21話 くろさきさんから電話が
『いや、知らないぞ。沖縄旅行なんて話は』
「……はあ?」
それが。三人での沖縄旅行の当日を迎えたオレが、朝一番に発した大きな声だった。
事の真相は、こうだった。
ピピピピピピピ──
朝七時にセットしておいたスマホの目覚ましアラームが鳴り、それを聞いたオレが余裕を持ってベットから起き。
洗面所のある一階まで降りて、顔を洗い歯を磨くといった朝の身だしなみを終えたちょうどその時。
珍しく、リビングに置いてある電話が鳴る。
「お、黒咲からかな」
今や世の中は誰もかれもが最低一台はスマホを持っている時代だ。よって通話をするのに互いのスマホを利用しないほうがおかしい。
そういう時代だからこそ、今では家に据え置きの電話機を設置していない家も珍しくはないが。
オレの家は、両親に何かこだわりでもあったのだろう。据え置きの電話機が置いてあったりする……理由は今となっては聞けそうにないが。
だが、オレもスマホを持ってるため、家の電話にかかってくるのは稀な話だ。
約、一名を除いては。
もうおわかりだろうが、いまだ何かあると家の電話にかけてくる人間こそ、黒咲なのだ。
「よ、おはようさん」
『お、おはよう、景君っ……いや、出かける前に捕まえられてよかった』
リビングにある時計を見れば、もうそろそろ七時半を指そうといったところだ。
「八時になったら迎えが来るからな。で、黒咲はしっかり準備出来てるか?」
『ふふ、まさか景君から心配されてしまうとはね、いやすまない、準備は万全だよ。景君の言ってる迎えというのが何のことかはわからないけど』
「ん……あれ? 黒咲の家に迎えに来る時間、八時じゃないのか?」
『八時に? どういうことだい景君?』
受話器の向こう側から聞こえてくる、黒咲の怪訝そうな声。
何だろう、黒咲との会話が噛み合わない。
オレと黒咲はどうも致命的なすれ違いをしているような気がしたので、ここは一から確かめてみることにした。
「まず、今日はオレと黒咲、それに真由の三人で沖縄旅行に行く、で間違ってないよな?」
『いや、真由はどうだか知らないが。私は今日、剣道部の合宿なんだが……』
「部活の合宿?」
『真由と沖縄旅行?』
そして、冒頭の会話に戻るというわけだ。
黒咲に確認してわかったのは、真由は黒咲を沖縄には誘っていなかったという事実。
『そうか……真由のやつ、私がちょうど剣道部の合宿があるのを知って仕掛けてきたか、ふふ……ふふふふふふ』
「いや黒咲、気持ちはわからんでもないが、怖いっ、怖いて、落ちつけって、な? な?」
受話器の向こう側から、まるでホラー映画に出てきそうな呪いの電話のように、低い声で不気味な笑い声が響いてきたので。
怖くなったオレは思わず、受話器を耳から遠ざけてしまう。
「な……なあ、黒咲っ」
だが、驚きを隠せないのはオレも同じである。
まさか真由が、いつも一緒に行動していた黒咲に対して「旅行に誘わない」などと冗談では済まない真似をするとは思ってなかったからだ。
だからこそ、オレは言っておかなきゃいけない。
「信じてもらえないかもだけど、オレ……黒咲が除け者にされてたの知らなかったんだ」
あと三十分ほどで迎えが来てしまうようなギリギリで言うようなことじゃないのは、言っているオレが一番わかってる。
ものすごく言い訳がましいオレの言葉に。
『ああ、わかってるさ。何せ景君と私は長い付き合いだからね……景君はそんなことをするような男じゃないってね』
いつもはグイグイと迫ってくる態度が苦手な黒咲だが。
電話越しに話してみると、いつも顔を合わせている黒咲とはまるでイメージが違う落ち着きぶりに。さすがはほぼ満票で生徒会長に選ばれただけはあると感心してしまっていた。
「あ、ありがとな、黒咲……」
だからオレは、せっかく楽しみにしていた沖縄旅行だが「黒咲を除け者にした」ということを知ってしまった後で沖縄の海に浮かれて遊ぶなんて出来やしない。
