十四、長双
長双さん宅で夕飯をご馳走になってた時に事件は起こった。
明日になればこの街を発つまで、あと五日。
蝶だった時は一日一日が気が遠くなるほど永かったけど、この二十日ちょっとの早かったこと。
光陰矢のごとし、とはよく言ったもんだねー。
なーんて、俺はどうでもイイこと考えてた。
長双さんは長双さんで、実に楽しそうに食卓を囲ってる。
ただ、龍だけがちょっとおかしい。
また、前みたいになんか考えてるんだろうか、とか思ったけど、特に何も考えてないみたい。もそもそ飯食ってる。
育ちざかりだねー。
――プツンッ。
え、何、今の乾いた音。
龍の頭ん中に反響してるんすけど。
あれ? 身体の底のほうからなんかせり上がってくる感じがするよ?
次の瞬間、俺の思考は(なぜ?)の奔流に巻き込まれた。
(なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? ……)
『龍?』
(……なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? ……)
俺が訊きたい! 何が、何で、どうして(なぜ?)なんだ!
(なぜ?)の濁流は龍の思考の出口――咽喉にわだかまって、龍がそのうちのひとつをゆっくりと絞り出した。
「なぜ、五歳前、あのようなことを、なされたのでしょうか?」
龍の声は震えてた。
俺には、何が起きてんのかわからなかった。
――いんや、どっかでわかってなけりゃならなかったんだ。
≪雷名≫って聴いた時から龍はおかしかった。名前聴いただけで、親父さんが亡くなった時ぐらい考えが乱れてた。
――なのに、不思議とあの時みたいな感情が読み取れなかった。
その異常さに俺は気づかなきゃならなかったんだ。
奔流――これ、龍の感情ってこと? どこに隠してたんだよ、こんなに!!
――そうだ、どうして俺は考えつかなかったんだろ。
いや、俺だってそこまでバカじゃない。こいつが「おかしい」とか「怖い」とか身体に入って三日目ぐらいで思ってた。
なのにスルーした。
自分が身体を操れるかどうか、とか。そんなどーでもイイことを優先して、考えるべきことを考えてなかった。思考停止の結果がコレだ。
――龍は≪心≫を隠してた――
そーゆう技術があったって不思議じゃない。だって鬼とかいるんだもん。
長双さんばりの天才が、そーゆう不思議系方面にも過去にいたはずなんだ。そいつが無抵抗で鬼とか神とかにイイようにされるわきゃあ無い。
俺はどっかで、この世界をナメてた。
「……それは、あの戦のことを指しているのでしょうか?」
長双さんの顔は凍りついてた。
優しそうな微笑みとか、悔しそうな笑顔とか、ちょっと悪そうな笑いとか、それ以外の表情を初めて見た気がする。
表情――ってか無表情。
龍がしんどそうに長双さんの問いに、コクリって頷いた。
「……それは、私が蛮の拠点を攻めたことでしょうか? 無辜の蛮民を殺したことでしょうか? それらを盾や兵器として用いたことでしょうか? それとも、戦後に彼らのうち百二十一人を埋めたことでしょうか? 首級の鼻を削いだことでしょうか?」
淡々と話す長双さん。
それを見て漸く、俺は納得したんだ。
この優しくて、ムチャクチャ厳しくて、負けず嫌いで、子供っぽくて、暇を持て余した独居老人みたいなお兄さんが、≪雷名≫で≪鼻削ぎ卿≫なんだ、って。
長双さんはなお、淡々と続ける。
「すべて、必要だったからです。……拠点を攻めたのは、百五十では五百を超える蛮軍に勝てないから。蛮民を殺したのは、拠点内の制圧に時を掛けられなかったから。盾や兵器として用いたのは、砦の物資が少ない上に、寄せる蛮軍の心を折る必要があったから。半数を生き埋めにしたのは、こちらの士卒の不足と、もう半数への示威。鼻を削いだのは運搬上の利便のため」
