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第1869話 教育番組~仕事論4~

 関連回 第1525話 福祉省労働推奨課、第1749話 ミローネと談義2

 介護施設や建設現場や清掃会社や養豚場で人を募集しても、人が集まらないのは賃金や労働環境のせいがあるだろうが、たとえ、それを改善したとしても、それだけでは足りない。誇りを持って仕事できるようにしないと。


 そのためにはそれらの仕事が社会的に重要なものだと認識し、それらの仕事をしてくれる人への敬意と感謝を忘れないことだ。彼らが、きつい、汚い、危険な思いをするのは誰のためか? 言うまでもない。僕らのため、皆のためだ。


 番組の収録は続く。


 送信機カメラに映るのは僕とギロン王子の二人だが、僕たちの正面には見学席があり、そこはいつも人で埋まっていて、感覚的には会場で話すのに近い。会場と違うのは、彼らとコミュニケーションを取れないことだが、話す側からすれば目の前に人がいるのといないのとでは感覚的にまったく違う。こちらの方がずっと話しやすい。僕は壁や宙に向かって独り言を言う趣味はないものでね。ここはギロン王子がいるが、聞いてくれる人が多いに越したことはない。人とのコミュニケーションは実にいいものだ。僕は基本的に人が好き。みんな善い人と思うようにしている。


 みんな善い人、みんな善い人、そう思えば本当にそうなっていく。


 コミュ障と言われる人は人と話すことを嫌うが、

 これも修行のうち。その気になれば、苦行→利他行→楽行へと

 ステップアップできる。


 みんな悪い人、みんな嫌な人、みんなどうでもいい人、

 みんな普通の人、みんな善い人、

 どのチャンネルを選ぶかは、あなた次第。


 たとえ現実の状況がそうでなくても、みんな善い人、私は恵まれている、最高だ、嬉しい。と思えば、その状況を引き寄せることになる。それこそが高級霊界だ。死後、高級霊界に行きたいなら、生きてる間にその心境に達することだ。生きてる間に善人になった人だけが、肉体を脱いだ後、善霊となり、善なる世界へ行くことができる。


 そうそう、コミュ障もそうだが、〇〇オタク、〇〇バカ、〇〇狂など個人に対するレッテル貼りはまったく良いものではない。愚痴や悪口と同類であり、人を蔑む悪意に満ちた言葉だ。他人に使えば業を積むことになる。情報の切り取り、近視眼的な決めつけ、悪意のあるレッテル貼り、は三連コンボであり、周波数の低い攻撃的な人物がよく使う手法だ。


 見学者は放送局側が呼ぶケースもあるが、今回はテーマを考慮し、タクムス課長はじめ福祉省労働推奨課の面々を招待している。後で受信機テレビを観ても内容は同じではあるが、同じ空間にいるからこそ伝わるものがあるからね。


 文字や言葉で多くの情報を伝えることができる。でも、それですべてではない。文字や言葉以外、表情や仕草や間合いや雰囲気など、さらに言えば、見えない世界を通しての情報伝達もある。卑近な例でいうと、他人を「嫌な奴」と思った時、その思いは以心伝心で伝わるものだが、実際は遠方だとタイムラグが相当あるし、伝わったとしても間接的なケースがほとんどでクッションとなり、受ける印象は弱いものとなる。鈍感な人だと気付かないだろう。


 だが、「嫌な奴」と思った人物と直接、顔を合わせると、その思いはすぐ相手に届く。外見的体裁を取り繕っていても、相手に伝わり、伝わった相手も「嫌な感じ」を持つものだ。実のところ現世における以心伝心は遠方より対面の方が起きやすいし、分かりやすい。だから僕は対面を重視する。


 労働推奨課はその名の通り、国の柱である労働推奨政策を実行する部署である。具体的には王国職業紹介所を通じて、日々、民に仕事の紹介をするが、漠然と紹介するより仕事の深い意味を知った上でする方が何倍も効果があるだろう。仕事を紹介する側が仕事をポジティブに捉えられれば、紹介される側にもそれは波及する。


