プロローグ
――その日、空が割れた
夕焼けに染まっていたはずの空は、音もなく黒く裂け、まるで世界そのものが悲鳴を上げたように歪んでいた。
<辺境の村リュンベル>
山々に囲まれた小さな村は、いつも通り静かな夜を迎えるはずだった。
子供たちの笑い声
パンを焼く香り
井戸端で談笑する村人たち
その全てが、黒い裂け目が開いた瞬間に終わった。
「深淵門だァァァ!!」
誰かの叫び声が響く。
次の瞬間、空から“何か”が落ちてきた。
それは巨大な腕だった。
黒い鱗
腐った肉
異様に長い指
人間など虫のように握り潰せるほど巨大な魔物だった。
村の中央へ落下した腕は、石畳ごと民家を叩き潰した。
悲鳴
血
炎
絶叫
地獄だった。
「逃げろ!!」
「子供を連れていけ!!」
「門を閉じろ!!」
人々は懸命に叫ぶ。
だが、深淵門から這い出してくる魔物は一体ではない。
狼のような化け物
翼を持つ異形
目玉だらけの肉塊
それらが人間を食い散らかしていく。
15歳の少年――レイン・クローヴィスは、震える足で立ち尽くしていた。
握っているのは、薪割り用の斧だ。
とても魔物と戦えるような代物ではない。
「レイン!!」
振り返ると、栗色の髪を揺らしながら、少女が駆けてくる。
幼馴染のセレナだった。
「逃げよう!! 早く!!」
「……でも、まだ父さんたちが……!」
そう言った瞬間――
<轟音>が鳴り響く。
2人のすぐ近くに、巨大な影が落ちた。
「黒狼!?」
民家より大きい、全長3メートルを超える魔物。
口から腐臭混じりの息を漏らし、赤黒い瞳で二人を見下ろしている。
レインの喉が凍りついた。
『逃げられない。』
分かってしまった。自分は
『死ぬ。』
「あ……」
恐怖で身体が動かない。
かばうように、セレナがレインの前に立った。
「走って!!」
「っ……!?」
黒狼が跳躍する。
セレナの細い身体へ牙が迫る。
その瞬間――
レインは考えるより先に飛び出していた。
斧を振る
かってに動いた体は、当然、止められない。
黒狼の鋭い爪がレインの胸を裂いた。
焼けるように――
『熱い。』
体の奥から何かが溢れる。
視界が赤く染まる。
地面へ倒れ込んだレインは、薄れていく意識の中で空を見上げた。
空の裂け目は、まるで巨大な眼のようだった。
『――力が欲しいか。』
意識の端で、声が聞こえた。
低く
古く
地響きの様に、世界の底から響くような声だ。
『――全てを守る力が欲しいか。』
薄れる意識の中、レインは自身の気持ちを言葉にする。
「……ほしい」
血を吐きながら、小さく呟く。
気持ちを、想いを――
「助けたい……」
血と涙でにじむ目の奥から浮かぶのは、セレナの姿、想いでがたくさんある村――
誰も死なせたくない
そんな願いを抱いた瞬間。
視界が、世界が灰色に染まった。
『――契約成立だ。』
声がそう言った瞬間、心臓が大きく脈打つ。
――ドクン
――ドクン
――ドクン
胸の奥で、“何か”が目覚めた。
全身に激痛が走る
ギシギシと骨が軋む
血液が燃える
視界が灰色の炎で染まる
地面に倒れているレインに、黒狼が再び牙を剥いた。
だが――
レインは立ち上がっていた。
目には見えない、灰色の魔力を纏いながら。
その瞳は、レインの心のように静かに燃えていた。
「――そこから離れろ」
声が変わっていた。
低く、冷たい
人間のものとは思えないほどに。
だが、黒狼が構わず、飛びかかる。
次の瞬間――
灰色の閃光が走った。
魔物の身体が、音もなく両断される。
何が起こったのか理解できず、驚きでセレナの瞳が見開かれた。
「……レイン?」
レイン自身も状況が理解できていなかった。
ただ、身体が羽のように異常なほど軽い。
空気の流れ
魔力
敵の動き
不思議と、全てが手に取るように分かる。
空に目を向けると、深淵門から次々と魔物が現れている。
すぐにレインは動き出す。決して止まらない。
灰炎が舞う
異形が焼け落ちる
血飛沫が夜空に散る
その姿はまるで――。
神話に出てくる“竜”だった。
永いような、一瞬のような時間の感覚の中、
やがて
最後の魔物が崩れ落ちる。
そして、村には静寂だけが残った。
レインは荒い息を吐きながら膝をつく。
身体中が痛い
頭の奥が軋む
今すぐにでも、倒れこみたくなる。
すると
セレナが泣きながら抱きついてきた。
「よかった……! 本当に……!」
震える声に、温かい涙がこぼれ落ちていた。
その瞬間――
レインは、奇妙な違和感を覚えた。
……この子は誰だ?
思考が止まる。周りの音も、温度さへも。
目の前の少女を知っている・・・と思う。
大切だ
絶対に失いたくない
想いがする。
なのに、
どうしてか名前が出てこない。
「……え?」
混乱と共に、レインの顔から血の気が引いた。
少女が不安そうに見上げてくる。
「どうしたの?」
レインは恐怖と混乱で、震える唇を動かした。
「ごめん……」
そして――
「……名前、なんだっけ」
瞬間、セレナの表情が凍りついた。
冷たい夜風だけが、真っ暗な焼け落ちた村を吹き抜けていた。
全話作成済みです




