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【完結済】夫という役割が消えるとき  作者: アレックス・フクリー
5)心のこぼれ落ちる場所

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5-4)夫としての承認欲求と敗北感

「こんなに頑張っているのに、誰にも認められていない気がする」


 そう語る男性の声には、怒りよりも深い疲れがにじんでいました。家庭を支えること、家族のために働くこと、できる範囲で家事や育児を分担すること。そうした“当たり前”のように見える努力の積み重ねの中で、ふと「自分はいったい何者なんだろう」と、心のなかにぽっかりと穴が開いてしまう瞬間があるのです。

 私たちは、「承認欲求」という言葉を、どこか"わがまま"や"依存"のように捉えがちです。けれど、それは決して特別なことではありません。誰もが、「自分の存在を見てほしい」「価値を認めてほしい」と願う生き物です。それは、家族という最も近しい関係のなかでこそ、深く求められるものなのです。

 人間関係の基本には「与えること」と「受け取ること」のバランスがあります。一方的に与え続けるだけの関係は、やがて疲弊してしまうものです。仕事であれば、給料や評価という形で「返報」があります。しかし家庭では、その「返報」の形がはっきりしていないことが多い。特に、経済的な責任を担う立場にある夫の場合、「お金を稼ぐ」という目に見える貢献に対して、どのような形で「認められ」「感謝される」べきなのかが、明確になっていないのです。

 また、男性は往々にして「認められたい」という欲求そのものを認めることに抵抗を感じます。「妻や子どものために働くのは当然だ」「感謝されるために家族を支えているわけじゃない」といった建前のなかで、本音の部分が見えなくなっていく。けれど、その奥には「自分の頑張りを誰かに見てほしい」という、ごく自然な欲求が息づいているのです。

 夫という役割には、目立った"評価の機会"が少ない構造があります。職場では、成果を出せば数字や肩書きで評価される。けれど、家庭では"うまくやれて当たり前"という空気が支配しがちです。たとえば、食器を片づけても、ゴミを出しても、「ありがとう」と言われることはあっても、それが"承認"として深く届くわけではありません。むしろ、少しでも忘れたり、気づかなかったりすれば、「なんでやらないの?」と責められてしまう。その繰り返しのなかで、男性は次第に"努力が届かない感覚"を抱えるようになっていきます。

 特に共働き家庭の増加によって、夫婦の役割分担は複雑化しています。かつての「夫は仕事、妻は家庭」という単純な図式は崩れ、「両方が仕事も家庭も担う」という現実のなかで、互いの貢献をどう評価すべきかが見えづらくなっているのです。

 また、日本の多くの家庭では、妻が家計管理を担当することが多く、夫の給料は「家族のお金」として扱われます。そのこと自体は合理的な選択かもしれませんが、結果として「自分が稼いだお金」という感覚が薄れ、経済的貢献の実感が持ちにくくなるという側面もあります。

 ある男性は、「自分なりに家のこともやっているし、妻の負担も減らしたいと思っている。でも、それを"わかってもらえている"という実感がまったくない」と話していました。その言葉の裏には、「自分がしていることが見えていない」という悲しみと、「どうすれば認められるのか」という戸惑いが混在していました。

 夫としての貢献が見えづらくなる状況のなかで、多くの男性が抱くようになるのが"敗北感"です。努力しても、届かない。頑張っても、報われない。そこには、ただ単に「期待されていない」というよりも、「夫として、すでに評価対象外になっている」という静かな絶望感があります。

 この敗北感は、時に「何をやっても無駄だ」という投げやりな気持ちを生み出します。例えば、休日に家族サービスをしても「またスマホばかり見てる」と言われる。家事を手伝っても「なんでこんなやり方なの」と指摘される。そうした経験が積み重なると、「そもそも期待されていないのだから、何もしないほうがマシだ」という諦めに変わっていくのです。