 前の世界では3K要素のあるブルーカラーの仕事が避けられるケースがあったが、それに見合う、賃金や待遇、それと仕事に対する敬意と感謝があれば改善するはずだ。目下の課題は前者だが、後者も置き去りにしてはいけない。人はパンのみにて生きるにあらず、だ。


 この言葉を、人は善なる心さえあれば、パンがなくても生きていける、と勘違いする人がいるが、そうは言っていない。「パンのみにて生きるにあらず」であり、パンは必要だ。同様にブルーカラーの人にも先ずは賃金と待遇の改善が必要。敬意と感謝はその次にくる。敬意と感謝だけでは生活できないからね。


 人は労に対し物質的見返りと精神的見返りの両方を求める。

 片方だけでいいという人は少数だ。


 努力して試験に合格した。頑張ってお金を稼いだ。苦労して何かを成し遂げた。

 でも、それだけじゃ物足りない。

 誰かから「おめでとう」「頑張ったね」「よくやったね」と言われたい。

 

 ただ、前の世界の問題は、ブルーカラーだけではなく、実はホワイトカラーにもあるんだよな。ホワイトカラーの中でも、事務職や販売職などにおいて、新3Kという状態が起きている。新3Kとは、帰らない、厳しい、給料が安い、だ。旧来の3K(きつい、汚い、危険)と足して6Kというらしいが、ブルーカラーを見下して、自分たちも見下されるようになるとはね。業は巡るといったところか。


 以前、世間的にホワイトカラーとされる大企業が、従業員の自〇に端を発し、長時間労働(サービス残業の隠蔽)が表面化し、労働基準法違反で法人として起訴されたが、パワハラなどが日常的にあったようで、あれだったら、ブルーカラーの方がいいぐらいだ。ブルーカラーは肉体的に辛い場合はあるが、ホワイトカラーは精神的に辛い場合が多いからな。自〇までいくのはホワイトカラーばかり。やはりストレス絡みだろうな。


 とと、横道はここまで、続きを話そう。しかし『高速思考』は便利だ。いろいろ考えても、大して時間は経っていない。感覚的に5分でも実際は5秒程度。これは【理解力向上】というユニークスキルをコモンスキル化したものだが、一般公開せずに僕だけで使っている。悪党に知られ、悪巧みに使われては困るからね。


「仕事はストレスが付きものだが、ストレスがあっても驚かず、ストレスがあって当たり前だと思うことだ。これだけで大分違う。ストレスがないのを当たり前だと思えば、ほんの少しのストレスでも負担に感じてしまうが、ストレスがあるのが当たり前だと思えば、それが軽減される。繰り返すがストレスはあって当たり前なんだ」


 ストレスのある状態が、あたりまえ、有る有る状態であり、

 ストレスのない状態が、ありがたい、有ることが難しい状態だ。


 マクロで見れば、この宇宙は膨張し続け、ミクロで見ても、電子は原子核の周りを常に高速で移動し続け、どちらも動き続けている。ストレスは外部刺激によるものなのだから、動きが常態化しているこの世界では、いつ、どこでストレスが起きてもおかしくないということになる。こちらからぶつかるつもりがなくても、向こうからぶつかってくることが普通にある。


 そのような世界でストレスがない状態を目指そうとするから、そうでないとイライラしてしまう。だから、そうではなく、それを普通だと思うこと。それにより、結果的にストレスが楽になる。夜、空を見上げれば、綺麗な月が見えるが、望遠鏡で見ると表面はクレーターだらけだ。クレーターとは隕石などがぶつかってできた穴のこと。月は空気がないので、抵抗で燃え尽きることなく、隕石が地上に落ちてくるので、ああなるのだ。でも月はイライラもムカムカもせず、その状態を当たり前のこととして捉え、その場に悠然と存在しているかのよう。人が同じような目に遭えば、きっとギャーギャー大騒ぎするだろう。


