「喪われた三枚銅貨-導入編Ⅰ-」(Pr.Ⅰ)
選別の儀から一週間後。
パン屋の奥さんが語る、不思議な出来事の謎を解くために――
私達ナーレ一行、調査に向かいます。
選別の儀から、もう一週間が経った。
それ以来、ヴァルとの“妙な同居生活”が始まったわけだけど……
彼は、私がちょっと困るだけで、すぐ助言してくる。
しかも「ああでもない、こうでもない」と、言いたい放題。
……そんな感じで、いまに至る。
朝食を済ませた私は、外出の準備を始めていた。
≪ちょっと待て! ナーレ、今から服を脱ぐのか?≫
(そうよ。アヴェーラの用事で、中央街のパン屋に行くから。着替えないと)
≪うーむ……私は男なんだが?≫
(じゃあ、女になって)
≪そんなすぐ切り替えられるか! 君がちゃんと“女性の姿”を思い浮かべないと無理なんだ≫
(とりあえず目を瞑るか、そっぽ向いててよ)
≪君はもっと、自分が女性であるってことをちゃんと意識すべきだ≫
私は彼の小言を無視して、下着姿になり、
さっさと緑のチュニックに着替えた。
≪で、待ち合わせはどうなってるんだ?≫
(アヴェーラが馬車を出してくれるの。道中でフィーネと私を拾うって)
≪じゃあ、家の前で待っていればいいわけだ≫
(うん。とりあえず先にお母さんに、出かけること伝えてくる)
キッチンでは、母がいつものように鍋と格闘していた。
今日も、名物のブイオンスープを仕込んでいるらしい。
「お母さん? 今日、友達と中央街のパン屋に行くんだけど、
何か買ってきてほしいものある?」
「うーん……買うものはないけど、どんな品があるか見てきてくれる?」
「“見てくる”って、どうやって?」
「そりゃ、新しい販路になりそうか確認してきてほしいに決まってるでしょ!」
「でも、酒場や宿屋にはもう卸してるよね? 小麦ってそんなに売りたいの?」
「酒場や宿屋は、安いライ麦しか買わないの。
そろそろ小麦の販路も広げたいのよ」
「……わかった。パン屋の奥さんに、それとなく聞いてみるね」
「お願いね!」
母は私の頭をわしゃわしゃ撫でてくれたけど、
軍資金は出してくれなかった。
(またアヴェーラに頼るしかないかな……)
≪パン屋に頼むより手っ取り早いか。だがまた別のお願いが増えそうだ≫
(はぁ……また厄介事が増えるわ)
そんな話をしていたところ、
玄関の外から馬の嘶きが聞こえてきた。
白い馬車が家の前に停まり、側面には黄色い文字で──
「モーレイ商会」と大きく描かれている。
やがて扉が開いて、アヴェーラが顔をのぞかせた。
「ナーレ! ご機嫌よう!」
ちょうど泥道に足を懸けようとしたそのとき、
「お待ちください、お嬢様」と、馭者だと思っていた女性──が制止した。
彼女は私に軽く会釈しながら、玄関と馬車の間に絨毯を敷いていた。
「ナーレ様、大変失礼いたします」
「いつもありがとう、エスリン」
アヴェーラは満足そうな顔で、そっと絨毯の上に降り立った。
「ナーレ! お待たせしましたわ!」
「アヴェーラ、おはよう。馬車ありがとう。……で、フィーネは?」
「そんな話は中で──それより今は、ナーレを抱きしめたいですわ!」
彼女はいきなり私にぎゅっと抱きついてくる。
(く、苦しい!)
「そのご対面はいいけど、いつまでそうしてるつもり?」声のほうを見ると、フィーネが馬車の扉から顔を出していた。
「アヴェーラ、そんなに抱きついてるとナーレが失神するぞ」
「あらっ、いけませんわ!」
フィーネのおかげで私はようやく解放される。
「よかったなナーレ、失神しなくて」
そんなことを言いながら、フィーネはまた馬車の中に引っ込んでいった。
「では、ご案内しますわ!」
アヴェーラは私の手を取り、馬車へと引き入れてくれる。
中ではフィーネが右の座椅子に腕を組んで座っていた。
「やっと来たな」
「ごめんね、フィーネ。待たせたわ」
私とアヴェーラは向かいの座椅子に並んで腰掛けた。
馬車の中は白と黄色を基調に整えられ、
ふかふかの座椅子に、柔らかな白いカーテン。
エスリンが馭者席に乗る音が聞こえ、鞭の音と共に馬車が動き出した。
「で、本当に調査なんて行く必要あるか?」
フィーネはカーテンの隙間から外を見ながら、ぼそっと言う。
「うん。私が出向かないと、パン屋の奥さん、遠回しな言い方しかしないの」
「まぁ……その格好じゃ、相手も構えちゃうでしょ」
「仕方ないじゃない。商会の娘なんだから、父に迷惑かけられないわ」
アヴェーラは、白いチュニックの裾をふわりと広げて見せた。
首元と裾には薄い紗が付いていて、まさに“良家のお嬢さん”という雰囲気。
≪……首元の紗、暑くないのか?≫
(絶対、息苦しいわよね)
そんなこと思っていると、馬車の動きが停まった。
(もう着いたの???)
