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第127話:聖女と呼ばれた少女の


 その夜、オレはまた夢を見た。それも異国の夢である。




「今日もダメでしたわ……」

「聖女さま、お気をたしかに」

「ありがとう……ええ、そうですね」


 聖都にいる聖女マリアは疲弊していた。

 元剣聖から慰めの言葉をかけられ、表面上は笑顔を取りつくろう。だが連日連夜の公務のため、その集中力は切れかかっていた。


「今日の神聖会議でも、皆さんの同意は得られませんでした……」

「オルン救援への“聖戦”の発動……少し時間がかかるかもしれませんな」


 マリアと元剣聖は大聖堂に向かって二人で歩いている。

 つい先ほど聖城で開催されたロマヌス神聖会議で、マリアは“聖戦”の発動を提言してきた。

 聖戦とはロマヌスの戦力を総動員する術式。神聖王国の危機だけに発動できる禁断の術である。


「特に国王派の説得には時間がかかるかもですな」


 聖戦を発動するためには、神聖会議の承認が必要となる。

 ロマヌス国王派とロマヌス教団派の二大勢力、その満場一致が不可欠。だが剣聖の説明の通り国王派は聖戦の発動に慎重であった。


「聖女さまは、今日は少しお休みください」

「ありがとうございます……ですが今は、この私にしかできないこともあります」


 マリアは会議以外の公務でも、聖女として奮闘していた。

 連日のように“遠見とおみの術”を使い、人種管理者オール・マスターと霊獣軍の動きを監視。その後は魔道具“遠耳とおみみの石”で、帝国の皇子ロキとオルン太守代理イシスとの遠距離会談をこなしていた。


