「城下町の市場調査-巡礼編XXXⅨ 家政婦体験篇XXXー」
――――「さあ、探してごらんなさい!」。
アヴェーラの無言の催促に因って。
私達は静かなる書棚の前に導かれた。
「……さぁてと! どこから手をつけるかな」
フィーネの言葉を皮切りに。
私達は本棚の隙間に視線を走らせ、
秘密への扉に歩を進める。
――――――『これから、冒険が始まる』。
――――――「それにしても、大き過ぎないか?」
フィーネは、半ば呆れたように目を見開いた。
私もまた、彼女の視線を追って屋敷の奥を見やる。
(そうね……大きすぎるわ……)
リブロスム・ネーミオンという屋敷は、内側から見る限り、五階建てだった。
各階層を結ぶのは、古めかしい階段だけ。
昇降機の類など無く、ひたすら階段を上り下りする――昔ながらの屋敷そのもの。
だが、異様なのは広さだけではない。
通路という通路の両脇には本棚が並び、しかもそれらは整然としているとは言い難かった。
一本の廊下が、途中で二つ、三つと枝分かれし、その先にもまた本棚に挟まれた細道が続いている。
まるで、巨大な樹木の枝葉の中を歩かされているようだった。
その合間を縫うようにして、
壁には絵画がずらりと掲げられていた。
肖像画、風景画、見たこともない紋章めいた抽象画。
額縁もまた統一感が無く、
金をふんだんに使った豪奢なものもあれば、木を削っただけの質素なものもある。
だが、それらは奇妙と云うべきほど雑然と並べられていた。
本棚と本棚の隙間に無理やり差し込まれ、
階段の踊り場にまで掛けられ、果ては天井近くにまで飾られている。
まるで「空いている場所があるなら、とにかく何かを置け」とでも言わんばかりだった。
そして、壁に掛け切れなかったのだろう。
幾つかの本棚そのものが、画集のようになっていた。
本来なら本が収まるはずの段に、絵だけが並べられている。
大判の画布を無理やり立て掛け、小さな額絵を何枚も重ね、時には本と本の間に挟み込むようにして仕舞われていた。
「……何だ、これ」
フィーネは呆然と呟き、一枚の絵に手を伸ばしかけ――すぐに引っ込めた。
触れれば、雪崩のように本も絵も崩れ落ちそうだったからだ。
私はそっと周囲を見回す。
この屋敷は、本を集めたのではない。
絵を飾ったのでもない。
ただ、持てるだけの知識と記憶と執着を、
屋敷そのものへ押し込めていった。
そんな風にしか、見えなかった。
「先ずは一階を廻りましょう。 首が痛くなって来たわ?」
私は肩を揉みながら、フィーネへと振り返った。
見上げ続けていたせいで、五階の吹き抜けへ吸い込まれるような視線に、首が少しばかり悲鳴を上げている。
――――だが。
「いや! 一回だけ最上階から見てみようぜ?」
フィーネは珍しく、目を輝かせていた。
普段なら「面倒だ」「疲れる」と先に言う癖に、今だけは違う。
彼女は階段を指差す。
「だって気になるだろ!? この屋敷、
上から見たら絶対変だって! 何か分かるかもしれねぇし!」
「何か、って?」
「知らねぇけど……こう、本棚の並び方とか! 隠し通路とか! 変な法則とか!」
段々と言っていることが雑になっていく。
けれど、フィーネの言葉に私は少しだけ吹き出した。
確かに、この屋敷は下から見ているだけでも妙だった。
枝葉のように分かれた通路。無秩序に積み上げられた本。壁という壁を埋め尽くす絵画。
上から見れば、本当に何か分かるのかもしれない。
あるいは――余計に分からなくなるだけか。
「……一回だけよ?」
「よっし!」
フィーネは子供みたいに拳を握ると、勢いよく最初の階段へ駆け出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! この階段、絶対長いでしょう!?」
私の声など聞こえていないのか、彼女は既に二段飛ばしで上っている。
仕方なく、私は溜息を吐いて、その背中を追った。
私達は、階段の前に辿り着いた。
それは螺旋階段ではなかった。
壁際を折れ、また折れ、執拗なほどに向きを変えていく――津々良折りの階段だった。
踊り場を幾つも挟みながら、階段は上へ、上へと伸びている。
否、伸びているというより。
まるで屋敷そのものが、
私達に向かって長い舌を垂らしているようだった。
暗い木目の段が、口の奥へ誘う獣の舌のように折れ曲がり、
遥か上階へと続いている。
「……うわ」
流石のフィーネも、
最初の勢いを少しだけ失ったようだった。
階段は、一人分の幅しかない。
肩を並べて上ることすら出来ず、前の者の背中を追うしかないほど狭い。
しかも、一段一段の高さが妙にある。
踊り場に辿り着いたと思えば、また同じだけの段差が続き、次の踊り場へ。
──内部……更にその先へ。
階と階の間隔まで、妙に高いのだ。
「……これ、一階上るだけで普通の家の二階分くらいない?」
「言うな……急に嫌になってきた……」
