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意天  作者: 安藤 兎六羽
二章 神
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十、七夕(しちせき)の夕べ

――≪ラン 玲華≫――彼女は間違いなく、≪ムー≫のラン族の娘だ。


 ただ、名前を聴くと漢字が浮かぶのは、その語感がどうも公国のものだかららしい。


 ≪ムー≫にあって、公国風の名を与えられた少女には産まれた時から許婚がいた。

 南の虞衡・会の一人息子、龍だ。

 その名が公国風なのも、一字が龍の母ちゃんの名前と同じ字――同じ語音であるのも、ぜんぶ玲華の祖父のロウが決めたらしい。



――ロウどのの孫が娘だったら、産まれたばかりの息子の嫁にくれないか? ――


 そう言い出したのは、龍の父ちゃん、会のほうだったらしい。

 その言葉に、ロウはもちろん、玲華の父ちゃんでロウの息子も、妊娠中だった玲華の母ちゃんも驚いたらしい。


 そらあ、驚くだろう。だって虞衡からすればメリットはあんまり無い。

 血縁関係を結ぶ前から協力体制にあるんだし、むしろ≪ムー≫の嫁なんて公国の南邑の家に入れたら、余計な軋轢あつれきを生みかねん。



――お前は、阿呆か! ――


 友達だった会を心配して、ロウも、その息子と嫁も反対したんだと。

 お前んとこに嫁なぞやらんでも、俺たちは仲良いじゃねーかって。


 そしたら会が、


――妻が、玲がそう勧めるのだ――


 なーんて言ったわけだ。


 ロウは、なるほどねえ、そりゃ無碍むげには出来んわ。と、思ったらしい。

 ここらへんが俺には良く理解できねえ感覚なんだが、この世界では割りと一般的なものっぽい。


 龍の母ちゃん――玲は巫祝、つまり巫女さんの血筋だった。

 当時のロウたちラン族の村は、龍の母ちゃんの『予言』的な言葉にだいぶ世話になってたらしい。

 まあ、あのおひい様の伯母さんだと思えば、俺だって納得しないわけにはいか無い。


 それでロウはその話からひと月後に産まれた孫娘に公国風の名前をつけた。≪玲華≫っていう名前を。


 龍も少女の名前は知ってたけど、公国風の名が不思議なことだとは思ってなかったらしい。

 子供だからねえ。

 ついでに親父の会も、母親の玲も龍に結局、玲華が許婚だって件は言わなかったそうで。




 ―――




……そんなこんなで、龍がロウから聴いた話を、俺が龍から聴いたのは七月の上弦の月が昇る日まであと二日ほどの頃だった。


 七夕当日の朝、起きてみると、先に起きてた龍がなぜかウキウキしてた。

 だから、何はしゃいでんの? って俺は訊く。


 だってこの二日というもの、コイツ寝ても覚めてもずっと「まだでしょうか?」って言ってて落ち着かねーんだもん。

 その上、昨日の寝る前に到っては「……予定が伸びているのでしょうか?」なーんて溜息吐いてるし。


 それが、今朝起きたら急に満面の笑み。誰だって不思議になるよね?


 俺の問いかけに龍はニヤニヤしながら、俺の袖を引く。イイから、喋れよ。

 そして、龍が借りてる家の入口の柱を指さす。相変わらずニヤけながら。


 龍の指の先を確認すると、紺色と赤色と橙色の三色で結われた紐がブラ下がってる。



 アラ、ヤダ!


 そう言いながら俺の中の『オネエさん』が大魔神のごとく轟然と立ち上がる。



「――おそらく玲華どのの紐です」


 嬉しそうな龍の言葉。

 龍が言うには、この≪ムー≫の村でそんな風習を知ってるのは玲華ぐらいのはずだ、と。

 俺を構成する『オネエさん』成分の、玲華株が急上昇する。


 もぉう。ヤダわ!

 玲華ちゃんたら、ちゃんと乙女の魂持ってんじゃないの?

 アマゾネスなんて言っちゃってゴメンなさいね!

 お~ほほほ~っ!! ……って感じ。



……俺の心の中の『オネエさん』は絶好調だったけれど、俺はといえばそうでもない。

 龍の許婚の存在を忘れてたことを、二日前、その日のうちに龍に懺悔していたからだ。



――……朱蝶どのも忙しかったのですから、致し方ありませぬよ――


 土下座した俺に龍は笑顔でそう言ったが、顔を上げた俺は見逃さなかった。

 龍の左口角がいつもの笑顔より5ミリメートルほど下にあったことを。


 龍は怒ってるわけじゃない。しかし、少しだけ不満を感じてるはずだ。

 だが、単に龍に謝ったところで龍の不満は晴れないはず。

 龍は自分自身よりもむしろ他人の為に怒ったり、笑ったり、命賭けたりする人間だ。


 ということでココで俺が行うべきベストな選択は、その玲華ちゃんに出会いがしらで謝ることだ。

 具体的には尚のジャンピング・ドゲザを借りる。

 俺が知る限り、アレ以上に誠意を表す行為は無い。

 俺の今の申し訳ない気持ちを表すのに、アレ以上に的確な行為も無い。



 そして、当日。

 俺と龍は薄暮の中、上弦の月が輪郭を明確にし始めた空を眺めながら、家の前に佇む。


 隣でソワソワしてる龍。

 俺の身体はゆったりと構えてるように龍には見えるだろうが、心は既に幾百回とジャンピング・ドゲザを決めている。

――あれは中々の高等――いや、叩頭・・技能なのだ。


 尚は軽々とやっているように見えたが、俺自身、この二日で何度も龍の不在中に試してその難易度の高さを知った。

 空中で足と手のバランスが崩れてしまう。

 額を打ちつけるポイントがズレて、首をヤりかける。

 そんな試行錯誤の果てに、俺はとうとう会得した――


……来い――いつでも来るが良い――



――来た!


