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1878/1890

第1878話 道徳的優位性

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「「収録お疲れ様です。父上/義父上」」


 番組の収録とその後の質問会を終え、館内の喫茶店の席に着くと、

 ミローネとサラから労いの言葉を受ける。

 ふふ、相変わらず仲がいい、狙ったかのようにハモっている。


 今回はいつにも増して質問の時間を多く取ったが、こうなりそうな気はしていた。僕が日頃考えているテーマだし、そのテーマに適う参加者を呼んだからね。


「ありがとうね、二人とも」


 仕事を終えたら、さっさとあがるようなことはせず、

 関係者とお茶を飲むのが僕流だが、今回はこの二人と……。


「ご招待頂き、ありがとうございます」


 と丁重に感謝するタクムスだ。

 労働推奨課の課員たちとは先程別れたが、

 人数が多かったので遠慮したんだろう。

 まぁいい、彼らとは質問会で十分交流したしな。


「こちらこそ、来てくれて感謝するよ、タクムス君」


 壁時計をチラ見すると、午後2時を少し回ったところ。

 ティータイムに丁度いい。早速、皆でお茶を注文し、一服する。


 ふぅ、この時間はまったりするなぁ……。


 日本でこの習慣の始まりは、江戸時代までさかのぼる。当時は1日、朝夕の2食だったため、朝食と夕食の時間がかなり空いた。しかもこの時代は、朝日が昇り、ニワトリが鳴くと共に起きだして活動を始める人が多かったので朝食はかなり早い時間帯だった。畑仕事など体力を使う仕事をしていると、午後にはずいぶんお腹が空いたことだろう。


 そこで午後2時〜4時の間に小休憩をとり、軽食を摂って仕事に戻るという習慣が自然と生まれた。その時間帯は「八刻やつどき」と呼ばれたことから、「おやつ」という言葉が生まれたのだ。時代にすると、江戸時代中期(17世紀末~18世紀初頭)の元禄期頃だね。


 江戸時代の間食たるティータイム、人々は何を食べ、飲んでいたか。抹茶や煎茶はまだまだ高価で庶民には普及していなかったので、お茶はお茶の葉を煮出したものや麦茶だったよう。砂糖を使用したお菓子も高価だったので、おやつは団子や煎り豆などが中心だったらしい。砂糖を使用してないので甘くないが、何度も噛むことにより、唾液のアミラーゼで炭水化物を糖化し、自家製のほのかな甘みを味わっていたのだろう。質素そのものだが健康的でいい。


 お茶の本場イギリスではモーニングティーに始まりナイトティーまで1日何回も紅茶を楽んだが、有名なのはやはり15時頃に提供されるアフタヌーンティーだろう。アフタヌーンティーでおなじみの3段重ねのスタンドは18世紀に登場するが、当時のイギリス貴族も食事は1日2回。しかもディナータイムは夜の8時ごろと遅めの時間帯だったので、午後になるとお腹がすいた。それで、おやつとしてスコーンという甘さ控えめの焼き菓子が好まれた。前々々世の時代、ジャムを付けてよく食べたものだ。当時、砂糖入りのジャムは高価だったので、ちょこっと付けて薄く伸ばしたっけ。


「例の件、企画が通ったので、進めて頂戴」

「例の件ですね。わかりました。それで、〇〇の方はいかがしましょう?」

「ああ、その件があったわね。それは――」


 ミローネとサラは仕事の話をしているな。邪魔しないよう

 僕はタクムスと話をするとしよう。彼と話をしたかったし、丁度いい。


「聖王陛下……」


 と思ったら、先にタクムスから話しかけてきた。以心伝心だな。


「仕事論、大変勉強になりました」


 会話の導入として無難な滑り出しだな。お世辞でも嬉しい。


 僕は対面会話によるコミュニケーションを大切にするが、会話がうまくいくかどうかは冒頭で決まる。それには否定ではなく肯定から入ること。誉め言葉から入ればさらにいい。「そのネクタイ、似合いますねぇ」「最近、評判がいいですねぇ」などを最初の10秒でさっと言う。これには相手の長所を見抜く『人間観察眼』が必要だ。相手の短所ばかり見てる人にはこれができない。


「うむ、そう言ってもらえると嬉しい。労働推奨課の諸君が真摯に聞いて

 くれたので、話しやすかったよ。皆、よく勉強している」


「お褒め頂き、ありがとうございます」


「うむ、こちらこそ、ありがとう。ところで、今回のテーマに関連して

 聞かせてほしい。君は今の仕事を楽しめているかな?」


 この場面だけ切り取れば、唐突感のある問いに映るだろうが、番組収録と質問会を受けての流れなら、おかしくないだろう。こういうのを「文脈の中で」と言うが、どこかの国のマスコミはこれを無視して、ある場面だけ切り取って「支持率下げてやる」とうそぶき、悪意ある報道をするんだよな。僕もあれをやられたら、とんでもない奴みたいにレッテルを貼られてしまうだろう。つくづく、この世界で良かったと思う。


「楽しめているというのは満足という意味でしょうか?」

「そうそう」

「それでしたら、満足してますし、楽しめております」


 タクムスが明るい表情できっぱりと答える。うん、本音のようだな。


「そう言えるのはいいことだね。好きな仕事ができるのが一番だが、そういう仕事が上から降ってくるということではなく、元々、そうでなかった仕事を好きな仕事にするからこそ意義があるんだ。先ほども言ったが、最初から好きな仕事に就くなんて、そうそうないからね。また仮にあったとしても、それは決していいことではない」


「好きになる努力が大切ということですね」


「うむ、それと、仕事量の加減だな。量が多いと負担がかかり、好きなものでも嫌になる。逆に全然仕事をしない状態、暇になると、それはそれで仕事に身が入らなくなり、モチベーションが下がる」


