第106話:大当主との交渉
大陸最大の財閥ガネシャ家の当主、マルネン=ガネシャと交渉が始まる。
「親父殿、ご無沙汰しております。ラクウェルです」
こちら側の交渉人であるラックは、丁寧な口調で自己紹介をする。いつもの軽薄な言葉使いではなく、一語一語を選んで口にしていた。
「ふむ、やはりラクウェルだったのか。久しぶりだな」
応接室の豪華な椅子に座りながら、当主マルネンは挨拶をする。先ほどは“愚者”とラックのことを蔑んでいたのが、まるで嘘のような態度であった。
ラックが口にしていたように、性格的にかなり偏屈な人物なのかもしれない。
「では早速、要件を聞こうか? 恥を忍んで戻ってきて、このワシに頼みたいことを」
ラックは多くは語らないが、この実家の屋敷を数年間に出ていた。
その後は大陸各地を転々と旅して、オルンにいた時にオレに出会ったのである。
「聖女さまに面会するために、親父殿の力を貸してください」
ラックは単刀直入に嘆願する。
各国の国王でも会うことができないロマヌスの聖女。だが大陸の経済を裏で操り、ロマヌス国王と同等の権力を持つ大当主マルネンなら可能であると。
そのために自分は恥を忍んで戻ってきたと、ラックは熱弁する
「聖女さまに会うだと?」
その頼みにマルネンは眉をピクリとさせる。
そして言葉を続ける。大聖堂の最深部にいる聖女は、神の代理である象徴。直接会えるのは大聖堂の頂点に立つ、教皇ただ一人のみであると。
「だからこそ、このワシですら直接の面会が叶わない」
神から聖女が受けた啓示を、大聖堂では教皇が信者に伝えている。大陸一の権力をもつマルネンですら、教皇までの面識しかなかった。
「そのことを知っての発言か、ラクウェル?」
「親父殿は“本気”を出したら聖女さまに会える……その可能性があるのを知っています……」
ラックは何かに気が付いていた。
ガネシャ家の大当主には、聖女に会えるための手段があることを。だが、その代わりに何かを失う可能があることも。
「ほう。いつからそのことに気が付いていたのか、ラクウェル?」
ラックの発言にマルネンの表情が変わる。先ほどまでの上辺の対応ではない。ラックの本心を射抜くように見つめている。
「この家に大きな秘密があることは、子どもの頃から何となく気が付いていました。でもそれが確信に変わったの、〝北の賢者ヤマト”に出会ってからです」
そう自分の変化を説明しながら、ラックはこちらに視線を向けてくる。
今回の交渉はこの男を信じて任せていた。オレは口を閉ざしてラックを見守る。
「ウルドのヤマトか……なるほどな。たしかにラクウェル、お前は兄たちよりも才能があった。だからこそオルンで遊ぶのも容認していた」
マルネンもこっちを一瞥してくる。そしてガネシャ家の跡継ぎについて語る。
ラックの兄たちもたしかに商才に優れ、今もガネシャ家の重役に就いている。だが巨大なガネシャ家を存続させていくには、商才だけではダメであると語る。
「ロマヌス神聖王国と大聖堂、そしてガネシャ家……天秤のように危険なバランスの上で、この三者は成り立っているのだ……」
これまでにない神妙な顔でマルネンは目を閉じる。自分自身に何かを言い聞かせるように。
「だからこそガネシャ家のために、聖女さまへの面会の仲介はできない」
そして目を見開き、その結論を口にする。
マルネンの権力をもってすれば可能性はある。だが同時にそれはガネシャ家の存続にも関わると、心の奥から吐き出す。
「で、でも……」
反論をしようとしてラックは言葉を止める。
なぜなら大当主マルネン=ガネシャに口答えは許されない。それは実の息子であるラックも例外ではなかった。
「ワシは忙しいので、話はここまでだ。あとは聖都観光でもしてゆっくりしていけ、ラクウェル」
「わ、分かりました、親父殿……」
交渉はここで幕を閉じる。ラックは言葉を失い、意気消沈していた。
この男は誰よりも聡明であり、頭の回転も早い。だが今回の場合は相手が悪すぎたのかもしれない。
応接室に重い沈黙の空気が流れていく。
◇
「ラクウェル……いや、ラック。まだ終わりではない」
