八十六、過去と現在と未来と
キサラは本に触れ、しおりの挟んであるページを開いた。
「妖狐の一族は南領にあるから、紅家が管轄しているんだ。そして、紅家が妖狐の一族に補充要員の要請をした」
ナツヒの指さすところに、紅家が妖狐に二名の砦への派遣を要請した、と書いてあった。
そして、派遣されたところにキサラの祖母と父の名前が記録されていた。
「祖父の……名前が……ない」
「ああ。その先を読むといい、ここだ」
ナツヒがさらに先を指さす。
砦のそばに、祖母と住む人間がいて、数日もしないうちに亡くなり、その直後に、祖母と父親が砦の外で倒れているのが発見されたと。
「まず、紅家の次期当主として、俺は君と、君の祖父母に謝らないといけない。俺たち紅家が妖狐の一族に要請をしたばかりに、こうなった」
キサラはなんと答えたらいいかわからなかった。
紅家が悪いわけではない。
「そして、俺はその責任を果たすために、妖狐の当主と当時の砦の長を担当していた鬼に聞き取りにいった」
「ナツヒ様…」
ナツヒの指が当時の砦の長の名前をなぞった。
「当時、人間を連れてきた妖狐の二人に、長は連れて帰るように打診した。でも、帰れない、と三人は泣きながら言ったそうだ。だから、長は祖母と父親を砦にいれなかった。しかし、悪い予想が当たってしまった。長は忘れてなかったよ、君の祖父母や父のこと」
『帰れない』
キサラは祖母と父親の覚悟を決めた顔を思い出した。
キサラの知らない事情がある。
「妖狐には、誰が派遣されたかは伝えられていなかった。当時の長が妖狐に進言したが、冗談だと思われたそうだ。俺が妖狐当主に確認したら、泉狐家に派遣の依頼をだしていたらしい」
「それじゃぁ……」
キサラの脳裏にヤスロウが浮かぶ。
いや、おそらく根源はそこではないだろう。
「ここからは俺の推測が入るが」
ナツヒの腕がぎゅっとキサラの体を引き寄せた。
「妖狐の一族は、泉狐家を評価していた。君の祖母も、妖力の強い妖狐だった。円弧家は無理でも、泉狐なら本家を継げるのではないかと。その力試しをかねて泉狐を砦に送ろうとした。だが、その知らせを受けた泉狐家……ただしくは、ヤスロウの父親だろう。そいつが自分たちが行くのではなく、円弧に行くようにしむけた」
「……そんな」
「正直に言うと、ヤスロウでも十分妖力は強い。生きて帰ってくることもできた。だが、妖狐の本家の意図を泉狐は読み取れなかった」
「……」
ヤスロウの父親は、一番キサラを嫌っていた。
ヤスロウの祖母が体調を崩したのも、キサラの祖母が人間と結ばれたから。
だから、キサラを孤独にして、あの沼地に追い込み、『闇医者』の名前を流布した。
「妖狐もその事実を知って、衝撃をうけていた。泉狐にはもう本家に返り咲くことはないだろう」
「…仕方がないです」
キサラはヤスロウを思い出した。
『父上と俺は違う。俺は、今のこの暮らしが、静かな暮らしができればいいと思っている』
多分、ヤスロウにとっては、いい結果だ。
「で。もうキサラには関わらないという条件をだした」
「…では、前にナツヒ様が言っていた、妖狐が私に興味がなく、私に関わらないというのは……」
「君の祖父母や父親に対する申し訳なさもあるだろう。君は妖狐に関係なく自由に過ごしたらいい、というな」
「だから」とナツヒがキサラに微笑みかける。
「妖狐は絶対にその約束を守る。君の祖父母やご両親の代わりに、君が幸せになるように。紅家や墨家の保護に入ることによって、他の妖狐から守られるだろう、ということも見越して」
「……そうですか」
妖狐に対して、嫌な思いがあるわけではない。
それを妖怪の方法で解決してくれた。
きっとキサラではできなかった。
「ありがとうございます、ナツヒ様。きっとそれは、ナツヒ様でなければできなかったことでしょう」
「ん。俺は、キサラのためにしたかった、それだけ。キサラの心配が消えるなら、それでいい」
「ありがとうございます」
キサラは静かに本を閉じた。
これ以上、知ることは難しいだろう。
祖父母や父親が、苦難・苦悩の中で亡くなったのは変わらない事実。
ただ、それを問題だと思ってくれていたものがいたこと。
今でも、問題だと思ってくれているものがいたこと。
それをキサラに還元しようとしてくれていること。
「私のすべきことがわかりました」
キサラはもうキサラでしかない。
ならば、キサラらしく、幸せな日々を送るだけ。
「俺が手伝えることがあったら言ってほしい」
「…そうですね」
多分キサラにできることとできないことがある。
できないことは、ナツヒを頼ればいいんだと思う。
「ナツヒ様、時々相談に乗ってください」
どうすれば、キサラがキサラらしく生きていけるのか。
「もちろん。俺も間違ったら止めてもらわないといけないし」
「ナツヒ様が間違ったことをしないように、ですね」
「頼んだ」
向かい合って笑う。
この人なら信じられる。
そんな感情を抱いたのは初めてだ。
キサラはその腕をしっかりとつかんだ。
「行くか」
「はい」




