二十七、南沼の神獣
俺たちは走る。
崖を跳び越え、谷を跳び、小川を突き抜け、沼を迂回し、獣しか歩かなそうな――まさしく獣道を進行する。
夕暮れから朝焼けまで、ずっと走り続けて、漸くおひい様から休憩の許可が下りた。
『ならば、この先に清水が涌く泉がありますゆえ、そこで』
龍の指示通りに進むと、小っちゃいけどキレイな池があった。
みんなが思い思いに咽喉を潤していると、おひい様がこちらに来る。
「南沼まであと、どの程度じゃ?」
『予想よりも早く進んでおりますゆえ、このままならば陽暮れ前には確実に着けるでしょう』
龍の言葉をそのままおひい様に伝えると、おひい様は少し考えてから、
「ならば、休む! みな、英気を養え!」
とのお言葉。
流石に長双さんはまだ余力がありそうだけど、尚の疲労が結構キテるっぽい。
考えてみれば、宮城でおひい様とずっと暮らしてたんだから、龍や長双さんほど体力があるわけでもないんだ。
おそらく、前衛――アタッカーになるはずの二人は池のほとりでスヤスヤと眠り始めた。
「そなたは眠らんのか? 良いのだぞ?」
「……あんまり眠くないんですよね」
龍の身体が森歩きに慣れてるせいか、身体はまだまだ軽い。
『無理にでも眠るべきです』
そうかなあ? まあ、この先どうなるかわかんねーし、ふたりが眠れというなら寝ておきましょう。
「では、おひい様のお言葉に甘えまして……」
そうしておひい様に頭を下げてから、俺はいつもの如く木の上に登って眠る。
これじゃないと眠れないような気すらしてくるから、不思議だよねー。
―――
浅い眠りだったせいか、なんか変な夢を見た。
そんなわけ無いのに、龍とおひい様が直接喋ってる夢だ。
なんか口論してるぞ。
おひい様が、
「たわけ」だとか、
「赦さぬ」だとか、
龍を罵ってる。
罵られてる龍はひたすら跪拝――ドゲザだ。
「いざ、という時にはそれ以外ありませぬ」
龍の固い決意にとうとうおひい様が折れたみたい。
「よかろう。しかし、この妾がおる限り、そのような時は来ぬ!」
……ぶーたれたおひい様の宣言と、龍の苦笑が聞こえた気がした。
―――
目が覚めると、俺は相変わらずこの身体の主導権を持たされてて、木の上で横になってた。
龍? なんか変な夢見なかった?
『夢、ですか? 己は見ておりませんが?』
――夢って言えば、前にも変な夢見たなあ。≪竜眼≫の赤ちゃんの夢。
『――朱蝶どの、それは、まさか――』
「朱蝶! 行くぞ」
おひい様に呼ばれた。よし! 行くか。
『…………』
龍、また全部終わってからゆっくり話すべ。
何か言いたそうな龍に、俺は脳内で明るくそう言った。――大丈夫、フラグとか無いはずだ。だってココは異世界だもん。
俺たちはまた、道なき道をひた走る。
木の枝を掴んで、岩を踏み越え、蔦を剣で断ち切って――
いくらか斜面を登り続けて、その頂上あたりに辿り着いた時、空を覆う雲は赤く染まりかけてた。
この旅の間、ほとんど雨が降ったことがなかったのに、よりによってここに来て、空は半分以上、赤黒い雲に覆われてる。
『――下をご覧ください、あれが南沼です』
梢を透かして、その沼――っていうか小さい湖の全景が見えた。
たぶん、直径で100メートルくらいあるんじゃないかってぐらいの湖。
それが、紅くなり始めた陽光を照らし返して、輝いてた。
「およそ百歩ほどの距離か。……ちょうど良い。尚、降ろせ」
そう言うと、尚の背から降ろされたおひい様は、再び≪竜眼≫を開眼する。
「≪異気≫の中心は間違いなく、ここじゃ。おる。怪が居るはず――っ!!」
「おひい様?」
最初に異変に気づいたのはおひい様。そのおひい様の異変に気づいたのは尚だった。
俺も、尚の声音に疑問を感じて、おひい様の顔を窺ってみれば、珍しくおひい様の顔から血の気が失せてる。
――珍しく? いや、たぶん、この旅が始まって以来、初めてのことだ。
「あり得ぬ。――なぜじゃ? なぜ……」
「おひい様?」
尚に重ねて問われて、おひい様がハッとする。
「いかん! みな伏せよ!!」
その言葉に反応して、全員屈んだ。
次の瞬間、湖の中央部の水面が弾けて、何かが飛び出して来た。
「おお!」
頭上を何か楕円形のもんが、高速で通過した!