私は馬車の格子戸から、そっと外を覗こうと椅子に膝を立てて身を乗り出した。
木製の格子が冷たく、指先にわずかな緊張が走る。
「エスリン? あんたか……モーレイ商会のメイドが、こんなところで何をしている?」
声は低く、衛兵の警戒心が混じっていた。
「お嬢様が城下町でお遊びになるんですよ」
エスリンは穏やかな口調で答え、馬車の側で背筋を伸ばしている。
私は格子戸の隙間から、エスリンが城下町の衛兵に話しかけている様子をじっと伺った。
「モーディン、身分証明として商業カードを提出します」
エスリンがカードを差し出す手がわずかに震えたのが見えた。
「身分も何も? あんたを見ればわかるさ♪ デカデカと商会名を書いた馬車で乗り入れてるんだ。
それに平時なんだし、提示なんかしなくても素通りできるじゃないか?」
衛兵モーディンは、軽く鼻を鳴らして威圧的に笑った。
「でも? それが、あなたの仕事でしょ?」
エスリンの声には少しだけ怒りの色が混じる。
「わかったわかった……カードと馬車の中、見せてもらうぞ?
もし本当に死の武器商人だったら、笑えねぇからな」
モーディンはそう言うと、カードをじっと睨みつけた。
まるで親の仇でも見つけたかのように、彼の目は鋭く燃えている。
(あっ!)
私はそっと格子戸から身を引き、姿勢を正した。
(視線が合っちゃった…)
「なんだよ? モーレイのお嬢ちゃんじゃねぇのかよ。エスリン、どういうことなんだ?」
男の鋭い視線が格子戸の隙間からチラリとこちらを覗く。エスリンは慌てて答えながらも、わずかに眉をひそめている。
「あれはお嬢さまのお友達でして……ですから、遊びに来たって言ったんですけど」
男は鼻で笑い、周囲の衛兵たちをチラリと見渡す。
「はぁ……? こんな城下町に遊べる場所なんてないだろ。よっぽど暇してるんだな」
彼の声には苛立ちがにじむが、どこか面倒くさそうな様子も混じっている。
「とりあえず、ざっと見るぞ」
馬車の扉がギイと音を立てて、空気が少しひんやりとした。
「ええ、どうぞ。ただし、お嬢様方に粗相がないようにお願いします」
エスリンはぴんと背筋を伸ばし、緊張した面持ちでそう告げた。
「へいへい、分かっておりますよ、従者殿。大切なお嬢様に手を出すわけにはいきませんからね、
そうそう…大切なものに手を出す訳がないだろ」
「そうですよ。貴方も子供は欲しいんでしょう?」
男はくすっと笑いながらも、警戒の目を緩めない。
「そうりゃそうさ、なんだ?あんたらそこまで……!?、刈り取るのか?」
モーディンという衛兵はまじまじと自身の股間を凝視していた。
「必要なら摘出しますよ」
エスリンの声は冷たく、男の挑発に決して動じていない。空気が一瞬張り詰めた。
「おぉ、怖い怖い。だからあんたはそんな年齢で独り身なんだな。俺は御免だぜ」
男は片手で軽く顎を撫でながら、皮肉交じりに笑う。
「私も、そんな下品な話を口にする男とは結婚しませんよ」
エスリンの声は冷たく、鋭い視線を男に向けた。
「おい、これから扉を少し開ける。身動きはするなよ?」
男の声が低く響き、緊張が走る。
ガチャリ。馬車の扉がそっと開き、武骨な男の鋭い視線が一瞬だけ中をかすめた。
「こりゃ、やんごとなき空間だな……」
男は軽く口笛を吹くような調子で、ざっと馬車の中を見渡す。
時折、ため息交じりに早く用件を終えたい様子が垣間見える。
短く吐いた息の後、男はぶつぶつと呟いた。
「ガキしかいねぇのかよ」
パタン。馬車の扉が閉じられる。
「エスリン! もう行け。俺も暇そうに見えるかもしれねぇが、暇じゃねぇんだ。」
「そうですか。それはそれは……遊びにお忙しいのなら、暇ではありませんね」
エスリンは呆れたように返すが、口調は変えず。
「うるさいぞ、エスリン。俺に権限があれば、気分で通さないところだ。早く入れ」
「はいはい、衛兵さん、そこのけそこのけ、馬車が通りますよ〜」
エスリンは軽やかに声を張り上げ、道行く者たちがざわめき始める。
「おう、入れ入れ。馬でも嬢ちゃん方でも通りやがれ!」
男は威勢よく声を張り、馬車は石畳の道をゆっくりと進み始めた。
馬車がやがて石畳に差しかかり、揺れが穏やかになった。
「お嬢様、街に入りました」
エスリンが馭者席から声をかけてくる。
「それにしても、酷い衛兵でしたわね」
「お嬢様方には歯牙にもかからない奴です」
馬車の扉がパタンと開かれ、涼やかな微風が中に流れ込む。
エスリンは静かに絨毯を敷き、私たちを丁寧にエスコートした。
「それでは、夕方にはまたここでお待ちしております」
門所を指さす彼女の視線は、凛とした自信に満ちていた。
「わかりました。またここで」
アヴェーラの言葉を以てエスリンは手際よく絨毯を回収し、
鞭を打つと馬車は静かに去っていった。
交差点を回り、来た道を戻る馬車の音が遠ざかる。
「さあ、行きましょう?」
アヴェーラは先頭を歩き出す。私たちは彼女に続き、
街の石畳を踏みしめながらパン屋へ向かった。




