第1877話 教育番組~仕事論12~
本テーマはここまで。
他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。
これはカナダの精神科医エリック・バーンの言葉だが、拝聴しつつも僕は少し違う考えを持っている。他人にどうこうしろと言っても、最終的にどうするか決めるのは他人であり、起きてしまった過去の事実を変えられないのはその通りだが、自分を変えることにより、他人に対する見方は変わり、敵でさえ味方のようになる。
また、未来を前向きに捉えることにより、反射的に過去も前向きに捉えられるようになる。終わり良ければ総て良し、と言うが、未来が良ければ、それまでの経過(過去)も必然的に良いものになる。つまり――
自分と未来を変えれば、他人と過去も変わる。
と僕は考える。
他人に為に働けば、自分に返ってくるし、
自分の頑張りに他人は影響を受ける。
過去の失敗を活かせば、未来の成功につながり、
未来に良いイメージをも持てれば、過去の苦労も良いイメージに変わる。
自分と他人、未来と過去は乖離したものではなく、
密接に繋がっている。片方が良くなれば、もう片方も良くなるだろう。
人を好きになること、人を嫌わないこと、
は自分を変えることであり、やりやすい。
一方、人から好かれること、人から嫌われないこと、
は他人を変えることであり、やりづらい。
でも、不可能かと言えば、決してそんなことはない。
自分を変え、人を好きになり、人を嫌わないようになれば、
それがまわりに以心伝心で伝わり、人から好かれ、
人から嫌われないようになっていく。
人は自分が好きな人を好きになる。魚心あれば水心だ。
人に好かれたいなら、先ず自分が人を好きになる。
人を嫌ったままで、人に好かれたいは成立しない。
人から嫌われる人は、どうしてそうなるのか真剣に考えるべきだ。人から嫌われる理由として、人の悪口を言う。嘘を吐いたり、嫌味や不快なことを言う。人の話を聞かない。態度がそっけなく冷たい。人が嫌がることをする。などが挙げられるが、それをしてなくても嫌われる場合がある。
その場合、過去世で人をいじめたり、嫌がらせした因果が巡っている可能性があるが、それと関連し、内面に抱える悪想念が原因かもしれない。それは「人が嫌い」という、どす黒い思いだ。表面上の意識でそんなことはなくても、深層意識で「人が嫌い」という思いを持つ人は割とたくさんいる。自分で気が付いてないだろうがね。
心魂磨きをする際、傲慢と同様、なかなか落ちないのがこの「人が嫌い」という思いだ。人が嫌いだから、人を軽く扱い、人を見下し、人に攻撃的となる。傲慢は分解すると、自分アゲ・他人サゲ、になるが、「人が嫌い」はこれを強化する働きがある。おそらく傲慢から派生した思いであろう。傲慢により、他人サゲし、サゲた人を忌み嫌う。
過去の歴史で人類は人種差別をしてきたが、今だって根っこの部分は変わらない。あからさまな人種差別は鳴りを潜めたが、他人差別は潜在的に残ったままだ。その思いを言語化すると「人が嫌い」になる。
人を嫌う人は、人から嫌われる。
なので、明確な理由がなく、人から嫌われる人は、自分の中にある「人が嫌い」という思いと向き合い、その思いを手放すよう意識することだ。具体的にどうするかと言うと、「人が嫌い」という思いにアクセスすること、そうすると、その思いが奥底から泡のようにぶくぶく上がってくるので、それを淡々と観察すればいい。
それだけ?
うん、それだけ、といば、それだけ。でも、それがそこそこ難しい。
と言うのも、その際、「人が嫌い」に関連した嫌なイメージが浮かび上がってくる。文字通り、嫌な人が続々と登場するだろう。だが、それに動じないことだ。
夢に限らず、現実でも「人が嫌い」を想起させる場面が出てくるかもしれないが、粛々淡々飄々とやり過ごし、不動心、克己心、自制心を保つ。それにより、悪想念のゴミが浮かび上がり、どんどん燃え、消え去っていく。不完全燃焼で残っていたものも総てね。
お釈迦様は菩提樹の木の下で瞑想した際、マーラ(欲望や恐怖)の幻覚に苦しめられたが、あれはどこからともなく来たものではなく、お釈迦自身の悪想念が浮かび上がったもの。だが、したことは戦うことでも、押さえつけることでもなく、唯々、相手にしないこと、流すことだった。例えるなら、悪夢という名のフィルムを淡々と見続けること。やがてフィルムの再生が終わると、幻覚を見ることがなくなり、心が清浄な状態となる。
人は死後、浄玻璃鏡で、生前の記憶をイメージ(高速再生)で見るが、あれは生きてる間もできる。というより、生きてる間にした方がいい。死後、イメージを見て来世に活かすことは可能だが、転生の際、記憶をリセットされるので、その心境に至るまで長い時間を要する。だから生きてる間にその心境に至る方が断然いい。そうすれば、残りの人生で改めることができるので課題達成が早くなる。
死後、浄玻璃鏡を見ても、そこで更生することはできない。更生はあくまで生きてる間だ。転生しても精神性(霊性)は上がらない。生きてる間に更生することより上がる。転生より更生だ。
馬鹿は死ななきゃ治らない、というが、本当は違う。
馬鹿は死んでも治らない、が正しい。
人の持つ愚かさは死んだぐらいで治るものではない。
それだったら、とっくの昔に皆、人を卒業できている。
生きてる間の浄玻璃鏡たる内面のマーラ動画再生の重要なポイントは、目の前に映り、表れる事象がどんなに嫌なもの、醜いものであっても、客観視し、それと自分は別だと認識すること。「嫌だ」と思っても、その思いは自分ではない。そう、嫌なもの、醜いもの、怖いもの、禍々しいもの、は自分ではない。そう思えば、それらは自分から離れていく。自分の一部だと思えば、いつまでも一緒だ。
嫌なものは自分ではないし、
嫌だと思う自分も本当の自分ではない。
嫌だと思う自分を冷静に眺める自分こそが本当の自分だ。
その感覚を掴めば、嫌なものはどんどん消え去っていく。
難しい?