俺は初めて、惨忍ってものがなんなのか知った。
合理主義っていうよりは、愛妻家でロマンチストのスチュアート君が出てくる前の功利主義みたい。
長双さんは人間を≪数≫とか≪物≫として見てる。外科医が手術が失敗しないように、患者を≪人間≫として見ないように、自分と≪同じもの≫だと見ないようにするみたいに。
それと似ていて、どこか違う。
――この人は、たぶん、頭ん中のどっかで≪人間≫辞めちゃってるんだ。
だから、惨忍。
――怖い。
ただ、一言それだけ。
快楽とか、財産とか、名誉――自分を大きく見せたいとか、そんなもんの為じゃない。
この人にとってはそれが日常だったんだ。
そして、受け容れちゃったんだ。そんな日常を。いや、受け容れざるを得なかったんだ。この人は。この人にとっては殺人は特別なことじゃない――その事実が何より怖ろしい。
「そうしなければ、部下はもっと多く死に、戦には負け、南鄙は陥ち、邑は永遠に略取され、民は攫われ、公国は嘆きに包まれ、何より蛮との戦が終わらなかったからです。……鼻を削いだのは生き残った部下と、死んでしまった部下に出来る限り報いたかったから。首級の運搬に労を費やして、腐らせてしまえば捨てねばなりません。蛮民、百二十一人を埋めたのは公国内に未だ多く残る蛮民たちを畏怖させねばならなかったから。もう戦が起らぬように。たとえそれが埋めた蛮民の、その地の上に築かれた平穏だとしても」
そう、地中には死体が埋まってる。
桜の下なんかじゃなくても、この世界の地中には死体が埋まってるんだ。
しかも、それは「檸檬」の人が書いたみたいな妖艶で、美しい死体なんかじゃあない。
長双さんはそれをすべて独りで負ってる。自分が埋めた死体の上に立ってるってことを、間抜けにも忘れたりはしないんだろう。
「だとしても!! ――」
『龍っ!!』
声を上げた龍を、長双さんはなぜか優しく、でも哀しそうに微笑みながら見つめる。
「……それで好い。それで好いのです。私はたとえ間違ったとしても、非を認めるわけにはいきません。でも、貴方は若い。そしてだからこそ……」
龍の肩へ伸ばされた長双さんの手は、払い落とされる。
「己に、……触れるなっ」
『龍、ダメだ……』
ダメなんだ。その手は取ってあげないときっと、ダメだ。
じゃなきゃ、この人のやってきた事はどこかで無意味になる。
この人は守ったんだよ、龍。守っただけなんだ。それがどんなに惨忍に見えたとしても、この人のやったことに意味が無いなんて、そんなこと哀しいだろ?
≪雷名≫・≪鼻削ぎ卿≫――長双っていう男の手は、手どころか名前まで血まみれだ。
だけど、守られた人間が、守られたはずの龍がそれを言うのは間違ってるんじゃない?
ただの殺人者に、俺はこの人をしたくない。
……でも、龍に対してそれを言う資格が俺にあるんだろうか?
長双さんは、それでも哀しそうに微笑んで頷くと、上げかけた腰をグイって伸ばして、姿勢を正す。
「出立まであと丸五日あります。その間はこの宅に寄る必要はありません。しかし、貴方が必要だと考えたなら、いつでもお出でください」
そう言って立ち上がると席を離れた。
真っ暗な宿舎の部屋。龍の頭の中で、俺は人間だった頃に見たテレビ番組を思い出す。
『各国の紛争や、各国間の戦争の多くは宗教的対立が主な原因です。こういう時勢だからこそ、宗教に対して寛容である我々日本人が世界に出て、間に入ることで――』
なんかのニュース番組か討論番組かだったなあ。
どっかから出てきたコメンテーターが訳知り顔で、そんなこと言ってたなあ。
特になーんの感慨も無かった。
「引き篭もってる俺にはカンケーない話だし」
みたいなこと考えてたなあ。
今こそ、その元日本人たる俺の出番じゃないか!!
