40話 氷華神レイラ
ショウたちが必死に足を動かし、戦場の中心部へと辿り着いた時、視界に飛び込んできたのはこの世のものとは思えない光景だった。
そこには「氷華神」の力を完全に解放し、神々しいまでの冷気を纏ったクレアが浮遊していた。そして地上では、ジラードが巨大な魔法障壁を展開し、街へと降り注ぐ火の粉と熱波をその身一つで食い止めている。
「……また、来るぞ!!」
ジラードが叫ぶ。ヘル・ゲートがその醜悪な顎を開き、喉の奥に凝縮された紅蓮のエネルギーを集めていた。グリムハインを焼き払ったあの終末の光線が、再び放たれようとしている。
「これ以上、好きにはさせない……」
上空のクレアが、その両手に絶対零度の魔力を集中させた。彼女の周囲の大気が凍りつき、無数の氷晶がダイヤモンドダストとなって舞い上がる。
「これで眠りなさい……!!」
ヘル・ゲートから放たれた灼熱の熱線。それと同時に、クレアの手元から白銀の光を放つエネルギー波が撃ち出された。
「クリスタル・エンド・ノヴァ!!」
2つの凄まじいエネルギーが衝突した。
ゴォォォォォォォォンッ!!!!!
氷の光線と炎の濁流が空中でぶつかり合い、天を二分するような衝撃が走った。熱と冷気の衝突により、周囲の水分が一瞬で爆発的な水蒸気となり、凄まじい風圧がショウたちの身体を地面に押しつける。街の城壁が悲鳴を上げ、地面が激しくのたうつ。
人々は息を呑み、祈るようにその空を見上げた。
「せんせーーーーーい!!!!!!」
エマの叫びが轟音にかき消される。光線同士の激突は、戦場を白銀と深紅の混濁した煙で覆い尽くし、勝敗の行方は誰の目にも映らなくなった。
やがて、衝撃波が収まり、ゆっくりと煙が晴れていく。
「……あ……」
ショウの口から、感嘆とも戦慄ともつかない声が漏れた。
そこにいたのは、咆哮を上げた姿勢のまま、巨大な氷の彫像と化したヘル・ゲートの姿だった。あれほど世界を焼き尽くそうとしていた災厄の炎が、内側から完全に凍結され、静止している。
絶対零度の輝きを放つクリスタルの中に閉じ込められた悪魔。
クレアの究極魔法が、ついに「厄災」を沈黙させたのだ。
「や……った……」
ショウの口から、掠れた声が漏れた。
「はははは! さすが先生だわ! 見たか、あのアホ面な怪獣の末路を!」
エマが快哉を叫び、ルークも深く安堵したように肩を落とした。
「すごいぶつかり合いでしたね……」
空から、青白い光を失ったクレアが静かに降りてくる。だが、その姿は氷華神の神々しさは消え失せ、今にも力尽きそうなほどに憔悴しきっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
三人の前に降り立った瞬間、彼女は膝をつき、そのまま崩れ落ちるように地面へ倒れ込んだ。
「せんせーい! 大丈夫!?」
エマが真っ先に駆け寄る。クレアは荒い息をつきながら、弱々しく微笑んだ。
「はぁ……はぁ……ああ、大丈夫だよ……。お前たちも、無事で……良かった……」
「心配させないでよね! まったく!!」
エマが涙ぐみながら怒鳴る。その傍らに、街を護りきったジラードも歩み寄ってきた。
「無理したな、クレア。……ショウ、お前さんも無事だったみたいだね」
「ジラードさん! 赤薔薇の男は……」
「ああ、赤薔薇相手に苦戦するもんか。お前のおかげで、街の被害は最小限で済んだよ」
ジラードの言葉に、クレアが少しだけ顔を上げた。
「……あとで、酒を奢れよ。最高級のやつだ」
「ふん、言われなくても分かってるさ」
だが、ジラードの表情が突如として強張った。
「……!? 何かいるぞ」
彼の視線の先――凍りついたヘル・ゲートの頂上に、いつの間にか一人の影が立っていた。黒いローブを纏い、顔を深く隠した謎の男。
男はヘル・ゲートに向かって掌をかざすと、何かを聞き取れない声で呟いた。
「……――――――」
その瞬間、終わったはずの災厄が牙を剥いた。
ドガァァァァァァァァンッ!!!!!
凄まじい爆音と共に氷が粉砕され、黒いオーラを纏った炎が噴き出した。復活したヘル・ゲートの目は、もはや理性の欠片もなく、何者かに支配されたように赤黒く淀んでいる。
「この距離はまずい……ッ! 総員、私の後ろへ!!」
ジラードが瞬時に巨大な魔法障壁を構築し、絶望的な光線に備える。
だが、ショウは見てしまった。先程まで頂上にいた「黒いローブの男」の姿が、忽然と消えていることに。
「え……!? いない……」
「お前は、こっちだ」
次の瞬間、ジラードのすぐ真横に、その男が立っていた。魔力も気配も、足音すらも一切感じさせない、完全な「無」。
「ジラードさ――」
ショウの叫びが届くより早く、男はジラードの肩に手を置いた。瞬間、空気の歪みと共にジラードの姿が掻き消える。守りの要が、一瞬で戦場から排除された。
「ジラーードさーーん!!!」
最悪のタイミングで、ヘル・ゲートの口元に黒き炎が収束する。ジラードの消えた隙間へ、あの光線が放たれようとしていた。
「くそぉぉぉぉ!! ウォーターウォーーール!!」
ショウは残った全魔力を振り絞り、動けないクレアの前に水の壁を生成する。
「私も行くわよ! はぁぁぁぁ!!」
エマも必死に杖を振り、二重の障壁を作り出す。
ドォォォォォォォォォンッ!!!!!