だが、そんな沈黙の空間をオレは破り捨てる。
そしてラックに冷たくなった肩に手を置く。諦めるのはまだ早いと語りかけながら。
「ウルドのヤマトといったか。残念ながら息子とワシでは格が違うのだ」
「お前に言っているのではない、マルネン。オレはここにいる男に言っているのだ」
「なんだと……」
オレの反論に大当主の眉がピクリと反応する。
だが構わずオレは言葉を続ける。
「オレの知っているラックという男は、誰よりも勇敢だ。仲間のためには霊獣にすら立ち向かう……」
ラックは本当に凄い男であった。一見すると軽薄な遊び人であるが、誰よりも聡明であり勇気も兼ね備えていた。
霊獣に対しても決して怯まず、あの霊獣管理者ですら逆手に取っていた。
「オレの知っているラックという男は、誰よりも優しい心の持ち主だ……」
暗殺者に襲われたイシスを守り、彼女を必死で助けようと駆けずり回る。
危険を冒してまでバレスの魔剣から、ウルドの少年を助けてくれた。そして魔人アグニに吹き飛ばされたシルドリアを、身を挺して受け止め命を救う。
「そしてオレの知っているラックという男は、誰からも愛される自愛の持ち主だ……」
ラックはいつも笑顔を絶やさない。
相手が子どもたちであろうが、皇女であろうが常に優しく接していた。そして慈愛に満ちたそんな男は、誰からも愛されていた。
「ラック、お前がいつも口にしている夢は、偽りだったのか? “世界一の遊び人”になるという雄大な夢は」
「ヤマトのダンナ……」
話を聞きながらラックは言葉を失っていた。だがその眼にはうっすらと生気が戻ってくる。
「二人とも、茶番はそこまでだ」
マルネンの言葉で場の空気が一変する。強烈な殺気が部屋中に広がっていく。
「我がガネシャ家は“裏”にも通じておる」
マルネンの合図で執事たちが動き出す。どこからともなくナイフを取り出し、音もなくオレたちを包囲する。
その動きから彼らは、特殊な訓練を受けた隠密衆だと推測できた。
「ふむ。つまらない話し合いだったが、面白くなってきたのじゃ」
「ヤマト、気をつけろ」
これまで暇そうに口を閉ざしていたシルドリアが、口元にいつもの笑みを浮べる。同じように待機していたリーンハルトも、周囲をけん制する。
「力ずくで仲介を頼むしかないのじゃ」
「ヤマト諦めろ。この分だと話し合いは、もう無理だ」
屋敷の入り口で、こちらの武器は全て預けてきていた。だがこの二人の実力があれば、無手でも問題はない。
シルドリアとリーンハルトは覇気を高める。
「二人とも待て。この男に任せろ」
だがオレは二人の騎士を制する。
そして口を閉ざしていたラックに視線を向ける。本当の自分らしくいけと。
「ヤマトのダンナ……シルドリアちゃん、リーンハルトのダンナ……本当にありがとうっす……」
ラックの言葉がいつもの調子に戻る。そして両眼には生気がみなぎり、瞳の奥には熱い魂が宿っていた。
「親父殿……オレっちはヤマトのダンナを男として、そして兄貴分として慕っているっす。だから聖女さまに何とか会わせてあげたい……」
ラックは大きく変化する。先ほどとは違い、マルネンの目をしっかり見つめていた。
軽薄な口調であるがその一語一語には、自分の本心と想いが込められている。
「ガネシャ家に危機あったら、オレっちが必ず立て直す! いや……今まで以上に世界一の家にしてみせるっす!」
ラックは心の底から言葉を発した。
それは誰のためでもない。自分の信じた道を進み、想いを叶えるために叫んでいた。
「ラクウェルよ。例え聖女さまに会えたとしても……お前たちの求めている問いに、辿りつくとは限らないぞ」
隠密執事たちを手で制止しながら、マルネンは我が子に尋ねる。
最後の希望を失った時、人は脆い。そのことをマルネンは危惧している。
「その時は次の道を探す! オレっちは最後まで絶対に諦めないっす。この仲間たちと一緒に……」
ラックの意思は揺るがなかった。
後ろにいたオレたち一人一人を見回し、自分の覚悟を父に言い放つ。誰かを信じて自信に満ちた瞳で。
「あの甘えん坊のラクウェルが……こんな目をするようになったのか……」
