「喪われた三枚銅貨-導入編Ⅱ-」
ナーレ一行はアウローラ神聖国の城下町に到着し、エスリンと別れた後、
アヴェーラに導かれるまま街並みの風景に見入っていた。
私はは思わず足を止めた。まず目に入ったのは、空を切り取るほどの高さだった。
近づけば、それが土を盛り上げた塁であると知れる。だが、その表面は粗い石で覆われ、さらに外側には、獣を拒むかのように木杭が突き立っている。一部には石造りの補強も施され……堅牢というよりも一時的な層の断片を診ているようだった。
生活区の中に入るとその思いは積み重なっていく、木造と石造の二層建ての住居が立ち並び、街全体が緻密に設計された都市のように思える。
街道は馬車用の黒い石畳と、白い石で敷かれた歩道とに分かれ、異邦人であっても歩く場所に迷わない。歩道は大人二人が並んで歩けるほどの広さがあり、通りの角には衛兵たちが立ち、時おり詰所から出入りしては、町の様子を監視していた。
その光景に、胸の奥にざわりとした畏怖を覚えた。
街道を進むにつれ、道はなだらかな坂となっていく。坂を登るごとに、建物たちがこちらを見下ろしているような錯覚を覚える。やがて坂の先には広場が現れ、そこからは町全体が一望できた。
広場の最奥には、アウローラ神聖国の旗が風になびく尖塔がそびえ、しかしその背後には、まるで「木偶の坊」のようにずんぐりとした灰色の城がどっしりと構えていた。
(なんだろう、この違和感……)
≪なんとも滑稽だな。これが国家なのか?≫
ヴァルの皮肉混じりの声が響く。確かにこの国は、まだ成り立ちの途中にあるのかもしれない。本来「あるべき姿」になりきれていない未完成さを、城の形そのものが物語っているようだった。
その時、私は思索にふけったまま、フィーネの背中にぶつかってしまった。
「おっとっと、ナーレ? ちゃんと前を見てくれよな」
「すみません……私、声も掛けずに……」
アヴェーラが振り返り、申し訳なさそうに微笑む。
「まあ、三人とも気を取られてたし仕方ないよ」
フィーネが軽く肩をすくめ、ナーレに同情の視線を向ける。
「ごめん、街並みに見惚れてて……」
(なんで止めてくれなかったのよ!)
≪止めることはできたかもしれないが、私も考え事をしていた。国家の成り立ちについてね。君から一時的に離れていたのだ≫
(ほんと、あなたは私の味方なのか疑いたくなるわ)
≪知識と選択を与える存在として、どう伝えるべきか私も迷っている。即答できないこともある≫
アヴェーラが前方を指差し、私たちの思考を現実に引き戻した。
「さあ、目的地に着きました。ここが父が出資しているパン屋ですの」
清潔感ある白い木造の建物。壁面には「モーレイ商会」の名が控えめに刻まれ、看板には「クリー・チェ(熱い心臓)」と燃える窯とパンのロゴが描かれていた。
「なんだなんだ? こんな小綺麗なパン屋、初めて見るぞ」
フィーネが窓から中を覗こうと背伸びを繰り返す。
レジの中には女性が一人。後ろを向いて何やら作業しているようだ。
「ねぇ、アヴェーラ。パトロンって割には意外と素朴な造りなのね?」
「そうなの。でも、奥様が派手なのは好まないって言って……」
アヴェーラは長い髪を指先でくるくるさせながら言い訳のように笑った。
(どうやら普通の訪問では済まなさそうね……)
「とりあえず、ここにいても何も始まりませんわ。中へ入りましょう?」
アヴェーラはいつもの癖を指先で続けながら、私達を店の中へ促した。
店の横には、紐の先に小さな鐘が吊るされているのが見えた。
「アヴェーラ? これ、なに?」
私はその紐をつかんで、ゆらゆらと遊んでみる。
「ダメよ、ナーレ! それ、このお店のドアベルなの。
お客さんが来たことを知らせるために、その紐を引っぱって鐘を鳴らすのよ」
アヴェーラはそう言いながら、私の手から紐を取り戻すようにたぐり寄せた。
「へえ……でも、ノックすればいいんじゃない?」
私は素朴な疑問を口にして、手を離した。
「最初はそうしてたのよ。でもね、ここの通りは交通量が多くて、
ノックの音が聞こえづらいって、店主に文句を言われて……それでこうなったの」
そう説明すると、アヴェーラは軽く紐を引いた。
数秒後、店内に澄んだベルの音が響き、来訪を告げた。
しばらくして、レジのほうから女性がこちらに振り返る。
目元や額にはうっすらと皺が見える。驚きが、その表情に濃く浮かんでいた。
たぶん、まさか本当に来るとは思っていなかったのだろう。
話半分に流したつもりが、本気でやってきたパトロンの娘と、その仲間達。
しかも見知らぬ顔が二人も。彼女の中で状況が急展開しているのが、手に取るように分かった。
そんな中、アヴェーラとその女性は、同時に店の扉を開けようとした。
「ちょっと待て! アヴェーラ!」
フィーネが、何かを察したように私を飛び越えて声を上げる。
「ドン!」「ドン!」
扉が揺れる音が二度響く。だが、ドアは動かない。
当然だ。内と外から二人が同時に力を加えているのだから。
