朝目覚めて、一番に。
そして次の日から三日の間、私は王宮で寝泊まりをすることになった。グレイ殿下には「数日で記憶は戻るでしょう」などと適当な理由を付けて誤魔化した。その嘘に気が付いているのかいないのかは定かではないが、彼は二つ返事で了承してくれた。
問題は兄で、スウォルトに使いを出した際にはかなり文句をつけられたと、ちくちく嫌味を言われた。こちらに一切の非はないのだから、それに関しては仕方ない。
愛のない結婚とはいえ、なんの断りもなく元婚約者の傍で三日間も過ごすなど、いくらレオンハートでも良い気はしないだろう。
名目上は「オーウェンの記憶喪失を直す手伝い」となっている為に、断ることも出来はしないが。
オーウェンは部屋を移り、私達を隔てるものは扉たった一枚のみ。意地でも自室から出るものかと息巻いていたけれど、あの後早速倒れてしまった彼の傍で、私はただひたすらに濡れたタオルを替えていた。
「なぜこんなことをしなければならないのかしら」
グレイの配慮により、ベルで呼ばなければ使用人はやって来ない。調度品がセンス良く並べられた広く静かな部屋には、オーウェンの荒い息と私の溢す愚痴だけが響いていた。
「エミリナ、エミリナ……ッ」
真っ赤を通り越しているかのような顔色は、さすがの私でも心配になる。呼吸をするのも辛いだろうに、彼は絶え間なく私の名を呼んでいた。
「オーウェン殿下。私は、ここにおります」
「い、嫌だ……」
「はい?」
「殿下は、嫌だ……。名前、呼んで……」
それは、初めて出会った頃と同じ台詞。粛々と挨拶をした私に、彼は可愛らしい顔でにこりと笑った。
――夫婦になるのだから、殿下は嫌だ。名前呼んで?僕も、エミリナって呼ぶからさ。
喜びよりも、戸惑いの方が大きかった。その後彼の頭に蝶が止まって、泣きながら大騒ぎして、私がそっと掌で捕まえて空へ逃した。なんて弱い人なのだろうと思ったけれど、同時に新鮮で。オーウェンにつられるようにして、私も少しずつ彼の前で感情を表現するようになっていった。
「オーウェン様。早く元気になって」
ほんの少しだけ顔を寄せ、そんな風に呟く。瞬間彼の手が伸びてきて、私の指にそっと触れる。まるで約束でも交わすかのように、人差し指を絡め合わせる彼を見ていると、どうしても振り払うことが出来ない。
この三日間の話を承諾したのは、けじめをつける為。レオンハートと共にガドル帝国へ出立する前に、今度こそオーウェンへの未練を断ち切る。
事前にレオンハートから「亡くなった婚約者以外は好きにならない」と聞かされた時、とてもほっとしたのを覚えている。もう二度、あんな身を引き裂かれるような痛みを味合わずに済むのだから。
「エミリナ……」
「大丈夫。傍にいるから」
「離れて、いかない?」
「ええ、いかないわ」
朦朧とする意識の中で、オーウェンは必死に私を求めていた。その姿が不憫で思わずそう答えると、彼はようやく安心したように微笑んで、深い眠りに就く。それでも、私達の指は触れ合ったままだった。
そうして、二日目の朝。鳥達はこちらの事情などちっとも汲む気はないようで、朝が来たと全身で伝え鳴いている。身じろぎをすると妙に体が痛み、そこで自分の居る場所がベッドの上ではないのだと気付いた。
「エミリナ?」
はっとして顔を上げると、きらきらと澄んだ碧眼が視界いっぱいに広がる。あまりの近さに、思わず後退りしてしまいそうになった。
私と同じ瞳の色なのに、なぜこんなにも吸い込まれそうになるのか。初めて出会った瞬間から今日までずっと、邪険に扱われている時でさえ、オーウェンの碧い瞳は綺麗だった。
「おはよう。良い朝だね」
「お、おはようございます。殿下」
夢から醒めたばかりで頭が働かなかったけれど、だんだんと意識がはっきりしていくにつれて、羞恥心が前に出る。そんな私を、オーウェンはなぜかじっと見つめた。
「僕、君の寝顔を初めて見たよ」
「ね、寝顔?」
「凄く可愛くて、目が離せなかった」
ぼん!と爆ぜてしまいそうなほどに、身体の芯が熱くなる。同伴のして良いのか分からず、顔を見られないように深く俯いた。
「あ、ごめんね。嫌な気持ちにさせたかな」
「……そういうわけではありません」
ただでさえ私は、可愛げがないと揶揄されてばかり。可愛いなんて、そんな表現をする物好きはオーウェンくらいのものだ。レオンハートからも言われた気がするが、彼のあれは社交辞令でしかない。
今はどうであれ、昔のオーウェンの言葉は嘘ではないと、素直に信じられた。
「お見苦しいところを失礼いたしました。顔をすすいでまいります」
「うん、気を付けていってらっしゃい」
ただ洗顔に行くだけなのに、一体何に気をつけろというのだろう。
「お加減はいかがですか?」
「今のところ、熱は下がっているみたい」
「そうですか。その旨も医師に伝えておきます」
淡々と口にしながらも、昨日よりずっとましになった彼の顔を色を見て、内心安堵の息を吐く。けれどすぐに、そんな自分に嫌気がさした。
「では、失礼いたします」
「ちょ、ちょっと待って!」
私を呼び止めたくせに、うろうろと視線を彷徨わせる。そして、覚悟を決めたようにはっきりと口にした。
「昨晩は傍にいてくれて、ありがとう。朝目覚めて、一番にエミリナの顔が見れて嬉しかった」
「……そういう約束ですので」
冷たく言い放つと、今度こそ部屋を出る。ふと気がつくと、ネグリジェのドレープがくしゃくしゃに乱れているのが目に入り、そこで初めて自分がいかに力を入れて握り締めていたのかに気が付いた。




