二十三、≪相柳神≫(二)――遭遇――
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――≪相柳≫は醒めた。
幾歳月が流れたのか。
どれほどの間、≪死≫していたのか。
≪意≫が明滅し、≪死≫の常闇を払った時、≪相柳≫の九つの頭、そのうちの一組の双眸が捉えたものは、なお昏い闇だった――
身体は彼の≪意≫には随わず、膚は能を働かせず、押し潰されんばかりの圧力に身じろぎひとつ出来ない。
――蘇生。
彼の崇める≪帝≫より下賜された、法理を破りし≪破格≫たる能。
≪意≫を喪失しても、長い時をかけて身体が勝手に創癒し、≪気≫の流れへと還るはずの≪意≫すらも永い時の果てに復する。
――聡明にして、明晰。至高。至上。崇高にして、至徳。
闇の中、彼の全身を主君を賛美する感興が駆け巡り、そして、最後に最も強烈な想念が閃いた。
――赦すまじ。我が君を弑しし、≪女帝≫――その眷属たる悪神ども!!
同時に、彼は狂喜する。蘇った彼の≪意≫が変節していなかった事に。
――赦すまじ、≪白帝≫――その眷属たる≪獣神≫ども!!
二度だ。二度も、彼はたった独りの主君を喪った。
一度目は≪女帝≫によって。二度目は≪白帝≫によって。
繰り返される悲嘆。慨嘆。
悲哀は彼を苛む。心を直接削られるような苦しみ。
だが、彼の狂気は已む事を知らない。
闇の中、醒めたばかりの≪意≫はより鮮明となっていく。
――未だ、残り八つの≪意≫は眼醒めてはいない。
彼はただひとつ、眼醒めたばかりの≪意≫を以って、≪異気≫を操る。
地中。どうやらここは地中深くのようだ。
……しかし、なぜ、彼の膚は融かさないのか。万物を揮発させるはずの彼の能を≪竜帝≫はどのように抑えたというのか。
――おお……。
細く伸ばした≪異気≫によって地表を撫でた彼は悟った。
彼の能が何に因って封じられていたのかを。
――我が君……。
地表に建てられた小さな碑には、祝詞が刻まれていた。
≪帝≫を称揚する祝詞。
――≪真君≫か。
その筆致は、おそらく≪澄清真人≫によるもの。
あの老爺が、あの大仙が、この身を慰めている。
その言に偽りなどあろうはずが無い。
有象無象の≪仙≫どもとは違う。主君に対する忠ならば、彼に敵う者などいないだろう。
しかし、忠は彼に及ばずとも、≪澄清真人≫の義は主君の御心に適っているはず。
――ならば、時は至らず、という事か……。
彼は≪異気≫を拡げて僅かに地中の力を収集しつつ、眠りについた。
……幾許かの時。彼の心は安らいでいた。そして、二つの≪意≫が眼醒める。だが――
――気配。……これはかの悪神どもの……≪女帝≫の≪帝器≫……。
近い。まさか。このような機が……。
迷う。彼は迷った。
あれほど、帝域を迷走し続けていた悪神どもが近くにいる。千七百歳、幾ら追い回してもなかなか捉える事の適わなかったあの悪神どもが……。
しかし、間違いであろうはずが無い。彼は身体を裂いて地中、数百里から浮上する。
地表に身体を躍らせたところで、二度目の≪帝器≫の気配。大気を震わせる祝詛。
――……我が君が祝詞の傍らで、そのような祝詛を上げるか!!!
九つの首、その≪意≫は別れている。
彼の九つの≪意≫の中で、醒めているのは内三つだけ。
醒めているのは最初に果てた三つの首――≪白帝≫が君を殺した時に喪った首だけだ。だが、記憶というものは肉にこそ宿る。
――憶えているぞ。この身を、我が≪意≫を貫きし兵器を……。
そこは小高い丘の麓だった。丘の頂に碑がある。
彼は自ら裂いた三つの≪意≫とそれに従う身体を以って、飛ばす。
≪相柳≫は己が血を球にして飛ばす。万物を融かす礫。それを≪竜帝≫がやったように≪異気≫で操る。
間違いなく、祝詛を唱えていた声の元を貫いた――
敵がろくに動いていなかったゆえ、狙いは巧く定まったようだ。
彼は喜悦を浮かべる。
あとは先ほどの血弾に結ばれた≪異気≫を辿って行けばいい。
ついでに、もう一度、血弾を飛ばす。
だが。
――断たれた? 我が≪異気≫が?
まさか。悪神どもがそのように器用な真似をするわけが無い。
そう、思っている裡に、再び最初の≪異気≫の紐が断たれる。
――いる。この世に未だ、かの悪神どもに戮力せし者がいる。≪竜帝≫の如く。
≪水帝≫の導き。
ここより二百里と離れていない場所に、あの悪神とそれに従う者がいる。
≪相柳≫は身を躍らせた。
すぐに彼の≪異気≫が、巨大な≪異気≫に触れる。
――悪神のものでは無い。あの悪神どもめ、とうとう≪神格≫を手中に収めたか!
巨大な≪異気≫を押し分けながら、彼はその中心へと向かっていく。
敵の≪異気≫が北へと動き出した。……彼は嘲弄する。
――そのように≪異気≫を引きずったまま、逃げようというのか。
彼もまた、北へと針路を正す。
そこに、かそけき≪気≫を遵える一匹の≪神格≫の気配――
刹那、彼は停止し、その≪神格≫へと血弾を放つ。再び北へと向かおうとした時――≪異気≫の紐が切られた。
――こいつもか!