数回繰り返したあと、ようやく女性が先に扉を開けた。
「ア、アヴェーラ様……わざわざお越しくださって……」
女性は息を切らしながらも、かろうじて言葉を絞り出す。
「ごめんなさいね、オルウェンさん。前回の件で今日は足を運んだの。
後ろの二人は、私の友達。今回は助手のようなものですわ」
「ど、どうも」
フィーネと私は、軽く頭を下げた。
「わかりました。アヴェーラ様のお連れでしたら、どうぞ中へ」
オルウェンさんはそう言いながらも、その視線には曇りがあった。
フィーネと私に向ける眼差しは、どこか探るようで。
彼女は私達を、店内にある三つの四人掛けテーブルの一つへ案内した。
窓際にある他の席と違い、そこは店の奥まった場所にあり、外の様子が見えづらい。
「どうぞお掛けください。何かお茶菓子を用意いたします」
そう言うと彼女は商品棚からパンといくつかのジャム瓶を取り出し、
木の平皿に盛りつけ、ティーポットからお茶を四人分用意して戻ってきた。
「いい香りね……これ、ローズマリー?」
アヴェーラは香りを嗅いで、目を細めた。
「ええ、この歳になると少し肌寒くて」
そう言いながら、オルウェンさんは膝をさすって席に着いた。
「すみません、こんなものしかご用意できなくて」
謝りの言葉と裏腹に、彼女の態度には微妙な温度差があった。
フィーネと私に向けられるそれは、やや慎重で遠い。
テーブルには、形の異なる白パン、イチジクとリンゴのジャム、
そしてナッツの砂糖煮が並び、ローズマリーの香りが空間に満ちる。
「それで……確認したいの。事件の詳しいこと。
一応、この二人にはざっくり話してあるけど、いつ頃から起きているのかしら?」
「わかりました。覚えている限り、お話しします」
オルウェンさんはハーブティを一口含み、語り出した――
「事件が始まったのは、店を開業して三か月ほど経った頃でした。運営資金もようやく軌道に乗りはじめていて……それまでは何も問題なかったんです」
オルウェンさんは少し言いよどみながらも、話を続けた。
「その日、店にいたのは私ひとりでした。夫のキーランは、在庫の買い出しに出かけていて……それっきり、戻ってくることはありませんでした」
「私はいつも通り、レジの集計をしていたんです。集計は一日三回――朝・昼・閉店後と決まっていて、そのときは昼の分でした」
「そのとき気づいたんです。朝の時点で、銅貨が三枚余っていたはずなんです。
それは前日の純利益として、いつもレジに残しておくもので……」
「なのに、昼に確認したときには二枚しかなかった。何度数えても、どうしても一枚足りないんです」
「レジ以外にお金を保管する場所はないんですか?」
私は気になって質問を投げた。
オルウェンさんは少し考えてから、頷いた。
「月に一度は別の金庫に移しますが、それ以外は基本的にレジに入れておきます。普段はそれで問題ないので」
「レジと金庫の管理は誰が担当してるの?」
アヴェーラが、パンを小さくちぎってジャムに浸しながら尋ねる。
「私と夫だけです。鍵も、私達で管理しています」
「……ってことは、どっちかが怪しいってことか?」
フィーネは木のカップに息を吹きかけながら口を挟んだ。
「そうかもしれません。私も、夫も……お互いを疑うことができます」
「鍵の複製って可能性は?」
私はさらに踏み込んでみる。
「ナーレ? レジも鍵も、私が全部手配したのよ?
複製しようとしたらかなりのお金がかかるし、そんなことすればすぐに噂が広まるわ」
「それに、鍵職人なんてそう多くないし、わざわざ探すのも手間よ。
それなら、力づくで壊したほうが手っ取り早いわね」
そう言って、アヴェーラは熱いハーブティを少し口に含み、思わず顔をしかめる。
そして再び、ふうっと息を吹きかけた。
「それにさ、銅貨一枚を盗むためにそんな面倒なことするか?」
フィーネは肩をすくめて続けた。
「派手なことするより、スリのほうがよっぽど早いぜ?」
≪つまり、夫と妻。そのどちらかが嘘をついているか、あるいは……真実を語れずにいるか≫
(でも、どっちにしろ嘘なんでしょ?)
≪いや、すべての嘘が悪いわけじゃないさ。
毒になる嘘もあれば、そうじゃない嘘もある。問題は、毒が体中を巡るかどうかだ≫
(うーん……)
≪まあ、君にはまだ早い話かもしれない≫
「とにかく、調査しないと。どこから始めようか?」
私はアヴェーラとフィーネに視線を向けた。
「そうね、まずは店のレジと金庫を確認しましょ♪」
アヴェーラはそう答えながらも、目線はハーブティから離さず、パンを口に運んでいた。
「だな。現場――というか、現状を把握しないと始まらないしな」
フィーネも周囲に目を配りつつ、忙しなく食べ続けている。
「じゃあ、調査開始!」
私もようやくパンに手を伸ばした。
「わかりました。レジと金庫を開けるときは、お声がけください」
オルウェンさんが静かに告げた。
私達はお茶菓子を平らげ、満足するまで何杯もハーブティをおかわりしたあと――
ようやく、本格的な調査に乗り出すのだった。




