19話 真由の危険なお誘い
すると、目の前に停まった高級車の後ろのドアが開く。
「せんぱい、家まで送りますよー?」
車内に座っていた真由が一人分場所を空けて、オレに車に乗るように勧めてくる。
真由は「自宅まで送る」と言ってくれてはいるが、一度車に乗ってしまえば、行き先は運転手任せになってしまう。
下手をすれば、真由の家に連れて行かれるかもしれないのだ。
「もう……せんぱいったら。真由ってばそんなに信用ないんですか? ……うるうる」
警戒したオレがなかなか車に乗りこまない様子に、車内で待っていた真由はワザとらしく泣き真似をしてみせる。
「う、うっ……」
嘘だ、とは頭ではわかっていても。やはり妹のように見ていた年下の女の子に目の前で泣かれてしまうと、心が折れてしまいそうになる。
そもそも、数日前の停学騒動で真由ら二人に絶交を宣言した時だって。二人の泣き顔を見て、結局オレは妥協してしまったのだから。
「えっと、じゃあもし……車がせんぱいの家以外の場所に向かったら。今後せんぱいにちょっかいをかけないと約束します」
「ほ、ホントにか?」
心が揺らいでいたオレを畳みかけるように、真由は妥協案を提示してくれた。
行き先がオレの家だ、とあらかじめ決定しているのなら何の問題もない。
迂回したことであまり人通りのない道だったとはいえ、真由が乗ってきた高級車は結構な図体をしていた。
そんな大きな車がいつまでも停車していたのでは迷惑になってしまう、と思ったオレは高級車に乗りこむ。
「わかったよ。じゃあ……車を使うほどの距離じゃないが、ありがたく送ってもらうよ」
「はいっ♡ それじゃせんぱいは真由の隣に座って下さいっ、ほらほらっ早くっ」
真由に勧められるままシートに腰を下ろすと、尻から伝わる柔らかな感触に思わす言葉が漏れ出してしまう。
「ふ、ふおおっ、シートがふかふかだっ……こ、これが高級車ってヤツかよ、すげえ……」
オレは高級車に乗る、なんて体験は初めてだったのだが。漫画やドラマで見た高級車だって、高そうな革張りのシートというイメージだったが。
これはまるで「座ると人を駄目にする」と宣伝されているソファーのようだった。
「ふあぁぁぁぁ……き、気持ちいいぃぃぃ……」
しかも車内は冷房が効いていて、茹だるような暑さの夏の外気とは完全に隔離された快適な空間だった。
黒咲との競走で疲れていたオレは、まるでソファーのようなリアシートの感触と、冷やされた空間で優雅なひと時をすっかり堪能していた。
約束なら、あとは自宅の前に車が到着するのを待つだけなのだが。
「あのぉ……せんぱい?」
そんな至福の時間に割り込んできたのが、隣に座っていた真由の声だった。
いや……あまりの座り心地を提供してくれたのは真由なのだから「割り込む」と言うのは失礼だとは思うが。うん、反省。
「実は真由、せんぱいにこれを渡したくて帰りにせんぱいの教室まで迎えに行ったんですよ」
そう言った真由の手に握られていたのは、一枚の飛行機チケットだった。
行き先は、沖縄となっていた。
「え? いや……な、何これは?」
「えっと、夏休みになったということで。二泊三日の旅行のお誘いですっ」
「それを……オレと?」
突然の話に頭の回転が追いついてこなかったオレは、間抜けなことを口にしながら自分を指差すと。
真由は満面の笑みを浮かべながら、同じくオレを指差した後に自分へと指を向ける。
「はいっ♡ せんぱいと真由と……気は進まないですが、杏里ちゃんも誘って三人で、沖縄の青い海でエンジョイです!」
「ああ、黒咲も一緒なのね。そりゃ安心だ……じゃねえよっっっ!」
くるくると指を回しながら、この場にいない黒咲もカウントされていたことにオレは少しホッとしかけたが。
ようやく頭の理解が追いつき、隣にいた真由に大きな声を出してツッコんでしまう。
「えええっ? な……何が問題なんですかっ?」
「何が、じゃなくて問題しかねえっっ!」
実にワザとらしくオレの懸念に気づいてない演技を続ける真由。
三人で沖縄に旅行とか、しかも宿泊アリのとか、冗談ではない。
そもそも日常ですら二人の扱いは手に余るモノがあるというのに。三人で二泊三日の旅行ともなれば、四六時中黒咲と真由に接していなければならないということになる。
沖縄に旅行とはいえ、実際には二人に振り回されるオレの姿しか想像できず、エンジョイなど遠い話に違いないのだ。
「いや、真由ちゃん……悪いんだが、さすがにオレら三人だけで沖縄まで旅行ってのはさ、行きにくいというか……」
「大丈夫ですっ。飛行機やホテルの手配と費用は全部っ、真由に任せてくれればいいんで」
(いやそういう心配してるんじゃねえんだわ?)
