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婚約破棄された私、王子と入れ替わったので今度は私が選びます  作者: しろねこ


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第1話 婚約破棄

シャンデリアの光が、今夜はひどく眩しかった。


建国祭の夜会。


王都中の貴族が集う大広間で、エルフィーナ・ヴェルシュタインは婚約者である第一王子ラインハルトの隣に立っていた。


——あと少し。


今日を終えれば、来月はいよいよ戴冠式の準備が始まる。


婚約して五年。


誰よりも王妃に相応しくあろうと努力してきた日々が、ようやく報われる。


……そう、信じていた。


「ラインハルト様」


小さく呼び掛けても返事はない。


王子はどこか落ち着かない様子で、人混みの向こうを見つめていた。


会場の入り口に、メリッサ・オルグレンが立っていた。淡い水色のドレス。伏せた睫毛。彼女は今日、招待されていないはずだった。


ざわめきが波紋のように広がっていく。楽団の音が止み、誰かが息を呑む音がやけに大きく響いた。


ラインハルトが、一歩前に出た。


ラインハルトは一瞬だけ目を閉じ、そして、何かを振り切るように口を開く。


「エルフィーナ・ヴェルシュタイン」


名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。婚約してから五年。彼がこんな声で、こんな距離で、自分の名前を呼んだことはなかった。まるで——他人を呼ぶような声だった。


「今宵をもって、お前との婚約を解消する」


一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……は」


短く声が漏れた。周囲の視線が、刺すように肌に突き刺さる。誰かが息を呑み、誰かが扇の陰でひそひそと囁き始めた。


「王子、それは」


「聞こえなかったか」


ラインハルトの声には、苛立ちが滲んでいた。まるで、当然の報告を邪魔されたとでも言うように。


「お前は、婚約者としての務めを果たしていない。社交も、内政も、剣の腕さえも、すべて驕り高ぶるばかりで――」


言葉が、耳を素通りしていく。


務めを果たしていない。


その言葉に、五年分の記憶が一斉に押し寄せた。誰も教えてくれなかった内政の資料を、夜中まで独りで読み込んだこと。表立っては誰も何も言わないのに、扇の陰でずっと値踏みされ続けてきた社交の場で、必死に作法を覚えたこと。そして、ヴェルシュタイン家に伝わる「王家の伴侶たる者、有事には民を守れるように」という古い教えに従い、剣を握ったこともなかった手が血豆だらけになるまで稽古をした早朝の庭。


——全部、あなたの隣に立つ資格が欲しかったから。


けれど、そのすべてを彼は見ていなかった。


「その罪を明らかにするため、名乗り出てくれた者がいる」


ラインハルトが手を差し伸べる。その先に立っていたのは、メリッサだった。彼女は伏せていた顔を上げ、エルフィーナと目が合った瞬間、ほんの一瞬だけ――口の端を吊り上げた。


「メリッサ嬢は、お前が裏で行っていた不正の証拠を持ってきてくれた。財務記録の改ざん、使用人への理不尽な扱い……エルフィーナ、お前にはもう、我が婚約者たる資格はない」


「そんな……そんなこと、私は」


言葉にならなかった。反論しようとした声は、震えるばかりで形を成さない。会場のざわめきが、糾弾の視線に変わっていく。


誰も、味方をしてくれる者はいない。


いや——


会場の隅、柱の陰に立つ一人の青年と、一瞬だけ目が合った。侍従アルヴィン。彼だけが、眉を寄せてこちらを見ていた。何かを言いたげに、けれど動けずに。


「私は、今宵よりメリッサ嬢を新たな婚約者として迎える」


その一言が、とどめだった。


会場に拍手のような、どよめきのような音が広がる。エルフィーナは、自分の足がまだそこに立っていることが不思議なくらい、体の感覚が遠かった。


五年間、積み上げてきたものが、たった一夜で「不正」という言葉に塗り替えられていく。


涙が出ない。悔しさよりも、驚くほど静かな絶望が、胸の奥に降り積もっていく。


「……分かりました」


かろうじて、それだけを口にした。声は自分でも驚くほど平坦だった。


踵を返し、大広間を歩き出す。誰も呼び止めない。背中に刺さる視線だけが、痛いほど鮮明だった。


外に出ると、夜風が頬を撫でた。星の少ない夜だった。エルフィーナは、庭の奥にひっそりと佇む古い像の前で、ようやく足を止めた。


建国以来、王家に伝わる聖獣の像。誰も気に留めない、苔むした石像。


「……全部、無駄だったのかな。」


夜明け前の庭は静かだった。


冷たい石像に指先が触れる。


「違う。」


エルフィーナは首を振った。


「無駄なんかじゃない。」


誰にも見てもらえなくても。


誰にも認められなくても。


あの日々まで、否定させるものですか。


「私だけは、私の努力を裏切らない。」

ぽたり、と涙が落ちる。


「……馬鹿みたい」


呟いた声は、震えていた。


「あんなに、頑張ったのに」


頬を伝ったものが、初めて涙だと気づいた。ぽたり、と石像の足元に落ちる。


その瞬間だった。


石像の双眸が、ひび割れた表面の奥から、微かに光を放った。


「え……」


驚く間もなく、光はエルフィーナの体を包み込んだ。まるで温かい水に沈んでいくような感覚。遠くで、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。ラインハルトの声のようで、けれど自分自身の声のようでもある、奇妙な反響。


視界が白く塗りつぶされ――


次に目を開けたとき、エルフィーナは見知らぬ天井を見上げていた。


いや、見知らぬ、わけではない。


見下ろした自分の手は、大きく骨ばっていて、見覚えのある紋章の指輪が嵌まっている。壁にかけられた鏡に映るのは――


「……噓、でしょう」


鏡に映った青年が、目を見開いていた。


黄金の髪。


蒼い瞳。


王家だけが持つ、美しい顔立ち。


見慣れたはずのその顔が、今は自分と同じように息を呑んでいる。


「……誰だ。」


低い声が漏れる。


それは、自分の声ではなかった。


鏡に映っていたのは、

第一王子ラインハルトだった。


その時、部屋の外が慌ただしく騒がしくなった。


「殿下、お目覚めでしょうか。」


 侍従の声だった。


「陛下よりご伝言です。本日、婚約破棄について正式な裁定が下されました。」


 心臓が大きく脈打つ。


「エルフィーナ・ヴェルシュタインは、不正の真偽が明らかになるまで、王家客館にて王家の管理下におく、と。」


 ――客館。


 昨夜まで自分がいるはずだった場所。


 つまり今、その客館にいるのは……。


 エルフィーナは思わず鏡を見つめた。


 そこに映るのはラインハルトの姿。


 そして、自分の姿をしたラインハルトは、王家の客館で目を覚ましているはずだった。


 まだ誰も、この奇跡を知らない。


 知られてはいけない。


 そう思った瞬間、胸の奥に新たな緊張が広がっていった。

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