立ってた時の俺たちの頭ぐらいの高さ――そっから上の、梢が、葉叢が、枝が、幹が――森が消えてた。
「二撃目が来る! 長双どの、逸らせるか?」
おひい様の声を受けて、長双さんが立ち上がって進み出る。
また、湖の中央部が盛り上がり、弾けて、何かの固まり――いや、水の固まりが飛んでくる。
「ふむ」
長双さんはゆっくりと剣を抜いて、刀身を左後背に流すと、思いっきり、力任せに下から剣の腹で、その水の固まりをぶっ叩いた!!
水の固まりは進行方向を変えて、遥か彼方へと飛んでいく。
「朱蝶! 来い!」
しゃがんだまま、「おー」って感じで、水の行方を追っていた俺の腕がおひい様に掴まれた。
「長双どの、尚、保たせてくれ!!」
「心得ました」
「はい、おひい様!」
おひい様の命令に応えるふたりを尻目に、なぜかおひい様の≪竜眼≫はこっちを向いてる。
「みな、そのままで良い、聴け。≪蛟≫――無角の竜じゃ!」
――全員の身体に緊張が走った。
竜――神獣――神とさえ渡り合う――獣の最高位。マジっすか?
「≪怪≫ならばともかく、同じく≪竜気≫を持つ竜に≪竜眼≫の効果は薄い! 巧く干渉できぬのじゃ!」
マジっすか?! ≪竜眼≫が効かないんじゃ、勝ち目が無いじゃん!!
それとも何? 長双さんと尚のふたりで物理的にボコボコにすれば勝てんのか?
とか考えてたら、湖のほうから大きな水音がする。
おひい様も俺も、思わず湖を見た。
――青翠色の鱗が、紅い陽光に輝いてた。
長い身体を駆使して、鱗が軋る金属音を奏でながら、ソイツは湖の中央部から俺たちがいる方角の岸を目指してる。
頭は長い上顎と下顎に分かれてて、その間には牙の林と、揺らめく焔みたいに舌が踊ってる。
角こそ無いけど、頭を支える部分には「タテガミ」みたいのが生えてて、膨らんだ両鼻孔の下ぐらいから長い「ヒゲ」が伸びてる。
全長20メートル以上はありそうな身体を覆う鱗、鱗、また鱗。たまに水面に覗く、四肢と凶暴な爪――
竜じゃん。
まんま、人間だったころに古い絵で見たみたいな――竜じゃん。
ソイツが湖を泳ぎ切って、岸へと躍り上った。
「朱蝶!」
「はいっ!」
返事と伴におひい様を見る。
「そなたが弑せ!」
「――はあ??」
「良いか≪竜眼≫――≪竜気≫は効かぬ。かと言って、長双・尚の両名がふたりがかりでも、≪竜気≫に覆われた鱗は穿てぬ。――じゃが、妾が≪竜気≫をそなたに込めて用いれば――」
「いやいやいや。無理無理無理。――無理っす!」
首を高速で横に振る俺の顔が、おひい様の小っちゃいふたつの掌で抑えられた。
そして、今度はその≪蛟≫――竜のほうを、ぐいっと顔ごと見させられる。
うお、もう100メートル切ってないっすか? 竜、めっちゃ近く無いっすか?
「頭の付け根の背部を狙え。鬣にて隠されておるが、ゆえに狙い易い。――≪逆鱗≫じゃ」
いやいや、おひい様? もうすっごく近いから。まずいから。
「身体の芯を伸びる、脊髄を刺し貫け。良いか? 機は限られておる。一度と思え」
そう言うと、おひい様、何やらまたむぐむぐ呪文を唱え出す。
俺の左手の≪紋≫が燐光を放つ。
あれ、なんか身体にどんどん、あのエネルギー的な何かが――
「往け! 朱蝶!」
「…………」
無視した。だって無理だもん。
「ちっ!」
おひい様の舌打ちと続いて呪文が聞こえた。
うおっ!! なんでだ? 身体が勝手に動きだすぞ!
――僕ならば、この≪紋≫を通していろいろと干渉しうる――
いつかのおひい様の言葉が俺の心に蘇る!
畜生! こういうことかよ!
人権無視だーー!! 俺に身体の主導権を返せーー!!
俺の――龍の身体は、俺の意志に反して、神獣に向かって走り出してしまった。




