十七、朱蝶、死す
俺は、前に龍が長双さんに言われてたことを思い出してた。
――ふつう、いかに策が優れていても敵の数がこちら側の十倍以上ならばまず、勝ち目はありません――
それでも、戦わなければいけない時は? そう訊いた龍に対して、長双さんは微笑んだ。
――いつ、その数を把握するかにかかっていますが。……戦場に到る前、そしてその後にも最も重要な事は敵情を知り、こちら側の情勢を捉えておく事です。つまり、それらが充分ならば十倍の敵に当たる事は無い――
つまり、長双様は十倍の敵と争った事は無い? 重なった龍の問いに、長双さんは首を横に振った。
あるんかい! って俺が龍の中で叫んだことは言うまでもない。
――私の父は卒でした。ゆえに、私も最初は五十名を率いる戦闘が主でした。私の場合、戦場は私が率いる者たちと、敵将が率いる者たちとの間にありました。そのような私にとって知るという事で最も苦労させられたのは、命を発する国都の内部と、敵の内部の情勢の把握でした。……特に国都の百官の中には戦をした事が無い方々も多く、時には無理難題を下される事もありまして……――
苦笑する長双さん。しかし、長双さんはスゴいと思ってたけどやっぱ凄いらしい。
長双さんのキャリアがいつ始まったのかは知らないけど、今の長双さんの指揮権では一万人の軍の副将ができるらしい――独りでも、その五分の三の六千人の大将を務めることが可能だそうで。
つまり、五十人を率いることから始まった長双さんは、今やその百二十倍の数の人間のトップにも立てるわけで。スピード出世ってヤツなんだろうか?
龍は訊く。十倍もの敵とどう戦ったのか? って。
――簡単です。地勢を利用しました。障害の多い場では敵も警戒しますから、敢えて障害物の多い場を敵が半ばほど抜けたところで攻撃をしかけました。まあ、詰まるところ――
―――
――奇襲だ――
今回、長双さんが俺に提案して来たのが、まさにそれだった。
まあ、四姐の保有エネルギーが幽霊五十万人ぶん以上だってんなら、俺の現在の保有エネルギーの二十五倍以上に当たるわけで、十倍どころじゃ無いんだけどね!!
だけど、今回注目すべき点はそこじゃ無い。
四姐は地味に前回、ケンケンで逃亡した。アイツ、独りじゃ治癒とかできねーんじゃね?
十三女に確認したら、そうだった。
巫術ってのは、呪文の≪意≫ってのを深く思考して理解しなけりゃならない。
だから、俺以上に阿呆の四姐には無理な作業なんだって。
ちなみに十三女が使ってるのは巫術っていうより、≪易法≫ってやつなんだって。
その違いが俺にはよくわからないんだけど、まあ、重要なのはそこでも無い。
――今、俺の眼に映ってる四姐の足首、それが相変わらず片足にケガしたままだってのが重要なんだ。
俺は薙ぐ。地を這うように思いっきり剣を薙ぐ。
やっとこ集めた幽霊二万人ぶんのエネルギーを全部使う勢いで薙ぐ。
片足の四姐が振り返る。
でも、遅い。
片足だから、身体の向きを変えるのも一苦労。
だから、届いた――
俺の刃が四姐のアキレス腱に食らい込む。
現在、四姐は絶賛油断中。
なぜなら、自分の身体を縛り付けたおひい様の≪竜眼≫も無いし、鉄肌をキズつけて自慢の筋肉を灼き斬った俺の姿も見えなかったんだから。
俺も今は≪異気≫をほぼ仕舞い込んだ状態だから、四姐の≪異気≫が働いてるのかは今いちわからん。
――でも、剣から伝わって来る手応えが、四姐の≪異気≫がロクに働いてないことを教えてくれた。
前回の、おひい様の≪劫炎≫にはまるで及ばないはずの、≪豪炎≫。
それを纏った俺の剣が、四姐の鉄肌を斬り裂いていた――
「――っ!!」
四姐が状況を理解するのと、俺が四姐のアキレス腱を灼き斬ったのはほぼ同時だった。
「てめぇっ!」
そう言いながら、両脚が使えない四姐が俺に向かって拳を握って倒れ込んで来る。
その拳がやけにデカく見えるのは、食らえば致命的だから……?
……あ、やば……。
身体の中にはまだ半分以上エネルギーが残ってる。
四姐が油断してたおかげで想定よりも使うエネルギーが少なくて済んだからだ。
でも、長双さんに言われてたのは足首を斬るとこまで。
あとは、まともに動けなくなった四姐の攻撃範囲から即座に脱出して、交渉。
それが長双さんの作戦の概要だった。
長双さんの立案した作戦と言えども、その通りにはいかないらしい。
こうなったのは、まず俺が必要以上に力んでしまったから。
力んだ結果、俺は確実にって思い過ぎて、剣を薙ぐのがちょっと遅れた。
そして、もうひとつは四姐の足首が思いのほかすんなり灼き斬れちゃったこと。
俺は四姐の素の身体の強さなんて知らない。
それに前回の鉄肌のイメージ引きずってたから、ここまでキレイに斬れちゃうと抵抗が無さすぎて思いっきり振り抜いたぶん、身体が流れてしまう。
――だから、俺の脳はまた走馬灯をぐるぐる巡らしてる。
――しかし、奇襲が成功しても相手はこちらの十倍。そのまま討ち合っても、やがてこちらが先に斃れる事となったでしょう――
直前まで思い返してたせいか、俺がまだ幽霊だった頃、龍の身体の中で長双さんに聴いた話が頭をよぎる。
そうだ、あの時、長双さんはどうしたって言ってた?
