二十五、結実
『水遊びにもならぬ』
蛟が水の中を駆け上がる。
想定外。誤算もイイところだけど、嬉しい誤算だ。
そういえば、こいつは水の中に潜ってあの湖の中で生活してたぐらいだから、水との相性はイイんだろう。
呪文で操られた大質量の水は、流石に高密度の≪異気≫でも弾けないらしい。
そもそも、ずっと俺の≪異気≫の中で闘ってるのに、自由に動いて攻撃してくる≪相柳≫が、化け物なんだ。
≪相柳≫が俺の中の巫祝が創り出した、二枚の土の壁を打ち壊す。
(敵の力が急速に減っておる。もう十五万ほどだ)
感知、そして戦術実行輔佐のツァン師匠の報告。
(祝詛は本来、己が身の力を使いませぬ。が、おそらく朱蝶様の≪異気≫の中ゆえ、そうも行かぬのでしょう)
三人の巫祝の長、≪崔嬰≫がそう言う。
想定以上に戦況はこっち側の流れだ!
(しかし、こちらの力量は早くも一万を切っておる)
……ヤバい。
だけどそれについては、現在、師匠に試して貰ってる『オペレーション・オメガ』次第。
(間に合うかは、微妙だ)
「――≪水帝≫の御名において奉る。老陰が元に少陰を滅し――」
左側の首――攻撃や地形変化に徹した呪文を唱えてたヤツが、創癒の呪文を唱え始めてる。
「蛟!」
『ふん!』
蛟が俺の足を使って、あっと言う間に水の上を走って距離を詰める。
相手の二本の右腕が俺を迎撃する――
アホだ。コイツはアホ。
俺は二本の腕をまとめて切り落とした。
「うぎ――」
中央の首が苦悶にゆがむ。
コイツの≪異気≫による身体強化は四姐のレベルに及ばない。
俺が、剣に≪異気≫を込めれば、腕なんて幾らでも切り落とせる。
そんなこと考えてたら、ヤツは傷口をこっちに向けて来た――
噴き出す黒い血。俺を融かす、それが狙いか――
『――っ!!』
避ける蛟。その先には相手の左拳が迫ってる。
俺はその左手首に剣を突き立て抉る。長双さんの剣を手離して、俺自身の剣の柄へと手を伸ばす。
蛟が跳躍した刹那、俺は剣を鞘走らせた――
――蛟が相手の頭上を跳び越えて、相手の蛇の下半身の上へと降り立つ。そして、相手の身体を踏み砕く。
だけど、≪相柳≫の身体は淡い創癒の光に包まれていた――
「利貞に、因りて、創癒を、なす――」
――俺が剣で額を深く斬り裂いたはずの左側の首が、そう、唱え上げていた――
化け物。俺は改めて、俺の敵を心の中でそう呼んだ――
相手の背中を駆け上がる蛟。
俺は相手の左側の首のうなじを刺し貫いた。
だけど、創癒の淡い光は輝きを増し、切り落とした右腕二本に、左腕一本がニョキニョキ生え出してる。
剣に手首を刺し貫かれたままの、左腕が俺へと伸びてくる。
――俺は剣を回転させて、左側の首を抉り飛ばした――
「――おのれっ!!」
復活したばかりの三本の腕を振り回す≪相柳≫。
蛟の離脱が遅れて、俺はまともにそれを食らう――
――吹っ飛ばされる。ダメージはほとんど無い。でも、身体のエネルギー残量がいよいよヤバい。
たぶん、あと数十人ぶん。≪異気≫での身体強化を維持してれば、あっという間に消えてしまうエネルギーの量。
エネルギーが尽きれば、おそらく身体強化もしていられない。それはつまり、離脱さえできないことを意味してる!
振り返った≪相柳≫の唯一残った首が厭らしく、口の端を歪めてる。
なるほど。こっちのエネルギーが少ないことを察してやがったか……。
つまり、あっちは最初から持久戦狙い。まんまと、俺たちをハメたつもりか!