 人生を幸せに過ごすには仕事量の加減がキーとなる。過労が酷いと精神を削られ、生きる気力を失い、まったく仕事をしないと、虚しくなり、やはり生きる気力を失ってしまう。『バランス感覚』は大事だな。コモンスキルに加えて正解だ。


「聖王陛下、ご質問してもよろしいでしょうか?」


 質問か、望むところだし、そうなると読んでいた。

 先ほどの質問会では主に課員に質問を譲り、

 自分は控えていたからな。


「いいよ」


「ありがとうございます。情けは人の為ならず、という御言葉がありますが、これは『善行は他人の為ではなく、自分の為として考えるように』という意味で理解してますが、それでよろしかったでしょうか?」


 僕の本『御言葉集』を読んでくれている。


「うん、そうだね」


「ですが、善行は相手の為にする行為で、相手の為を思うのは、

 いいと思うのですが、いかがでしょうか?」


 おお、これはいい質問だ。僕も昔、それについて考えたことがあるが、

 その答えが出ているので、それを提示しよう。


「いい着眼点だね。人の言葉を鵜呑みにせず、しっかり咀嚼してるのは

 いいことだ。先ずはその点を褒めさせてもらおう」


「いえ……大したことでは……」


 ふふ、謙遜して少し照れてる。


 褒められたら褒め返し、感謝されたら感謝し返す。

 笑顔には笑顔で返し、善意には善意で返す。

 これをすれば、コミュニケーションは円滑となり、

 これを怠れば、コミュニケーションは滞る。


「それでは答えよう。善いことをする際、相手の為を思うのはまったく間違っていない。むしろ、それが善意であり、その思いのもと行動するべきだ。但し、善いことをしている自分に酔いしれ、自惚れることは慎むべきだ」


 ここからが肝心なところ。


「相手のことを思うのはいい。だが、それにより、相手のことを思う自分は優れている、というのはダメ。自分は相手の為に動いている。そういう自分は立派、というのがよろしくない」


 パネルを提示する。

 これはマイ図書館で前世の記事を読んだ際、気になったワードだ。


□--------


 道徳的優位性


□--------


「善いことをして自分が上になった思うこと、これはまったく善くない。『情けは人の為ならず』には善行しても相手に対し道徳的優位性を持つことを戒める意味が込められている。それと、他人の為にする行為は巡り巡って自分の為にもなる、という意味もね」


「善いことをして、善いことをしたという気分になったら

 よろしくないのでしょうか?」


「純粋に『善いことをした、気分がいい』ならいいが、そこから『それをした自分は立派だ』の思いが出てくると良くない。だから『善いことをした』という善想念は要注意なんだ。本当の善人は自分の行為を一々善行と思わず、自身を善人とも思わないからね」


 人生学校ゲームでは徳積みを可視化することにより、善いことをするようにリードしているが、善いことをした後で、「自分は善いことをした」という意識が強いと、「だから自分は偉い」になりかねない。それを避けるには、「自分は善いことをした」という意識を程々に抑える必要がある。


 一日一善は推奨すべきものだが、これも要注意。日々、善行することで「自分はどんどん偉くなっている」と勘違いしたら、善行が色あせてしまうだろう。


「……自分を善人と思うのも良くないと?」


「善いことをして善人を目指すのはいい。だが、自分を『善人』だと思い込めば、そこで成長が止まりかねない。『善人』は目指すべきものであり、なるものじゃない。1から100の行動があって、そのうち、10しか善行できない人から見たら、20善行できる人は善人に見えるだろうが、20善行できる人から見たら、30善行できる人が善人に見える。生きてる間は常に上を目指すのが正しいあり方だ」


 善性の高い人を指して便宜的に善人と呼ぶことはあるが、実のところ人には

 善性と悪性の双方があり、完全に善性だけの人はこの世に存在しない。


 だから、善性100%の人を善人としたら、なることは不可能だろう。

 ただ、目指すのはいい、目標は大きい方がいいからね。


 これに関連する言葉がある。

 それは『少年よ、大志を抱け』だ。


 これは、札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭、ウィリアム・スミス・クラーク博士が日本を去る際に教え子に残した有名な言葉だが、これだけだと漠然としており、ミスリードを招く恐れがある。全文はこう。


『お金や私欲のため、または名声という儚いもののために大志を抱くな。

 人間としてあるべき姿を追求するために大志を抱け』


 高潔な精神を説いたものであり、天から下りてきたような言葉だ。だが、一般では全文ではなく『少年よ、大志を抱け』だけが広まっているのは悪意を感じざるを得ない。これだと、クラーク博士が忌避した、お金や私欲のため、または名声という儚いもののために大志を抱くことも含まれてしまう。


『少年よ、大志を抱け』という切り取りワードを鵜呑みにして、立身出世したり、事業で成功したり、有名になったり、金持ちになることをイメージする人は多いだろう。だが、クラーク博士が本当に言いたかったことはそうではない。


『少年よ、大志を抱け』は英語で『Boys, be ambitious』であり、 実は、ambitiousには、ポジティブな意味として「大志」の他にネガティブな意味として「野望」がある。よって何を目指すか、方向性によって、どちらの意味にもなる。


 この世の多くの人は低級霊界出身であり、先達が方向性を示さねば、ネガティブな「野望」の方に進むケースが多いだろう。これではクラーク博士が浮かばれない。全文の普及を強く望む。彼はアメリカに帰国した後も札幌での生活を忘れることはなく、死の間際には「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしいときだった」と言い残したと伝えられている。そういうのは時空を越えて伝わるんだよな。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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