116話 白銀の世界
ショウの後ろで、倒れていたエマが微かに身を縒り、呻き声を上げた。
「んんんんん……ッ」
「エマ! 大丈夫か!?」
ショウが駆け寄り、彼女を抱き起こす。エマは焦点の定まらない目で辺りを見回し、掠れた声で問うた。
「……ベサリズは……?」
「奴は、ジラード様とジルが戦っているよ。……エマのおかげで、ジラード様たちが僕たちの居場所に気づくことができたんだ。ありがとう」
ショウの言葉に、エマは一瞬目を見開いた後、安堵の笑みを浮かべた。
「おお……そうか。よかった……。わしも、共に……くっ……」
起き上がろうとするが、傷ついた体に力が力が入らず、彼女は再び顔を顰める。
「エマ! 無理しないで。今はジラード様とジルに任せよう……」
「……そーだな。……不甲斐ないが、今は……」
エマは悔しげに唇を噛み、二人の背中に視線を向けた。
その戦場では、腕を再生させたベサリズが、愉悦に満ちた目で二人を見据えていた。
「私も……少し、本気を出すとしよう……」
メリメリメリッ! バサァァッ!!
ベサリズの背中から、骨を突き破って禍々しいコウモリのような翼が広がる。同時に、両肩からは肉を裂いて黒鱗に覆われたドラゴンの首が生え、悪魔のような長い尻尾が石畳を叩いた。
「『フルグル・テネブラルム』……」
バリバリバリィィィッ!!
ベサリズが杖を掲げると、空気を焼き切るような不快な高音と共に、空間を裂く極太の黒い雷が一閃。ジラードとジルを目掛けて放たれた。
「『ルクス・ペルディティオーニ』ッ!!」
ゴォォォォォォンッ!!
ジラードが杖を突き出すと、それに対抗して凝縮された純白の光線が放たれる。
チュィィィィィィンッ……ドッガァァァァァン!!
黒と白、闇と光の魔法が真正面から激突。周囲の空間が歪むほどの凄まじい衝撃波と、拮抗する魔力の耳鳴りが戦場を支配する。
その衝突で生まれた閃光と砂埃の隙を突く。
ジルが音速を超えたスピードでベサリズの懐へ肉薄し、刀を振り下ろした。
ズバァァッ!!
しかし、ベサリズの肩から生えたドラゴンの首が自律的に動き、ジルの刃を弾くと同時に口を開く。
ゴォォォォォッ!!
ドラゴンの口から、すべてを灰にする業火の炎が吐き出された。
ジルはそれを紙一重で回避し、後ろへ跳躍して距離を取る。
それと同時に、ぶつかり合っていた二つの最強魔法が相殺され、大爆発と共に霧散した。
ドォォォォォォンッ!!
煙の中に立つベサリズは、翼を羽ばたかせながら、余裕の笑みを浮かべる。
「ジラード……。前、会った時よりかは成長しているみたいだな……」
「ふん……。前みたいにいくとでもおもうたか?」
ジラードは杖を構え直し、静かに魔力を練り上げる。
「だが、これならどうだ?」
ベサリズが巨大な黒い翼を広げ、空へと舞い上がった。夜空を背に、彼が呪文を唱える。
「『プルーウィア・モールス』……」
ベサリズの周囲に、黒い剣の形をした魔力の刃が無数に現れた。それは月光さえも吸い込み、不気味に輝いている。
ベサリズが手を前にかざすと同時に、その無数の黒い刃が、戦場の一行目掛けて雨のように降り注いだ。
「くるぞ……ッ!」
ジラードの鋭い警告と同時に、夜空を埋め尽くした黒い刃が一斉に牙を剥いた。
シュシュシュシュシュッ!! ドドバババババッ!!
逃げ場のない死の豪雨。ジラードが即座に杖を掲げ、言霊を紡ぐ。
「『テスタ・アクアリス』!」
ボォォォォォ……ッ!
ジラードを中心に、蒼く透き通った水の半球膜が展開された。降り注ぐ黒い刃が膜に触れるたび、激しい水しぶきを上げて弾け飛ぶ。その結界の外側では、ジルが銀の残像となって舞っていた。
ギギィィィン! シュパァァッ! ズババババッ!!
ジラードは結界玉を守り、ジルは超人的な抜刀術ですべて斬り落としていく。火花が激しく散り、砕け散った闇の破片が石畳を削る。だが、その猛攻が止んだ瞬間、さらなる絶望が滑空してきた。
ドォォォォォォンッ!!
ベサリズが巨大な黒翼をはためかせ、音速に近いスピードで肉薄。手にした黒い大剣「ウムブラ・グラディウス」を、力任せにジルへ叩きつける。
ガキィィィィィンッ!!
「くっ……!?」
ジルの刀が大剣を正面から受け止めるが、その圧倒的な質量と質量を乗せた突進には抗えない。
ドゴォォォォォンッ!!
ジルは防勢のまま後方へと弾き飛ばされ、廃墟の壁を何枚も突き破って闇へと消えた。ベサリズはその勢いを殺さぬまま、次の獲物——ジラードへと迫る。
「しまっ……『ルクス——』」
ジラードが反撃の魔法を唱えようとしたその時。
ヒュルルッ、ガチィィッ!!
「な……ぬっ!?」
ベサリズの背後から伸びた黒い尻尾が、生き物のようにジラードの杖を搦め取り、その動きを完全に封殺した。詠唱の要を封じられ、無防備になったジラードの胸元に、ベサリズが左の手のひらを突き出す。
「『テネブラエ・プルスス』」
ズゥゥゥゥンッ!!