誰にも聞かれないようにマルネンは小さくつぶやく。
その顔は大財閥ガネシャ家の当主マルネン=ガネシャのものではない。
我が子が大きく成長した瞬間を肌で感じた、誇らしげな父親として顔であった。
「願いは分かった。だがワシも商人の端くれ。聖女さまへの面会は家の存亡をも賭けた危険性ある。その対価を提示してもらおうか?」
マルネンは父親から商売人の顔になる。
そして聖女に会うための対価を求めてきた。商いを生業にする者は、高危険には高分配が必要なのである。
「対価……それならオレっちの……」
「対価ならオレが払おう」
ラックの決意の言葉を、オレは遮る。ここまで熱くなった男は何を言いだすか、見当もつかない。
それに親子間の話し合いは、たった今終わった。ここからは交易商人であるオレの出番である。
「ほう。ウルドのヤマトよ……お前はいったい何を支払うつもりだ?」
大陸最大の財閥ガネシャ家の存亡を賭けた取引。その対価ともなれば一介の村人に払える額ではない。
この世界でも最高の宝玉が、いくつあっても足りない。
「オレが払うのは、この権利書だ」
マルネンに一枚の権利書を差し出す。それは村作った和紙に、細かく文章が書かれていた
「これは……そ、そんな、バカな!?」
書面の内容とサインを確認して、マルネンは声をあげて驚愕する。何度も見直し、その内容と真偽性を確認していた。
「ウ、ウルド岩塩鉱山の権利書だと……」
「ああ、そうだ」
オレが差し出したのは、岩塩鉱山に関する全権利を譲渡する書面であった。
文章はオレが作成して、確認署名したのは老鍛冶師ガトンである。
「しかも署名は“鍛冶師匠”ガトン=ル=ダバン……これは間違いなく本物だ……」
“鉄と火の神”に仕える山穴族は、決して嘘を付かない種族である。その確認署名は国家間の取引で使うほど、有効性は高い。
しかもガトンの鍛冶製品の収集家でもあるマルネンは、そのサインを見間違えるはずはなかった。
「大陸最大の埋蔵量を誇る北部の岩塩鉱山……百年前に発見されたという記述は本当だったか……」
大陸一の情報網を持つマルネンは、ウルド岩塩鉱山の噂を知っていた。歴代のガネシャ家の当主だけが残し秘匿情報の一つとして。
だが発見され間もなく霊獣が降臨したために、その存在は誰からも忘れ去られていたのである。
「これほどの大規模な岩塩鉱山の発見は……歴史が変わるぞ。その全権利を手放しなど、正気か、ウルドのヤマトよ!?」
マルネンは目を見開きオレに尋ねてくる。
この世界の塩の価値は金にも匹敵する。なにしろ人が生きていくうえで塩は必須。むしろ塩の歴史が人の歴史だと言っても過言ではない。
つまり多くの塩を制した者が、この世界を支配できる。
「この男、ラックにはその価値がある。だから惜しくはない」
そう説明しがらラックの肩に、再び手を置く。決意を決めた男の魂の熱が、オレの右手に流れ込んできた。
この仲間のためなら、オレも惜しいものなどない。
「そうか……ワシの息子が大陸最大の宝の山と同等の価値か……これほど嬉しい褒め言葉は、この世にはないわ……」
マルネンは目頭を押さえていた。
誰よりも優しかった我が子を認めてくれた、その言葉に身体を震わせていた。
「この取引を受けよう」
「ああ。これで交渉成立だな」
そしてマルネンは宣言する。
ウルド岩塩鉱山の権利書と引き換えに、聖女への面会を必ず果たすと。
例えその結果でガネシャ家が滅びようとも、必ず引き合わせると執事たちにも強く言い渡す。
「親父……」
「我が息子よ……いやラクウェル=ガネシャよ。岩塩鉱山の所有名義はお前の名だ。ことが終わったら……その価値を何倍にも高めて、この家に帰還するのだぞ」
「はい……分かったっす」
マルネンは察していた。ラックやオレたちが、強大な何かに挑もうとしていることに。
そして同時に信じていた。最愛の息子はそれを必ず成し遂げて、生きて凱旋してくれることを。
(これで道は開いた……)
こうして大財閥ガネシャ家の当主との交渉は終わる。
そして大聖堂に再び向かう日がやってくるのであった。