二章第一話 夕暮れの燈火
廃ショッピングモールでの戦いから一週間が経っていた。季節は夏。強い陽光がアスファルトを白く照らす。大気は熱を持って揺らいで見えた。
ケイはトウマのアメリカンバイクの後部シートに座り、ヘルメットを被り控えめに彼の腰に手を回していた。エンジンの低い振動が体に伝わり、トウマの体温が背中越しに僅かに熱い。
以前の灰色の世界では感じることのなかった、生々しい温度。
ケイの瞳は、もう完全な黒ではなかった。奥底に桃色の炎が小さく灯り、トウマの燈火が宿った結果、焦げ茶に近い色へ変化していた。
世界は以前より色を持って見えるようになった。それでも、感情のコントロールは上手くできない。それは嬉しいのか、不安なのか、胸の奥で何が動いているのか、自分でも判然としない。ただ、トウマの背中に触れていると、発作的に溢れそうになる感情が、少しだけ落ち着く。
学校に着くと、トウマはヘルメットを外さずに軽く手を振って去っていく。ケイが校門をくぐる後ろで、女子生徒たちの囁きが小さく飛んだ。
「またあのバイクの人……」 「蒼井さんの彼氏、なの?」 「他校の制服だよね。目立つよね」
ケイは返事をせず、ただ鞄を握りしめて教室へ向かう。以前の自分なら、こうした噂さえも灰色のノイズとして感じるだけだった。今は違う。胸の奥が熱くなり、頰が少しだけ赤くなるのがわかる。
トウマに対する感情。それが「恋」なのだと、頭では理解し始めている。それでも……初めての感覚は不安で、大きくて、胸が痛くなって、扱いきれない。
(好き、ってなんだろう……)
翠の席は、今日も空いていた。欠席届がずっと出ている。ケイは窓側の席に座り、焦げ茶の瞳で校庭を見下ろした。トウマの殘した温度が、まだ掌に残っている。暖かい。
同じ街の、別の高校。東堂蒼司は図書室の隅で、古書とスマートフォンを並べて調べ物をしていた。炎使い。影。感情の残滓……断片的な情報すら出てこない。
それでも、自分が何のために炎を燃やすのか、熱をどこに向けるのかを、蒼司は模索し続けていた。
トウマとの共闘以降、影を焼くのはゲーム感覚ではいられなくなっていた。
「東堂君、何調べてるの?」
人気の無い図書室で突然、声をかけられた。
顔を上げると、クラスでも特に目立たない女子生徒が立っている。
黒崎響子、だったか。長く伸ばした黒い髪、いつも本を抱えていて、地味子、と陰口を叩かれている少女。
蒼司はイヤホンを外し、適当に肩を竦めた。
「……趣味の調べ物」「ふうん」
響子はそれ以上深くは聞かず、隣の席に座って本を開き始めた。会話はない。再び、静かな時間が流れる。
終業後、蒼司が図書室を出ると、響子も後ろからついてきた。帰路まで着いてくる。鬱陶しい、とまでは思わない。かといって、積極的に会話を促す気にもなれない。
蒼司は無視するでもなく、されど拒否するでもなく、そのまま歩を進める。夏の空気、熱を持った暑い空気が夕暮れを僅かに歪める。
涼しさを求めて入った路地は少しだけひんやりとしていて、空気が変わった。
……物陰から黒紅色の気配がいつもより多く、濃く湧き上がったからだ。影が二人を囲む。
「……多いな」
蒼司は指先に青い炎を灯す。黒崎響子が見ているだろうが関係ない。
蒼司は躊躇う事なく炎を鞭のように伸ばして横薙ぎに一閃し、影を一気に薙ぎ払った。青い円弧の先に紫煙が上がる。
その光景を、響子はしっかりと黒瞳に映していた。驚きと、どこか的外れな感嘆が混じった声が薄い唇から漏れる。
「青い……炎、綺麗……」
蒼司は一瞬だけ彼女を見たが、何も言わずに炎を消した。
ケイの通う高校の校門前。トウマは傷だらけのアメリカンバイクに跨がり、ヘルメットを膝に置いて待っていた。留年しているとはいえ、一応は高校三年生。他校の制服に赤茶の髪、銀のピアス。目立つ風貌に、下校する生徒たちの視線が集まる。
しかし、トウマは気にも留めない。手を繋いで帰るカップルを一瞥し、すぐに視線を外した。ケイの姿を見つけたからだ。
トウマは軽く手を挙げ、ケイが後ろに跨がる。エンジンを始動させ、夕陽を背にバイクが走り出す。風が熱い。 互いの体温だけが、確かにそこにある。ふと、ケイが小さく口を開いた。
「トウマ、恋人って……いたの?」
その声はエンジンの音に掻き消され、トウマには届かなかった。彼はただ、前を見据えて走り続ける。
最近は影の襲撃も少なく、穏やかな日々が続いていた。ハンバーガーショップへ向かう途中、いつもの路地裏にバイクを入れる。
そこで、トウマは足を停めた。黒紅色の気配が、壁の染みから滲み出している。複数。濃い。
「多いな……」
トウマはポケットからZippoを取り出し、親指で蓋を開ける。カチ、という乾いた金属音が、夏の夕方の路地に小さく落ちた。




