麻知の思い
朝比奈麗美様は、美しかった。何より、その心が。
麗美様は、世界でもトップクラスの大富豪の家に生まれて、そして見るだけで祝福された気分になる、とんでもない美しさを持った人だった。
そして何より、その心が美しかった。自分の中に絶対に譲らない、明確な判断基準を持っていて、そしてそれに自信をもっている。
私は自分で言ってしまうけれど、とても醜い顔で生まれた。親からすら言われるし、自分でもふいに鏡を見たら驚くくらい醜い。
だからそれを理由に虐げられても、仕方ないと思っていた。両親からはもちろん、誰からも蔑んだ目を向けられ暴力を振るわれて、それも仕方ないと思っていた。
それでも、死にたいとは思わなかった。多分生まれつき、私は醜い顔と引き替えに、図太い精神を持っているんだと思う。
醜いけど、立派な学校を出て、ちゃんと働いて、一人きりでもちゃんと生きて、人に迷惑をできるだけかけないように生きたいと思っていた。
「醜い行動はやめなさい」
私が学力だけで、何とか有名学園へ通えることになってすぐに、そう言って私を助けてくれた。
それだけなら、正義感に強い人が、私の顔を見ずにしてくれたことがあった。そしてそんな人はいつも、私の顔を見ると顔色をかえてひきつらせて、それでもいい人ぶり、他人の振りをする。
「あら貴女は、とても醜いわね。その醜い顔、私に見せないでくれる?」
だからそんな風に、ごく当たり前に、むしろ微笑みながら言われて、私は驚いた。
その人はとんでもない権力を持っているので、なにもしなくてもその言葉は絶対的で、私への虐めはなくなった。
私は密かに、彼女を見ていた。と言うか、見ずにはいられない。そうでなくても無意識に目で追うほど美しいのに、あんなに変わった人、気にならないはずがない。
「醜いわ、やめなさい」
そう言って、自分が嫌だと思ったことはやめさせる。暴君にもほどがあるけど、だけどその行動は全て、常識にのっとったものだった。
やめさせるのは、世間一般の道徳に反したことばかりで、けして自分の私利私欲ではなかった。自分を特別扱いさせるのは、美しさ故に讃えられ大切にされるのを別として、あまり好まなかった。
美しさだけが、基準として存在し、それ以外は全て等しいと言わんばかりの態度だ。その中で私は最も価値が低いのだろう。
だけどそれに絶望はしなかった。元々しない体質なのかも知れない。こっそり見て、一度バレて、お付きの子に怒鳴られた時も、麗美様はこう言ったのだ。
「顔を見せるなとは言ったけど、私の美しさに、思いを寄せるのは仕方ないことだわ。あえて私の視界に入ろうとしない限り、私を見つめるのを許しましょう」
突き抜けて美しい人だ。だけどそれ以上に、そのことを誇りに思い、美しさだけを信じるような、突き抜けた性格だった。その性格は、それこそ、とても美しいと思った。
こんな美しい生き方をしたいと、そう思わせた。
だから思いきって、私は紙袋を被った。顔は見せてない。詭弁だ。だけど麗美様なら、それを笑ってくれるのではないかと思った。
そして、それは正解だった。
麗美様と言葉を交わす。それだけで、とても気持ちが高揚した。醜く生まれたのは、この瞬間、紙袋を被って麗美様と会話するためだとすら感じられた。
もしそうなら、今までの辛さも全て受け入れられる。
だけど、そこで予想もしないことが起こった。私と麗美様の容姿が入れ替わったのだ。しかもただ入れ替わったのではない。世界そのものが入れ替わり、私は私のまま、麗美様の容姿になったのだ。
正直、この美しい顔になった喜びがないと言えば嘘になる。だけど、どちらにせよ人から嫌がられる容姿で、そして動揺する麗美様を見れば、戻りたくないなんて気持ちはいっさいなかった。
戻るまでは精々自分の顔を好きに見ようとは思ったけど、麗美様に逆らう気なんて全くなかった。
