第1879話 道徳的優位性2
続きです。
道徳的優位性か……。
仕事論に絡んで、この件が口からついて出た。
これも実に興味深いテーマで、普段からあれこれ考えてるもんな。
タクムスなら相手にとって丁度いい。この機に論じてみよう。
「他人の為を思い、善い行動をするのはいい。だが、それにより、自分は善い人だ。自分は正しい。まわりの人より優れている、偉いと思うのは善いことではない。この二つは混同しやすいが、切り分けて捉えないとな」
「それは、善いことをしても、誇らしく思わない方がいい
ということでしょうか?」
「うむ、ありていに言えばそうだな。善いことをして善い気持ちになる。それはいいが、その気持ちを肥大させて慢心してはいけないということ。例えば勇者が魔物を倒して村を救ったとしよう。それ自体は善いことだ。だが、それで、勇者が『自分は凄い人物だ』『皆の者、褒めたたえよ』と増長したら、勇者としての資質を疑われるだろう? 簡単に言えば、そういうことだ」
昔から日本では、勝って兜の緒を締めよ、敵に勝ちて愈々戒む、天狗になるな、増長するな、と言われてきたが、順調でうまくいってる時こそ、落とし穴があることを、経験則を通じ、よく分かっていたのだろう。
好事魔多し、花に嵐、月に叢雲花に風、寸善尺魔、花発いて風雨多し、など類似のことを意味する言葉は多く、日本人の国民性(慎重・堅実・謙虚)を伺わせる。
今風に言えば、フラグかな。アニメや漫画などで、「これで大丈夫」「よし、勝った」「いける」などのセリフをキャラがドヤって言うと、「フラグが立った」と指摘され、その後、大体、良くない方に物事が進む。フラグは新しい言葉だが、その精神は元々、日本にあった。くれぐれもフラグを立てないようにしないとね。
勝った、成功した、という思い(驕り)が、負けや失敗の原因となるのは、
何とも皮肉だが、これは道徳についても同じことが言える。
というか、もっとストレート。
自分は道徳的なことをした、という思い(驕り)が、
そのまま、反道徳性(驕り)となる。
同時に起こるから、かえって気付きづらいかもしれん。
善いことをした瞬間にその反対のことをしてるんだから。
「善いことをしても、慢心しない方がよろしいということですね」
「そういうこと。というか、さっさと忘れた方がいいぐらいだ。善いことをしたら、いつまでもそれに浸らず、留まらず、さっさと切り替えて次の善いことする。数回、善いことをしたぐらいで、『自分は善人だ』となったら自惚れも甚だしい。口で言うのは簡単だが、善人はそう簡単になれるものではない。日々善行を積み重ね、少しずつそれに近づいていく。生きてる間に完成することはないだろう。でも、それでいい。善の方向に進んでさえいればね」
続きは高級霊界でする。
高級霊界においても、善の道は続くし、むしろ、そこからが本番かもしれない。
現世ではできない悪の消滅が可能かも。必要悪も含めて。
想像しづらいが、悪なく善だけの世界に行けたら、
どれだけ素晴らしいことだろう。
それが果たせるなら、この世の苦なんて大したことはない。
日本では、社会人になってからの好待遇を得るため、学生時代の数年、受験勉強に没頭するケースが多いが、数年(3~6年ぐらい)の努力で、数十年(30~60年ぐらい)の安定や優遇が得られるなら、コスパはかなりいいだろう。だが、それはスケールの小さな損得勘定の生き方だ。
スケールの大きな尊徳感情の生き方は違う。人生80年かけて業を解消し徳を積み、課題をクリアして人生学校を卒業できれば、高級霊界へ行き、800年でも1000年でも、それ以上でも、悪なく善だけの素晴らしい環境で過ごすことができるに違いない。
3~6年かけて、30~60年の成果を得るより、
80年かけて、1000年以上になるかもしれない成果を得る方が、
はるかに徳だ。
現世で栄光栄華を極めても、低級霊界に行くなら、
貧しくても、人生の課題を愚直にこなし、高級霊界に行く方がずっといい。
得を目指す生き方より、徳を目指す生き方を。
ここは現世であり、修行の場、
自分は善人だ。人として完成した。
と思い上がった瞬間に向上が止まり、その時点から堕落する。
そういう人は過去にたくさんおり、その転生者が他ならぬ僕らだ。
前々々世、僕はイギリス人だったが、人生の最後はインドで過ごし、死後、遺体を燃やし、ガンジス川に流してもらった。こうすると輪廻から解脱できるという話だったが、そうはならなかった。だが、今から考えたら当たり前の話だ。人生の課題が今ほど明確ではなく、その取り組みを十分してこなかったからな。
ボルテールは『完璧は善の敵である』と言い、ゲーテは『前進をしない人は後退をしているのだ』と言ったが、完璧(善人・道徳的に優れた人)を目標として目指すのはいい。でも、ゆめゆめ自分は完璧と思うべからず。修行中に修行完了宣言するのは修行放棄と同じこと。善いことをしても、「自分は善い人だ」と思う気持ちは抑える。「みんな善い人」と思のはいいが、「私は善い人」と思い込むのは危うい。その思い(独善)はエスカレートすると「私は神」になりかねない。
「天上天下唯我独尊」と言うと、お釈迦様が生まれてすぐ発した言葉で、「天上天下において我独りのみが尊い」という意味で解釈されがちだが、「我」はお釈迦様のことではなく、すべての人を意味し、「この世に生きる一人一人が、誰とも代われない唯一無二の尊い存在である」というのが正しい解釈だ。自分だけでなく、まわりの人々もすべて尊い。
