45話 黒咲杏里は大活躍する
だが、オレに時間を止める能力なんてない。
このままでは真由は床に頭を打ちつけてしまうだろう。
それで大怪我を負ってしまったら大変だ。何しろ今は台風で病院に運ぶ事すらままならないかもしれない。
(くっ! このままじゃ……間に合わないっ!)
糸が切れた操り人形のように崩れていく真由へと、オレは必死に手を伸ばすが。あと五〇センチ、いや三〇センチばかり距離が足りない。
──諦めた、まさにその時だった。
オレの視界を、黒い影が横切り、遮っていく。
横切った影の正体とは、オレが立っていた場所よりも真由から遠い位置にいた黒咲だった。
届かなかったオレに代わり、倒れた真由の身体をしっかりと両手で受け止め、抱きかかえて地面に頭をぶつけるのを間一髪で防いだ。
衝突ギリギリのところで真由を受け止めた黒咲のあまりに素早い身のこなしに、悔しいがオレは見惚れてしまっていた。
(す、す……スゲぇぇ……さすが、全国大会優勝候補、剣道部エースは伊達じゃないぜ……)
もしオレと黒咲の性別が逆だったなら、問答無用で黒咲に一目惚れだったかもしれない。
そのくらい、今の動きは凄まじいものだった。
「ふぅ……冗談にしてはだいぶ悪質な倒れ方じゃないか、真由」
だが、そんな黒咲の言葉にも反応しない真由は、はあはあ……と息を荒げているだけだった。
(そういや、真由の奴……部屋に入ってきた時から、どこか様子がおかしかったぞ?)
そう。起きてきた真由は、どこか焦点が合わないようなポーっとした表情をしていた。
もしかして、と思い。オレは黒咲が両手で抱きかかえていた真由の額に手を置いてみた。
予想通り、オレの手に伝わる熱は普通の体温ではなかった……とても、熱い。
「ま、真由っ? お前、熱あるじゃないかっ……しかもこの熱さ、三七度や三八度じゃないだろ、コレっ!」
「ち……ちょっと、昨日は無理をしちゃったみたいですね、ご、ごめんなさい……せんぱいっ……」
真由の言葉を聞いて、少しばかりホッと胸を撫で下ろすオレ。
どうやら真由が熱を出したのは、一時的に体調を崩したからのようで。別に重い病気を隠していたとかではなさそうだ。
昨日、長い時間ボートの上に濡れた身体をさらしていたのが悪かったのか。
それとも夕食時の肩を出したパーティードレスのまま、着替えを惜しんで寝かせてしまったのがダメだったのか。
どちらにせよ、オレの責任は大きいじゃないか。
「謝るなって。真由は何も悪くないっての」
「でも、でも……せっかく、せんぱいと旅行来たんだから、いっぱい……いっぱい遊びたかったのに……ごめんなさい、ごめんなさい……本当にごめんなさい、せんぱいっ……」
黒咲に身体を支えられたままの真由が、一緒に旅行に来たオレに悪いと思ったのか、涙声で何度も謝ってくるのを聞いていると。
そもそも、黒咲にも知られることなく秘密裏にオレとの沖縄旅行を計画したのは真由であり。この旅行を一番楽しみにしていたのは間違いなく真由だ。
その彼女が、体調を崩して今日一日を無為にベットに寝て養生しないといけないのだ。一番口惜しいのは真由自身だろう。
だからオレは、目に溜めていた涙を指で拭ってやってから。真由の頭を優しく撫でてやるのだった。
「あ……え、せ、せんぱいっ?」
「旅行初日ではしゃぎすぎたんだろうよ。まずは今日一日は寝て、ゆっくり身体を休めようぜ。な?」
いつもの強情な真由ならば、オレの意見を大人しく聞いてくれるのはレアケースなのだが。
今日の真由は無言のままコクン、と頷き、大人しくオレの言うことを聞き入れてくれた。
「なあ、黒咲。少し……手伝ってくれないか?」
「ん、ベットまで運ぶのをかい?」
「それもあるんだけどさ……さすがに男のオレが真由を着替えさせるのは、ちょっと……な」
そうなると、オレだけじゃ真由がきちんと療養する準備をするのは無理だ。
さすがに今着たままのドレスを脱がせて、ちゃんとした寝間着に着替えさせるのは不可能だったりする。
そこは、同じ女子である黒咲に頼んだほうが、後々問題にならずに済むと思ったからだ。
「そ、そうだね! け、景君が真由に触れるなんてとんでもないことだっ……真由の着替えは是非、私に任せてくれたらいい!」
すると、やはり黒咲もオレが真由の衣服を脱がせたりするのには抵抗があったのだろう。黒咲はオレの提案を実に快く引き受けてくれたのだった。
「で、景君。真由の部屋はどこなんだい?」
突然の頼まれ事にすっかりやる気になってくれた黒咲は、真由の首と両膝を抱えてのいわゆる「お姫様だっこ」の姿勢で。
オレの案内通りに、真由の寝室へと入っていく。
「……えー、真由はせんぱいに着替えさせてもらったほうがぁ──」
「うるさい! 病人は静かにしてろっ!」
そんな言い合いをしながら寝室に入っていく真由と黒咲。
……あれくらい冗談を言えるようなら、今日一日ベットで静かに寝かせておけば、明日にはいつもの調子が戻るだろう。
どうせ今日は台風が襲来している最中だ、外で遊ぶ予定は白紙となってしまったのだから。
(今日は一日真由の看病かな……この雨の中、来てくれた黒咲にゃ悪いけどな)
一人残されたオレは、部屋の窓から雨風の勢いを増し続ける外の様子を眺めながら。
あくまで結果論だが、黒咲がホテルまで訪ねてくるという出来事があったからこそ。真由は頭を打たずに済んだし。オレも真由にやましい真似をせずに済んだ。
本当であれば、そんな黒咲に構ってやりたい気持ちはあるが。
今日は一日中、真由の看病でつきっきりになってしまうだろう。わざわざやってきた黒咲の相手をすることができないのは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
黒咲が真由の着替えをさせてる間に、オレはシャワー室にあった洗面器に水を張り。冷凍庫にあった保冷剤を水に投入してよく冷やしておき、タオルを浸して真由の熱を取る準備をしておく。
三〇分が経過した頃、寝室のドアの内側からコン、コン、と扉を叩く合図と一緒に黒咲の声が聞こえてくる。
「……景君。真由の着替えはもう終わらせたし、身体の汗も拭いておいたよ。今はしっかりとベットに寝かせてある」
「そうか、ありがとな黒咲」
色々と世話を焼いてくれた黒咲に、ドア越しに感謝の言葉を告げると。オレは冷やした濡れタオルを持ったままドアを開けて、真由が休息している寝室へと入っていく。
「あ……せんぱい、ごめんな──はぅっ?」
黒咲の言う通りに服を着替えてベットに寝ていた真由は、オレの顔を見た途端にまた謝ろうとしてきたのだ。
オレがそんな真由の鼻の先をピコンと指で軽く弾いてやると、情けない声を真由は漏らしていった。
「真由は悪くないっていっただろ。いいから、これで頭冷やして、ゆっくり寝てろ」
「ひゃうぅぅぅっっ!? つ、つ、冷たいですぅぅぅ……」
そのまま間髪入れずに、キンキンに冷やした濡れタオルを真由の額に置いてやると。
少し冷えすぎていたのか、予想以上に大きな驚きの声を出す真由だったが。