「帝国のロキさまも奮闘しているのに……」


 先ほど“遠耳とおみみの石”で、帝国の皇子ロキから緊急の連絡があった。

 それは『一人の男として覚悟を決めた』という内容である。とても短い言葉であったが、これまでにない決意が込められていた。


「ですが“遠見とおみの術”と魔道具は、聖女さまの魔力マナを媒体としています。ご無理はなさらずに」

「ええ、そうね……」


 古代超帝国時代の魔道具や魔剣は、使用者の精神力“魔力マナ”を大量に消費して発動する。

 特に聖女にしか使えない特殊な術、その魔力マナの消費は尋常ではない。

 天神ロマヌスに選ばれた聖女といえども、その身体は普通の少女である。連日連夜の激務で、マリアの精神力と体力は擦り減っていた。


「国王派が慎重なのは、神聖王国の領土内のことを懸念しているのでしょうな」

「ええ、そうかもしれませんね」


 今から一ヶ月ほど前、人種管理者オール・マスターの召喚した下級霊獣の群れが、大陸各地に出現していた。

 この神聖王国内でも辺境の村や街が襲われ、多くの命が失われている。これにより国王派は防衛論を推して、聖戦の発動には慎重になっていた。

 今は聖女の“祈りの力”を使い霊獣の“呪い”を退け、ロマヌス領土の防衛に努めるべきだと。


「聖女さま、失礼しますぞ」


 その時である。マリアと元剣聖に追いついて来た者がいた。


「これはマルネン殿、いかがなさいましたか?」


 やって来たのはガネシャ家の大当主マルネン=ガネシャであった。

 今は緊急事態、この大当主は聖女への直接の面会を許されている。国王と教皇に並ぶ三大巨頭の一人としての特別の配慮であった。


「お疲れのところ申し訳ないが、緊急の知らせが二ある」

「緊急の知らせ……あまりよくない方ですか?」


 マルネンは複雑な表情をしていた。商人は駆け引きこそが生命であり、常にポーカーフェイスなこの男にしては珍しいことである。


「いや、一つ目はいい知らせだ。聖都で製造していた“対霊獣用の武具”の量産型が完成した」

「おお、なんと。予定よりも早い完成ですな」


 元剣聖は思わず歓喜の声をもらす。

 今から1ヶ月と少し前、マルネンは対霊獣用の武具の設計図を入手していた。それは聖都を離れる前のヤマトから、譲り受けた極秘のものである。

 その設計図を元に聖都のマルネンの大工房で、対霊獣用の武具の製造を進めていた。


「予算を惜しまず、昼夜の突貫製造だったからな」

「さすがはマルネン殿ですな。これで下級の霊獣程度なら、一般の騎士団でも何とかなりますな……」


 元剣聖は安堵の表情を浮かべる。

 神聖王国の騎士団は大陸一の勢力を誇るが、霊獣との戦いの経験は少ない。これまでは聖女の加護があり、何とか辺境の霊獣の群れを撃退してきた。

 だが、この対霊獣用の武具の量産によって、今後は攻勢に転じることも可能である。


「ありがとうございます、マルネン。でも、もう一つの知らせは?」


 マルネンの沈んでいる表情を読み取り、マリアは静かに訪ねる。先ほどよりも深刻な表情を、大当主は顔に出していた。


「聖女さまの御察しの通り、もう一つは悪い知らせだ……」


 ふうと息を吸い込み、マルネンは重い口を開く。


「ウルドの森……人種管理者オール・マスターの本拠地に、大量の霊獣が召喚されている。おそらくオルンへの大侵攻が、もうすぐ始まる……」

「何ですと⁉ 霊獣の大軍だと……」


 まさかの報告に元剣聖は言葉を失う。

 何故なら交易都市オルンが霊獣の大軍に破られると、地理的に大陸の各地が危険に晒されるのだ。これまでの情報では“オルンはまだ耐え抜く”と推測されていたが。


「そんな……今朝の私の“遠見とおみの術”では、何も見えませんでしたが……」


 マリアも言葉を失う。彼女は毎日のように、ウルドの森の監視を続けていた。今朝も特に大きな異変はなかったはずであると。


「これは推測ですが、“遠目の術”を逆に利用されていたのかも……人種管理者オール・マスターの術によって」

「そんな……でも、あり得るかもしれません……」


 超帝国人の転生者ある人種管理者オール・マスターは、様々な古代の術を使いこなす。その中に隠ぺいの術があってもおかしくない。

 マリアは気がつかない内に、偽の情報を見せられていたのである。


「ですがマルネン殿はなぜ、その真の情報を?」


 聖都からウルドの森まではかなりの距離がある。伝書鳩や狼煙のろしを使っても、ここまで早急な伝達手段はない。


「今もウルドの森にいるヤツからの情報です。通信の魔道具を持っていたのは大聖堂だけじゃなかった……という訳です。まあ、“蛇の道は蛇”ってことですな」

「なんと、そうだったのですね」


 ガネシャ家は裸一貫の隠密衆から、身を立てた成り上がった一族である。

 暗殺術や情報集など裏の仕事は専売特許。そのため大陸各地に秘密の情報網は張り巡らせている。

 その中でも希少価値のある通信の魔道具を、マルネンも以前から密かに所有していたのだ。


「分かりました。そして……オルンに危機が……」


 マリアは目を閉じ、静かに息を飲む。

 オルンで奮闘している者たちのことを思う。また囚われの身となっている姉リーシャのことも。そして自分を命懸けで救ってくれたヤマトの顔を。


「分かりました……では、私は参りますわ」


 目を開いたその時、マリアは覚悟を決めていた。私室に戻る通路から、別の方向に足を向ける。


「聖女さま、どちらへ?」


 突然の進路の変更に元剣聖は訪ねる。大聖堂の私室ではなく、どこへ行こうとしているのかと。


「もちろん決まっておりますわ。わたくしはこれから、オルンの救援に向かいます」

「なんと……」


 マリアのまさかの返答に元剣聖は言葉を失う。

 だが彼女の言葉は嘘や冗談ではなかった。真剣な表情でマリアの足は、城門の方向へと進んでいた。


「神聖会議の決議を待っていたら、オルンは滅んでしまいます。その前に……私は一人でも救援に向かいます」


 マリアは足を進めながら、自分の意志を口にする。

 マルネンの情報が本当であれば、今から聖都を出発すればギリギリ間に合う。霊獣の大軍に襲われる前に、マリアは徒歩でオルンに向かおうとしていた。


「お気持ちは分かります。ですが聖女さまには“呪縛”が掛けられております」


 城門を目前にして、元剣聖はマリアの前方に立ちふさがる。

 聖女に選ばれ洗礼を受けた者には、“呪縛”と呼ばれる天神ロマヌスの術が掛けられていた。