「そろそろ真由の迎えが来るけどさ、今回の旅行はキャンセルすることにするよ」
『いや、景君はそのまま沖縄旅行に真由と二人で行ってくれ』
少し悩んだ結果、オレは真由が誘った沖縄旅行には行かない、と話すと。
黒咲は少し間を空けた後、意外にも「旅行へ行け」と言い出したのだ。その言葉にびっくりしたオレに。
『景君にも気晴らしは必要だろうし、それに──私に一つ、策があってね。ふふふふ……』
再び受話器の向こう側から、先程よりも一層低い含み笑いが響いてくる。
黒咲が一体何を企んでいるのかはオレには知りようがないが、真由がかわいそうに思えてきた。
「あ……わ、わかった」
受話器越しの迫力に押され、オレは知らずのうちに首をコクンコクンと何度もうなずいていた。
『ふふふふ、それじゃ景君。また後で連絡するよ』
黒咲からの電話が切れると同時に、玄関の前に車が停まるブレーキの音がする。
時計を見ると、時間は既に八時を指していた。
「うお、黒咲との電話……三十分も喋ってたんだな、気づかなかったわ」
ということは、家の前に停まったのは真由が手配してくれた迎えの車なんだろう。
オレのテンションはダダ下がりしていたが、黒咲にああ言われてしまった手前。急いで着替えて、昨晩のうちに用意しておいた荷物を抱えてオレは玄関を出る……その前に。
何事もなければ、三日間は家を空けるのだ。家を出る前に窓などの戸締まりを確認して、無駄な電源を切っておいたかをチェックしていく。
「おっとと……戸締まりはしっかりしておいたよな」
家の前に停まっていたのは、白い塗装ではあったがつい先日家まで送ってくれたのとは違った高級車だった。
後部座席のドアが開くと、そこには私服の真由が満面の笑顔でオレを出迎えてくれる。
「おはようございます、灰宮せんぱいっ♡」
今朝の黒咲の電話さえなければ、オレはまだこの時点で黒咲の姿が見えなかったとしてもあまり疑問には思わなかったろう。
車に乗り込んだオレは、なるべく態度に出ないように真由に挨拶を返す。
「お、おう、おはよう真由」
だけど、オレは知ってしまっている。
黒咲が誘われていない事を。
それでもオレは敢えて、真由に黒咲の不在を聞いてみようと思ってしまった。
「な……なあ、黒咲の姿が見えないんだが……?」
「え、杏里ちゃんなら旅行には来ませんよ」
「え」
何らかの理由をつけて誤魔化してくるかと思ってたが。
まさか何ら悪びれる様子もなくストレートに「来ない」と言われるとは思ってもみなかったオレは、驚きで声が漏れてしまった。
「えぇと、杏里ちゃんは今日から二泊三日で男女剣道部の合宿があるので、沖縄旅行には来れないのを真由、すっかり忘れてたんです」
確かに、さっきの黒咲からの電話でも部活の合宿があると、そう言っていた。
黒咲は個人戦では全国出場確実の、そして団体戦ではポイントゲッター、しかも次期主将候補と絶対に欠かせない人材だ。
そんな彼女が、オレと真由との私的な旅行を優先して部活の合宿を蹴るなんてあり得ない……いや、黒咲ならばやりかねないが、他の部員や三年生がそれを許すワケがない。下手にワガママを言えば、それこそ先の大量停学騒動の比じゃない大騒動になりかねない。
「でも、せっかくチケットや宿泊先を確保したのに真由、もったいないと思ったんですよ。だったらせんぱいと二人だけでも遊びに行っちゃえって」
「……だったら、正直に言えばよかったんだよ」
それでも、黒咲からの電話がなかったらオレは真由に騙されて沖縄に連れて行かれていた、ということになる。
なんだかそれが無性に腹が立って、オレは真由から顔を背けて窓の外を見ていると。
「だって。正直に杏里ちゃんが来ない、真由と二人だけって言ったら、せんぱいは……来てくれましたか?」
隣に座っていた真由がスッと身体を寄せてきて、ピタリと密着してくると。
目に涙を溜めての上目遣いでオレをジーっと見つめてくる真由の問いかけに。
「う……っ」
オレは言葉を返せずに黙ってしまった。