迫る拳を前に、俺の思考は加速する。
――……ですので、敵の指揮系統を断ちました。具体的には両側に伏せていた士卒によって奇襲した後、平野に半ば突出してしまった形の敵の前部と、まだ障害物の多い場に残り情勢を把握し難い敵の後部を、分断したのです。そのような時、敵の士卒らがどこに視線を走らせるか知っていますか? ――
決まっているのです。あの時、長双さんは微笑みながらそう言った。
――大将がいる場です。だから、あとは私が精鋭と伴にそこに躍り込めば好い。……よろしいでしょうか? どのような大敵と言えども――
頭を潰せば、自壊する――
俺の脳にはあの時の長双さんの言葉が、こだましてる。
でも、眼は見てた。ガラ空きの四姐の白い頸――
身体が反応してしまう。
――待て。
体勢は崩れてしまっているけど、剣を倒れ込んでくる四姐の咽喉もとに置くだけでいい。
――何を考えてるんだ、俺。
これは殺人じゃない。ただ、俺が剣を置いた場所に、四姐が倒れ込んでしまっただけ。
――なんだ、これ。なんだ、この俺の思考は!
俺の身体が流れた剣を引き寄せる。そして、熱を纏った切っ先を四姐へ……。
……クズ野郎めっ!!
俺はつまり、自分に対して言い訳してるんだ!
しょうがない、しょうがないことだ、って!
事故なんだ、って!!
人間、追い詰められた時にこそ、本性が露見する。
だから、俺はまごうこと無きクズ野郎なんだ!!
――俺は≪異気≫を拡げた。本性に抵抗する為だ。
俺の手が握った剣から、≪異気≫が力を吸い取る――
炎が消えた剣の上に倒れ込む四姐と、エネルギーが溢れんばかりの拳。
その拳が、俺の頬にめり込んだ。
上顎と下顎の骨が砕け、破片が逆側のほっぺたを突き破る。
頸。俺の頸がミシミシ嫌な音を立ててる。
下手に≪異気≫を拡げて、剣の無力化に心を砕いたから俺の身体防御力はゼロに近い。
そこに食らい込む、ウン万人ぶんってエネルギーが込められた拳。
致死の一撃。
爆散する俺の顔。
(――阿呆めっ!!)
――渋味のある声――消えてしまったと思ってた声が、俺の脳内にこだます。
あ、れ? ぜ、ったい、いなく、なって………………。
―――
――まずい。非常にまずい。
コイツはよく無い!
現在、俺は見下してる。自分の身体と、それに縋りついて泣き喚く四姐を。
「夫えぇえぇぇーーーっ!!!」
絶叫中の四姐に俺は突っ込む。
おめぇがヤッたんじゃねえか!!!
その俺の身体は無残。
とても口では説明できない感じになってる。特に頭。
※※が※※で、もう、※※※って感じで、…………吐きそう……。身体があったら盛大に嘔吐してる。
……いや、その身体が問題なんだけどさ。
現在、俺は鬼――幽霊に逆戻りしてる状態らしい。
身体感覚も無いし、自分の、こうなんて言うんでしょうか? 境界というか、範囲というかが徐々に曖昧になってく気がする。
その上、なんか引っ張られる感じがする。こう、真上と北のほうから、俺をめちゃくちゃ引っ張り合ってる感じがする。
それに引きずられて、俺はだんだんお空の上のほうへと斜めに上昇する。フェルメールの絵は見てないし、天使もいないのに……。
うーん、どうしよう?
ん? 駆け寄って来た十三女が、俺の身体をヒーリングしてるぞ?
おお!! なんか、俺の身体のぐちゃぐちゃだった頭部が再生されてく!
これならなんとかなんじゃねーの?
そう思って、俺は身体に向かって漂う。なかなか思うように進まないぞ?
――悪寒がした。
俺の身体を中心に爆発的に何かが拡がってく感覚。たぶん、≪異気≫。
それが鬼――幽霊状態の俺を捉える。
この状態だからなのか、≪異気≫ってモンの暴力性がよくわかる。
無差別。俺のコントロールを離れた≪異気≫が辺り一面からエネルギーを≪喰らって≫るのがよくわかる。
……これ、ヤベーんじゃね?
あれ? 俺の身体が起き上がったぞ?
蛟、蛟か?
いや、なんか違う気がする。
勘だけど……さっきの声の……。
次の瞬間。
俺は俺の身体に勢いよく吸い込まれた――




