「ねこ。」
私は、恋をしている。
——————
「あまり自覚したことがないのだけれど」
「……」
「一方通行で想い続けるって、こんなに苦しいんだね」
「……」
「こんな事ならいっそ、はっきり嫌われた方が未だ楽なんじゃないかとすら思ってしまうんだよね」
「……これ俺、何聞かされてんの?」
「猫の話なんだけど」
「え」
「え」
冷夏だなんだとさんざっぱら騒いでおいて、七月に入った途端茹だる様に暑くなる辺り、ほとほと近年の我が国は四季の切り替えスイッチがオンオフ設定しか無くなってしまったらしい。段階を踏んでくれ、頼むから。
ついては日々、節操も遠慮もなく照りつける容赦ない陽光に辟易としている訳で。そんな只中で更に加えて、脈絡も無く理解の出来ない話を振られた身としては、いよいよ一体何と返せば良いのかわからない始末であった。
「あー……お気の毒様?」
苦し紛れである。勿論不正解であった。
「真面目に考えていないでしょう」
「おー。正直全く考えてねぇし、何なら今んとこ未だ意味もわからねぇ」
「隣の斎木さんのお家に、真っ白な猫がいるのだけれど」
「え、続くのこれ?」
「木造の一戸建てで、今時余り見かけない様な古風なお家なのだけど。その縁側でいつも日向ぼっこをしているの」
「はぁ」
「その姿がとても可愛らしくて、愛らしくて。けど、赤の他人の私が、まさか敷地を跨いでご挨拶する訳にもいかないから、泥を啜る思いで遠巻きに眺めるに留めていたの」
「へぇ」
「ところが先日、そのお宅の前を通りがかったら、なんとその猫が歩道の方まで足を伸ばしていたの」
「ほぉ」
「手を伸ばせば届く距離に、焦がれた姿がある。けれども私は冷静だったから、軽々とその距離を詰める様な愚は犯さなかった。勿論内心は、今すぐにでも直接この手で触れ合いたいという強い衝動を抱えたままね」
「なるほど」
「ところが、そんな私の配慮をまるで嘲笑うかの様に、猫は……あろうことか、私の足元に擦り寄ってきた。夢を見ているのかと思うほど、現実味の無い瞬間だった」
「おぉ」
「心が近付いた気がした。私の想いに応えてくれたと思った。けど、たった一度きり。その一度が過ぎれば、あの子はまたいつもの縁側から動かない。どころか、通りがかった私に一瞥もくれなくなってしまった。弄ばれたのか、単に気紛れだったのか……今でもわからないし、あの日の事を思い返せば胸が苦しくなるばかり」
「……なぁ」
「なに」
「これ俺、何聞かされてんの?」
「だから、猫の話だけど」
「え」
「え」
——————
「するってーと、アレか。他所ん家の猫が可愛いけど触れ合う機会はないよなー、みたいな話を延々聞かされてたってか。だいぶ長尺で」
「コンパクトにまとめたつもりだったのだけど」
「長めのショート位長かったぞ。スワイプ待ったなしよ」
近年の若者は堪えが効かないのだ。イントロは短く、サビから始めて頂きたい。
「興味があるコンテンツなら最後まで観るでしょう」
「仰られる通りだし、つまりそういう事だろ」
「……私のこの痛切な想いに興味が無いと?微塵も?時間を費やしてまで聴く価値のない戯言の羅列だと?」
「いらねー方面に自意識を出すんじゃねーよ、怖ぇ。そこまで言ってねーだろ」
「じゃあ、考えて」
「何を」
「この想いをどうすれば良いのか。収めどころを失った感情をどう処理すればいいのか」
無理難題である。加えて言えば、割と意味不明である。
「……猫を飼えばいーんじゃねーか?」
我ながら当たり障りも面白味もない……しかし至極真っ当な意見だと思った。ので、言葉に対して向けられたジトッとした眼差しには心当たりも無く、全く心外甚だしい限りであった。
「例え話をしてもいい?」
「嫌だ」
「例えば明日、私がこの学校を去る事になったとする」
「無視すんなら聞くなよ」
「昼食、放課後、休み時間。君と話し、時間を共有してきた私が、明日からは忽然と姿を消してしまうんだ。そうした時、君はそこら辺の女の子を引っ捕まえて、その後釜に据えるの?私の代替品として?そんな倫理観も道徳感もない行い、最早鬼畜の所業だよ。ちゃんと人の血が流れているのかすら疑わしい」
「……もしかして、俺相手なら何言っても許されると思ってる?」
「それと一緒。私が心を通わせたいのはあの子であって、あの子以外じゃない。あの子でないと意味がないの」
「ずっと無視するじゃん、マジかよ」
「けれども、それが現実として難しい事はわかってる。だからこそ、私の想いの行く先はどこにもないの」
「話したいのか、話を聞いて欲しいのかの指針だけ決めてから喋ってくんねーかな……」
冷房の完備が完了したのは今年度の頭だった。大変に助かる。もし、外を支配する茹だる様な熱気もそのままに、灼熱の渦中でこんな話を長々聞かされ続けたら、いよいよは脳味噌が溶け出すところだった。