確かに最初は難しいかもしれない。だが、1日5分でも10分でも瞑想し、雑念を取り払う練習を続ければ、そのうち、雑念を取り払う自分とは別の自分を意識できるようになる。最初は微かな感覚で、はっきりしないだろうが、根気よく練習すれば、何事にも動じない自分、総てを見透かすような自分にアクセスできるようになる。
修行を通じ、「嫌」をどんどん無くしていくが、さりとて、全部消すことはしないし、できない。「嫌」という感覚があるからこそ、「嫌」を認識し、消すことができる。生きる上で必要な生理現象としての「嫌」はあっていい。これは他の悪想念も同じこと。僕はこれを必要悪と呼ぶ。消すべきは、それが何倍にも膨らんだバブルの部分。制御に支障をきたす害のある部分だ。
さて、思考遊戯はこのぐらいにして質問会に戻ろう。
好き嫌いは仕事をする上で切っても切り離せないものであり、もう少し続けるとしよう。観念的な話だと理解しづらいだろうから、なるべく具体的に分かりやすくね。
「仕事を長く続ける上で大切なことは人に嫌われないことだ。嫌われれば、嫌った相手を嫌うようになり、仕事まで嫌いになってしまいかねないからね。例えば職場に、互いに嫌い合っている人が一人いるとしよう。それだけで嫌な気分になるものだ。一日二日ならいいが、それが一月二月、一年二年続くと、精神をごりごり削られる。修行にはなるが、こういうのが何人もいたら、キャパオーバーになりやすい。だから、仕事を長く続けたいなら、人から嫌われないようにすること。これは人生の処世訓だ」
かつて、前世の評論家で「99人の敵がいても、100人の味方がついていれば良い」と言った人がいたが、こういうのは話半分で聞くことにしている。実際のところ、たとえ少数でも明らかな敵がいると、苦しく生きづらくなる。そんなのが、まわりに半分もいたら生き地獄となるだろう。というか、半分も敵になったら、それで済むわけがない。ほとんどが敵に回ってしまうはずだ。
大腸の中の菌は2割の善玉菌、2割の悪玉菌、6割の日和見菌で構成されており、6割の日和見菌は善玉菌が優勢なら善玉菌に、悪玉菌が優勢なら悪玉菌のように作用するが、勝ち組に乗ろうとするのは人も一緒。40人のクラスで悪玉の8人から嫌われると、日和見の24人からも嫌われることになる。そうなると善玉の8人も見て見ぬふりだ。悲しいかな、これが現実の世の中。長い物に皆巻かれる。
もし、そんな中で一人でも味方になってくれる人がいるなら、
絶対に仲良くした方がいい。その人に出会うために、
その場が設定された可能性がある。
「とにかく人から嫌われないようにする。これは仕事でも家庭でも
人がいるところなら、どこでもそうだ」
タクムスが口を開く。
「それも修行ということですか?」
「そういうこと。でも、嫌われないことは好かれるよりは簡単だ。
嫌われるようなことをしなければいいわけだからね」
パネルを提示する。
□-----------
A 人から好かれる
B 人から嫌われない
C 人から嫌われる
□------------
「先ずBを目指そう。その上でAを目指す」
これが現実的なステップだ。
「人から好かれるのは難しいが、人から嫌われるのは簡単だ。
AとBの努力をしなければいいだけだからね」
次の質問者が手を挙げる。
「何もしなくても嫌われることがあるのですか?」
不作為の悪だな。
「ある。それは今話したように、AとBの努力をしていて、それを止めた場合だ。分かりやい例で言えば、結婚するまで優しかったのに、結婚した途端、優しくなくなるような場合だ。こういうのを釣った魚に餌をやらないと言うが、豹変した姿により騙されたように感じ、それまで好きだったのが、一気に冷めて嫌いになる」
優しくない人が、優しくないままなら、人は何とも思わないが、
優しい人としてふるまい、その後、優しくない人に変わったら、
人は反感を抱き、嫌いになる。
「繰り返すが、好かれるのは難しいが、嫌われるのは簡単、好かれるまでは時間がかかるが、嫌われるのはあっという間だ。10年20年、良好な関係を築いていたとしても、その関係に胡坐をかき、関係構築の努力を怠ったら、すぐさま関係は瓦解する」
釣った魚に餌をやり続けなければならない。
好きになってもらっても、その努力を続けなければ、