「この世界はストレスだらけ。だが、そう感じるのは人だけ。ストレスという現象を心の中でストレス化しているんだ。だから、心の中でストレス化しなければ、ストレスは軽減できる。とは言いつつ、ストレスの管理は必要だ。人にはキャパシティーがあるからね。ここまでなら耐えられる。このぐらいなら何ともない。という線がある。それを把握しておこう」


 過労を苦に自〇を考えるような人は残念ながら、その把握ができていなかったのだろう。だから、自分のキャパシティーを越えて働いてしまい、最悪の方向に進んでしまった。僕だったら、そんな職場、さっさと辞める。仕事はいくら辞めてもいい。やり直しはいくらでもできる。大企業だけが生きる道ではない。だが、人生を辞めたら絶対にダメ。これだけは明確に言える。


 辛くて、きつくて、しんどくて、切羽詰まって息苦しくなった状態になった時、「もう嫌だ、ここから逃げ出したい」と弱腰になるのだが、冷静になり、「どうして、そのような状態になったのか?」「その道を選んだのは自分でなかったのか?」と自問自答してもらいたい。ひょっとしたら、その状態を体験するためにそうなった可能性がある。なるべくしてなった。


 損なこと、割に合わないこと、見返りのないこと、

 しんどいこと、辛いこと、苦しいこと、嫌なこと、

 これらを体験することにより人は精神的に成長することができる。 

 魂がそれを求めたのだ。魂にとって死ぬこと以外はかすり傷と同じ。


「ストレスを受けるうちに、ストレスではなくなっていく

 ということですか?」


「まぁ、そうだね。例えば、職場で悪口を言ってくる者がいたとする。未熟だと、言われる度に心を乱されるが、修行を積めば、何を言われても何ともなくなってくる。もちろんすぐにはできないが、『自分は人から悪い影響は受けない』『悪口を言う相手に同調しない』と決意し、その通り行動すれば自然とそうなっていく」


「ですが、悪口を言うのが上司の場合はどうでしょうか? 

 スルーは難しそうですが」


「その場合は上司の上司に言えばいい。その上司をそうさせているのは、

 上司の上司の責任だからね」


「上司の上司が上司に味方した場合はどうでしょうか?」


「それなら、さらにその上に言うまでだ。最終的にはトップになるが、

 それでダメなら辞めた方がいい」


「辞めていいのですか?」


「ああ、多勢に無勢だし、上まで腐っている組織なら、

 おさらばした方がいい。そこで変に我慢する必要はない」


「ずっとストレスに耐えるわけではないんですね」


「そう。ある程度、耐えることは必要だが、

 自分を壊してまで耐える必要はない。その塩梅(あんばい)が肝心なところ」


「なるほど……」


「ストレスが無いことを望む人が多いだろうが、まったくストレスがない環境だと人はストレスに弱くなる。ストレスに弱くなると、ちょっとしたストレスでも大きなストレスに感じるようになるんだ。その一方、急に大きなストレスにさらされると、心に付加がかかり病みかねない。だから、最適なのは小さなストレス、すぐリカバリーできるぐらいのストレスを適度に味わうことだ。これで人はストレスに強くなり、心も強くなっていく」


「過度なストレスは心を傷つけ、適度なストレスは心を強くする

 ということですね」


「そういうこと。ちなみにだが、小さなストレスは、精神だけでなく、肉体にも適度な刺激を与え、細胞を活性化させ老化を遅らせるアンチエイジング効果がある。過度なストレスだと老化を早めるが、小さなストレスは逆に作用する」


 これはホルミシス効果といい、体に悪い放射能が微量なら体に良く作用することから、他の健康分野にも応用されるようになった作用だ。毒になるものが、微量では逆に刺激・活性化をもたらすという現象を、ギリシャ語の「刺激する」からとって「ホルミシス(Hormesis)」と名付けられた。


