第128話:ターニング・ポイント
オレは夢から覚めた。
だが夢の内容はまるで覚えていない。
とても大切な内容で、忘れていけない者たちの言葉。
誰かに切り取られたかのように、スッキリと記憶は失われていた。
「昨夜はよく眠れたか、山人?」
「……ああ」
「一日の元気の始まりは朝食からだ。さあ、母さんの美味しい飯を食うぞ! ガッハハハ」
目を覚ましたオレは両親と朝食の卓を囲む。
熊のような体格の父親は相変わらずの大食漢。朝から豪快な笑い声が居間に響き渡る。
「あら、山人。人参は食べられるようになったのね?」
「母さん、それは子どもの頃の話だから」
幼い頃に腹痛を体験してから、人参が苦手な時期があった。
今から二十年くらい前、大好きだった人参を山のように食べた幼稚園時代。そのことを未だに言ってくるのは勘弁して欲しい。
「あら、もうそんなに経つのね。我が子は何才になっても、子どもの感覚が抜けなくて」
母親とはいつまでも経っても、親の気分なのかもしれない。既に社会人であるオレとしては気恥ずかしい。
(好き嫌いか……食糧難を体験してから、食のありがたさは再発見できたからな……)
食べることは生きることと等しい。飢餓に苦しむ“みんな”と頑張った日々が、食に対する感謝をオレに感じさせてくれた。
(“食糧難”だと……まて、何の話だ……)
自分で思いながら、自分自身に問いかける。
今オレはいったい何のことを思い出していたのかと。
(日本でか? いや、そんなハズはない……)
この飽食の時代の日本では、滅多なことでは食糧難の地域はない。もちろんオレもこれまで深刻な食糧難など経験したことない。
(食糧難……飢餓……みんな……)
思い出そうとしても、また頭痛がそれを遮る。
思い出さない方が幸せである……まるで、そう警鐘を鳴らしているようでもあった。
だがオレは構わず自分の記憶を掘り起こす。
(村……少女……子どもたち……)
頭の中に更に、いくつかの単語が浮かび上がってきた。だが頭痛はさらに激しくなり、意識が飛びそうになる。
「山人、大丈夫か?」
「どうしたの、具合でも悪いの?」
卓を囲んでいる両親が声をかけてきた。脂汗を浮かべ苦しんでいる息子を心配しているのだ。
(リー……さん……ガ……トン……)
だがオレは構わず記憶の掘り起こしを続ける。
『このまま思い出さない方が幸せ。苦痛と危険の場に、わざわざ自分の身を投じる必要はない』……そんな悪魔のような甘い囁きが、何度も警鐘を鳴らしてくる。
「これは……何だ……」
激痛に耐えながらオレは、無意識のうちにポケットの中に手を入れる。何かの手掛かりを求めるように。
そしてポケットの中には、小粒の何かが入ってあった。自分では入れた覚えのない物である。
「これは木の実……」
ポケットに入っていたのは茶色の木の実であった。
見たことのない品種であるがクルミに似ている。手触りから察するに、おそらくは食べる実なのであろう。
「山人……それは何かしら?」
「ふむむ、南米種の……いや、よく見ると違うな……」
自称冒険家で世界中の植物に精通している両親。その二人も見たことのない不思議な木の実であった。
「これは……たしか……」
だがオレは知っていた。
これが食料の一種であることを。辺境の村での貴重な栄養源であることを覚えていた。
「この味は……」
オレは持っていた実を口の中に入れて、何のためらいもなく食する。
失われた記憶の手掛かりを探すかのように、何度も何度もかみしめる。
「相変わらず腹の足しにならないな……これっぽっちだと……」
あっとう間に口の中の木の実は無くなってしまう。だ液と共に腹に流し込んでも、満腹感はいっさい得られない。
「そういえば、これが村での最初の食事だったな……」
木の実の後味と共に、その言葉が自然と出てきた。
そしてオレの脳内から切り取られた記憶の断片が、ゆっくりと流れ込んでくる。
「食糧難……苦しむ少数民族の村……」
