夢の中だけのお伽話。
その後宮廷医師による念入りな診察が行われ、私は扉の外で様子を窺っていた。さすがに、元婚約者とはいえ裸体を見るのは憚られたからだ。
「エミリナ、いる?もう入ってきていいよ」
「はい、かしこまりました」
私は頼まれて仕方なくこの場所に留まっているのに、すれ違う誰もが「今さらなんだ」というような視線を私に向ける。先ほどライオネルの部屋にいた看護人達は、これ見よがしに「追放されたココットの後釜を狙っている」と話していた。
「……いい迷惑だわ、まったく」
まずもって、後釜という表現がおかし過ぎる。ココットは婚約者のいる男性に手を出すという、非人道的な行いをしている。私の悪評を散々吹聴していることは知っていたが、ここまで綺麗に騙されているといっそ同情すらしたくなる。
「不機嫌そうだね、エミリナ」
「誰のせいだと?」
「僕のせいか」
オーウェンの顔は、まだ少し赤い。目もとろりと垂れていて、起き上がっていると辛いのか背筋も丸まっている。大人しく横になっていればいいものを、彼は呑気な声でそう言った。
「お気になさらないでください、失言でした」
今のオーウェンといると、どうも調子が狂う。感情を殺すことは私の得意分野なのに、彼の雰囲気がそれを許してくれない。
「僕の前では、無理しなくていいのに」
「なぜですか?貴方の前でこそ、私は取り繕わなければ」
ああ、腹立たしい。あれだけ汗をかいたというのに、動くたびにさらさらとなびく金の髪も、水面を映したような碧眼も、私を案じるような表情も、オーウェンの何もかもが気に入らない。
「今日は何をしようか」
「一日中ベッドの中です」
「せっかく君と一緒にいるのに」
「病人の健全な過ごし方です」
きぱりとそう言ってみせると、彼はくすくすとおかしそうに体を揺らす。なぜだか、こちらが気恥ずかしい気持ちにさせられた。
「じゃあ、傍にいてくれる?」
「ご命令とあらば、私は逆らえません」
「ありがとう、エミリナ」
まったく、なんて図太い神経の持ち主なのだろう。普通、ここまで嫌味を言われたら諦めるか、腹が立って追い出すかしそうなものを。
彼は哀しげに微笑むだけで、私から離れようとはしなかった。
「ただし、ベッドの上です」
「ソファーや、部屋のテラスもだめ?」
「午後になって、お医者様の許可が下りるまでは」
「うん、分かった」
素直に頷いたオーウェンは、自身の真横のシーツをぽんぽんと手で叩く。それには応じず、昨日と同じ位置に置かれているカクトワールに浅く腰掛けた。
「僕の話を聞いてくれる?」
「はい。なんでしょう」
「この六年間、ずっと頭の中で物語を考えていたんだ。そうでもしなきゃ、見たくないものを見てしまうから。もちろん君は別だけど、最近は哀しい顔しかさせられていなかったし」
妙な言い方に、片眉をくっと上げる。オーウェン自身は気にしていない様子で、さらに言葉を続けた。
「超大作だよ。覚悟して」
「そうですか」
「まず、主人公は君。魔法を使って悪を退治する、麗しき正義の女神」
もうその時点で、うっと言葉に詰まる。止めてくれと視線で訴えたが、鈍感なオーウェンにそれが伝わるはずもない。
「真っ白なドレスには、ダイヤがいっぱい散りばめられていて、その銀髪に良く似合っていて凄く綺麗なんだ。それで、困っている人達を助けるたびに、そこから一つずつ千切っては渡し、また千切っては渡し」
「は、はい?なんだか話がおかしな方向に」
「そんなことないよ。エミリナは優しいから、そのくらい簡単にしてしまう」
着ているドレスの装飾品を千切る女神など、恐怖以外の何者でもないような気がする。
「僕の役は、そんな君に一目惚れをするしがない花売り。命を助けられて以来、なにかと付き纏っては鼻であしらわれてる」
「……空想の中でくらい、ご自身を主役にしては?」
「ううん。僕は君が主役の方がいい」
いつもほわほわとしているくせに、こういう時だけはいやにはっきりとしている。仕方がないので、私は続きに耳を傾けることにした。
「君がダイヤを配るたび、千切れたところに僕が花を縫い付けていく。その時は必ず愛していると口にしながら。そうしていつの間にか、エミリナはすっかり花の妖精になったんだ」
「魔法を使えるのなら、自分で繕えるのでは?」
「そこはほら、ファンタジーだから」
だったら、もっと夢のあるストーリーにするべきだと思う。
「君のおかげで民は貧しさや恐怖から解放された。今度は二人で、国中を美しい花でいっぱいにする旅に出掛けましたとさ。第一部はこれでおしまい」
「意外と平和でしたね」
第一部は、という文言には触れない方が無難だと判断した。
「エミリナと二人で、幸せに暮らしたかったんだ。それが、僕の一番の願いだったから」
彼は柔らかく目を細め、愛おしげに私を見つめる。無意識のうちに身を乗り出していたことに気付かず、オーウェンの熱い吐息が微かに頬にかかる。
「もう二度と叶わないから、頭の中で作り出した物語に縋るしかない。せめてこの世界でだけは、たくさんの愛を伝えようって」
「……オーウェン様」
私が名を呼んだ瞬間、彼の碧眼がゆらゆらと揺れる。嬉しいのか哀しいのか、どちらとも取れる表情でふにゃりと眉を下げた。