先程まで最上階へ行く気満々だったフィーネが、
もう既に弱音を吐いている。
私は思わず苦笑しかけて――その時。
「何の音?」
私は思わず立ち止まり、フィーネの背に声を掛けた。
階段の上。
遥か先、折れ曲がった踊り場の向こうから聞こえたように思えたのだ。
だがフィーネは、数段上で振り返ると、どこか居心地悪そうに眉を寄せた。
「いや……多分、私が体重を乗せたからだ」
「……そんな音には聞こえなかったけれど?」
「古い階段なんだろ。ほら、木って変なとこが軋むじゃん」
そう言って、彼女は試すように足を踏み込む。
ギシッ。
今度は確かに、彼女の足元から音が鳴った。
「……ほら」
フィーネは、少しだけ勝ち誇ったように肩を竦める。
けれど。
さっきの音は、こんな近くではなかった。
もっと上。
ずっと、階段の折れ曲がった先――
誰かが私達より先に上っているような、そんな距離だった。
私は無意識に、暗い踊り場の先を見上げる。
「ほら。アヴェーラが御冠にならないようにな?」
フィーネは振り返って、わざとらしく人差し指を立てた。
その口調は軽い。軽いが、ほんの少しだけ、自分でも落ち着かないものを誤魔化しているようだった。
「“誰か居る”だの、“何か聞こえた”だの言ってさ。あいつ、こういうのだけ妙に真に受けるだろ?」
「……確かに」
私は小さく息を吐く。
アヴェーラなら、真顔で「ええ、この屋敷には夜毎に階段を上り下りする何かが――」などと言い出しかねない。
しかも、妙に嬉しそうに。
その想像をした瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
「だから、黙っておきましょう。私達だけの秘密」
「おう。もし本当に誰か居たら、その時は全力でアヴェーラのせいにする」
「最低ね」
私は呆れて言いながら、再び階段へ足を掛けた。
……ギシ。
今度は、私の足元が鳴る。
それに続くように、遥か上――見えない踊り場の向こうで。
…………ギシリ。
もう一度だけ、音がした。
「やっぱり、聞こえるって!」
私は思わず声を上げた。
今のは、私達の足音ではない。
少し遅れて、上から。
誰かが、私達の様子を窺うように、一段だけ踏みしめた音。
「分かった! ちょっと待ってろ!」
フィーネは今度こそ真面目な顔になった。
私を手で制すると、そのまま一人で階段を上っていく。
狭い階段だから、二人並んでは進めない。私は踊り場の手前で立ち止まり、彼女の背だけを見送る。
ぎし、ぎし。
フィーネの足音が、一段ずつ上へ消えていく。
やがて、彼女は最初の踊り場に辿り着いた。
そこで壁の向こうへ身体が半分隠れ、此方からは頭と肩、その背の先しか見えなくなる。
「……誰も居ねぇぞ?」
彼女は曲がり角の向こうから、
顔だけをひょこりと覗かせ、小声で言った。
「本当に?」
「おう。踊り場と、その先の階段しか――」
そう言い掛けて、フィーネの顔から表情が消える。
彼女はもう一度、ゆっくりと曲がり角の向こうへ視線を戻した。
「……いや」
今度の声は、先程よりずっと低かった。
「何か、ある」
私はフィーネの聲に誘われるまま、階段を数段上がり、曲がり角の向こうへと足を向けた。
踊り場は思っていたより狭く、二人立てば肩が触れそうになる。
私はフィーネの横から、そっとその先を覗き込む。
その先にあったのは――。
また階段だった。
同じような木の段。
同じような狭さ。
同じように、本棚に挟まれて上へ続いている。
しかしそれは、踊り場の隅にある。
階段の折れた内側、壁と本棚の間の僅かな空間に。
一脚だけ、椅子が置かれていた。
古い木椅子だった。
背凭れは高く、座面には擦り切れた赤い布が張られている。
「なんだと思う?」
フィーネは椅子を睨みながら、いつものように身構えていた。
今にも本が噛みついてくる、とでも思っていそうな顔だ。
「癖が出てるわよ」
私は小さく肩を竦めた。
「誰かが読んで、そのままにしたんじゃない?」
「こんな場所で?」
「この屋敷なら、別に不思議じゃないでしょう?」
私はそう言って、
独りぼっちの椅子へ歩み寄った。
踊り場の隅に押し込められるように置かれたその椅子は、
まるで階段を上り疲れた誰かのためのものに見えた。
或いは、誰にも見つからずに本を読むための場所。
近付くにつれて、開かれた本の頁が見えてくる。
紙は黄ばんでいて、端は何度も捲られたのか丸く擦り切れていた。
けれど、頁の中央だけは妙に新しい。
そこにだけ、細い文字で何かが書き足されている。
インクは、まだ黒かった。
「Pater mihi de hac domo narravit.
Dicebat enim: si quis rectam viam statuerit, porta patebit.
Sed extremo vitae tempore verba patris iterum reputavi.