その場所の最初の印象は貧しさ。前領主の圧政により苦しんでいた辺境の村。
「子どもたち……老人たち……」
その村には幼い子どもと老人しかいなかった。大人たちは連れ去られ、村は滅びの淵に。
だが誰もが精一杯に生きようとしていた。
「狩り……農作業……」
世話になったオレは恩返しをするために、彼らに技術を伝授した。生きるために食料を得る知識と共に。
「街……交易……」
食糧難を解決した後、更に生活を安定させるために交易を開始した。村の特産品を荷馬車で運び、大きな街をいくつもまわる。
「騎士……自称遊び人……太守代理……」
大きな街では多くの人物と出会った。
そこは現代日本とは違う文化と思想の世界。彼らは自分の信念に従い、真っ直ぐに生きていた。
「戦い……霊獣……」
そこは人が生きていくためには厳しい世界であった。
自分の身と仲間を守るために、武器を手に取り戦う必要がある。たとえそれが強大な人外の獣が相手だとしても。
「霊獣の群れ……超帝国……平和のために……」
その大陸は強大な力を持つ一人の少年によって、滅亡の危機に晒されていた。
オレは平和な村の暮らしを取り戻すために、その少年を相手に挑む。
そう……仲間と共に。
「リーンハルト……シルドリア……バレス……ラック……」
仲間の名前が記憶の奥底から溢れ出てくる。信念と勇気を持ち合わせた頼もしい者たち。
「ガトン……イシス……ロキ……マリア……」
各地で出会った者との思い出が、間欠泉のように溢れ出てくる。自分の切り取られていた記憶は、次々と鮮明な色と音を取り戻していく。
「子どもたち……そして……リーシャさん……か」
最後にその名を口にして、オレは全てを思い出した。
この三年間を過ごしていた世界のことを。そして自分が志を半ばで強制送還されたことを、はっきり思い出す。
「そうか……そういうことだったのか」
全てを思い出した自分は現状を確認する。
あの時ウルドの森に向かっていたオレは、人種管理者に待ち伏せされた。
そして“逆召喚”の術を受けて、現代日本に強制送還させられたのだ。
「この記憶を失っていたのは……リーシャさんか……」
昨夜、夢を見る前に彼女の声が聞こえた。『ヤマトさまを元の世界に。平和な暮らしに戻せてよかったです』という声が。
オレが異世界の記憶を喪失していたのは、おそらくはリーシャが原因であろう。
彼女は人種管理者に使役され、“逆召喚”の術を発動。だが最後の力を振り絞ってオレの平和な暮らしために、忘却の術を発動したのかもしれない。
身に着けていた装備が、転移前に戻っていたのも彼女の仕業であろう。
(だが、まて……ということは昨夜の夢は……)
昨夜オレは二つの夢を見た。
一つ目はヒザン帝国の帝都で、皇子ロキが孤軍奮闘していた夢を。
そして二つ目はロマヌス神聖王国の聖都で、聖女マリアが命を賭けた行動を起こしていた夢である。
(アレも実際に起きている現実だったのか……)
もしかしたら異世界とオレの深層意識が、辛うじてまだ繋がっているのかもしれない。
魂鍵となったリーシャが、無意識的にオレに見せた情報の可能性もある。
(だが一ヶ月の時間の差が……)
不思議なことに夢の中の会話の流れでは、オレが強制送還されてから一ヶ月は経っていた。日本に戻って来てから、まだ半日しか経っていないにも関わらず。
(そうか、時間の流れが違うのか……)
おそらく地球とあの異世界とでは、時間の流れが全く違うのであろう。
現にオレが三年間を向こうで過ごしていても、日本ではまだ数日しか経っていない。
(相対性理論……いや、それどころの次元の話ではないな……)
単純な時間の比較は、あまりにも流動的すぎて計算できない。
だが一つだけ確かなことがある。それはオレがこうして日本で過ごしている間に、向こうの世界ではかなりの時間が進んでいることだ。
(それは……マズイな……)
最後に見た聖都の映像で、大当主マルネンは言っていた。『大量の霊獣が召喚され、オルンへの大侵攻が始まる』と。