「生憎、人様の家の猫にそこまでご執心召された事ぁねーもんでな。共感求めんなら他所を当たってくれ」
「え」
「は」
「好きじゃないの?猫」
「嫌いじゃねーよ。ただ、犬派」
「あぁ、なるほど」
「ぁんだよ」
「自分に従属してくれる存在じゃないと愛せないタイプだ」
「……お前マジ、本当に良くねーぞ、それ」
「犬派の人は支配欲が強くて、独占欲が強い傾向にあるんだよ。加えて束縛もきつい」
「マジで心外だし、どこ情報だよ」
「Yahoo知恵袋」
「この世で一番信用ならねーソースじゃねーか」
いやまぁ、これも偏見だけど。
「でもさ」
「ぁあ?」
「猫耳のキャラクターって多いでしょう?漫画とか、アニメとか」
「あー……まぁ、見かけるわな。擬人化といか、獣人?というか」
「でも、犬耳のキャラクターって多くないでしょう」
「……いや、それこそソースがねーからわかりゃしねーだろ。バイアスガチガチ過ぎるだろ」
「という事は、だよ。逆説的に、潜在的に、世の中には猫派の人の方が多いという推論が成立すると思わない?」
「それ絶対に逆説の使い方間違ってるぜ」
「つまりだね」
「聞けよ」
「君も口ではそう言いながら、心の奥の深いところでは、猫を愛している可能性が極めて高いと思うんだよね」
「……近年聞いた話の中では二番目に無茶苦茶な陰謀論だな」
「ちなみに一番は?」
「大谷翔平サイボーグ説」
「怖」
「なんでそこの感性だけ普通なん?」
——————
「わん」
「は?」
「どう?」
「は?」
「犬っぽかった?」
「悪ぃ、本当に意味がわからねぇ」
「印象実験。犬派を名乗るなら、刺さった?」
「掠りもしねーよ。そんで、怖ぇ。同級生が犬の真似してる姿なんざ、どんな心持ちで眺めりゃいーんだよ」
「なるほど」
「聞けよ」
ひとしきり頷いてから、両手を顔の前に。手首から先は脱力し、だらんと下方向へ。所謂猫のジェスチャーを。
「にゃん」
「……」
「どう?」
「……」
「猫っぽかった?」
「悪ぃ、本当にイカれたのかと思った」
「辛辣」
「当たり前だろ。後アンタ、明らかに猫の方に力入れてたろ」
「まさか。クオリティは揃えないと正確な結果が得られないからね、まさかまさか」
「せめて目を見て言えよ」
——————
「さて」
「ぁあ?」
「良い時間になったので帰ろうと思うよ」
「そいつぁ結構。ちなみに何が良い時間なんだよ」
「件の猫が側に来てくれたのが、丁度この位の時間なんだ。再現性を求めていてね」
「はぁ」
「という事で、犬猫論争の続きはまた明日にでもしよう」
「え、まだやるのあれ。普通に嫌なんだけど」
「……」
「いや、なんか言えよ」
「……にゃん」
「もういいってんだよ」
——————
「おーす、悪い!待たせた待たせた」
猫過激派が帰宅して暫し。騒がしく教室に入ってきた友人、笹上に不機嫌面を突き付けてやる。
「え、めっちゃキレてんじゃん。そんな待たせた?」
「時間はさして、な。ただ、お陰でとんでも陰謀論の知見が一つ増えやがったわ」
「え、全然わっかんねー」
「……いや、これは俺が悪い。気にしないでくれ」
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「そいや、松浦ん家犬飼ったらしいぜ」
「へぇ、相変わらず金持ってんな。犬種は」
「なんだっけ、ほら。あのでけー奴。アメリカン・バハムート」
「……アラスカン・マラミュートだったら引っ叩くからな、お前」
なんだ合衆国の魚って。化け物か。化け物だ。
「それそれ、マラミュー。アレの子犬だってよ」
「すげー独特な略し方すんじゃん」
「見にこねーかって誘われてんだよね。どうせなら一緒にいこーぜ、犬好きだろ、お前」
「お生憎、本日は労働予定だ。ご遠慮ってとこで、松浦にもよろしく言っといてくれ」
「お、そら残念。相変わらず勤労学生してんなー、見たかったろうに無念だなー!」
「苦学生なもんでね、気にしねーでくれ。あぁ、それからあれだ……」
一方通行が苦しいとはよくよく言ったもんだ。
尤も、そんな大仰な話でもない訳だが。
「今日から猫派に鞍替えしたんだわ、俺」
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日常は続く。
お互いの心の内を抱いて、不器用なままで。
それでも伝えたいと。
伝わってほしいと。
伝わるのが怖いと。
矛盾や怯えを抱え込んだまま、私達の日々は進む。
貴方を知りたいと。
貴女を分かりたいと。
願いながら、けれど今はもう少しだけ。
こんな日々の中でただ一つ、確かな事を胸に宿しながら。
俺達は、恋に落ちている。




