第112話:聖女と少女
「なぜ三年前……私たちの村の大人たちを連れ去るように、聖女さまは命令されたのですか……」
リーシャは真剣な表情で聖女に尋ねる。
勇気を振り絞り、一語ずつ慎重に言葉を口にする。その問いには彼女の強い想いが込められていた。
「そしてウルドの大人たちは……私の父や母たちは、今どうしているのですか……」
彼女が尋ねたのは、三年前にウルドの民が受けた仕打ちについてである。
神の啓示の名の下に、村から大人たちを連れ去っていった事件について。その真相を訪ねるためにリーシャは、ここまで試練を乗り越えてきたのである。
「ウルドの族長の孫娘だと……」
リーシャの名乗りに、教皇の眉がピクリと反応する。だがそのまま口を閉ざす。
たとえ教皇であっても、聖女の返答が終わるまで水を差すことはできない。
『三年前のあの時、天神ロマヌスはおっしゃられた……』
聖布の向こうから女性の声が発せられる。
声質はまだ若い少女のものであるが、どこか抑揚のない声であった。言葉に感情がこもっておらず、どこか人間離れしている。
『“成人したウルド族の中に、この大陸に滅ぼす鍵、“魂鍵”となる者がいる”と。ゆえにウルド族の大人たちを連行した』
感情がこもっていない声で、聖女は淡々と返答してくる。
強い想いがこもっていたリーシャとは、対照的な印象である。
『ウルド族の大人たちは全員、この聖都のある場所にいます』
「よかった……お父さまやお母さま……他の皆も生きているのですね……」
聖女の返答を聞き、リーシャは涙を浮べて喜ぶ。自分の家族や仲間が生きていたことに、心からほっとしている。
(まさか生きていたとはな……)
ウルドの大人たちの命は無いと、正直なところオレは予想していた。
なにしろ三年前に連れ去られてから、その消息は一切不明。情報通なラックに調べてもらっても、これまで何の情報もなかったのである
『彼らは聖都の地下聖堂で眠らせている。“魂鍵”となる者が見つかったら、他の者は起こして開放する』
大人たちの安否について、聖女は補足を続ける。今すぐ開放はできないが、いずれは村に返すことができると。
(“眠らせている”だと……それに“魂鍵”か……)
聖女の口から出る言葉は、どれも非現実的なことばかりであった。だが、その単語のイントネーションにオレは聞き覚えがある。
「ヤマトさま。あとはお願いします……」
リーシャは質問のバトンをオレに渡してくる。
普通の村娘である彼女には、難しい聖女の言葉が理解できない。ウルド大人たちを救うための道を、彼女はオレに託してきたのである。
「次はオレが質問をしてもいいか、教皇」
「はい、どうぞ」
聖布に向かってオレは一歩前に進みだす。
質問できる内容は一つの話題に限られる。つまり慎重に内容を選んで、言葉を発する必要があった。
「ウルド村のヤマトだ。オレの聞きたいことは一つだけ。霊獣管理者とお前……聖女の関係性を知りたい」
「なっ……キサマ、何を⁉」
教皇は目を見開き驚愕する。だが思い止まり、そのまま口を閉ざす。
『霊獣管理者と私の関係性……その質問の意味が分かりません、ウルドのヤマトよ』
感情のこもっていない声で、聖女は聞き返してきた。意味のない質問には、天神ロマヌスであっても答えられないと。
だが霊獣管理者の単語を耳にした聖女の反応は、明らかに違和感があった。
「なら質問を変えよう。今から十数日前、傭兵崩れを雇って、オレたちの荷馬車隊を襲わせたのはなぜだ?」
「なっ、なっ……キサマ、何を口走るのだ⁉」
オレの問いかけに、ついに教皇は激怒する。無礼にも程があると激高していた。
『あの時、天神ロマヌスはおっしゃられた……』
「聖女さま……」
だが聖女が語り始めると、教皇はその口を閉ざす。たとえ教皇であっても、神の代行者の言葉を遮ってはいけない。
『神聖王国に害をなす“黒き者”が東からやってくる。それを滅せよ……』
「なるほど。それでハザンとう偽名で傭兵団を雇ったのか」
襲撃の首謀者であることを、聖女は否定しなかった。そしてこの件に関して、オレの推測が当たっていた。
なぜなら聖布の向こうからの視線に、オレは覚えがあったのである。
それは傭兵団に襲われる前に感じた、“何とも言えない視線”と同じであった。
「なるほど、それで“あの場所と時間”を予測できたのか、ヤマトよ」
「ああ、聖女の力をもってすれば容易いであろう」
シルドリアの疑問にオレは答える。
あの時、荷馬車隊は寸分の狂いもない時間と場所を狙われ、傭兵団に強襲された。
特殊な力をもつ聖女が、オレたちを狙ったのなら納得がいく答えである。
「だが、その後はなぜオレたちを放っておいた? 道中やこの聖塔の中でも、力づくで襲う機会はあったはずだ?」
神聖騎士団を総動員して包囲されたなら、さすがのオレたちも危険である。もちろん包囲はされないように、ここまで細心の注意を払ってきてはいたが。
『その後、天神ロマヌスはおっしゃられた……“黒き者”は大陸を……この世界を救う可能性がある……それを手助けせよ……』
そう答える聖女の声は震え、声質が変貌する。
先ほどまでの抑揚のない声から、迷いの感情がこもっている。そして年頃の少女に相応しい、凛とした声であった。
「えっ……この声は……」
「に、似ているっす……」
変化した聖女の声を聞き、室内の誰もがざわつく。
特にオレの仲間たちは、目を見開く。なぜなら“祈りの間”いた者の声に、聖女の声が酷似していたのである。
『天神ロマヌスよ……お教えください……私は……どちらの啓示を信じれば……』
聖布の向こう側で、聖女が苦しそうな声を急に発する。
“黒き者を滅せよ、そして手助けしろ”。その矛盾する二つの神の啓示に板挟みになっていた。
「“黒き者”……ウルドのヤマト……助けて……」
聖女はそうつぶやくと、聖布の向こう側で倒れ込む。
「聖女さま⁉」
「聖女さま、お気をたしかに!」
倒れ込んだ聖女に、控えていた侍女と教皇は駆け寄る。
それ禁忌を破る行為であったが、今は非常事態。聖布を跳ね除け、聖女を助けようとする。
「こ、このお顔は……」
禁忌を破り、聖女の顔を初めて見た教皇は言葉を失う。そしてオレの〝隣の少女”に視線を向けて、また聖女の顔を確認する。
「あれが聖女さま……でも聖女さまの顔が……」
「ああ、そうじゃのう……」
聖布は外れ、聖女の姿がオレたちにも露わになる。
その光景にラックとシルドリアも言葉を失う。
(声だけではなく、姿かたちまで同じか……)
倒れ込んだ聖女の顔は、自分たちの仲間の一人に酷似していた。
それはウルドの村長の孫娘リーシャ。
――――ロマヌス教団の最高位の象徴である聖女は、リーシャと瓜二つだったのである。