Non ita locutus erat. Sic enim dixerat:
‘Si quis armarium librorum protrahat atque torqueat—
porta patebit.’」
「Stulte, multa verba per annos perperam audiveram.
Cur autem nunc demum, hoc senili corpore, intellexi…?
Duodecim stellas sequere, atque ianuam torque.
Tum ipsa viam monstrabit.
Non de porta agebatur.
Viam ostendere oportebat.
Ipsam viam torquere—id clavis erat.*」
本は、そこで途切れていた。
頁の先には何も無い。
書き手が続きを記す前に席を立ったのか、それとも――ここまでしか辿り着けなかったのか。
私はそっと本を閉じる。
乾いた紙が擦れ合い、ぱたり、と静かな音を立てた。
そして、表紙へ目を向ける。
擦り切れた革張りの装丁。
題名だけが、金の箔で細く刻まれている。
――『De Duodecim Stellis et Via Torta』
記名は、無かった。
誰が書いたのか。誰がここへ置いたのか。何も記されていない。
「フィーネ! 謎が解けたわ……!」
私は思わず振り返る。
「なんだそれは?」
フィーネは眉を顰めた。
警戒半分、呆れ半分の顔だ。
「貴女が最初に言ったじゃない?」
「……?」
「“上から見たら、何か分かるかもしれない”って」
フィーネは数秒、ぽかんとした顔をした。
それから、はっとしたように目を見開く。
「……まさか」
「ええ。この屋敷の通路と本棚。全部、何かの形になっているのよ」
私は閉じた本を抱え、吹き抜けの上を見上げた。
枝葉のように分かれた通路。
不自然に折れ曲がる本棚。
そして、“十二の星に従い、道を捻れ”という言葉。
「最上階から見れば、この屋敷全体が“十二の星”を示している。だから――」
私は、本棚の並ぶ暗い通路へ視線を向ける。
「道じゃなくて、本棚を動かすのよ」
「おいおい! 最上階まで往けってか!?」
「そうよ! それをするには『上から見て! 』」
「『下でヤレと? 』」
私達の声が、ぴたりと重なった。
数秒の沈黙。
それから私は、吹き抜けの遥か上を見上げ。
フィーネは、本棚の迷路みたいな通路を見下ろした。
「……最悪じゃねぇか」
「最悪ね……」
上から見なければ、どの本棚を動かせばいいのか分からない。
けれど、本棚を動かす作業そのものは、一階や二階の通路まで降りてやらなければならない。
つまり。
最上階へ上る。
全体を見て、位置を覚える。
下へ降りる。
本棚を動かす。
違ったら、また上る。
「誰よ、こんな仕掛け考えたの……」
私は思わず額を押さえた。
「絶対、性格悪ぃ奴だろ」
フィーネも真顔で頷く。
「いや、待て。もっと悪ぃ。これ、絶対一人で解かせる気ねぇぞ」
「……あ」
私はフィーネを見る。
フィーネも、私を見る。
一人は上に残る。
一人は下で本棚を動かす。
そういう前提で作られている。
この屋敷は最初から、
誰かと一緒に歩くことを前提にしていたのだ。
「はぁ! やっと! 鍵の意味が分かったぜ……。
ナーレ! アヴェーラを呼んできてくれ!! 」
「分かってる! 鍵を連れてくる!! 」
私はそう叫ぶなり、本を抱えたまま踵を返した。
「お、おい!? 待て! 階段で走るなって!」
フィーネの声が後ろから飛んでくる。
だが、そんなものを気にしている余裕は無かった。
あの子なら、こういう意味の分からない仕掛けに妙に詳しい。
星だの、本棚だの、家の歴史だの――全部まとめて嬉々として語り始めるに決まっている。
ギシ、ギシリ、ギシ!
私は津々良折りの階段を、一気に駆け下りていく。
踊り場を折れ、また折れ、本棚の影を掠めながら。
「アヴェーラ! アヴェーラ!!」
吹き抜けへ向かって声を張ると、その声が屋敷中へ反響した。
やがて、一階の遥か下。
本棚の間から、ひょこりと頭が現れる。
「はぁい? 」
のんびりとした返事だった。
「来なさい! 貴女が必要よ!」
「えっ!? 」
アヴェーラは目を丸くする。
「ついに私の時代が来たのですか? 」
「そうよ! 貴女の時世よ!! 」
私が叫ぶと、アヴェーラは一瞬だけ呆けた顔をした。
それから、信じられないものを見たように、ゆっくりと目を見開く。
――――彼女の先祖達は。
長い年月を掛けて、
この屋敷に本を積み、絵を遺し、言葉を捻じ曲げ、道を隠した。
そうして最後に残した辞世が、
遠い子孫の手によって読み解かれるのを、ずっと待っていたのだ。
祖の辞世が、呼び水となる。
今まで閉ざされていた時代が、静かに、確かに。
彼女の時代を呼び起こした……。
一週間ぶりの投稿となり。
遅くなって申し訳ございません……。
取りあえず、
今日はこれくらいで赦してください。