光線が直撃した。
「ジューーーッ!!」という凄まじい蒸発音が響き、視界が真っ白な蒸気に包まれる。
「踏ん張れぇぇぇ!!!」
エマの絶叫。
「二人とも頑張れ! 負けるな!!」
ルークが二人の背中に手を当て、吹き飛ばされないよう必死に支える。
「……三人とも……私はいいから、逃げな……!!」
クレアの悲痛な声が響く。だが、エマは歯を食いしばり、顔を真っ赤にして笑った。
「そんなこと、できるわけないだろ!! 私が……私たちが、先生を守るんだ!!」
ショウの必死な魔力、少女の意地、そして友を支える手の温もり。
三人の鼓動が、かつてない絶望の熱線に真っ向から立ち向かっていた。
ショウの杖とエマの杖が、ミシミシと軋むような音を立てる。まるで道具自体が恐怖に悲鳴を上げているかのようだ。
直撃する熱風。手も、体全体も、皮膚の内側から焼けるような激痛に襲われる。
(……くそっ、ここまでなのか!?)
意識が遠のきかけたその時、ジラードの言葉が脳裏に蘇った。
『お前の魔力はそんなもんじゃない……お前さんの体の奥深くには、莫大な魂が眠っている』
(……そんなものがあるなら、今ここで目覚めろよ! 頼む、この体の、元の持ち主の魂よ……思い出せッ!!)
ショウは強く目を閉じた。意識を己の深淵へと沈める。すると、体の芯に走る奇妙な違和感――熱い塊が爆ぜた。
次の瞬間、ショウの体から、それまでの彼とは比較にならないほど重く、神聖な魔力が奔流となって溢れ出した。
「な、……なによこれ! この魔力、どこから……!?」
隣で支えていたエマが、驚愕に目を見開く。
ショウは喉が裂けんばかりの声で叫んだ。
「うおおおおおおおおおおお!!!」
押し負けそうになっていた『ウォーターウォール』が、瞬時に巨大な激流へと変貌した。黒き炎を飲み込み、力技で押し返す水の壁。
ドバァァァァァァン!!!!!
轟音と共に、絶望のブレスが霧散した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
三人は肩で息をしながら膝をつく。だが、ヘル・ゲートは止まらない。一気に魔力を放出した反動で、ショウの視界は白く霞み、焦点が合わない。
(……やばい、意識が……)
崩れ落ちそうになったショウの視界に、一人の女が映り込んだ。
黒く長い髪。黒を基調とした装束に身を包んだ、整った顔立ちの美女。腰には、見たこともないような長く美しい刀を携えている。
彼女がそこに立った瞬間、戦場の熱気は一瞬で消え去り、辺りは凍てつくような寒さに支配された。吐き出す息が、真っ白に染まる。
「……巫、クレアよ。立ちなさい。守るのです」
女が静かに目を開いた。その瞳は、透き通るような美しい青色。
彼女が手を差し伸べると、掌に浮かんだ冷気の玉が、倒れ込んでいたクレアの体へと吸い込まれていった。
女はそのまま腰の刀を抜き放つ。すると、黒い装束が一瞬にして純白の衣へと変わり、彼女自身が冷光を放つ光の塊となった。
そのあまりの神々しさに、ショウは言葉を失い、見惚れるしかなかった。
(……気配でわかる。間違いない、このお方が……『氷華神レイラ』だ……!)
レイラは白銀の翼を持つかのように宙を舞い、荒れ狂うヘル・ゲートの元へ飛んだ。
巨獣が鋭い爪で応戦するが、レイラは華麗にそれをかわし、一気にその懐へ。
彼女は、ヘル・ゲートの醜悪な口元に、慈しむような接吻を落とした。
その瞬間、ヘル・ゲートの巨体が内側から凍りついた。氷は幾重にも重なる「華」の形をしており、それはまさに巨大な氷華そのものだった。
「……ありがとう、レイラ様」
力を分け与えられたクレアが、再び立ち上がった。彼女もまた、神の力を解放した白銀の衣を纏っている。
クレアはショウたちの前に立ち、凍りついたヘル・ゲートを見据えた。
だが、ヘルゲートも最後の灯火のように燃え上がり、内側から氷を砕いて咆哮を上げる。最後の力を振り絞り、喉の奥にこれまでで最大のエネルギーを溜め始めた。
「もう眠りなさい。……悲しき炎の悪魔よ」
クレアが両手を掲げる。
「クリスタル・エンド・ノヴァ!!!」
エマが咄嗟に土魔法で堅牢な壁を築き、ショウとルークを守る。
直後、空が割れるような衝撃が走った。
ドゴォォォォォォォォン!!!!!
「はぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!」
クレアの放つ絶対零度の光線が、ヘル・ゲートの黒き炎を真っ向から押し込み、その巨体ごと粉砕した。
飛び散る氷の破片は光り輝く星屑となり、街全体へと降り注ぐ。その冷気は街を襲っていたすべての戦火を瞬時に消し飛ばし、狂乱の夜を静寂へと塗り替えた。
舞い落ちる白銀の粉雪の中で、ショウはただ、静かに目を閉じた。