……みたいなことは間違っても思わない。
この世界もそんなに単純に出来てない。
合理を突き詰めると「我思う、ゆえに我在り」的な訳語でお馴染みの「コギト・エルゴ・スム」に至るらしいけど、俺はそこまで疑い深くないから、よくわかんないや。
誰かが、誰かをキズつけることに本当に理由なんてあるのかな、って思う。
理由とか、意味とかじゃなくて、結果的にそうなるから、現実はそうなってるわけで。
じゃあ、どうしてそうなったかを検証して、そうならないように遡って考えて――バグを取り除いてくみたいに。そしたら皆幸せ?
そーゆう感じのディストピア小説が地球では売れに売れて。俺たちはきっとそんなこと望んじゃいない、って証明してるみたい。
そして、俺は少なくとも望んじゃいない。
だから、俺は龍にどんな言葉もかけない。
俺はどんな主義主張も持ち合わせてこなかったから。
≪自分≫っていう曖昧な糊しろをツナギにして、いろんなとこから引っ張ってきて、結局≪自分≫って何? って言われたら「?」な人だった。
曖昧な≪自分≫っていう言葉。それに乗っかって、利用して、自分探しの旅にも出ないで、「自分探し? なにそれ、チョーウケる」って笑いながら引き篭もってた。だからクズ。
(……己は、間違っているのでしょうか?)
だ・か・ら! 答えられるわけねーじゃん。俺に訊くな!
そう、テレビ番組以下はぜーんぶ俺の自分に対する言い訳だ! 知ったこっちゃない!
(朱蝶どの? 怒ってらっしゃるのですか? ……確かに≪閉神の術≫についてはご説明申し上げませんでしたが)
≪閉神の術≫? ああ、感情とか思いを隠してたことか。……そうだよね。だから訊くのはやめとこう!
(それについては、弁明のしようもありませぬ。しかし、お答えくださいませんか?)
あー、しつけーなあ、もう。
『……龍は己、己って言うけどさ、それは長双さんの守ったモンより重いの?』
(守ったもの、……重い、とは?)
『長双さんは人殺しだ。でも国の為の人殺し。誰かを守る為の人殺し。じゃあ、龍は?』
(……己、ですか?)
『誰の為に怒ってんの? 何の為に怒ってんの?』
そうさ、俺みたいに≪自分≫を便利に使っちゃいけない。免罪符みたいに大量発行しちゃダメなんだ。
中身がうすーくなって、自分でもわかんなくなっちゃう。
人間はきっとシガラミに絡み取られてて、他人の言葉を遠慮なく、感情を気も遣わずに喋っちゃうこともあるけど。
でも、それって本当に≪自分≫の言葉?
誰かの言葉でもイイ。でも、その誰かを全部≪自分≫に置き換えちゃうと、自分がパッツン、パッツンになっちゃう。
その重さに潰されるのは≪自分≫だよ?
コイツは道徳の授業なんかじゃあ無い。だから、俺は「長双さんの気持ちになってみればー」なんて言わない。
人間は社会的な動物? 違うね。人間社会の中で生きようとする動物が人間なんだ。それが人間、って呼ばれるんだ。同じだって、認められるんだ。
だから――≪自分≫が人間か、どうか。ソイツを自分に問わないと人間は人間じゃなくなる。どこかで確かめないと人間じゃなくなるんだ。――長双さんみたいに。
……俺も一回くらい方法的懐疑を試してみるべきだったのかな?
(誰の為……)
『俺は長双さん、キラいじゃないよ。……ウゼーけど』
(何の為……)
あ、聴いてねーし。
俺は珍しく、龍より早く寝た。ふて寝です、はい。
そう言えば、最近、龍の身体借りてねーなとか、思いながら。
翌日、宮城からの遣いが来た。