至近距離で放たれた黒い波動がジラードの胸を直撃し、内側から爆発した。
「ガハッ……ッ!!」
鮮血を撒き散らしながら、ジラードの老躯が糸の切れた人形のように吹き飛ぶ。
ドサァァッ!!
地面を転がるジラード。だが、ベサリズに慈悲はない。
「死ね。」
ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!! グサグサグサァッ!!
追い打ちをかけるように、再び無数の黒い刃が、地に伏したジラード目掛けて容赦なく降り注いだ。
「ジラード様!! ジルさんっ!!!」
ショウの絶叫が、血生臭い戦場に虚しく響き渡った。
ジラードを死の雨が貫こうとしたその瞬間、廃墟の闇から「音」が消えた。
「――ッ、キィィィィィン……!」
遅れて響いたのは、空気を鋭く引き裂く高周波の音。吹き飛ばされていたはずのジルが、文字通り音を置き去りにする神速で戦場へ回帰していた。
「『銀糸の太刀』」
ショウの目には、ジラードの周囲に無数の銀の糸が交錯したようにしか見えなかった。次の瞬間、降り注いでいた黒い刃のすべてが、まるで糸に操られたかのように空中でバラバラに細断され、霧散する。一閃、また一閃と、空中に残った銀色の軌跡が、ジルの圧倒的な速さを証明していた。
その防壁に守られ、砂煙の中からジラードが血を拭いながら立ち上がる。その瞳には、老兵の執念が宿っていた。
「わしを……甘く見るなよ。……『ルクス・サギッタ』ッ!」
ビシュゥゥゥッ!!
ジラードが指を放つと、凝縮された純白の光の矢が、流星のごとき速度でベサリズの眉間へと飛んでいく。
だが、空中に浮かぶベサリズは、その不気味な笑みを崩さない。
ゴゥッ!!
彼の肩から生えたドラゴンの首が、まるで獲物を見つけた蛇のように鎌首をもたげ、大口を開けた。その奥から、すべてを焼き尽くす極彩色の業火が放たれる。
チュドォォォォンッ!!
光の矢と業火が激突し、空中で激しい爆散を引き起こした。相殺された魔力の残滓が火の粉となって降り注ぐ中、ベサリズは翼を優雅にはためかせ、二人を見下ろしている。
「いい……。いいぞ、二人とも。その絶望を抗いに変える力……それこそが、究極の素材だ」
ジルの神速、ジラードの不屈。それらを持ってしてもなお、ベサリズの鉄壁の守りを崩すには至らない。戦場には再び、息の詰まるような緊張感が充満していく。
ベサリズは、二人が息を整える僅かな隙を、愉悦の表情で見つめていた。夜空に広げた黒翼が、静かに月光を遮る。
「そろそろ、終わらせるか……。面白いものを見せてやろう」
その言葉と同時に、ベサリズの背中から、既存の翼や尻尾とは異なる、不自然な部位が肉を裂いて現れた。
パキパキパキッ……! ヌゥゥッ……!
それは、これまでの黒い異形とは対照的な、凍てつくように白い、白銀の二本の腕だった。骨が突き出し、筋肉が編み上げられる不気味な音と共に、その白銀の腕は、ベサリズの本来の腕の外側に、第三、第四の腕として完成する。
ベサリズはその新しく生えた白銀の手を、既存の腕と合わせるように前へと突き出し、手のひらをジラードとジルの方へ揃えて向けた。
キィィィィィィン……!
その瞬間、戦場の空気が一変した。熱が奪われ、大気中の水分が一瞬で凍りついて、キラキラと輝くダイヤモンドダストへと変わる。周囲の音が吸い込まれていくような、静寂。その白銀の手のひらの間に、信じられないほどの高密度で、冷徹なエネルギーが凝縮されていった。
「……ッ!? この魔力は……!」
ジラードが顔を強張らせ、冷や汗を流す。そのエネルギーは、彼でさえ感じたことのない、すべてを「死」へと静止させる、絶対的な冷気だった。
エマは、そのエネルギーが放つ、奇妙なほどに美しい白銀の光を見て、目を見開いた。彼女の魔眼が、その魔力の「質」を捉えたのだ。
「あの魔法は……。……クレア先生の……!?」
彼女の記憶の奥底にある、美しくも冷徹な、あの人の魔法。ベサリズが今、放とうとしているのは、かつて彼女の恩師であった、ノヴァ・クレアの奥義であった。
「『クリスタル・エンド・ノヴァ』!!」
ドォォォォォォッ!!
ベサリズの声と共に、白銀の手のひらから、すべてを白に染め上げるエネルギーの波が、轟音を立てて撃ち出された。それは爆発というよりは、光の濁流。
白銀の光線が、ジラードとジルを飲み込み、その背後の廃墟さえも一瞬で飲み込んでいく。
シャリィィンッ! チュドォォォォン!!
光線が触れたものすべてが、瞬時に氷の結晶へと変わり、砕け散る。炎も、煙も、砂塵も、すべてが凍りつき、その姿を留めたまま静止する。
あたり一面は、一瞬にして白銀の世界に包まれた。廃墟の石柱は氷の彫刻へと変わり、地面は白銀の氷床で覆われる。その光の中に消えたジラードとジルの姿は、もはや見えなかった。ただ、すべてを奪い去った後の、絶対的な静寂と、凍てつくような冷気だけが、そこに残されていた。




