第1話:ルイ
「ルイ──」
誰もいないはずの空から、名を呼ばれた。
振り向いても、あるのは青空だけ。
けれどその声は、確かに“そこにある”。
──ドラゴンの声。
声が聴こえるのは、選ばれた者だけ。
そして今日、ルイはその一人として王都へ向かう。
「ルイ!おめでとう!」
「立派なドラゴン操者になるんだぞ!」
花が舞い、歓声が波のように押し寄せる。
村を挙げての見送りの中、ルイは馬車の窓から空を見上げた。
──気のせい、ではない。
あの声は、もう一つの名を呼んだ。
ルイは無意識に、隣家の方へ視線を向けた。
「クラリスー!ルイが出発しちゃうわよ!いい加減起きなさい!」
沿道がざわめきだした頃、二階の窓から女性の声が響いた。
─少女は昨晩から寂しさに泣いていたため、濡れた枕に赤い目元のままだ。
「クラリス。顔を拭いて。いま送り出さないと、後悔するわよ」
濡れタオルを目元に当てられ、クラリスは小さく息をついた。
「……だって……」
─ルイは五年前、クラリスは三年前に、ドラゴンの声を聴いた。
「お兄ちゃんは何でも出来るから良いけど…私、自信ない…」
王国に報告してから、クラリスはドラゴンについて学び、操者の仕事も見学してきた。
それでも──自信には、繋がらなかった。
「あなたの門出はまだ二年先でしょ。今はルイの見送りをしてきなさい。お兄ちゃん、きっと探してるわよ」
布団を剥ぎ取られ、クラリスははっと顔を上げた。
──そうだ。
タオルで顔を拭いた瞬間、頭が回りだす。
─やばい、着替えなきゃ。
髪は?結ってる時間ない!?
「お母さん!もっと早く起こしてよ!」
用意しておいたピンクのワンピースに袖を通しながら、半ば八つ当たりの声を上げる。
苦笑いした母親が、栗色の髪を手早く梳き、花冠を留めた。
「ほら、出来たわよ。行ってらっしゃい、クラリス」
「ありがとうお母さん!大好き!」
階段を駆け下り、外へ飛び出す。
「ルイぃぃぃぃ!」
賑やかな歓声の中、馬車がちょうど家の前に差し掛かる。
ルイが目を向けた瞬間──
ドアを押し開け、転がり出るように飛び出したクラリスの姿が飛び込んできた。
「──クラリス!」
馬車の窓を開けて、ルイが叫ぶ。
「俺たちは、声を聴いた者だ。クラリスなら出来る!」
その言葉に、クラリスの足が止まりかける。
「ルイ…!私、決めたよ!ちゃんと勉強して、ルイのこと追いかけるから!学園で待ってて…!」
置いていかれそうになりながら、クラリスは必死に叫ぶ。
花冠を外し、走りながら差し出した。
「わかった…!約束だぞ、クラリス…!」
それを受け取った瞬間、二人の距離がゆっくりと離れていく。
窓を閉めても、ルイの視線は離れない。
やがて馬車は村を抜け、速度を上げた。
膝の上の花冠を見つめ、ルイは小さく息を吐く。
「…クラリス…」
─それが何と呼ばれる感情なのか、ルイはまだ知らない。
「…いっちゃった…」
小さく呟き、クラリスは立ち尽くす。
けれど──
「先に行って、待ってる…」
その言葉を胸に、ぎゅっと手を握った。
「待っててね、ルイ…」
その声は風に溶けていく。
─誓いだけが、残った。