ウルドの森からオルンまでは馬で何日かの距離はある。だが早くしなければオルンの街は、霊獣の大軍の前に陥落してしまうであろう。
(だが、どうやって……あっちの世界に戻れば……)
強制送還される直前、人種管理者は言っていた。
『さよなら、ヤマト。ちなみにまた自力で戻ってくることは、不可能だからね』と。つまり今の自分は異世界に戻ることは出来ないのだ。
(そしてオレが戻ることは、あの世界にとって最善なのか……)
元々自分は強制的に転移させられた異世界人である。
当初は見知らぬ世界で生きるために、ウルドの村で世話になっただけ。
自然の摂理からいえばオレは外来種であり、あの世界にはいてはいけない“特異種”なのだ。もしかしたら自分の存在が人種管理者を呼び起こしたのかもしれない。
「ねえ、山人……大丈夫」
「うーむ。さっきの木の実を食べてから、おかしいぞ」
再び両親がオレに声をかけてくる。
奇妙な木の実を食べてから、ぶつぶつと独り言を口にする息子を心配しているのだ。
「母さん……オヤジ……」
自分を産んで育ててくれた両親に視線を向ける。
これまでの人生が走馬灯のように甦ってくる。そして年老いた二人に恩返しする将来の人生も。
「母さん、オヤジ……すまないが、オレは行ってくる」
「行くって……どこに?」
オレは覚悟を決め、口を開く。
あまりにも真剣なその表情に、母も何かを察する。
「行く先は上手く言えない。そして帰ってこられないかもしれない」
あの異世界に確実に行く手段は見つかっていない。また日本に戻ってくる手段も。
「オヤジと母さんには、迷惑をかけるかもしれない……」
社会人である息子の突然の失踪。そのしわ寄せは確実に両親に向かうであろう。
「でも“一宿一飯の恩”……その恩返しを、オレはまだ“あの世界”の人たちに果たしていない」
オレは覚悟を決めていた。世話になったウルドの村のみんな、そして出会った多くの人たち。日本の全てを捨てでも、彼らに恩返しをして報いることを選択した。
「山人……あなた……」
いきなり突拍子もないことを言い出した息子……だが母親は何かを察していた。
冗談や嘘を言わない息子が真実を述べていることを。一生の別れが訪れたことを感じていた。
「我が息子よ……いや、山人よ、これを持っていけ」
「オヤジ……これは……?」
無言で聞いていた父が、胸元から何かを取り出す。
それは小さな石であった。昔から父が肌身離さずに持っていた、大事な宝玉である。
「それは我が家に代々伝わる石だ。言い伝えによると戦国時代のその先祖は、“別の世界”に行って戻ってきたと」
「まさか……」
父の言葉にハッとして宝玉をよく観察する。そこには地球とは別の世界の文字が彫られていた。
そしてオレはその文字に見覚えがある。古代超帝国時代の魔道具に彫られていた文字と、酷似していた
「その世界はいい所だったか……山人?」
父はオレの反応を見て全てを察する。自分の息子が向かう世界のことを、静かに訪ねてくる。
「どうかな。原始的で生きるのも大変な世界だった……」
オレは苦笑いしながら答える。
異世界での生活は、物語のように決して楽ではない。大陸では争いが絶えず、明日の食料にも困ることもある。
「だが、いい所だった」
何ともいえない充実感があの世界にはあった。
日本や外国の秘境を旅しても得られなかった想い。自分の中では故郷とも思える世界になっていた。
「いい顔をするようになったな……山人。気をつけて行ってこい」
「ああ……行ってくる」
父から秘石を譲り受け、最後の別れの挨拶をする。
職業不明な自称冒険家であり、自由奔放にオレを育てきた父。いつも豪快に笑い無計画的で、自分とは正反対の性格な父。
だが。そのお蔭でオレは本当にいろんな体験をすることができた。
「母さんも、泣かずに、私たちの自慢の息子の門出を祝おう」
「ええ……うん……山人……身体だけには気をつけてね……」