「――師匠っ!」
(――間に合った。――朱蝶、繋いだぞ! 引けっ!!)
――ツァン師匠の言葉を合図に、待ってましたとばかりに俺は引っ張る。
「――これは……」
≪相柳≫も気づいたらしい。
だけど、俺は遠慮無く、≪相柳≫の身体の中のエネルギーを強奪する――
「――≪神怪≫っ!!」
残ったひとつだけの首が蒼褪めていた――
作戦の第一段階――それは、≪相柳≫の≪異気≫を纏った物質の弾丸――おそらくヤツの血液、それを≪異気≫だけで防げるか? ってとこが焦点だった。そして、防げた場合それを利用して攻撃する。
本当なら、相手が狙撃をしてくる限りはそれで粘ろうと思ってたけど、長双さんの手首を見て、俺は接近戦――第二段階を選んだ。
作戦の第二段階――それは、俺の凝縮した≪異気≫で相手の≪異気≫をその身体から剥がせるか? ってことが課題だった。そして、完全に剥がせた場合はそのまま接近、攻撃に移る。
実際は完全に剥がすことは不可能だった。コイツの≪異気≫は不完全ながら何本も糸を引くような感じで、身体に繋がっている。
でも、おかげで第三段階に移行できた。
第三段階――つまり、巫術と身体での並列攻撃。主に巫術はサポートで、相手の動きを阻害することを目的とする。相手もやっていることだから、こっちもできないと分が悪い。
そして、相手の≪異気≫をほとんど剥がせたおかげで、こっちは≪相柳≫の動きを≪異気≫で阻害しながら攻撃することが可能。相手の手数のほうが多くても、こっちは高機動で攪乱しながら、確実に巫術を当てることができる。
――そして、最終段階。『オペレーション・オメガ』。
ツァン師匠が、俺から預けられた≪異気≫で、≪相柳≫の身体に繋ぎを作る。
その繋ぎを伝って、俺が≪相柳≫の身体の内部にあるエネルギーを直接頂くって、すんぽうだ――
(やはり、朱蝶の予測した通りだな)
エネルギー――力に直接触れるのは、≪気≫のたぐいだけ。
なら、相手から≪異気≫の大部分を剥がしたらどうなる? 相手は俺の≪異気≫の略取にまともに抵抗できるだろうか?
――答えは、この通りだ――
「おのれぇっ!!」
突っ込んでくる巨体を避けた。
相手の左側へと避けて、手首に突き刺したままだった長双さんの剣を回収した。
≪相柳≫の動きが鈍くなってる。
そら、そうだ。だって俺がどんどんエネルギー奪ってんだもん。
≪相柳≫はへたり始めてる。身体の大部分を突進した勢いのまま、水の上に投げ出して、巨体を伸ばして俯せ状態。
―――
――ヒントは、皐山の≪神≫との戦闘にあった。
あの時、俺は≪神気≫から盛大にエネルギーをぶんどった。
そのことをツァン師匠と四姐に訊いたら、四姐はびっくりしてたし、ツァン師匠はこう言った。
(あれは、この強大な≪異気≫と、力の管理が甘いあの≪神≫だったから、成せたようなものだ。……しかし)
相手の≪異気≫に隙が出来れば、あるいは……。そう、ツァン師匠は続けた。
ツァン師匠に≪異気≫を預けることは、四姐と闘う前から考えてた。……別に、丸投げしようと思ってたわけじゃないけど。
それに対してツァン師匠は、
(己の器は小さい。貴様の百分の一程度ならば、操る事は適うかもしれんが)
そこで、俺は師匠に『オペレーション・オメガ』を提案。師匠は、
(悪神とはいえ、≪異気≫の大部分を剥がす事が適えば、隙を見つけられるだろう。……だが、それでも時が要る)
そこで、師匠任せの作戦は始動した。
まず、四姐と十三女に実験台になって貰った。
≪異気≫を高密度に保って四姐と十三女の拡げた≪異気≫を剥がして、師匠がスキを探す。
