦の姿の女性――ニーヴは、優雅に一礼すると、まるで舞台の幕が上がるように、表情を変えた。
「ふふ、さすがは貴方。見抜かれるとは思っていましたけど、少し……早すぎません?」
「僕が君を見逃すわけがないだろう? 本当に『何でも嗅ぎつける』ね。」
フィンリーは、その熱い双眸をゆっくりとニーヴに注いだ。
――彼女はエプロンを外し、髪を軽くかき上げる。
その仕草一つで、ただの家政婦ではなく、気品ある「奥方」の雰囲気が漂い始めた。
「娘が連れてきたお友達に、挨拶くらいしたかっただけですよ? それに……」
ニーヴの視線が、私に向けられる。
「あなたが、この子が話していた『特別な人』ですね?」
私は、思わず息を呑んだ。
「特別な人……?」アヴェーラが、そんなことを……?
フィンリーは小さく困った顔を浮かべた。
「だからって、家政婦たちに紛れ込む芸当をする奥方が居るかね?」
「ええ、分かっていますわ。でも、たまにはこういう遊びも必要でしょう?」
ニーヴは微笑んだまま、その瞳にはすべてを見透かす力が宿っているかのようだった。
――私の心臓が、まるでその視線に突き動かされるかのように、早鐘を打った。
「さて……お茶の時間ですわね。せっかくですから、私も参加させて貰おうかしら」
食堂室の扉が開くと、目の前に広がった光景に息を呑む。
銀のティーポットが湯気を立て、香ばしい紅茶の香りが部屋を満たす。
そしてテーブルの上座には、まるでこの屋敷の主人のように腰を下ろしたニーヴが、優雅に微笑んでいた。
「さあ、どうぞ。遠慮なさらないで」
片手を軽く振るその仕草に、威厳と温かみが同居している。――胸の奥で、静かな緊張がふわりと弾むのを感じた。
家政婦のエプロンはもう外され、代わりに淡い水色のドレスが彼女の気品を際立たせていた。
アヴェーラは少し躊躇いながらも、母の隣に腰を下ろす。「母様……本当にびっくりしました。どうして家政婦に紛れ込んでいたんですか?」
ニーヴはカップを手に取り、柔らかく微笑む。
「だって、娘が連れてきたお友達がどんな人か、ちゃんと見極めたかったのですもの。家政婦なら、自然に近くで観察できますでしょう?」
フィンリーが私の隣に立ち、静かに告げる。
「……妻は、昔からこういう“遊び”が好きでね。
僕も何度か、こうして見抜かれてきたよ」
私は思わず苦笑いしながら、指定された席に着いた。
「えっと……はじめまして。改めて、よろしくお願いします」
ニーヴの瞳が、私をまっすぐに見つめる。
「それにしても――特別とは程遠いわね……」
「母様!」
アヴェーラが顔を赤らめて抗議する。
ニーヴはくすりと笑い、ティーポットを傾けた。
「さあ、お話しましょう。今日は特別に、私が淹れた紅茶よ。あなたのことを、――もっと知りたいわ。」
フィンリーが私の隣に立ち、静かに告げる。
「……妻は、昔からこういう“遊び”が好きでね。
僕も何度か、こうして見抜かれてきたよ」
私は思わず苦笑いしながら、指定された席に着いた。
「えっと……はじめまして。改めて、よろしくお願いします」
ニーヴの瞳が、私をまっすぐに見つめる。
「それにしても――特別とは程遠いわね……」
「母様!」
アヴェーラが顔を赤らめて抗議する。
ニーヴはくすりと笑い、ティーポットを傾けた。
「さあ、お話しましょう。今日は特別に、私が淹れた紅茶よ。あなたのことを、――もっと知りたいわ。」
≪ナーレ……慎重に事を成すのだ、アヴェーラの言葉の意趣を考えろ!≫
私の頭の中でヴァルの言葉が疾走していく――。
「さぁ? 話して頂戴?」
ニーヴの意趣返しで『おはなし』の幕が競り上がった――。
※※※※※※※※※※※
【此処からガチな後書き】
読者も相当驚くだろう。
しかし、私は後書きすら本編にする。
第一章でやった様に。
まだ…前書も本編への導入部分として機能させていたあの頃を踏襲しようと画策した。
改めて私という作者に出会い、困惑していると思う。
すまない――コレがデフォルトであるから。
これからもする。
だから…慣れて欲しい。
また、やりだしたコイツってレベルで達観して欲しい。
また、十八番だって納得する様に。
私は常にハミ出そうとすればハミ出す。