それに、私はやっぱり麗美様の心こそ一番好きなのだ。私の中身では、同じ顔でも、胸が熱くなるほどの美しさは感じられない。
むしろ、麗美様が中身なら、自分でも胸くそが悪くなる顔でも、時々はっとして綺麗だとすら思うことがあった。こんなこと言ったらとんでもないナルシストと思われるから、絶対言わないけど。
とにかく、私はそんな現実離れした事象により、麗美様と朝から晩まで共に過ごせることになった。
こんなに幸福なことがあるだろうか。麗美様の特別になれたのだ。これだけの関係になれば例え戻っても、繋がりがゼロになることはないだろう。顔さえ隠せば、ずっと側にいられるかもしれない。
希望に満ちた日々だった。もちろん麗美様にしたら悪夢でしかないだろう。私に感謝したりする理性がありつつも、どうしようもできない私に怒鳴ったりすることはよくあった。
それでもつど謝ったりして、理不尽なことだと思える麗美様は、本当に凄い。だって私なら、突然こんな醜い顔になって、平気でいられない。認めたくなくて、誰彼構わず当たり散らして、誰かのせいにして、現実逃避してしまうだろう。
だけど麗美様は、そうなりそうになっても、それを律しようとする強く美しい心を持っているのだ。
やはり、麗美様は美しい。むしろ八つ当たりされても、私だけがその事情を理解しているからで、私だけがそうされるのだと思うと、喜びですらあった。
例えどんな理由、どんな感情でも、麗美様に求められているのだと思うと、めちゃくちゃに嬉しい。
そして私は自覚する。私はずっと、誰かに求められたかったんだ。許されたかったんだ。
そして運命のあの日、私は麗美様を怒らせてしまった。人と関わったことの殆どない私は、慰めかたもよくわからなくて、まだ本当に入れ替わって立場も変わるよりマシだと言ってしまって、ひどく怒らせた。
それはよほどの逆鱗だったらしい。考えたら当然だ。美醜を重視するこの人にとって、他のことを引き合いに出しても、マシになるはずがない。
だけどそのあと、
「今の私のこの顔と、キスができて!? 愛し合えて!? 無理でしょう!」
と言われて、困った。
確かに自分の顔で、普通にブッサイクだし、抵抗がないとは言えない。だけど、今は麗美様なのだ。内面が麗美様なら、外面がどうでも、キスができるならむしろ嬉しい。
嘘をつくことは、麗美様は嫌いだ。だから正直に言うしかない。
「で、できます。私は、麗美様を、愛しています」
そしたら、キスされて、めちゃくちゃにされた。もちろん、いい意味で。こんなに幸福でいいのかと思う。夢じゃないのかと、恐くすらある。
だけどそんな私に、麗美様は言った。
「麻知、私はあなたを愛してないわ」
と。それは、都合のいい夢じゃないことを意味していた。喜びながら、思いだけは伝える。麗美様は優しいから、思うだけなら許してくれる。かつて、私の視線を許したように。
「! わ、わかってます。ただ、思う心だけは、お許しください」
「いいわ。許しましょう。むしろ、私以外を思うなんて、許されないわ」
麗美様はそう、以前と変わらず優しく言った。私の心を許すばかりか、そうしろと命じた。それがどれだけ嬉しいか、言葉にできない。
私に命じたと言うことは、それが麗美様の望みでもあるのだ。例え今の容姿の問題であっても、仕方ないからのことでも、そんな風に思いを求められて、嬉しくないはずがない。
「私だけを、愛し続けなさい」
言われるまでもない。この人を、この美しくて、愛らしく、少しだけ弱くて、でもとても強いこの人を、ずっと、愛し続けよう。死ぬまで尽くそう。それこそが、私の幸せなのだから。
「愛してます、麗美様」
愛を伝えると、微笑んで、口づけてくれた。愛を伝えて、嫌がられず、受け入れて、寵愛してくれる。私は天にものぼるほど、幸福だ。
私はきっと、麗美様のために生まれてきたのだ。そう確信した。