 半月を背負った影が見えた。


……だけど、人違いかな? 影がヤケにデッカい気がする。



「――玲華どの」


 隣から零れた呟きに、俺の身体が反応していた――


 遠いか? ベストな間合いでは無いかもしれない。

 でも、構うか! 問題は誠心誠意謝ることができるかだ――


 ジャンピング・ドゲザに迷いは禁物なのだ! 俺は空中で決意と体勢を固めた!

――着地の瞬間、俺は思いっきり額を地面へとぶつけた!!


 決まった――だけど、これだけじゃ伝わらない。



「しゅ、朱蝶どの?」


 龍の狼狽した声が聞こえた。だけど、構うもんか!

 舞い上がる土埃の中、俺は心から謝罪の言葉を発する。


「初めまして玲華どの! 俺は朱蝶と申します! 龍の友人です! 友人の嫁に来る貴方のことを七日間ほど忘却しておりました!! ゴメンなさい!!!」


――頼む、赦してくれ!!


 俺は地面に顔を埋めながら、必死に願う。

 そう、人間は赦して欲しい時にはいつでも相応の努力をするべきなのだ!

 おひい様に謝らせようっていう俺が、そこをすっ飛ばしてはお話にもならんのだ!


――足音が近づいてくる。

 ずん、ずん、って感じ。


……なんか、この足音重くない?

 すぐ近くで止まる足音。

 そして、額を地面へと埋める俺の後頭部へと、上から可愛らしい声がかかった。


「龍様から聴いております。朱蝶どの、ですね? どうぞ頭をお上げください」


――俺は後悔していた。

 考えてみれば、この場は恋人たちふたりが久々に逢瀬を重ねるはずの、ロマンチックなシーンだったのだ。

 その事実に俺は今さらながら気がついた。カップルの十二日ぶりの再会を、土下座で台無しにする阿呆……俺。

 俺の中の『オネエさん』が大魔神のごとく激怒してる。


 結局、俺は自分のことばっかだなあ……。

 そう思って顔を上げれば、半月を覆う黒々とした大きな影があった。……巨人?


「ラン 玲華と申します」


――いや、違う。少女だ。

 ただし、その少女はバカみたいにデカい獣の死体を担いでいる。

 虎。しかも、体長4メートルぐらいはありそうなビッグな虎だ。

 この娘、本当に獲って来たわけ?

 しかも、そんな大物担げてるってことはこの娘も≪神格≫クラスなんじゃないの?


 兇暴な牙を剝いて息絶える獣の屍骸に、俺の中の『オネエさん』が再度、轟沈した。ロマンスの欠片もありゃしねえ。



――だが、闇に慣れて来た俺の眼を何よりも奪ったのは巨大な虎でも、それを担ぐ小柄な少女の眩しい笑顔でもなかった。



 そこには絶景があった。

 俺の夢があった。

 そうだ。俺はかつてそれを追い求めて街の城壁を飛び超えた。

 自分の命すらも賭して――


――≪ラン 玲華≫――彼女は間違いなく『巨乳ちゃん』だった――



 彼女が獣の屍骸を担ぎながら、少しだけ屈んだその胸の辺りの着物が弛んで、深い胸の谷間の入口を覗かせていた。

 何カップ? E? F? それとも……。

……これはスゴい!! 服が若干乱れているとはいえ、着物の上からでもわかる巨乳なんて……。眼福……コレが眼福ってモンだ!!!


 彼女は、どうぞお立ち下さい、なんて可愛らしい声で言って、虎を地響きとともに背中から降ろす。

 そうして、俺の手を取って立ち上がらせる。

 その間も、俺の眼差しは彼女の谷間を凝視していた。


 だけど、彼女にはそんな俺の土下座や視線なんかよりも、もっと大事なものがある。


「龍様――」


「玲華どの――」


 名を呼び合い、手を取り合う恋人たち。その横から、喜び、飛び跳ねる玲華ちゃんの揺れる巨乳を見つめ続ける俺……。



――待て。待てよ、俺!

 これは幾らなんでも失礼ってもんだ! 彼女は俺とは初対面の上に、龍の嫁さんだ!!

 だけど、人間の身体(?)ってのは恐ろしいもんで、素晴らしいモノからはなかなか目が離せない。

 俺のなけなしの理性がどれだけ働いても、俺の視線は巨乳に釘付けだ!


……おお、神よ! どうしてこのように俺を試すのですか?!



「……朱蝶どの?」


 龍の訝しげな声に、俺は目を巨乳から引き剥がすことができた。


「謝られることなど無かったのですよ?」


 玲華ちゃんが、そう言ったけど、俺は彼女のほうを見ない。

 彼女を見ればそのまま視線が彼女の胸に吸い寄せられてしまう。


「……ちょっと、散歩してくるから。……ふたりは仲良くしててね。……たぶん、朝には戻るから――」


 そう言って、俺は龍の制止を振り切って、全力で駆けだした。

 そのまま、村の柵を越えて、広がる田畑を跳び越えて森の中へと突入する。


「巨乳、巨乳、巨乳、巨乳……」


 俺の心の中をその単語と、さきほど見た映像が駆け巡る。

 しばらく、夜の森を縦横無尽に駆け廻ったあと、身体の中にわだかまる奇妙な興奮を浮ぶ半月に向かって叫び声に変えていた――


「――巨ぉ乳ぅだったぁーーー!」



 森の深みに俺の叫び声がこだましていた――





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