今日のお題【此岸と彼岸の間の家 その2】
ボクの番がまわってきて、久しぶりにこの家に帰ってきた。
此岸と彼岸の間の、この家に。
この家には、死者になったばかりの魂がやってくる。
もうこの世にはいられないとまだ理解していない魂。
ただ、人として生きた魂にはこの家は見えない。
そして、『お迎え』が来てくれる魂にも。
そんな子等を連れて帰るのが、ボクの、ボクたちの使命だった。
白い壁の横に降り立つと、
「ちりん」
と、風鈴が鳴った。
変わらないその音にほっとして、庭の格子の柵を開けて中に入った。
6畳の和室と12畳のリビングに沿って真っ直ぐの小さな庭がある。
それぞれの部屋の窓の縁側から1メートル位幅をあけて、
手前は藤と奥には桜の木が聳えていた。
この2本の大きな木に席巻されて、
間に植えられた植物は肩身がとても狭そうだ。
それでなくても狭い庭なのに、こんなに大きくなるだろう2本を植えるとは。
「全くあの人は。」
そう呟いて溜息をつくと、
「だって、絶対植えたかったんだもん!」
と叫ぶ本人の姿が見えてきそうだった。
この家は、昔、ずーっと昔に燃えてしまった。
この家と一緒に、あの大きな藤も桜も燃えてしまった。
ただ一つ、桜の根元の小さな紅梅の木だけは生き残っている。
現実の彼女は、もっとずっと大きくなっているのだが。
ここは、時間の止まった『此岸と彼岸の間の家』。
ボクがお願いして、当時のままに再現してもらったんだ。
サンダルを脱いで、かなり段差のある縁側に上る。
当時はここから下に飛び降りると怒られたっけ。
「危ないよ!だめだよっ!」
全然大丈夫だったんだよ。
ボクは、そんなに運動神経が鈍いわけじゃなかったんだから。
窓を開けると、懐かしい匂いがした。
匂いまで昔のままなのが不思議だった。
畳の匂いなのかもしれない。
ボクが居た頃は、新品の白い畳だった。
だけど、今は日にヤケて、少し黄色っぽくなっている。
ボクがいなくなった後の、畳の変化。
時間の流れ。
一歩部屋に足を踏み入れると、匂いが強くなった。
鼻腔いっぱいにその匂いを吸い込むと、
とても懐かしい気持ちになった。
「ああ、そうか。そうなんだ。」
ボクは目を閉じた。
これは、あの人たちの匂いなんだ。
この家で、ほんの十数年だったけど、一緒に暮らした人たち。
とても懐かしい。
あの頃のことが蘇ってくるようだ。
彼らもボクも、それからの運命をまだ知らなかった頃。
途端に泣きたい気持ちになった。
あのときのことが懐かしくて、恋しくて、胸がいっぱいになった。
あの人たちには、あまり会えてない。
今、どこにいるんだろう。
どの時代にいるんだろう。
今、どんなお役目に就いているんだろう。
閉じた瞼の間から涙が零れそうになって、慌てて目を開いたとき、
目の前に現れた二つの白い人影があった。
懐かしい眼差しがこちらを見ている。
「久しぶりだね。」
「元気だった?っていうのも変か。」
二つの優しい笑顔。
「あっ。」
目を開けて、零れないようにしたはずの涙が次々頬を伝って、
顎から畳に落ちていく。
「ぱぱ!ままっ!」
腕を思い切り広げて二人にしがみついた。
この人たちと、ここで暮らした。
この人たちと、長い旅をした。
何度も何度も、生まれ変わっても、一緒にいた。
そしてボクは白い翼をいただいて、
死者を彼岸に連れて行くお役目に就いている。
「猫が、ボクが連れて帰った猫が、地上に降りたから。
だから、お役目の間に、見てこようと、思って」
あのとき連れ帰った猫は、また此処に行きたいと言っていた。
初めて会ったときは、
自分のことを「私」と呼んでいたくせに、
しばらくすると「僕」と呼び始めた。
辛かったんだろうと思う。
猫は何も言わなかった。
母猫と離れて、捨てられて、一匹で生きて行くには、
子供でなんかいられなかった、ということだろう。
うんうんと頷いて、二人はボクの話を聞いていた。
ボクの頭を撫で、ボクの手を握って、二人はボクを見ている。
ひとしきりボクが話して、落ち着いたのを見て、
二人は改めて部屋を見回した。
そして、ふっと笑顔を浮かべて、
「懐かしいね。」
と言った。
「また、会えるよね。」
ボクが言うと、二人は
「もちろん!」
と笑った。
庭の格子の柵を開いて外に出て、帰る二人を見送った。
二人の影が小さくなって見えなくなった頃、軒先の風鈴が
「ちりん」
と鳴った。
「さあ、お役目だ。」
ボクは、家の前の此岸から彼岸へ続く道へ視線を移した。