「我も人なり彼も人なり、僕らは皆、同じ方向を目指し、この世に修行しにきた同志だ。その中で上だ下だと言い合い、思い合うのは愚かなこと。誰がどれだけお金を持ってるか、など物質的な違いについてはこれまで、そのくだらなさを言ってきたから、よく分かっているだろうが、実は精神的な違いについても同じことが言えるんだ。違いはあるけど優劣はない」
物質的にも精神的にも個性による違いはあるが、
違うというだけであり、そこに優劣はない。
身長で160cmと180cm、テストで60点と80点、
100m走で15秒と12秒、などの違いはあっても、
本質的にどちらが偉いということはない。
年齢、性別、種族、肌の色とかもね。
そして、それは精神性(霊性)にも当てはまる。便宜的に分かりやすいよう、周波数の高低で表すことが多いが、高い方が低い方より、偉いということはない。偉いと思えば、その瞬間、周波数は落ちる。高級霊界と低級霊界もそう。あくまで便宜的に高低を付けているが、高級霊界が偉いということはない。
「精神性に高低はないと?」
「違いとして高低はあるが、高いから偉い、ということはない。
偉ぶる者は精神性が高くないしね」
「偉ぶる者……それが自分に道徳的優位性があると考える人ですか?」
「そうそう。自分は他人より道徳的に正しく精神的に優れている、と思う人だね。一言でいえば、残念な人だ。せっかく善いことをしても、それで自分は精神的に優れている、と思えば台無しだからね」
「気を付けないとやってしまいそうですね」
「うむ。そうだな、まったく他人事ではない。善いことをしても『自分は道徳的に優れている』『自分は精神的に優れている』と思えば、徳積み効果が落ちてしまうんだ。下手したら業を積む。傲慢の想念が強いとね」
「善いことをしたのに業を積む……それは怖いですね……」
善行でプラス1ポイント加点しても、悪想念でマイナス2ポイント減点したら、集計してマイナス1ポイントになる。だから悪想念は怖い。清掃や介護や土木建築など3Kの仕事は本来、徳を積みやすい仕事だが、強い不満を抱きながらしたら、ほとんど徳が積めないということが起こり得る。「なんで自分はこんな仕事をしてるんだ」「やってられない」とまわりに愚痴を吐きまくれば業を積むだろう。
「だな。あと、道徳的優位性は、善いことをした時だけでなく、被害者にも起こり得る。被害を受けた自分は加害者に対して道徳的優位性があると思い込んでね。こじらせると加害者に対して何をしてもいいと思うようになる」
翻ってみると、過去の戦争はすべて、この道徳的優位性のこじらせに端を発している。自分は絶対に正しい、悪いのは向こう、という独善的な思いが増長し、それが極度に高まって、ぶつかり合い、戦争に発展した。
前世の西洋の古い格言に『正義を貫こう、たとえ世界が滅ぶとも』(ラテン語: Fiat justitia, et pereat mundus)というのがある。結果や犠牲を顧みず、倫理的・道徳的な正義を最優先すべきだという強い信念を示すものらしいが、僕から言わせれば「世界が滅んだら、正義も何もないだろ」だ。その正義とやらが、他国への戦争・侵略を正当化し、聖戦にかりたて、列強による植民地支配をもたらした。原爆を落として何十万人殺しても正しかったと言い張る始末。
常に自分は絶対に正しいと考え、上から目線で他人に物申し、他人を勝手にジャッジし、他人をコマのように扱う人ほど、愚かで傲慢で滑稽なものはない。いったい何様だ? そんなに自分は偉いのか?
人は皆、修行の身であり、各々課題を抱え、その改善に精を出すことでいっぱい、いっぱい。『自分の心を支配できぬ者に限って、とかく隣人の意志を支配したがるものだ』とゲーテは言ったが、まさにそれ。他人のことをあれこれ言う暇があったら、自分のことをどうにかしろ、と言いたいね。他人に対し、偉そうに言う者ほど、自分のことはできていない。
人生の時間は限られており、成すべき自分の課題を見つけ、
それに取り組むだけでも、ぎりぎり足りるかどうかの長さしかない。
人生は思いのほか短いのだ。余生など存在しない。
人生は死ぬまでの暇つぶし? それならどうして生まれてきた?
そのままなら、来世もさ来世もそれを繰り繰り返すことになるだろう。
一生懸命という言葉があるが、一生を懸けて自分の命を有効に使う。
欲望や怠惰や傲慢に気を取られていたら、不完全燃焼で終わるだろう。
そうなれば、死後、自分の至らなさ、愚かさを悔いることになる。
だから、それを避けるべく、精神性(霊性)を高めるわけだが、
それをする自分は偉い、他人より優れていると思えば、
奈落の底に真っ逆さまに落ちることになるだろう。
自分を偉大な存在だと思えば思うほど、卑小な存在に近づき、
自分を絶対的な正義や善と思えば思うほど、悪に近づく。
他人に対し偉ぶる人は偉くない。
他人に対し善い人ぶる人も善い人ではない。
偉い人も善い人も自分で自分に対し決めることではない。
それは他人がどう見てくれるかで決まる。
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