好かれなくなるどころか、嫌われてしまう。
僕らは好きでこの世に生まれてきたが、
これも好きになる努力を怠れば、生まれてきたことが嫌になる。
好きなことを探し回る生き方より、生きてること自体を好きにならないと。
前世でサラリーマンだった頃、ある先輩と呑んだ際、将来、独立をしたい旨を吐露したので、その理由を訊いたら、「俺にはサラリーマンのちまちました人間関係は性に合わない。独立して自由にやりたい」と答えたんで、「へぇ、そうなんですか」と合わせつつ、「そんな甘い考えじゃ無理だ」と思ったことがある。
その先輩は個性的でさっぱりした気質の人であったが、会社の人間関係を嫌がり、独立して、それから解放されることを願っていた。だが、浅はかなサラリーマン根性であり、認識が甘かった。会社の人間関係をこなせずして、独立後の人間関係をこなせるわけがない。
サラリーマンはたとえ人間関係がうまくいかず、まわりから距離を置かれても、与えられた仕事さえこなせば、毎月、口座に給与が振り込まれ、生きていくことができる。公務員は、休まず、遅れず、働かず、と揶揄されるが、会社員の多くも労働基準法に守られ、余程、大きな問題を起こさない限り、クビになることはない。周囲から、多少、煙たがられたり、嫌われたりしていても、図太い神経があれば、なんだかんだやっていける。人格に問題があったり、犯罪者スレスレのような人だって、何食わぬ顔をして働いているぐらいだ。
だが、独立して自営になれば話は大きく変わる。嫌われ、まわりから距離を置かれたら、それで、ジ・エンドだ。誰も取引してくれなくなり、モノやサービスを買ってくれなくなる。人間関係の隔絶はそのまま生活手段の喪失を意味する。
商売は、嫌われたら、その瞬間、お終い。
商いは飽きないであり、飽きられたら、それまで。
金の切れ目が縁の切れ目というが、縁の切れ目が金の切れ目にもなる。
よく自営業を自由業と言ったりするが、とんでもない話。サラリーマン以上に、好かれること、嫌われないこと、が段違いに要求される不自由業だ。たまに「自分は気に入った人としか取引しない」と豪語する商売人がいたりするが、それができるのは繁盛している極一部の商売人だ。商売を初めてすぐにそれをやったら廃業一直線。
「独立したら、サラリーマンみたいに我慢しない。自由にやるぞ」
と先輩は言っていたが、おそらく口だけ番長で独立自体できなかっただろう。後輩の前で大言壮語を吐いて、いい気分になってお終いだろうね。でも、その方がいい。下手に商売を始めて、多額の借金をこさえたら、地獄を見ただろうからね。深い付き合いをした訳ではないが、縁を持った人は、皆、幸せになってもらいたい。
さて、まとめに入ろう。
「仕事で嫌われないようにするには、自分がされて嫌なことを相手にしないこと。仕事で好かれるには、自分がされて嬉しいことを相手にすることだ。基本的に相手の立場に立ち、相手のためになる行動をする。つまり、利他行、善行だ。これを心がければ基本的にうまくいく」
あと、注意点も。
「但し、すべての人から好かれるのは難しいということは認識しておいた方がいい。誰にも良い顔をする人を八方美人というが、悪人にまで良い顔をする必要はない。あと、嫌われないことは大事だが、それも絶対ではない。不正やパワハラの告発など、嫌われてでも言うべき時はある」
タクムスが口を開く。
「悪人には嫌われても、いいということでしょうか?」
「嫌われないで済むなら、それが一番だが、悪人から接触してきて、悪の道への同調を強制してきたら、毅然と拒否する。いざという時、嫌われる勇気も必要ということだ」
悪人に同調して悪人に好かれるぐらいなら、
悪人に同調せず、悪人に嫌われた方がマシ。
すべての人から嫌われず、すべての人から好かれるのが理想ではあるが、現実的には不可能だ。ここは玉石混交、様々な人がいる現世だからね。原則には例外が付きもの。原則だけで生きたら、えらい目に遭う。この世はそんな単純なものではない。だからこそ、迷いやすく、苦しみやすく、修行になるんだろう。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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