 この"敗北感"の厄介なところは、それが外に向かって表現されるのではなく、内側にこもっていくことです。


「どうせ何をしてもムダだ」

「もう期待されていないし、頑張る気も起きない」


 そうして、少しずつ"やる気"が削がれ、"関係に参加しない自分"が形成されていきます。家族と同じ空間にいても、心はどこか別の場所にある。そのような「心理的不在」の状態になると、ますます家族からの評価は下がり、悪循環に陥っていきます。

 夫婦関係における"承認の欠如"は、無関心や無言の形で現れます。


「最近、夫が全然会話してこない」

「何を考えているのかわからない」


 そう語る妻の背後には、こうした"沈んでしまった夫の心"が横たわっていることも少なくありません。夫は「どうせ話しても伝わらない」と黙り、妻は「何も言ってくれないから分からない」と途方に暮れる。そんな"すれ違い"が、多くの家庭の日常に静かに存在しているのです。

 では、この"夫としての承認欲求"をどう扱えばいいのでしょうか。 まずは、自分のなかにその欲求があることを、素直に認めることです。「もっと感謝されたい」「大事にされたい」「頼られたい」──そうした気持ちは、決してみっともないものではありません。むしろ、関係のなかで"ちゃんと存在していたい"という、ごく自然な願いです。

 多くの男性は「認められたい」という気持ちを持つこと自体に罪悪感を抱きますが、それは「強くあるべき」「自立しているべき」という男性性の神話に縛られている証拠とも言えます。承認欲求を持つことは弱さではなく、関係性を大切にする証なのだと理解することが、第一歩です。

 次に、それを"わかってもらう努力"を、やめないこと。評価されないからといって黙るのではなく、「自分はこう思っている」「こうしている理由がある」と、相手に伝えること。それは押しつけではなく、"関係に関わる意志"の表明です。

 具体的には、「してほしいこと」よりも「自分がどう感じているか」を伝えることが効果的です。「もっと感謝してほしい」ではなく、「自分の努力が見えていないように感じて寂しい」。「もっと評価してほしい」ではなく、「自分の存在価値が見いだせなくて苦しい」。そうした「私メッセージ」は、相手を責めることなく、自分の内面を開示する方法です。

 また、妻や家族に対しても、互いの貢献を「見える化」する工夫が必要かもしれません。家計の管理方法を見直す、役割分担を明確にする、感謝の言葉を意識的に交わすなど、「当たり前」を「当たり前ではないこと」として再認識する習慣づくりが、お互いの承認欲求を満たすきっかけになるでしょう。

 そして、相手に承認を求めすぎて苦しくなるときは、自分自身が自分を認める視点も大切です。


「今日もちゃんと仕事してきた」

「家のことを考えている自分は、悪くない」


 そんな小さなセルフ承認が、心の折れを防いでくれます。時には「自分のために」何かをする時間を持つことも大切です。趣味の時間、友人との交流、自己成長のための学びなど—それらは「逃避」ではなく、自分自身との関係を取り戻すための必要な投資なのです。

 さらに、夫婦だけでなく、同じ立場にある男性同士が悩みを共有できる場も重要です。「自分だけじゃない」という安心感は、大きな支えになります。かつての地域共同体や親族のつながりが希薄になった現代だからこそ、新たな「語り合いの場」を意識的に作っていく必要があるのかもしれません。

 承認欲求を"幼さ"と捉えず、"関係に生きたいという健全な欲望"として受け止めること。そして、自分の存在がちゃんと誰かの目に映っていると実感できること。そのふたつが、夫という立場にある男性の心を、もう一度"関係の中に戻す"力になるのだと思います。

 夫という役割に伴う承認欲求と敗北感は、決して個人的な弱さの問題ではありません。それは社会的・文化的な背景を持つ構造的な課題であり、同時に人間として根源的な「つながりたい」という願いの表れでもあるのです。その両面を理解することで、より豊かな関係性への道が開かれていくはずです。

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