けっこう時間はかかったけど、師匠の手によって繋ぎが作れたから、ついでに力を少々頂いた。
四姐も十三女も、ビックリ仰天してた。
そんなことができるとは思っていなかったらしい。
――そう。皐山の≪神≫と闘った時から考えてたことがある。
思ったより、弱い、ってこと。
そりゃ、弱いって言っても、めちゃくちゃ強かったとは思う。俺の周囲の仲間たちが強過ぎただけで。
たぶん、あれは≪神≫だから≪神気≫と御坐とやらに随分甘えて来たんだと思う。
本来なら、あの瞬間移動での奇襲で敵を倒せるし、撃ち漏らしても広域殲滅を目的とした巫術で討ち果たすことができただろう。
ただ、防御はからっきし。だから、みんなに囲まれてボコボコだったわけで。
――四姐と十三女にしてもそうだ。
どっちも単体だったら、そこまで厄介じゃない。いや、四姐に奇襲まで仕掛けて返り討ちにあった俺が言えることじゃ無いけど。
確かに、殴り合い特化で鉄肌の四姐と、巫術特化でヒーリングもする十三女が一緒になった時の兇悪さは、度し難いモンがある。
でも、それはカタに嵌った時の強さだ。
――改めて考えることで、俺の考察はひとつ進歩した。
つまり、長双さんの言ってた通り、強ぇヤツほど長所に頼った戦法を取るようになる。
そして、そのほかのことは疎かになる。
――この≪相柳≫ってヤツはバランス型に近い。
複数の頭で、複数の呪文を行使しながら近接戦闘で殴ってくる。≪異気≫もそこそこデカい。
すげぇ厄介。
――攻め難い敵は、こちらの守りを固めて、敵が動くのを待つのです――
いつか、長双さんは龍にそう教えてた。
だから、俺もそれに従った。四姐レベルの身体強化。そして高密度の≪異気≫。
俺の長所は間違いなくこのドデカい≪異気≫。でも、デカいだけじゃ力を集めることにしか使えない。
むしろ、それは避けたい。誰か周囲の人たちまで巻き込んじゃうから。
エネルギーの量よりも、それをどう扱うかのほうが、重要。
――敵地を往く場合、自領から兵糧を持っていくのは下策です。行軍が鈍ります。良将ならば、敵地から奪う。……戦とは、突き詰めればひとの生を奪うもの。この場合は、単に士卒の生では無く、むしろ国や族に生きるひとびとの生と言えるでしょう。ゆえに、士卒の糊口をしのぎ敵地の者の飢えを招く兵糧の略取は、一矢にて二鳥を落とすものです――
それを龍の中で長双さんの口から聴いた時は、ずいぶん残酷だと思った。
でも、合理的だ。だから、俺は今、その言葉に従っている。
兵糧=エネルギー、ってことだ。
―――
――俺が引っ張るエネルギーの流れがのろくなる。
なるほど。こいつはやっぱり難敵だ。俺が剥がし損なった少ない≪異気≫で、俺の≪異気≫の邪魔をしてきやがる。
俺は蛟に頼んで、長く伸ばされた≪相柳≫の巨体の周りをゆっくり進むと、その残った首の眼前に自分の剣を突きつけた。
≪相柳≫が、生えたばかりの二本の右腕と、傷ついたのと生えたばかりの二本の左腕を支えに上体を持ち上げて、俺を睨み上げる。
水面には、≪相柳≫の身体から流れ出す血が、ゆるゆる拡がっていた。
「≪神怪≫――貴様はいったい何者だ! 何を崇めてそれほどの業を得たっ!!」
「――うるせぇっ!! 俺は無宗教だっ!! 俺の実家は、ぽっくり寺に世話になってるぐらいだっ!! イイから長双さんどこだよっ!!」
「――あの≪神格≫か?」
にたりと笑う≪相柳≫。
……なんだその顔。俺はエネルギー強奪スピードを上げる。
顔を引き攣らせながら、それでも笑う悪神。
「……あの、≪神格≫ならば――≪死≫したわ」
はあ? ――何、言っちゃってんの、コイツ?