第94話:三年目の春
雪に覆われていたウルドの村に、春がおとずれた。
オレにとって、この世界での三度目の春となる。
「いい天気ですね、ヤマトさま」
「ああ。春めいてきたな、リーシャさん」
「はい、春ですね」
冬が明けた村の様子をいつものように、村長の孫娘リーシャと見て回る。建物や畑など雪で被害が出ていないか確認していく。
このウルド村の冬の積雪はそれほど多くはないが、凍るような厳しい毎日が続く。そのため村人たちは暖炉で寒さをしのぎ、工芸品や織物などの内職に勤しんでいた。
「今年は備蓄の量は余裕があったな、リーシャさん」
「はい、ヤマトさま。肉と野菜の備蓄はまだ余裕があります」
村の食料庫で在庫の確認をする。ここを管理しているリーシャは、手元の記録簿を見ながら報告してくる。その数字によると、食糧の在庫は去年よりもかなり余裕があった。
「これもヤマトさまの指示のお陰です」
「たいしたことではない。村の皆が頑張ってくれた結果だ」
リーシャは感謝しているが、それほど大きな改革は行っていない。オレが指示したことは帝都で仕入れてきた芋類や冬野菜の栽培、家畜の新しい冬越え方法を実戦したくらいであった。
土地が痩せている帝国には様々な野菜があり、山岳地帯にあるウルドの環境にも似ていた。その栽培も順調に進み、村では冬の間も野菜に困ることはなくなる。
また以前は豚などの家畜は冬が来る前に、塩漬けや燻製にして保存していた。これは冷蔵庫がない世界で生モノを腐らせないための苦肉の策の一つ。
だが昨年からは畜産の方法を少し変えて、豚を加工肉にする量を減らす。これにより冬の間でも安定した食料が供給された。
「だが油断はできない。今後のためにも、もう少し農地を増やしておこう」
「はい、ヤマトさま」
このウルドは老人と子どもしかいない村である。
オレが来てから三年が経ち、子どもたちの中には成人を迎える者たちが出てくる。育ち盛りの彼らのためにも、更に安定した自給率の向上が理想である。
また今後の計画のためにも自給自足は欠かせない。
台帳を見ながら別の倉庫の確認もする。
「工芸品の方も順調だな」
「はい、昨年よりも品質も良好ですね。これもヤマトさまの提案した竜素材のお蔭です」
帝都の決戦で巨竜アグニから得た素材を使い、工芸品を作る道具の改良をしていた。細さと強度を両立する竜のヒゲは、歯車や滑車のベルトの代わりになり、竜羽の膜もこれまでにない改良を可能にした。
これによりウルドやハン族、スザクの民の工芸品を次々と作ることができた。熟練の技をもつ老人たちから、子どもたちは伝統と技を受け継ぎ学んでいく。
最初のころは不格好だった子どもたちの工芸品も、今では立派な商品へと進化している。まさに伝統の継承。
「田植えが落ち着いたら、オルンの街へも顔を出さないとな」
「ラックさんから、定期連絡もありました」
それらの工芸品は雪が解けて遠出ができるようになったら、商品として交易都市オルンまで運んで行く。
高品質のウルド産の工芸品は、都市の住人の人気が高い。
噂ではオルン経由で帝都まで流通させる交易商人も出てきたという。帝都の市場での交易が口コミで広がっていたのだ。
「よし。それでは次を見にいこう、リーシャさん」
「はい、ヤマトさま」
オレたちは定期巡回を続ける。
◇
村の中を流れる小川沿いに増築した工房に、オレとリーシャはたどり着く。
「あら、これはヤマト殿。二人仲良く、視察ですかい?」
「ああ、見させてもらう。気にしないで作業を続けてくれ」
工房内にいた村の老婆が声をかけてきたが、引き続き作業を続けるように指示する。
「織物工房は、順調なようだな」
「これもヤマト殿のお蔭ですわ」
織物工房は順調であった。この工房は昨年から本格稼働している。
現代日本の技術を応用して、紡毛機と織物機を開発した。
例によってオレが設計して、ガトンたち山穴族の老職人たちに作らせた物。広い工房内には規則正しく、心地よい機織りの音が響いている。
「ウルド布はオルンや帝都でも好評でしたね、ヤマトさま」
「ああ。これは村の主軸産業になる」
これらの“紡毛機”と“織物機”は、地球の歴史で十八世紀ころに発明された革新的な“飛び杼”から生み出された機器。それを水車の動力と組み合わせることで、生産性は遥かに向上していた。
村の伝統的な“ウルド生地”の生産性を向上させたことにより、交易の商品として売ることができる。山岳地帯でしか採れない美しい染料と高品質の布が、街の女性たちの美意識の共感をよんだのであろう。
「そういえば、リーシャ嬢に頼まれていた生地も、ここに出来ているわよ」
「えっ……は、はい、ありがとう」
工房にいた老婆の一人が、オレの隣にいたリーシャに声をかけてくる。彼女が老婆に頼んでいた特別な生地が完成したのだという。山岳民族特有のカラフルな生地が、リーシャの目の前に差し出される。
「後は嬢ちゃんが“ウルド刺繍”を縫い込んで完成よ」
「気張って、嫁入り道具を完成させるんだよ!」
「は、はい……頑張ります」
リーシャは老婆たちから激励される。この生地は何やら特別なのであろう。受け取ったリーシャは顔を赤らめながら、小声で返事をしている。
「ウルドの女性たちは刺繍の達人だったな、リーシャさん」
「はい、幼い頃から私も頑張りました……」
ウルドの女性は幼い頃から針の腕を磨き、成人後の嫁入りの時に、作り貯めた刺繍生地と一緒に嫁ぐ習慣がある。十五才となったリーシャも、いつも布に針を通している姿を見ている。
「ヤ、ヤマトさま……私は今度の夏で十六の歳になります……」
「そうか。早いものだな」
オレが森で出会った時、リーシャはまだ十三才だった。大兎に襲われていた彼女を助けたのがきっかけで、オレはこの村に世話になる。あれからもう三年になるのか。
そう考えると本当に、月日が流れるのは早いものである。
「十六才になっても、私は焦りません……ヤマトさまのお手伝いを頑張ります」
「この村で解決しなければいけないことも、あと少しだ。頼りにしている、リーシャさん」
二年前に比べてウルドの村の状況は、かなり向上していた。穀物イナホンの栽培により食糧難は解決し、畜産や新しい野菜の栽培も順調である。
工芸品の生産性の向上により、オルンの街との交易も定期的に行われている。それにより医薬品や必要物資も手に入るようになった。
村の皆の頑張りのお蔭で、本当に村の暮らしは急激に改善されている。
「私……ヤマトさまの隣に立つ資格がある、素敵な女性になります」
リーシャは顔を赤らめながら、だが真剣な瞳で宣言する。
少女だった彼女もいつの間にか村長代理として、立派な女性として成長している。本当に立派な村の代表者として。
彼女や村の子どもたち、ガトンたち山穴族がいれば、この村はもう大丈夫なのかもしれない。
「ああ……そうだな」
自分の感情を気がつかれないように、そう返事をする。
こうしてオレにとって、この村での“最後の年”が始まろうとしていた。