巨大な≪異気≫の主とは別の者。だが、これは……。
血弾を増やす。今度は立て続けに三つほど飛ばす。すべての弾へと繋がる≪異気≫の紐が、断たれる。
驚き。
そう、この敵は僅か一里ほどの≪気≫を従え、その範疇に入った刹那に、彼の≪異気≫を切断している。
彼の血弾が半里を翔けるのは、一瞬。その一瞬を捉えている。
増やす。血弾を増やす。十……二十……三十……。四十の血弾を、彼の≪異気≫の中を進んでくる≪気≫の中心へ向けて放つ。
風を切りながら進む、四十の血の滴。それに様々な軌道を持たせながら、敵の四方から襲いかかるように飛ばす。
だが――
すべて、落とされた。敵が遵える≪気≫の大きさに変わりは無い。
縦横から迫る血弾をすべて、一里ほどの≪気≫の中で落としたと言うのか。
彼自身、このような≪異気≫の繰り方は初めて用いたというのに、既に対応されている。
気づけば、巨大な≪異気≫は、既に彼の≪異気≫に触れてはいなかった。
しかし、≪気≫を操る≪神格≫はこちらへと向かっている。既に五十里ほどの距離。三対の眼によって認めれば、ひとの状。
北へと逃れる≪異気≫。彼に挑んで来る≪神格≫。逡巡。
そして――、彼は迎え撃つ事に決めた――
――それから、四日が過ぎた。
彼は当てどなく北を目指す。途上のすべてを融かしながら、彼は進んでいた。
時折、不用意に伸びて来た≪神気≫から、≪異気≫を用いて力を奪った。ここいらに御坐は無いはずが、何を以てこのようなところまで≪神気≫を伸ばしたか……。
しかし、そのような事はどうでも良い。あの巨大な≪異気≫。あの傍らに悪神たちもいるはずだ。
――不意に、薄い≪異気≫が彼の≪異気≫に触れた。
薄く、どこまでも拡がるような≪異気≫。
それが、彼の≪異気≫に広く触れたかと思うと、急速に萎んでいく――
――いる。あの≪異気≫を繰るものの主が……悪神がいる!
彼は頭を僅かに西へと向け、身をくねらせる。
やがて、ほどなく彼の≪異気≫がそれを包み込む。あの巨大な≪異気≫と比べると、とてつもなく小さな四半里にも満たぬ≪異気≫。
だが、薄く拡げられ急に萎んでしまった≪異気≫が、集まっていった方向にそれはあった。
悪神? ……彼の求める悪神がこのように小さな≪異気≫しか持たぬわけは無い。≪異気≫の大きさから察するに、近辺の≪怪≫だろうか?
その姿は木立の奥にあって視認出来ない。
だが、あの薄い≪異気≫が消えた方角。無関係とは思えない。
――……忌々しい!
≪女神の腸≫どもは、少なくとも四体の≪神格≫を得たようだ。
彼に挑んで来た、ひとの≪神格≫。
巨大な≪異気≫を垂れ流す≪神格≫。
薄い≪異気≫を拡げ、収める事が出来る≪神格≫。
そして、今、彼を待つように停止している≪怪≫のような小さな≪神格≫。
――ひとの≪神格≫は既に仕留めた。あとは、三体。まずは、この小さな≪異気≫を操る≪神格≫からだ……
彼は、血弾を放った。だが……
彼の血弾に結ばれた≪異気≫には僅かな手応えしか無い。小さな衝撃のみ。
≪異気≫が断たれてもいないし、血弾が落ちたわけでも無い。
それどころか……。
――進み続けている?
彼はまた、血弾を放つ。今度は三つ。
だが、同じ。
それら血弾は既に、彼の≪異気≫の範囲の内側にある小さな≪異気≫に確かに到達したはずなのに、進み続けている。彼の紐のように伸ばした≪異気≫が伸び続けているのだ。
しかも、その小さな≪異気≫にはなんら変化が無い。
――何が起こっている?
彼は、四日前にひとの≪神格≫に行ったように、血弾を四方から浴びせかける。
その数は六十。しかし……。
すべての弾が、前の四つと同じ。
そして、加速していく――
なのに、相変わらず小さな≪異気≫にはどのような変化も……。
奔った。身をくねらせてそこへと向かう。
奔りながら、血弾を放つ。いつのまにか、彼の放った血の滴は百を超えていた。
しかし、同じ。――そこで、彼も気がついた。
――我が≪異気≫が萎んでいる?
彼の大質量の≪異気≫が徐々に小さくなっている。
最初は彼も気づかないような速度で、今は歴然と。
――そして、彼はとうとうその中心にいるものの姿を眼に捉えた――
「人妖、か?」
さらに詰めた距離は、もう四十歩ほど。しかし、そこから先は近づけない。
小さな≪異気≫の際。それは「ひと」の状を取っていた。
その≪異気≫の周囲の木立は薙ぎ倒されていた。
彼は悟る――
彼の伸ばした≪異気≫が、それが纏った小さな≪異気≫に血弾と伴に巻き取られている、と。
周囲を巡る血弾に遮られ、彼の眼に映るその姿は乱れている。
だが、それが彼の肩口を見て、顔をゆがめた事が知れた――
いや、正確には、あまりに深く刺された為に抜けなかった、あのひとの≪神格≫に突き立てられた剣――
「――てめぇ、長双さんはどこだっ!!!」
怒声と伴に、彼は自らが産み出した百を超える血弾に襲われた――




