第11話 白い部屋
月城ユイが長野の修練施設に着いたのは、G1の八月、夜明け頃だった。
避難施設を抜け出してから、神徒連盟の担当者に連絡を取り、バスと電車を乗り継いで約十時間かかった。山の中に入るにつれて空気が変わった。涼しくなった。東京の夏の湿気が嘘のように消えた。
施設は山の斜面に建てられた複合施設だった。白い建物が複数、森の中に点在していた。礼拝棟、訓練棟、居住棟。簡素だったが、清潔だった。
案内してくれた女性が言った。
「ここでは毎日祈ります。祈ることで神との繋がりを深める。それが全ての基本です」
ユイは頷いた。
部屋は個室だった。ベッドと机と小さな棚。窓から山が見えた。東京とは全然違う景色だった。
ユイはベッドに座って、窓の外を見た。
颯太のことを思った。
お父さんとお母さんのことを思った。
泣こうとしたが、涙が出なかった。もう泣き切ったのかもしれなかった。それとも泣く余裕がなくなったのかもしれなかった。
神様、とユイは心の中で言った。
ちゃんと信じます。だから家族を返してください。
山の風が窓を鳴らした。それだけだった。
修練施設の一日は朝の礼拝から始まった。
午前五時、礼拝棟に全員が集まって、神に向かって祈る。声を出さずに、心の中で。何を祈るかは自由だった。ただ、祈ること自体が重要だとされていた。
最初の礼拝の朝、ユイは隣に座った女性に小さく聞いた。「何を祈ればいいんですか」
「何でもいいのよ」女性は三十代くらいだった。穏やかな顔をしていた。
「ただ、神に向けて言葉を出すことが大事。神はちゃんと聞いてる」
「聞いてるんですか」
「聞いてる。答えが見えない時もあるけど、ちゃんと聞いてる」
ユイは正面を向いた。礼拝棟の前方に、青い炎のマークが描かれた壁があった。神徒連盟のシンボルだった。
目を閉じた。
家族を返してください、とユイは祈った。
それだけだった。それしか言葉が出なかった。
祈りの訓練が始まったのは、来てから三日後だった。
担当の指導者は四十代の男性で、名前を桐島といった。落ち着いた話し方をする人だった。
「祈りには段階がある」と桐島が言った。
「最初は心の中で祈るだけ。でも深く祈れるようになると、神のエネルギーが体に宿り始める。その証明が翼だ」
「翼が生えるんですか」とユイは聞いた。
「生える。全員ではない。でも深く信じて、強く祈れる者には生える」
「どのくらいかかりますか」
「人による。一週間で生える者もいる。一年かかる者もいる」桐島はユイを見た。「あなたは早いと思う」
「なぜですか」
「目を見ればわかる。何かを強く求めている目だ。祈りはその力を使う」
ユイは何も言わなかった。強く求めているもの。家族だった。それだけだった。
その夜、ユイは部屋で一人で祈った。
ベッドの上で正座して、手を組んで、目を閉じた。
家族を返してください。お父さんを。お母さんを。颯太を。
何度も繰り返した。
気づくと、二時間が経っていた。
体が温かかった。特に胸の中心が。熱いというほどではないが、確かに何かがある感覚だった。
ユイは手を見た。何も変わっていなかった。翼は生えていなかった。
でも何かが、少し変わった気がした。
うまく言葉にできなかった。ただ、神がいる、という感覚が、少しだけ強くなった気がした。
颯太、とユイは思った。
待ってて。必ず連れて帰るから。
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