そもそも停学騒動を引き起こしたのは、黒咲や真由がいまだに両親を事故で亡くしたオレを元気づけようとしてくれているからだが。
おかげさまで、もうすっかり「死にたい」などと思うことはなくなったし。
本音を言えば。後は放ってくれていたほうが、どちらかと言えばインドア派なオレとしては助かるのだが。
実は今夜も、新しくネット購入した新作ゲームを夏休み初日ということもあり、徹夜で通して遊ぼうと決めていたばかりなのだ。
「それにこの日付、あまりに急すぎんだろっ!」
よく見れば、飛行機のチケットに書いてある出発の日時は三日後になっていた。
それはあまりに急すぎる。さすがに三日では購入した新作ゲームのエンディングを見るのはかなり難しいと思ったからだ。
「……ダメ、ですか?」
いきなり三日後に沖縄旅行を決めました、と言われれば文句の一つも言いたくはなるだろう。
だが、少し語気が強かったかもしれない。
オレのツッコミを受けた真由は、身体をビクンと縮めながら、申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「い、いや……ダメというかさ、停学騒動の時もキッカケはオレと二人との関係が誤解されたっていうか……」
「誤解? 誤解って何ですか。真由はせんぱいにお弁当食べて貰えなかったのが悲しくて、つい八つ当たりしちゃいましたが」
「や、八つ当たりだったのかよっ!」
「あ」
どうやら言ってはいけないことを漏らしてしまった様子の真由が「てへっ♡」と舌を出して肩をすくめて見せる。
あの騒動から、学園内であからさまにオレの陰口を言う生徒は激減し、オレに話しかけたり接してくれる生徒もポツリポツリと増えてきたので。
ひょっとしたら、黒咲と真由はそこまで考えての行動かと思っていたのだったが。
(それでもまあ、あの時の行動も一応はオレを思ってくれての振る舞いだったんだよな……)
確かに、真由には両親が死んだ後に散々世話になった。
両親の親戚がこぞってオレの引き取りを拒否したために、真由の両親や親戚が手回しをしてくれなければ。今頃は、何処かの児童擁護施設に入れられていただろう。となれば、私立である聖イグレット学園に在籍は出来ず、転校を余儀なくさせられていたかもしれないのだ。
その恩義を思えば、旅行に付き合う程度の面倒は受け入れるべきだろう。
黒咲も一緒ならば。オレの心労は倍増するが、真由と下手な間違いを起こす心配はないだろうから。
「──わかったよ。旅行、ありがたく楽しませてもらう」
「え、せんぱいっ! そ、それじゃ……」
「ああ、黒咲にもよろしくって伝えておいてくれ……って、うわわっっ⁉︎」
「せんぱぁい嬉しいですっっ♡」
オレの返事を聞いた真由が感激のあまり、こちらに抱きついてくる。
想像よりは広い車内とはいえ、横に座っていた真由が両手を広げて抱きついてくるのを避けるスペースの余裕はない。
「わ、ば、馬鹿っ真由っ……離れろっ?」
抱きつかれた途端、真由の凶悪なまでの巨乳が当たり、ぽよぽよとした感触がオレの理性を吹き飛ばそうとする。
困って引き離そうとするオレを、ニヤニヤと小悪魔っぽい笑顔をしながら見ていると。
「あの、お嬢様……灰宮様の自宅に到着いたしましたが」
いつの間にか高級車は停車していて、真由とオレが座っていた後部座席のドアが外から開けられる。
(ぐ、グッジョブだぜ運転手さんっ!)
オレは窮地を救ってくれた運転手に、心の中で感謝の気持ちを叫ばずにはいられなかった。