「ストレスは体に悪いものだが、適度なストレスである

 プレッシャーはやる気を喚起させる作用がある」


 低レベルのストレスは、細胞内の老廃物を掃除・再利用する「オートファジー」という働きを活性化させる。軽い酸化ストレスにさらされることで、細胞は自身の防御機能(抗酸化能力)を高め、老化関連疾患の予防に役立つ。


「ストレスを全否定し、ストレスがまったくない環境にいたら、人は弱くなってしまう。無菌室の純粋培養はダメ。子供の教育もそう。必要以上に過保護に育てたら、社会に出てから苦労することになる」


 子供に限らないが、

 人に優しすぎ、甘すぎると、その人を逆にダメにする。

 まったくストレスを与えないことも、それに該当する。


 人に対する時はこちらが全部お膳立てするべきではなく、ある程度、相手にも、気を使ってもらい、考えてもらい、動いてもらい、ストレスを受けてもらい、責任を持ってもらうことが必要だ。それが相手のためにもなる。


 適度なストレスを体験することにより、日常の不便を解決する能力を高め、将来の大きなストレスに対応できる心を作る。筋トレ・ウォーキング サウナ・水風呂、冷水シャワー・空腹もストレスだが、適度なら体に良い方向に作用する。


 昔の修行者はよく断食をしたが、あれも空腹というストレスにより、オートファジー(細胞の掃除機能)を働かせ、健康に役立った。実際、食事制限を実践している修行僧は長寿が多い。腹八分目で医者知らず、腹六分目で老いを忘れる、腹四分目で神に近づく。食べない、二分目、四分目、六分目が、他の生き物への思いやりとなり、功徳となる。


「但し、注意点はある。適度、微量なストレスは体に良い作用をもたらすが、必ず分量をチェックしながら行うこと。慣れるのはいいが、慣れるに従い、やり過ぎに向かうことがあるからね。座禅でも運動でも、やり過ぎれば体を壊してしまう。何でそうなるかというと、傷みが何ともなくなり、そのうち心地良くなるからだ。でも、心地いいからといって、やり過ぎてはダメ。何事も程々だ」


 話を戻そう。


「仕事もそう。最初は怒鳴られて嫌に感じても、次第に慣れて何とも感じなくなり、それどころか、怒鳴られて心地良くなることがある。そこで止まればいいが、もっと怒鳴って欲しいと思い、わざと怒鳴られるようになったら道を踏み外すことになる。そのあたりの自己コントロールは大切だ」


 魔境という言葉がある。これは禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態とされている。自分はこの状態になったことはないが、それは瞑想に時間制限を設け、深く入り込まないよう注意してきたからだろう。


 修行がある段階まで進むと、急に気が大きくなり、自分は優れた存在だと思い込むことがあるらしいが、それがいわゆる魔境であろう。「我は神なり」「仏陀の生まれ変わりなり」「第六天魔王だ」とか言い出したら危ない。でもこれ、瞑想修行に限らない。普通に生活(日常生活における修行)していても、そうなる人はいる。で、「我を崇めよ」「朕は国家なり」みたいな痛い台詞を吐いたりする。過酷な職場環境に耐え、日々精進するのは称賛に価するが、それにより、自分は優れた存在だと思い込んだら、何のための精進か分からなくなる。


 上を目指すのはいい。皆で上を目指そう。

 だが、上がったからといって、まわりを見下すようになったら、

 それ以上、上に行けず、奈落の底に堕ちることになるだろう。

 これまで多くの人がその愚を犯してきた。堕天使ルシファーのようにね。


 これを防ぐには、いつも謙虚でいること。

 下から上を仰ぎ見る姿勢を保つことだ。

 上から目線ではダメ、常に下から目線、下から上へ、下から上へ。


『この世で一番重要なことは、自分がどこにいるかではなく、

 どの方向に向かっているかということだ。 』


            オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニア


 折角、努力して上に行っても、

 まわりを見下したのでは、それまでの徒労が水の泡になる。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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