 それは『聖女は大聖堂の加護の範囲外には出ることはできない』という強制的な“呪縛”。強大な聖女の力を得る代わりの代償の加護である。


「ええ、そうね……私には“呪縛”が掛けられています……」


 そのため聖女となったマリアは、一生涯をこの大聖堂の敷地内で過ごさなくてはいけない。辛うじて加護の範囲内ある聖城との二ヶ所が、彼女の生活の全てであった。


「でも大丈夫です……そこをどきなさい」

「はっ……」


 マリアは真剣な眼差しで再び歩き出す。

 その迫力に気圧され剣聖は思わず道を譲る。大聖堂の門を警護している他の騎士たちも、その場から一歩も動けずにいた。


「では、行って参ります……うっ……」


 マリアは大聖堂の敷地から外に、一歩足を踏み出す。

 だが直後に苦悶の表情を浮かべる。天神ロマヌスの“呪縛”が発動して、全身に激痛が走っているのだ。


「聖女さま、早くお戻りください!」


 元剣聖は思わず大きな声を張り上げる。

 三年前にもマリアは密かに大聖堂を抜け出そうとした。だが同じように“呪縛”が発動して、すぐに気を失っていた。

 強靭な精神力をもつ聖女ですら、絶対にあらがえない天神の力なのだ。


「大丈夫です……」


 だがマリアは歩みを止めなかった。

 一歩また一歩と、その足をオルンの方向へと進めている。全身に大粒の汗を浮かばせ、顔を真っ青に染めながらも歩んでいた。


「聖女さま……なぜ、そこまでして……」


 元剣聖は幼い頃から彼女の警護にあたっていた。思わず目頭を押さえながら訪ねる。命を賭けてまでオルンに向かおうとする、一人の少女の姿に胸を打たれていた。


「私はヤマトさまと……約束したのです……いつか必ず、ウルドの村に……里帰りするって……」


 聖都を離れる前、マリアはヤマトと約束をしていた。いつか必ずウルドの村に自分の足に行くと。


「生まれ故郷で……私も普通の遊びをして……景色を見てみたいのです……」


 マリアは生まれた直後に、聖女として天神に選ばれている。そして神からの啓示により、故郷のウルドの村から密かに教団に誘拐されていた。


「……そしてリーシャお姉さまとヤマトさまの話で……笑い合いたいのです……」


 物心がついた時から、マリアは聖女として厳しく教育されてきた。

 一日の大半は修行と瞑想に費やされる。誰からも愛されたことなく、信者のために必死で祈る日々だった。


「あの時……ヤマトさまはおっしゃいました……『自分の人生を決めるのは……神でも誰でもない』って……」


 マリアを襲う“呪縛”の痛みは更に強烈になっている。一瞬でも気を緩めると死にいたる激痛。

 だが彼女の足は止まることは無い。それどころか力強く、そして確実にオルンの方向へと向かっていた。


「聖女さま……」


 その覚悟を決めた光景に元剣聖とマルネン、そして集まってきた騎士たちは言葉を失う。

 誰も止めることすらできず、彼女の後を追い静かに見守る。





「ほら……大丈夫だったでしょう……?」


 マリアが大聖堂の門を出てから、長い時間が経つ。


 そして遂に彼女は聖都の城門までたどり着くのであった。

 長時間の激痛に耐え抜き、誰の力の借りずたった一人で歩んできたのである。


「聖女さま……」

「聖女マリアさま……」


 その頃になると異変を察した神聖騎士団、そして聖都市民も彼女の周りに集まっていた。

 だが誰も聖女を止めることは出来ない。

 初めて目にする聖女マリア、その覚悟を決めた必死の姿に全市民が胸を打たれていたのだ。


「……オルンを……救いに……」


 だが運命とは残酷であった。マリアはそう言い残し、その場に崩れ落ちる。

 尋常ではない“呪縛”の激痛が限界に達したのだ。


「聖女さま……この老体もお供します」


 そんな彼女の身体を元剣聖が支える。

 部下に馬車を持ってこさせて、マリアの身体を静かに乗せる。


「さて……物好きがいたら、オルンまで付いてまいれ」


 集まった騎士たちに向かい、元剣聖は静かに口を開く。強制ではなく、集まった者たちの心に問いかけるように。


「もちろん私は騎士と四天騎士の位を返上していく」


 この緊急時に聖都を離れるのは重大な反逆行為。神聖騎士であろうとも懲罰は免れないであろう。


「そして褒賞も何も出ない、戦いになるであろう……」


 騎士とは名誉だけでは生きてはいけない。国や教団があっての戦える身分なのである。


「だが、いつも思うのだ。我々は何のために騎士になったのかと……」


 元剣聖は自分に向かって静かに問いかける。

 我々は何のために神聖騎士になったのかと。幼い頃から血反吐を吐きながら、地獄の鍛錬に耐えてきたのは何のためかと。


「この戦いには恩賞は出ない。だが、たった一つだけ、その栄誉は残るであろう。聖女マリアさまと共に、この大陸を救った者……その誇りだけは死後の天界までの誉れになるであろう」


 元剣聖はそう言い残し、聖女を乗せた馬車を動かす。たった二人でオルンへ救援に向かうために。


「悪いが私も賭けに乗らせてもらおう」

「マルネン殿……」

「分の悪い賭けは……嫌いじゃなくてな」


 大当主マルネンもその馬車に乗り込む。ガネシャ家の全ての財産を放出して、オルンの救援を協力すると約束して。


「団長……我々も同行いたします……」

「私も!」

「わが騎士団も!」


 その直後であった。

 馬車の周りの騎士たちから、次々と声があがる。

 彼らは元剣聖の部下である神聖騎士たち。そして他の騎士団に属する者たちも名乗りでる。


「我々も……」

「よし、オレも行くぞ!」


 その声は周囲の群衆にも、波紋のように広がっていく。市民も武器を手に取り義勇軍として名乗りを上げる。

 いつしかその声は聖都中に広がっていく。

 聖都中の騎士と兵士が武器を手に取り、戦の準備を始める。


 聖女マリアの行動が聖都にいる者たちを動かしたのだ。 


「では、皆さん……一緒に行きましょう」


 マリアは身体を起こし宣言する。

 それは神の力を借りない、初めての自分の言葉であった。


「リーシャお姉さま……ヤマトさま……どうかご無事で……」


 自分の姉リーシャ……その思い人ヤマトのことを、心に思い浮かべながらマリアは出発するのであった。








 オレは夢を見ていた。


 だがそれは本当に夢なのであろうか。


 聖女と呼ばれていた少女の声は静かに、だが強く自分の心に残っている。


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