「ああ……母さんもね」
涙をこぼしている母親の肩をそっと抱きしめる。
自由奔放な父の代わりに、いつもオレに大事なことを教えてくれた母親。
“一宿一飯の恩”、それもこの偉大な母に教わった大事な言葉であった。
「じゃあ、行ってくる」
両親と最後の別れを済ませ、オレは家を飛び出す。
今は何よりも時間が惜しい。日本での暮らしを全て投げ捨て、目的の場所に向かう。
◇
向かったのは本家の裏山の霊穴である。
(先祖からの秘石……妖刀……つまりそういうことか……)
オレにはあちらの世界に戻る道が見えていた。
異世界に転移する三年前、オレは一人の武士と出会っていた。正確には妖刀に憑りついてた武士の霊である。
その霊は自分のことを語っていた。戦国の世を戦っていたある日、眩しい光に包まれたと。そして見知らぬ異国に立っていたと。
(その武士の子孫の一人が、オレという訳か……)
おそらく秘石は武士の先祖が持ち帰った物であろう。
何の因果が知らないが、オレは祖先と同じ異世界に転移していた。そして彼も人外なる獣と戦っていたのだ。
「さて……ここか」
オレは洞窟の行き止まりにたどり着いた。
神台のある広間の一番奥には、人の手が加えられた台座がある。ここで三年前、オレは武士の祖先の霊に出会っていた。
「力を貸してもらいたい……楠兵右衛門……」
その武士は楠兵右衛門と名乗っていた。オレと同じ楠の姓をもつ祖先。
「いや、“黒き魔人”よ……力を貸して欲しい」
オレは祖先の別名をつぶやく。
それは人種管理者が口にしていた名。黒目黒髪の青年で黒き甲冑を身につけた曲刀使い。
奴隷となった人々を開放するために、超帝国を打ち倒した戦士の名である。
『……これは懐かしい名を……我が子孫ヤマトよ……』
どこからともなく声が聞こえる。
三年前と同じ楠兵右衛門の声。それは左手の秘石からであった。明らかに非科学的な現象であるが、オレは迷っている暇はない。
「もう一度、あの世界に行きたい。皆を……大事な仲間を助けたい」
オレは誰もいない空間に向かって語る。こんな非科学的なことで、あの世界に戻れるとは思ってもいない。
だが同時にオレは感じ、直感で知っていた。この場所が鍵になり、三年前の自分は転移したのだと。
『拙者は既に成仏していこうとする身……あの世界に行ける可能性は低いぞ……我が子孫よ』
「それで十分だ。万が一つの可能性さえあれば、後は賭けにでるまでだ!」
まるで雲を掴むような確率に賭ける。こんな非効率的な自分は、これまではあり得なかった。
もしかしたら異世界に行って、オレ自身も変わったのかもしれない。
『そうであるか。ならば、その妖刀を手にせよ……』
兵右衛門の言葉と共に、一振りの刀が宙に出現する。日本刀によく似ているが、刀身には古代文字も描かれていた。
『拙者の刀を山穴族の鍛冶師が鍛え直してくれた業物だ。この鎧と一緒にな……』
「千年前の山穴族か……」
それは祖先が超帝国を打倒した時に使っていた刀であった。
魔剣を遥かに超える力を有し、古代人に妖刀と恐れられていた業物。千年間の山穴族もオレの祖先に協力をしていたのだ。
『その妖刀と秘石を握り、強く念じよ。あの世界のことを……そして守るべき人の顔を……』
それがあの世界に戻る唯一の可能性だと兵右衛門は語る。
秘石は千年前の魔道具の一つで、転生転移の力を持っている。その想いが強ければ強いほど、戻れる確率が上がると。
「ああ、分かった」
妖刀と秘石を握りオレは強く念じる。はるか遠く離れている世界のことを。
(みんな……そしてリーシャさん……)
そして出会ってきた者たちの顔を、胸に思い浮かべる。自分の本当の気持ちを素直な言葉にして。
(待っていてくれ……)
人を想う気持ちが全身に広がる。何ともいえない暖かい想いが、自分の胸に込み上げてきた。
(必ず助けにいく……)
そして次の瞬間――――オレは眩しい光に波に包まれるのであった。




